第十九話 領地春にして草木深し

― 王国歴1029年冬―1030年春


― サンレオナール王国北部 ボルデュック領




 ステファンは冬ラプラント領に戻ってしまい、もう春になるまでボルデュック領には帰ってこない。そして夏にはルーシーが王都に行く。


 兄のテオドールからは年末に文が来た。どうやらアナとジェレミーが普通に夫婦らしく仲良くなったらしい。


『姉上が秋の終わりに伯父上の屋敷に一度出戻ってきた時は見ものだったよ。夫婦喧嘩したって言っていたけれど。姉上が悲愴な表情で夜遅くに転がり込んできて、でも次の日に義兄上が迎えに来て……まあ文に書くのもアレだから今度会った時に話すよ。今はすっかり二人は仲の良い夫婦だよ、と言うかさぁ義兄上の方が姉上にベッタリなんだよなぁ……』


(えぇっ? ルクレールさまがお姉さまにベッタリ? 全く想像できないわ……)




 冬の間、ルーシーは取り憑かれたように勉学に励んだ。今のうちに少しでも勉強を進めておいて、学院では一般科目をなるべく免除されたかったのである。


 薬学の専門科目だけに集中して早く卒業したかった。来年にはルーシーも十五になる。出来れば三年で学院を出たかった。


「ルーシー、あまりガリ勉だとお肌にも良くないわよ」


「そうよ、たまには息抜きにスケートでも行きましょうよ」


「あまりそんな気にもなれないわ……」


「貴女、眼の下のくまもすごいし、夜更かしばかりしているとお肌にも良くないのよ!」


「構わないわ……だって冬の間はステファンさんも居ないのですもの」


「ヤダー、何そんな枯れたこと言ってんのよ! 一度ボロボロになったお肌が春になってすぐにもとのツヤツヤ肌に戻ると思っているの?」


「そうよ、気晴らしに出掛けましょうよ、ルーシー。近くにいるこんなに可愛いルーシーに振り向いてもくれない、婚約者にフラれた傷心オヤジじゃなくて、もっと若い男の子との出会いがあるかもしれないわよ」


「別にそんな出会い、いらない。それにステファンさんはオヤジじゃないし、彼が振られたのじゃないもの、彼から婚約破棄したのよ……」


「何盛り下がってしまってるのよ……」


「少しは体も動かした方が勉強もはかどるわよ」


「分かったわ。純粋にスケート滑るのなら私も行くわ」


 そうして当日、町外れの凍った池にスケートをしに行ったルーシーだった。案の定友人達は彼氏やら、男友達やらを連れて来ていて、ルーシーにも一人あてがわれる。


 どうりで集合前にミランダの家で化粧を施されたわけである。髪まで結い直された。スカーフや帽子でほとんど隠れてしまうというのに。


「ルーシー、貴女素材は良いし、見た目は大人っぽいのだから、もっと自信持ちなさいよ」


「はい……」


「素直でよろしい」


 ルーシーはミランダの連れてきた男友達の一人、二十歳の青年と池の上で滑っていた。スケートなんてもうこの歳になると冬の間に一、二回滑るだけだった。


 ステファンの領地はここほど寒くないからきっと彼はスケートなんてしたことないだろうな……などと彼女はボーっと考えていた。


「ルーシー、待ってよ。俺、あまり慣れていなくて」


 最近王都から来て町の製材所に勤めているというその彼よりもルーシーの方が余程上手く滑れていた。


 王都の冬も寒いが、スケートが出来る場所が街の中にはあまりないのだ。ステファンが居る間にもし機会があったならルーシーはスケートに誘ってみようと思った。


 きっとルーシーの方が上手だろうから彼の手を引いて一緒に滑ることが出来る。何か一つでもルーシーが彼に教えられることを見つけたのが嬉しかった。


 転んだステファンの手を取って立ち上がらせようとして、ルーシーも足をもつれさせて転び、氷の上で少々ロマンティックな雰囲気に……


「はぁ……私ったら最近妄想ばっかり……虚しいわ……」


 起こりそうもないシチュエーションだった。




 冬の間の猛勉強のお陰でルーシーは中等科の課程をほとんど終えられた。春からは学校に行く必要もなく、家のことをもっと手伝えそうだった。


 王都に行くまではなるべくステファンの側に居たかった。雑用係でも何でも良かった。


 ステファンは雪解けの季節にボルデュック領に戻ってきた。楓の樹液の収穫が始まるのである。


 シロップや砂糖を製造し、それを使った焼き菓子、デザートも本格的に事業化していた。ルーシーも好きな季節である。


 久しぶりに見たステファンは少し頬がこけたようだった。冬の間は実家ラプラント領に主に滞在していたが王都にも何度か行ったらしい。


「ステファンさま、少しお痩せになりましたか? ボルデュック家にいらっしゃる間は私の料理ですぐに元に戻りますわね」


「全くもう、私などは冬の間にすっかり太ってしまったよ」


 ピエールはそうボヤいている。少し前までは毎食パンとスープだけで、育ち盛りのルーシーとテオドールのためにアナが自分の食事を二人に分けてくれたりもしてくれていた。


 今の少し余裕ができた暮らしはステファンの協力のお陰である。


「ははは……またお世話になります」


「お世話になるのは私達の方ですよ、ステファン」


 いつもはアトリエに引きこもっている父までが出てきている。


 ステファンにまた会えたのは嬉しいルーシーだったが、彼に恋人が出来たのではないか、領地で縁談を勧められたのではないか、と気が気ではなかった。


 彼からそんなことは絶対言わないだろうし、ルーシーもとても聞ける筈がなかった。


「ルーシー、いつもはお喋りなのに何黙り込んでいるんだ? お前も挨拶なさい」


「はい、お父さま。ステファンさん、お久しぶりです(あと数か月もしないうちにお別れですね……)」


「ルーシーは九月から貴族学院に編入することが決定したそうだね。何だか感慨深いよ。皆新しい人生に踏み出そうとしているね」


 ルーシーは皆とは誰の事だろう、とふと考えた。


「アナさんから文が来たかな? 来月半ばにご夫婦でこちらに一週間ほどいらっしゃるって」


「はい、何でもルクレール領とボルデュック領とどちらに行こうか迷ったけれど結局こちらにしたとか……」


「楽しみでしょう?」


 ステファンは何だか悪戯っぽく微笑んでいる。彼のこんな男の子のような表情はルーシーも初めて見る。


 その理由はアナとジェレミー夫婦がやって来てすぐに分かった。





***ひとこと***

アナとジェレミーは年末にいわゆる彼らの言う仲直りをし、今ではすっかりラブラブになっています。

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