第九話 赤子のテオひねる
数日ボルデュック領に滞在した後、王都に帰るテオドールはアナに提案をした。
「姉上、ルクレール様からの援助で領地の心配をさほどしなくても良くなりましたから、今からでも姉上も貴族学院に進んだらどうですか? 僕たちの為に諦めた道でしょう?」
「テオ、私のことはいいのですよ。次に学院に行くとしたらルーシーよ」
ルーシーは子供の頃からずっと魔術師になることを夢見ていた姉を優先させたかった。それに今はまだこのまま領地に居たかったのだ。
「お姉さま、私は成績も中の上くらいで魔力もないですし、我が家に余裕が出来たならお姉さまが是非学院にお進み下さい。それにお姉さまは婚約されてずっと王都に住むことになるではありませんか」
「ルーシー、別に遠慮はしなくていいのに」
「お姉さま、私今は領地を離れたくないのです」
「そう……」
「ルーシー、もしかしてお前こっちに好きな男でもいるのか? いやあ最近の子はませているなぁ」
「えっ、そんなのじゃありません、お兄さま!」
「いつまでも子供だと思っていたルーシーがねぇ……」
「ですから違いますってば! もうお姉さままで!」
今まで領地のことばかりで自身を犠牲にしてきたアナにはもっと自分のことも考えて欲しいルーシーだった。ステファンとピエールの二人に領地の管理は任せてもいいのではないだろうかと彼女は思った。
それにアナだっていつまでもボルデュック領に居るわけにもいかない。王都でジェレミーの婚約者としての務めがある。
アナは一度少しでも学院へ行ける、という道が開けてくるとそれが頭から離れなくなってしまったようである。テオドールはそんな姉のことを良く分かっている。
「姉上、学院の中途入学試験を受けてみてはどうですか? 受けるだけなら別に失うものは何もありませんよ」
「そうね……ルクレールさまにお伺いを立ててみるわ」
「別に彼の許可は必要ないでしょう?」
「そういう訳にもいきません」
いくら高額の援助をして貰っているとは言え、アナは婚約者のジェレミーに対して遠慮ばかりしているのだった。
ルーシーも貴族学院を出るということには憧れがあり、少し迷ってしまう。でも今ボルデュック領を離れたくないというのも本音だ。
「ルーシーもね、将来のことを長い目で見ると貴族学院で教養をつけて十代のうちに卒業して欲しいわ。そして出来ればいいご縁にも恵まれて、貴女には幸せになってもらいたいわ」
(お姉さま、今『貴女には』っておっしゃった……お姉さま自身は幸せじゃないのかしら……)
テオドールもルーシーと同じことを考えたようだった。二人は無言で目配せをした。
テオドールが王都に戻った後、ルーシーはある日アナに思いきって尋ねてみた。
「お姉さまはあの、不安じゃないですか? ルクレールさまに嫁ぐこと」
「なあに、ルーシーったら藪から棒に」
「だって、お兄さまがおっしゃっていました。ルクレールさまはそれは見目麗しくて女性にとても人気があるそうですね。ですから、その、素敵すぎる旦那さまだと……他の女性が放っておかないのではないですか?」
「貴女もませているわね、彼が浮気したり愛人を作ったりすることを心配してくれているの?」
アナは少し悲しそうな表情になった。
「すみません、お姉さま。お気を悪くなさらないで下さい」
「そうね、それは心配じゃないとは言い切れません。でもね、ルクレールさまは私を選んで婚約して結婚までお考えになっているのですから、夫としての義務や責任はきちんと果たしてくれる、そんなお方です。私も妻として懸命にお仕えするわ」
ルーシーは納得があまりいかなかった。アナの悲しそうな顔は変わらない。夫婦の役割など、そんなことを聞きたかったのではない。
(いくら貴族同士の結婚といっても……情熱とか愛情が感じられないものかしら。私が夢見る夢子なだけなの?)
「私は、嫁ぐなら私だけを愛して下さる方がいいのです」
「そうね、ルーシーならきっとそんな旦那さまになる方に巡り会えるわよ」
アナはそう言いながらルーシーの茶色の髪を優しくなでてくれた。
そしてルーシーは貴族学院に行くという進路も少し考えるようになっていた。
「ステファンさんは貴族学院を卒業されたのですか?」
「うん。僕も歳が歳だからだいぶ昔のことだけどね」
「何を学ばれたのですか?」
「文科に入ったからそのまま周りと同じく文官になる勉強をしたんだけど、僕は王宮に勤める気はなかったから主に経営を学んだよ」
「そうだったのですか」
「でもね、学院在学中には学業だけでなくてもっと貴重な経験も沢山できる。例えば十代の頃に一緒に学んだ友人とは一生続く友情が築けた。人脈作りにも随分役に立ったしね。僕みたいな商売をしている人間は人と人との繋がりがとても大切なんだ」
(貴重な経験には恋愛も含まれるのですか? 彼女とか恋人もできたのですか?)
ルーシーはよっぽどその質問がしたくて思わず口が滑りそうだった。
「良く分かります」
「ルーシーも家計が持ち直したら是非編入することを勧めるよ」
「はい。でもとりあえずは姉の方が先ですね」
「えっ、アナさんこれから貴族学院に行くの? へぇ、すごいね。流石だ」
「ええ。姉は昔から魔術師になる勉強をしたかったのです。ステファンさんは……姉のような女性が好みですか?」
こらえきれずに思わずそんなことを聞いてしまったルーシーだったが、彼の口から出てくる答えを聞きたくなくてすぐに後悔した。
「そういう意味じゃないんだ。でも、アナさんのように頑張っている人は好感が持てるね。だってルクレール家に嫁いだらもう経済的に何の心配もいらないのに。勉強して就職する必要もないよね。二十歳過ぎてあの貴族学院に編入しようっていうその心意気を尊敬するってことだよ」
「そう言われてみればそうですね。周りは皆私と同じくらいの年ですものね」
「アナさんみたいに苦労は買ってでもする女性は輝いていると僕は思う」
「私も純粋に姉を応援したいですし、幸せになって欲しいのです。姉は兄と私のこと、もの心着いた頃からすでに貧乏だったことを不憫に思うって言うのです。でもむしろ、私達は贅沢をしたことががないから、こんなものなのだって思いながら育ったのです。本当のお貴族さまの生活なんて知らないし……姉の方こそ、小さい頃は裕福な暮らしが出来ていたからいきなり貧乏になってその落差に愕然としているのではないかしら?」
「悪い方への変化にはなかなか慣れるのも大変だと思う。でも君たち三人は皆、逆境にもめげず仲良く助け合っていて、いつも感心するよ」
「うちは父が頼りないですから」
「ははは、テオも全く同じことを言ったよ。とにかく、アナさんの学院生活もかけがえのないものになるに違いないよ。僕も出来るだけ応援したいね。それでもう少ししたらルーシー、君も編入したらいいよ」
「ええ、考えてみます」
(でもやっぱり私は貴方のいるここを離れたくないのです……)
***ひとこと***
ルーシーにあることないこと吹き込み、引っ掻き回して王都に戻って行ったテオドール君でした。
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