第5話 当たり前ではない王妃

「本日はいかがお過ごしでしたか」


 シャイアがそう尋ねると、ナタリアは食器を置いて口を開いた。


「シャイア様のご指示通り、サロンにて諸侯の奥方様のお相手をしておりました。皆様羽振りのよろしい方ばかりでしたが、イノークス使節の奥様とミリス候は少しばかり体を患っておいでのようです。滋養強壮の薬草をお譲りいたしました」


 申し遅れたことお詫び申し上げます、とナタリアは丁寧に続けると頭を下げる。昨日のように空のテーブルではなく料理があるため、そこまで深く頭を下げなかったが、シャイアはそれをまた慌てて辞めさせる。


「なんで謝るんだい? ありがとう。いい事をすると返ってくると言うしね」


 屈託なくシャイアが笑うと、ナタリアも一つ頷いて食事に戻った。


 会話を楽しみながら食事をするのは行儀の悪い事では無い。口に物が入ったまま喋るのはマナー違反だが、雑談でいちいち手を止めてしまえば料理が冷める。


「そう言っていただけると助かります」


「ナタリアは嘗められたりはしていないかな?」


 はて、と首を傾げるナタリアである。この国の頂点である王……ひいては王妃を、嘗める、とは。分からない事は素直に聞いてみた。


「どういう意味でございましょう……?」


「いやぁね、私は随分と嘗められていてねぇ。今日で大分と減ったとは思うのだけれど……統治を初めて一年。まだまだ至らないんだろう」


 この王を嘗めるとは、また随分と見る目の無い貴族諸侯だ、とナタリアは心の中で断言した。


 確かに見た目には強そうに見えない。王族独特の威厳も無い。地位の高いものにありそうな、偉ぶった所も見受けられない。


 しかし、少しでも話せばわかりそうなものだ。


 こんなに心を開いておきながら、ここまで油断できない御仁はそう居ない、と。


「……輿入れする際、お国を拝見して参りましたが」


 ナタリアは下手に慰めるよりも、と口を開いた。


「うん。長閑でしょう?」


「はい。治水も行き届き、民草は笑いながら仕事にあたり、街は警吏が行き届き、大変よく治められていらっしゃると拝見いたしました」


 ソロニア帝国からヴァベラニア王国の首都・ブランデまでの道すがら、争いらしい争いも、ちょっとした小競り合いも見受けられない。確かに長閑ではあるが、それにはよく目が行き届いている証拠だ。また、税が重ければあのような様子にはならない。


 国土だけではない。人も皆、長閑なのだ。


「そうなんだよ、人はいいんだ。本当はね。……みんな不安なんだよ」


 少しばかり自嘲気味にシャイアが告げる。


 不安なのだ。昨年の突然の戦に駆り出され、親兄弟を失った者もいる。貴族だった先鋒の将を失い、土地を奪われ、新たに直轄地として治められている者が居る。なるべく気を配りはするけれど、戦の理由も分かってくれてはいるけれど、即位してすぐ攻め込まれ敗けるような王では、皆が不安に思うのも致し方無い。


「シャイア様……?」


 いつもの明るい様子からの僅かな差に、ナタリアが心配そうな声をかける。相変わらずの能面だが、声だけは彼を労わっているのが分かる。


「あっはは、なんでもないなんでもない。さぁ、食べてしまおう。今日はまだ書類が残っていてね」


 シャイアが笑い飛ばしたので、ナタリアはそれ以上口を出す事はしなかった。


 書類というのは、今日の地方領主からの謁見の際に、近隣の領主や富豪から預かってきた嘆願書の数々だろう。主に資金融資の件だが、その八割が今日のような詐欺紛いの物だと思うと気が塞ぐ。面倒臭い。


 気配を敏感に察知して、ナタリアが口添えする。


「でしたら、後で何かお差し入れ致します」


「本当かい? オペラ領の郷土料理とかが食べたいな」


「……軽い物でしたら」


 晩餐の後にまだ食べるというならば、麦粥でも作っておこう。香草とチーズを使った、少し甘い麦粥だ。


「じゃあ、頑張って仕事するよ。その為にもしっかり食べて、しっかり働いて、お腹を空かせておかなきゃあね」


「働きすぎにはお気をつけくださいませ」


「ナタリアに言われたらそうしなきゃだ」


「まぁ……、言われなくてもお気をつけくださいあそばせ」


「はいはい」


 こうして国王夫妻の夜は恙つつがなく更けていった。


 翌日は使節の方々の見送りという事で、ナタリアを連れてシャイアは彼方此方のサロンを往来していた。


 海洋諸国の使節、ソロニア帝国、合わせて十二の国々からわざわざ国の代表としてお祝いに来ていただいたのだ。シャイア自らが赴いて礼を尽くすのが当然だろう。


 また、贈られた物への返礼の品もこの時に渡す。それらの支度に一週間という時間を要した。


 一つのサロンで使節を見送ると、廊下に出た途端シャイアは大股に歩きながら老齢の執事に確認する。


「次は?」


「テネオス国、エラード使節です」


「贈り物は南国の色鮮やかな反物で御座いました。返礼には宝飾品を造らせて御座います」


 然して大股にも、急ぎ足にも見えない様子でシャイアたちについていくナタリアが補足する。


 シャイアはぴたりと脚を止めると、珍しい物でも見るようにナタリアをしげしげと見詰めた。


「……陛下?」


 何かまずい事をしただろうかという目でナタリアが見返すと、シャイアは破顔した。


「何でもないよ! さぁ行こう」


「はい」


 何でも無いわけでは無い。むしろ、何でもありすぎる位なのだが、シャイアは口にしなかった。


 ナタリアは王妃としてよくやっている。いや、よくやっている以上の拾い物だ。


 例えば今回の事にしてみれば、反物を贈られたという事はテネオス国の一番の売り物は反物だと解る。繊維を染める染料にも、布を織る糸の羊にしても、原料も餌も植物である。植物が盛んな国という事は、余程大きな……それこそ、ヴァベラニア王国のような……国土が無ければ宝石や金属の産出はまず無い。ソロニア帝国はウルド山脈から派生した鉱山を幾つか抱えているが、ヴァベラニア王国程手を広げては居ない。もちろん、加工技術はソロニア帝国が二歩も三歩も先を行くのだが。


 テネオス国では、原料の植物が生えない土地を作るようなことはしない。また、反物で寄越したというが、それの加工技術がどれほどの物なのかをナタリアはサロンでのもてなしで見抜いていた。布の加工技術は、他国に見劣りしない程度。しかし、宝飾品はどこかセンスが違うようである。つまりは、宝飾品は交易で手に入れる物なのだろう。だからテネオス国の服飾に合った宝飾品を造って贈る……それを返礼とするのは最上級のもてなしである。


(確かに、贈り物には目を通しておいてねとは言ったけど……)


 先導するシャイアの口元は自然に笑っていた。


(いやぁ、私は予想以上に素晴らしい奥方を頂いたようだ)


 そうしてサロンに着くと、侍女が返礼品の一つを乗せた天鵞絨の台を持って待っている。自国では使わない大ぶりな装飾品だが、確かにエラード使節の奥方の服装を思い出せばよく似合うだろう。


 後ろにはそれらが複数入った葛籠も用意されている。


「エラード様、失礼致します」


 シャイアは迷いなくサロンの扉を開いた。

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