第3話
目が覚めた時には既に、祖母は農作業、叔母は病院へ出勤していた。今日一日、家にいるのは隼人と私の二人だけだった。
「二人でお留守番って久々」
隼人は紙に鉛筆を滑らせる。視線は机の隅に置かれた虫籠と紙の上を行ったり来たりしている。
「そだね」
暇なので、彼が描いたばかりの絵本の下絵を見せてもらっていた。モノトーンの蝶が画面ぎちぎちに翅を広げている。
「どんなストーリー?」
「んー……迷ってて……」
隼人は首を回した。
「真帆が帰って来るって聞いてさ、見てもらいたいと思って、それ」
隼人は視線を私が持っている絵に寄越した。
「これ?蝶の絵?」
「そう。最後に会った年、二人で神社の横の森に虫捕りに行っただろ?」
「虫捕り……」
行っただろうか。虫捕りによく行っていたのは覚えているのだけれど。
「忘れちゃった?俺は一生忘れないと思うよ」
隼人は描いていた鉛筆を置き、床に散らばった無数の蝶の絵を不服そうに見渡した。
「あの蝶より綺麗なものをまだ見たことがない。あれを描きたいのに、僕じゃ描けない」
物憂げに眉を少し下げると、骨ばった長い指で一枚の絵を摘み上げた。
「真帆、君がブリキの缶に入れた蝶はその後どうなったの?」
「ブリキ……」
その言葉を反芻しているうちに、西日を背に必死に穴を掘る自分の姿が浮かび上がってきた。
「あ」
唐突に記憶は、鍵で閉じられていた箱を開けるように溢れ出した。
「埋めたの。あの木蓮の下に」
最後に祖母の家に預けられた夏は、例年通り過ごしていた。農作業の手伝い、虫捕り、祭、全て隼人と一緒だった。
だから両親と離れる寂しさを感じたことはない。むしろ、祖母の手料理が毎食出され、陽気な叔母もいるこの家は私にとっての理想だった。
隼人と兄妹になってこの家に住めたらいいのにと、何度妄想したことだろうか。
私は隼人が好きで仕方なかった。照れ屋なところも優しいところも、夢中で絵を描くところも全て愛おしかった。
「なんで埋めたの?」
隼人は詰問するでもなく、背を丸めて再び鉛筆を走らせながら、淡々と尋ねきた。籠の中の蝶は優雅に翅を揺らしている。隼人は一瞬の美しさを捉えるために、射抜くような眼差しを蝶に注いでいた。
その様子を見て、私の心にふつふつとある気持ちが沸き起こった。小さな頃の私はその気持ちと上手に付き合えなくて、ブリキ缶に押し込めたのだ。
「死んじゃったからだよ。ブリキ缶に入れた後に、すぐに動かなくなったの」
嘘がするすると口をついて出て来る。平静を装って、隼人が描き上げた蝶の絵に目を落とした。私は蝶を生きたままブリキ缶に放り込んで、そのまま木蓮の木の下に埋めた。
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