第4話 いつもの日の始まり
自分の妻になった女に、面倒臭いと言い放ったシャイア。さすがのナタリアも(表面上は何の変化も起こらなかったが)表情を硬くした。
「だってね、もう家族になったじゃない? なのにさ、いちいち慰めるとか、おだてるとか、そういう表面だけ攫うような付き合いは面倒臭いでしょう」
と、シャイアが言うと、ナタリアは内心ほっとした。嫁いでいきなり……一週間は経ったのだが……相手の王に捨てられたとあっては国に合わせる顔も無い。
そもそも、自分は戦勝国であるソロニア帝国から人質に出されたようなものなのだ。
敗戦国とは言え、未だにソロニア帝国全土を賄う程の食糧は自国のみでは造り切れない。
また、賄いきれるほどの国土をヴァベラニア王国から奪ってしまえば、住民の反乱は必至。今は食糧問題のために、内戦など起こしている暇は無い。
それだけ必死に攻め込んだからこそ、ソロニア帝国はヴァベラニア王国に勝てたと言っても過言ではない。
(何せ、純粋な兵力だけならばヴァベラニア王国はソロニア帝国の三倍。私自身が斥候したのだから間違いない)
そんな戦勝国から嫁がせた王家傍流の娘に何かあれば、今度こそ本格的な戦になる。戦の理由になってしまう。
それは両国共に望まぬ結果であり、それを防ぐためにナタリアはいるのだ。
「シャイア様のような方と家族になれて……、私は幸せですわね」
「私も、美人の奥さんが来てくれてこの上無く幸せだよ」
さぁもう遅いから休もう、と、シャイアは話を切り上げて立ち上がった。
寝室は、ナタリアが別の国から嫁いできたという事もあり、夫婦別であった。シャイアは様々なものが見えるが、性格が悪いわけではない。先達てに戦争をしたばかりの国に嫁いできたナタリアの事を気遣いもしているし、お喋りを楽しんだのも本心だ。
来た時よりも二人ほど多い侍女に挟まれて廊下を進むと、隣り合った部屋の扉の前でナタリアは止まる。ここが自分に割り当てられた私室だからだ。
一緒に立ち止まったシャイアに向って膝を折る。
「それでは、おやすみなさいませ、シャイア様」
「おやすみ、ナタリア。……あぁ、そう。さっきの驚いていた顔、なかなかに可愛かったよ」
「お戯れを……」
「ははは! じゃあ、また明日の晩餐で」
「はい」
シャイアは笑いながら手を振ると、自分の寝室へ侍女二人を伴って入っていった。
しかし、ナタリアは彼が部屋に入るまで、顔を上げる事ができなかった。
「王妃様……?」
訝しんだ侍女に声を掛けられて、ようやく顔を上げる。
(何故……、私は表情を漏らしただろうか……? いいえ、いいえ……それだけは無いわ、なら、何故……)
なぜ、動揺したことがばれたのだろう。
たまたまだろうか。それとも、本当に分かっていたのだろうか。ナタリアの頭の中は忙しなく働きはじめたが、それをおくびにも出さず、侍女に大丈夫よと告げて部屋へと入った。
湯浴みを終えて、寝間着で広々としたベッドに入ると、侍女はランプの油皿に小さな火をともして出て行った。
(私はもう、自国では死んだようなもの。……話してしまっても、良いのだろうか……、いえ、いいえ。まだ、それを悩むには早計だわ……)
祖国に人質に出されたとしても、自分が祖国を売る事はできない。そんな考えを頭によぎらせた事すら恥ずかしい。
そうして考え事をしながら、ナタリアは布団の中で、まんじりともせずに朝を迎えた。
王の朝は早い。ナタリアが起きだすころには、すでに朝餉を終えて朝議に向っている。
夜の社交は女が主役だが、男は陽があるうちに働くものだ。
ナタリアはさも今起きたかのように、侍女が扉の前に立ったタイミングで起き上がった。彼女たちがカーテンを開ける間にショールを羽織る。
「おはようございます、王妃様」
「おはようございます」
「洗面の用意を致しております。どうぞ」
「ありがとう」
この能面のような顔に向って、慎ましやかながらも笑顔で話しかけてくるこの侍女は、ナタリア付きになったローザだ。雀斑の散った顔は愛嬌に溢れていて、薄い金髪も相まってひまわりのようである。
