第十話 女子の勘繰り

 アナが王都に戻る日が近づいてきた。ジェレミーの婚約者として友人宅の晩餐会に呼ばれたとかで予定より少し早い帰還となったのである。


「今日でボルデュック領ともしばらくお別れね。ルーシー、今日の授業は午後まで入っているの?」


「昼前に終わりますからお姉さまにはもう一度会えますわ」


 ルーシーはジェレミー・ルクレールその人を自分の目で見るのが楽しみだった。テオドールがあそこまで言っていた人物である。




 そして昼時に帰宅したルーシーは何と既にジェレミーが来ているのに驚いた。一目で貴族のものと分かる立派な馬車が止まっていたからである。


 ルーシーはジェレミーへの紹介もそこそこにマリアの手伝いのために厨房へ向かわされた。噂のジェレミーをちらと見たがテオドールがあれだけ騒ぐのも理解できた。


 金髪に瞳の色は良く見えなかったが、見栄えのする顔立ちに、すらりと背が高い彼だった。普段着だと思われる上着もとても質の良いものだということが一目でルーシーにも分かった。


(まあ、さすが高位の貴族ね……おとぎ話に出てくる王子さまみたいだわ)


 ルーシー自身も侯爵家の娘であるが、あまりの貧乏貴族ぶりに自分の位をすっかり忘れてしまうのである。とにかくそんな人間がこの屋敷に来ていることが信じられないのだった。


(あんな方がゆくゆくはお姉さまと結婚するのかしら……掃き溜めに鶴とは正にこの事だわ。このみすぼらしい我が屋敷の中で一人だけ上質のお召し物で、彼の周りだけキラキラ輝いているみたい……)


 厨房ではマリアが慌ただしく昼食の準備をしていた。


「ああ、ルーシーお嬢さま。丁度良い時に……」


「何を手伝いましょうか、マリア?」


「スープにクリームを足してかき混ぜて下さいますか?」


「分かったわ」


「ルクレールさまは予定では午後にお見えになるはずではなかったの?」


「少し早目に出てこられたそうですよ。干し肉があって良かったですわ。少しはましなものが出せますね」


 あんな王子さまにこんな質素な食事を出さないといけないとは、と情けない思いでいっぱいになったルーシーだった。しかし他に何もないのが実状だった。彼だってボルデュック領の状態を承知の上でアナと婚約したのだから、普段彼が口にしているようなものが出されるなどと思っていないと願いたい。


 その後ルーシーも昼食の席に着いた。今日は流石に使用人のマリアとピエールは同席せず、ステファンも入れた全部で五人だった。婚約した二人はジェレミーがアナにベタ惚れのようにも、アナが何か彼の弱みを握っているようにも見えない。


(何なの、この異様な雰囲気は……)


 普段ならステファンと気軽なお喋りをするルーシーも客の前なので口を噤んだ。アナがステファンが持ってきた葡萄酒の瓶を開けたことにより、男性はその酒の産地などについて話し出したので気まずい沈黙が破られた。


「やっぱりなあ、ルクレール様のおかげですよ。いつもはケチなアナが葡萄酒を開けてくれるとは。折角ステファンが持ってきてくれたのに全然飲ませてくれないのですから」


 ジョエルの発言に皆の手が一瞬止まった。ルーシーは恐る恐るアナの表情を伺った。


(お姉さま、怒っていらっしゃるわ。無理もないわね。お父さまは時々空気が読めないから……)


 そこでマリアがスープを運んできて皆は食事を始めた。ジェレミーとステファンは未だに葡萄酒の話をしている。


 次にマリアが干し肉を少しあぶったものに野菜を添えた皿を運んできた。ジョエルの発言はテーブルの一同を再び固まらせる。


「おお、肉か、珍しいね、日曜の夜でもないのに。いつもは朝昼晩パンとスープだけなのに」


 ジェレミー以外の全員が思ったことだが、誰も声に出して言う気はなかったのにジョエルはその禁忌を破ってしまった。


(あたたた、このKYオヤジめ!……無表情のお姉さまが怖い……)


 この肉だってジェレミーの援助がなければ手に入らなかったかもしれないのだ。ジェレミーは普段口にしているものより数段粗末なものを出されたにもかかわらず、眉をしかめるわけでもなく、黙々と食している。


(とりあえず、『こんなもん食えるか!』ってちゃぶ台をひっくり返すような最低ヤローではないわけね……)


 そしてルーシーはテオドールとの会話を思い出し、良からぬ方向の妄想をしてしまう。


(それにしてもお姉さま、彼のすごい秘密を握っているとしたらやっぱりその、彼は受けとか攻めとかそっち方面? だとしたらどっちかしら? 見たところ……攻め?)


