王様の嫁は御庭番

真波潜

ガルフの剣

第1話 結婚式

 知っているのと知らないでいることの間には、大きな差があると思うんだよ――。


 この日、ヴァベラニア王国は賑わっていた。


 ここ半年ほどで様変わりした城下町も、今日ばかりは祭のように盛況だ。


 灰色の石造りの家々は色とりどりの布で飾られ、あちらこちらで乾杯の音頭が飛び交っている。


 花が舞い、それぞれめかしこんだ市民が踊り、石で舗装された道路にも祝いの絵が其処彼処に描かれている。こうしておけば、小高い丘の上、さらに高い王城の露台からも見えるだろう。


 何も城下町だけがこのように浮かれているわけでは無い。


 広大な国土の中、村や町で、集落で、様々な人が今日ばかりは労働の手を止め、盃を手に笑っていた。


 国中の皆が皆、今日という日を祝福しているのだ。




 城壁を隔てた王宮内部も、国中の貴族諸侯、及びに近隣の国の貴族や使節、果ては王家に覚えの良い大商人まで、大神殿にひしめき合っていた。人々は色とりどりの礼装に身を包み、まるで春の花畑のようだ。ただし、真紅と白の衣装を着た者は来賓の中には居ない。


 本来は清貧を由しとする神殿も、今日は祝いの品と飾りできらびやかである。真紅の天鵞絨に金糸で王家の紋章を縫い取った綴織りが幾枚も天井から下げられている。祭壇の脇には、今は神へと奉げられている宝飾・反物に始まる祝いの品の数々が並んでいた。色硝子から差し込む光で、眩しい程に輝いている。


 今日は一年前に即位したばかりの王の結婚式である。戴冠式以上の賑わいも、祝いの品も、推して知るべしというものだ。


 いかな『敗戦国』とはいえ、今日ばかりはどこも彼処も、国中がお祝いの色一色なのも頷ける。


 様々な国々からの使節や『勝戦国』の侯爵も招待され、この日は下座にて主役二人の結婚式を見守るようだ。


 神殿の重厚な木扉が開く。


 祭壇の前にいるこの国の王――黒い瞳に濃茶の髪をした、聡明そうな青年――は、重く開かれた扉の音に真紅の外套を翻して祭壇からそちらへと向き直った。


 戸口に立っているのは、純白に銀糸の刺繍、瞳と同じ浅黄色の宝飾品を着けた、彼の妻となる女性……ナタリア・ソロム・オペラが、今日から夫となる王、シャイア・ガルバンド・ロウ・ヴァビロンを静かに見詰めていた。


 ナタリアと目が合うと、シャイアはにこりと笑ってみせた。少し面食らった花嫁は、静々と彼の元へ、父であるソロニア帝国のオペラ伯爵に導かれて進んでいく。


 この真紅の絨毯の上を歩く時、普通の花嫁ならば何かしら思う事もあるのだろうが、ナタリアは泣くでも笑うでも無く、ただ無表情に王の元へと向かっていた。幸い、ヴェールと幾重にも重なった生地を踏まないように軽く俯いていたおかげで、それは客には知る由もない事だが。


 オペラ伯爵も、微笑んではいるが、内心はどうだか分からない。何せ、これは所謂『政略結婚』であるからして……それでも、伯爵の地位で他国、それも敗戦国とは言え王族に名を連ねるのならば、少しは喜んでもいい筈だが、その表情は読めなかった。


 やがてオペラ伯爵がシャイアへとナタリアを委ねると、今度はシャイアに導かれるまま彼女は祭壇の上へと一歩上がった。後ろへ大きく垂らしたドレス生地が、慎ましやかに衣擦れの音を立てる。


 黒羽色の髪を綺麗に結い上げ、純白の重厚な衣装を着た花嫁は、滞り無く誓いの言葉を述べると、王と共に結婚証明書へと署名をした。


 それまで静まり返っていた神殿は、拍手と祝いの言葉で埋め尽くされたが、ナタリアの表情は微笑む事もしなかった。


 それは披露宴でも続き、露台で国民に向って顔見世する時も変わらずで、対照的に明るく笑い手を振るシャイアの隣では酷く目立っていた。


 造りだけは、頭の先からつま先まで美しく完璧なナタリアだが、愛想というものは忘れて生まれてきたようだ。そして国中で、近隣諸国で、そっと囁かれるのである。


 ヴァベラニアの王は、人形姫を嫁にもらった、と。

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