姉の結婚

第七話 そのテオ桑名の焼き蛤

 ルーシーの兄、テオドールはボルデュックの屋敷に着くなりルーシーを捕まえて声をひそめて聞いた。


「こっちに帰ってきてからの姉上の様子はどうだ?」


「どうって、ステファンさんと精力的にあちこちを回っていますわよ」


「俺が聞きたいのはな、領地の経営の方じゃなくてさぁ……なあルーシー、姉上が婚約が決まって結婚の日を指折り数えているように見えるか?」


「……全然見えません……」


「だよなぁ……」


「私も誰に言って良いのか分からなくて……お姉さまにとってルクレールさまは家に援助をしてくれた投資家というような感じなのかな、と。愛し合って結婚を申し込まれた相手とはとても……」


「俺もさ、ボルデュック領のために身を売ってまで援助を取り付けたのかと思わずにはいられないんだ。姉上一人が犠牲にならなくても、領地がどうしても再建出来なかったらいざという時には爵位も領地も王国に返上すればいいのだから」


「お兄さまはそこまでお考えですか?」


「うん。今まで俺達の為に苦労ばかりしてきた姉上には普通に幸せな結婚をして欲しい。別に王家に繋がりがなくても、大金を援助してくれる相手でなくてもいいから」


「お姉さまはこのボルデュック領をご自分の手で何とかよみがえらせたいのでしょうね」


「ああ。姉上は長子としての責任もあるのだろうし、ボルデュック領への思い入れも大きい。亡き母上がこよなく愛したこの領地だからね。僕達は母上のこと覚えていないけれど」


「そうなのですよね。でも私もお姉さまばかりに犠牲になって欲しくありませんわ。お姉さまは今までも十分、今の私よりも小さい頃からずっと働きづめですものね」


「俺、姉上に貴族学院に編入して魔術師になる勉強をしてみないか、って勧めてみるよ。本人は何も言わないけどさ、ずっと貴族学院に行きたかったんだよな、姉上は。あのルクレールの野郎が金だけはたんまり寄こしてくれたから、有難いことに」


「お兄さま、何て言いようですか! 失礼です!」


「いやまあそうなんだけど。でも姉上はな、いくら高額の援助をして貰っているとは言っても婚約者に対して遠慮ばかりしているんだよ。大体伯父様の屋敷へ度々馬車で送り迎えに来るのは御者だけで、俺が知る限り本人が来たことなど一度もないし」


「え? そうなのですか? 普通婚約者って言ったら一時も離れていたくないものではないのですか?」


「その辺は人にもよるだろうけど。伯父様も伯母様も純粋に良縁を喜んで一度ルクレールを食事に招待したがっているんだよ。でも姉上はさ、ルクレール様はいつも忙しくされているからと言葉を濁して、そのままうやむやになってるんだ」


 ルーシーは益々不安な顔になった。


「『姉上、婚約が決まってもそうお幸せそうには見えませんね』そう俺は一度姉上に尋ねたんだよ、そしたら間髪入れずにっこり笑って幸せに決まっているではありませんかって答えた。逆にすっごくわざとらしく聞こえたよ」


 ルーシーはとても声に出して言えなかったが、ルクレール家から援助された大金はもうだいぶ手を付けてしまっているのである。テオドールもそれは分かっているのだろう。二人はそのまま黙り込んでしまった。




 その日の夕食はテオドールも加わり楽しいものだった。ステファンが買ってきた干し肉を皆大喜びで平らげた。彼がロレッタと王都で食べたローストビーフに比べると固くて味も濃いものだが、賑やかにおしゃべりしながらボルデュック家で取る食事は何よりのご馳走だった。