 考えていることなど露とも顔に出さず、ルーシーはこっそりジェレミーのことを観察しながら食事をする。


(お兄さまはこの二人は全然お似合いじゃない、とおっしゃっていたけれど……ルクレールさまが男性しか愛せないのだったら、世間体のためにめとる女性は美人だろうが不美人だろうが関係ないのよね……納得だわ)


「今日はルクレールさまが持ってきてくださった、王都で有名なお店の焼き菓子まであるのですよ、お父さま」


 アナは半分やけになっているようである。


「ところでアナはもう婚約するというお相手なのに、どうして未だに苗字でお呼びしているのだね?」


「私自身あまりに早くこんないいお話がまとまって、お名前をお呼びするのにまだ慣れていないのです」


 アナは恥じらうように笑って即答した。ルーシーには何か不自然さが感じられなくもない。恥じらっているアナに対し、ジェレミーの方は特に何の反応もないのである。


(弱みを握っているにしてはお姉さまの方がルクレールさまに遠慮しているのよね……お兄さまのおっしゃった通り)


 デザートが来る前にアナは立って、食後のコーヒーを淹れに厨房へ行ってしまった。


 ジェレミーが王都の有名店で買ってきたというチョコレートの焼き菓子は口の中でほろりと溶けて上品な味がした。もちろんルーシーは今までこんな菓子は味わったことがなかった。ボルデュック家の女性たちも菓子を焼くのは好きだが、最近は砂糖などの材料を買うこともなくなり、あまり作っていなかった。


(こんなお菓子を毎日のように食べていたら太ってしまうわ……高位の貴族も大変ね。でもお姉さまは領地に帰ってきた時はまた痩せていたように見えたけれど……)


 頭の中でジェレミーに対して好き勝手な憶測ばかりしていたルーシーである。しかし、あまりの焼き菓子の美味しさに、現金にも彼のことが慈悲深い聖人のように思えてきた。


「ルクレールさま、こんなお菓子初めて頂きました。頬が落ちそうになるってこのことを言うのですね! ありがとうございます!」


 アナはコーヒーとお茶を運んできてすぐに片付けと着替えのために去っていった。ルーシーも慌てて焼き菓子を食べ終え、手伝いに行く。


(ああ、あっという間に平らげちゃった……)


「まあルーシーったら、もう少しゆっくりお菓子を味わっていれば良かったのに……」


「いえお姉さま、私が片付けますから着替えて下さい。もうすぐ王都に出発されるのでしょう?」


「じゃあお願いしようかしら」


 洗い物を一緒にしながらマリアが言う。


「アナお嬢さまはご自分の焼き菓子を私と主人で分けろ、とそこに一切れ残して下さいました。自分は王都に戻ったらいくらでも美味しいものが食べられるからと」


「お姉さまはいつもそう……ルクレールさまと婚約して美食三昧というわけでもなさそうだし、相変わらず痩せ細っているし、ドレスだって以前と同じ質素なものばかり……」


「アナお嬢さまはいつもご自分のことは後回しですものね……」


 しんみりしてしまった二人だった。そしてアナがジェレミーと王都に出発する時にはジョエルが涙声になって別れを言うものだから皆がもっとしんみりしてしまった。


「今まで散々苦労させたからな、そろそろアナも娘らしく楽しんで欲しい。これも皆ルクレール様のお陰だなあ。彼と仲良く、幸せになりなさい」


 たまにはまともに父親らしいことも言うジョエルに、アナもルーシーも思わずもらい泣きしそうになっていた。


「お父さまもお元気でお過ごしください」


「ああ、新作をどんどん世に送り出さないとなあ」


 何かもが良い方向に向かっているとボルデュック家の面々は信じたかった。




***ひとこと***

ジェレミーの突然のお宅訪問、問題の昼食場面、本編奥様の『第十四条 昼食』に当たる部分でした。いけない子ルーシーはこぉんなことを考えていたのですねぇ。とにかくアナには絶対秘密です。

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