第2話 戦の理由

 ヴァベラニア王国は大陸の東側内陸に位置し、肥沃な大地を抱える大国である。……土地だけは。


 北は万年の雪に閉ざされた未知の国、西と東はウルド山脈によって遮られた、いわゆる盆地だ。


 あまりに広大すぎる盆地のため、国の中で経済も何もが成立してしまい、そのせいか、些か長閑な……悪く言えば、田舎の国であった。


 また、食糧事情も土地も不自由しない事、更にはウルド山脈と周りの地形によって余り近隣諸国との国交が盛んな国ではない事も田舎事情に一役買っている。


 ウルド山脈の隔てた東南には、海に面したソロニア帝国がある。こちらは逆に、近隣諸国との交易が盛んで技術や文明は一歩も二歩も進んでいるのだが、国面積が人口密度に対して小さい。


 栄える場所には人が集まるものでソロニア帝国はそれを良しとして移民を受け入れていた。しかし、食糧自給率はもともとそこまで高く無い事が災いして人口の増加に供給が追い付かなくなってきていた。住民に対する国土の狭さも大きな問題である。


 ソロニア帝国の先代、ヴァベラニア王国にとっては先々代の王の時代に、ウルド山脈は互いの国境としてどちらの国にも属さないと取り決められ、二国協力の元一部を開拓し、そこに関所を設けて交易の窓口としていた。


 しかし、いつしか犯罪者や、そうでなくとも地元に居られなくなった者がウルド山脈に逃げ込むようになり、やがて山賊行為が蔓延った。どちらの国の領域でもないのだから、これを取り締まる法が無いのだ。


 そのせいで、両国ともに国を挙げて交易を推奨するものの、物騒さからやがてそれも途絶えていった。


 今では国が軍を出し、国と国との交易として、ヴァベラニア王国からは食糧を、ソロニア帝国からは外の情報や技術を、少しずつやり取りするに留まっている。金がかかりすぎるのだ。


 また、両国の間での移民もできなくなった。山賊が紛れ込み、国境付近の村や町を襲う騒ぎが幾度も起こったためだ。


 商人や農民が其々自由に出入りできないというのであれば、ヴァベラニア王国にとっては文明の遅れの致命傷となり、ソロニア帝国にとっては人口の捌け口と食糧の致命傷となった。


 よもや、ソロニア帝国の在所では賄いきれない食糧事情に餓死者が出るまでとなった。


 そしてヴァベラニア王国へ向けての挙兵へと至ったのである。


 ソロニア帝国の兵は強かった。自分の母を、父を、妻を、子を、飢えさせまいとする兵二万、さらには海洋諸国からの応援もあり、ウルド山脈の関所を破ってヴァベラニア王国のシサリス平原で相対することとなった。


 対して、それまで自分たちの国を脅かすものはすべて自然に守られてきたヴァベラニア王国の兵は、弱い。


 守らなければならない。――分かっていたとしても、ぎらぎらと輝く穂先の槍を携え、揃いの鎧を着こんだ一糸乱れぬ敵軍を前に、余りにも技術も練度も足りなさ過ぎた。自然に守られる代わりに、文明の発展が一歩も二歩も遅れてしまっていたせいだ。


 数だけはいるヴァベラニア王国の迎え撃つ五万の兵、しかし、技術で、練度で、気迫で負けた集団は、あっけなく先鋒から崩された。


 時期も悪かった。先代の王が亡くなり、追って年若い王が即位したばかりだったのだ。


 ヴァベラニア王国は自分の事で手一杯であり、外へと目を向ける程落ち着いていなかった。だから、隣国の戦火の予兆に気付くこともできなかったのだ。完全に後手に回り、そして。


 先鋒の将が討ち取られた所で、ソロニア帝国から和平条約……当然ながら、ソロニア帝国に有利な不平等条約であるが……が、持ち掛けられた。


 このままでは肥沃な大地をすべて血の道に変え、王宮まで向かわんとする勢いであった。


 即位したばかりの王は、これを一も二も無く呑んだ。民草や国土が血で塗れる位ならば、と。


 食糧に関する問題と移民問題、それに関する護衛等の措置、国境線の改めによって国土の三分の一を失う事になったヴァベラニア王国だが、王はそれを呑んだ。当然、ソロニア帝国側に領地を飲み込まれる事になった領主からは非難の声があがったが、王は首を横に振るばかりで取り合わなかった。それしか出来なかったとも言える。


 そして、ヴァベラニア王国のシャイア・ガルバンド・ロウ・ヴァビロン王はソロニア帝国王宮へと赴き、和平条約に調印した。


 これが、一年前の『シサリス戦争』である。


 今では改められた国境線に合わせて、長い国境壁と、あらゆる所に関所が建っている。


 ヴァベラニア王国側からは、その壁の向こうを伺い見る事は出来ない。長閑な田畑の中に連なる巨大な壁は、どこか滑稽ですらあった。


 国境付近の統治はどの貴族もやりたがらず、直轄地となった。


 やがて人々は、国境線を目にしながらも、日常に戻っていく。前よりも貧相になった食卓でも、何とか暮らしている。食卓事情の代わりに、歌や絵の具、といった娯楽や文化が入ってくる。何もかもを失ったわけでは無いと自分たちを慰めるには十分なものだった。


 和平条約には、ある取り決めも含まれていた。


 シャイア王は独身である。故に、ソロニア帝国王家傍流の貴族から、妻を娶らせる、と。


 まるで属国の扱いだったが、シャイア王は気にしなかった。その条件も飲み、そしてあの盛大な結婚式の場で、自分の妻と初めて顔を合わせたのである。


 オペラ伯爵の娘、王族の血など希釈に希釈を重ねてもはや一滴や二滴含まれているかという、傍流も傍流の、しかしどこまでも美しい人形のような美女。


 シャイアはその愛想の無さも何も、委細気にしなかった。


 なぜなら、彼女が本心から『ヴァベラニア王国に嫁ぐ』気でいる事が見れば分かるからである。


 こうして、彼は彼女の手を取った。

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