 ステファンはしかし、一人贅沢をしてきたことが未だに後ろめたかった。しかもこんな干し肉でも皆に大袈裟なほど感謝されてしまう。


「いつもこちらでは美味しい料理を振る舞ってもらっているささやかなお礼ですよ」


「まあステファンさんったらお上手ですこと! ねえ、ルーシーお嬢さま」


「ステファンさんはご自分の領地でも王都でももっと良いものを召し上がっておいででしょうに……」


「それでもここの料理はいつも出来立てで温かく、愛情がたっぷり込められているからね。それにこうして大人数で食卓を囲んで食べるのはとても楽しいから」


「そうだよステファン、食事は独りで取っても味気ないものだからね」


「まあ、いつも寝食を忘れてアトリエにこもっていらっしゃるお父さままで……」


 そのジョエルとルーシーのやり取りに一同が声を上げて笑ったのだった。


 ステファンはふと、自分はこのままロレッタと結婚してこんな笑いの絶えない温かい家庭が築けるのだろうか、と考える。あまり想像できなかった。


「ステファンさん、王都でアントワーヌにお会いになりましたか? 彼はお元気ですか?」


「ええ、アナさん。王宮での仕事や色々と忙しいみたいですが、変わらず元気にしていますよ」


「そうですか、良かったですわ。彼っていつも根を詰めすぎるところがありますから……」


 ルーシーにはステファンに王都でのアントワーヌの様子を聞くアナがどうしても不思議だった。


 ステファンとアナの婚約者ジェレミーは付き合いがないのかもしれないが、それにしてもアナはいつもアントワーヌのことばかりステファンと話している。


 ルーシーの知る限り、ボルデュック領に戻ってきてからアナがジェレミーと文のやり取りをしているようでもなかった。




 夕食後、再びテオドールとルーシーは二人でこそこそと寝室で話していた。


「お姉さまはアントワーヌさんとはとても親しそうなのです。いつもあんな感じでステファンさんとアントワーヌさんのことばかり話していて……ご自分の婚約者のことは全然……」


「確かにね、僕も姉上が結婚するならルクレールよりもアントワーヌさんの方が絶対お似合いだと思う」


「お兄さま、そんな不安をあおるような事おっしゃらないで下さい!」


「だって冷静に考えてさ、ルクレールの奴に大金をポンと気前良く払ってでもうちのあの姉と結婚したい理由が一つも見つからないんだよ!」


「先程からルクレール様に対してあまりに酷くありませんか? お姉さまに対しても」


「お前もアイツに会ったら分かるさ!」


「お姉さまは気立ても良くて、侯爵家の長女なのにおごった所もなく、領地民には慕われていて、働き者で、いつもご自分のことは後回し、私たちがお腹を空かせていたらそっと自分のパンやスープを分け与えて下さる、思いやりのある方です」


「でも、王都の羽振りの良い貴族はそんな嫁必要としてないさ。奴らが求めているのはな、最新の流行のドレスで美しく着飾って、素顔が見分けられないくらいの厚化粧で、花嫁支度金もたんまり出せて、箸より重いものなんて持ったことはない、でも元気な男子は産めて、夫が愛人を囲おうが文句も言わない、頭が空っぽの貴族令嬢なんだよ!」


「お兄さま、そこまで……って言うか、この世界でお箸なんてもの使いませんけど!」


「いちいち揚げ足取るなよな……ものの例えだってば」


「とにかく、仮にも私たちだって貴族なのですから」


「貧乏貴族歴もここまで長いとな、世の中に対してはすに構えたくもなるさ……ところでお前、王妃様の姿絵の模倣見たことあるか?」


「はい。とても威厳があってお綺麗な方ですわね」


「あのルクレールの野郎もな、性格は悪そうだが、見た目は王妃様にそっくりでやたら人目を引くんだよ。姉上と二人並んでいると、月とスッポン、王子と下女だよ」


「そんな、お姉さまだって絶世の美女とは言えませんけれど……あ、愛嬌のあるお顔立ちですし、ルクレールさまは内面の美しさに惹かれたのではありませんか?」


「お前、今言葉を選んで詰まったな……性格の良さに惚れたって言っても大体アイツ、さっきも言ったように婚約した姉上のことなんて放ったらかしだし。かと言って女嫌いで硬派で有名なヤツは他の女をはべらせるともあまり思えないんだけど」


「どうしてお二人は婚約なんて……」


「俺も色々考えてみたんだよ……姉上はルクレールの野郎のとんでもない秘密を、弱みを握っているとかね」


「弱み、ですか?」




***ひとこと***

テオ君、結構毒舌な人なのですね。ジェレミーとアナについて好き勝手なことを言っております。アナ×アントワーヌの方がお似合いだ!だなんて物騒な?発言までしています!

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