「国王陛下は朝議に向かわれました。この後、午前は地方領主からの謁見、昼は諸侯と摂られまして、夕方には海洋諸島の方々とお会いになられます。王妃様にはその間、サロンの取り仕切りを頼むとおっしゃっていられました」
王や爵位を持った殿方にとっては仕事の時間だが、それに必ず付いてくるのが奥方というもの。
彼女たちの相手をしながら、さり気なく自国の評判を取り持っておく。これが王妃たるナタリアに割り振られた仕事である。
「分かりました。では、それに見合う服をお願い」
「畏まりました」
ローザは膝を折って応えると衣装部屋の中へと消えていった。
(国王陛下は……シャイア様は、何をお考えなのでしょうか……)
「……という事でして、私の領地にもいくらかの兵と資金の程を……」
王は朝議を終え、執務室で貴族それぞれと謁見していた。シャイアの後ろには、燻したような銀髪を後ろに撫でつけた、三十そこそこの男が立っている。その姿は軍属上がりを思わせる鍛え抜かれたもので、上背も高い。この国の宰相であるロダスだ。
今謁見しているのは、国境に程近い領地を持つ地方貴族、ランデュラ子爵。川沿いに大きな農地を持っているのだが、国境から百フェイ(約10キロメートル)は直轄地である。
だから、そんな所に最近山賊が出ているならば、目の前のシャイアの領地を通らなければ無理なのだ。
シャイアは終始ニコニコとして話を聞いていたが、ふむ、と一つ息を吐く。
(嘗められたものだなぁ、私も……)
この溜息も本当である。全く、嘗められている。侮られ、油断し、隙あらば食いつこうとされている。
(そんなに頼りなく見えるものかねぇ。若輩なのは本当だけれど……)
と、考えながらロダスを見ると、首を横に振る。そのような報告は上がっておりませんという事だ。
「さて、ランデュラ子爵。おかしなことに、貴方の領地に向かう道すがら、そのような者が通ったという報告は上がっておりません。さすれば、これは私の部下が殺されたか脅されたかしているという事。そのような脅威ならば、戦支度も吝かではありませんが、いかがか」
「いっ、戦?! い、いえいえ、そんな、そんなことは……」
農地は今、かきいれ時である。そんなことに人を割かれ、農地を踏み荒らされては、田畑は駄目になり、作物も諦める他なくなってしまう。更には領地の監督不行き届きでランデュラ子爵の処罰も必至。税も得られず処罰を与えられるのではとんでもない。
「こ、こ、これは、私の方で今一度確認しておきます故……」
「えぇ、こちらからも人を遣ります。帰りも護衛させましょう。お気をつけて」
顔を青ざめさせながら、ランデュラ子爵は這う這うの体で退室していった。と、同時にシャイアは机へと倒れ伏す。
「ロダス、なぁこの茶番いつまで続けなければならないんだ?」
「陛下がお嫌ならば私が捌きますが、結婚のお祝いに来た方々を無碍にするのは隙を見せるも同じですよ」
「知ってる……、知ってるけど、お祝いじゃなくて詐欺ばっかりだよさっきから……」
もはや少しばかり子供のようになっているシャイアである。
ロダスはシャイアが十になる頃からの教育係であり、剣の師範でもある。それまでは軍属し、知将としての働きを見せ、王宮に召し上げられた。
最初は執事の真似事から入ったが、一応の礼儀作法を叩き込まれた後、徹底した政治教育を施され、シャイアの教育係となった。そしてシャイアの国王即位と同時に宰相へと召し上げられたのではある。これは国の慣例でもあった。
気心が知れているから、ロダスにはシャイアも素を見せられるのである。
「陛下。ソプリテン伯爵をお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい、呼んでください」
「畏まりました」
扉の向こうから声が掛かると、シャイアは姿勢を正して苦笑した。
まだ太陽は中天までは遠い。もう少し、詐欺師の相手をしなければならないようだった。
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