第六話 獅子身中の弟子

 ステファンは王都に滞在する時はラプラント商会事務所の二階に寝泊まりしている。自分で料理も一通りできる彼だがそこの厨房は狭く、どうせ一人だし、時間がないことも多く大抵は外食だった。


 滞在が長くなる時はさすがに洗濯等の家事のために下女を雇うこともあった。


 その点ボルデュック家での暮らしは大層快適だった。食事も簡素なものばかりだが、毎日出来たての温かいものを使用人も一緒に食卓を囲んで食べるのは美味しいし楽しいものである。


 故郷のラプラント領でもそこまで賑やかな家族団らんにはならないのである。




 ステファンとロレッタはラプラント商会近くの食堂に入り、食事を注文する。ステファンはローストビーフを選んだ。


 彼は王都に来てから美味しいものを食べる度にボルデュック家の人たちのことを考えてしまう。特にルーシーなどはもっと食べたい盛りだろうに、こんな良質の肉を彼女にも食べさせてやりたいと思うと折角の素晴らしい料理も味気なくなってしまうのである。


 自分だけが贅沢をしていることが後ろめたくなるステファンだった。


「ねえ、ステファン、今働いているボルドー領でしたっけ? そこのお仕事は目途が立ちそうなの?」


「ボルデュック領だよ。うーん、まだまだ時間はかかりそうだ。何しろ領地も広いし、ここ数年は悪天候のお陰でほとんど収穫がなかったからね」


 ロレッタがステファンの仕事に興味を示すのは珍しい。


 彼がロレッタと婚約したのは彼女の父親がラプラント領でも有数の商人で、親同士が親しくしているからだった。これと言って妻にする女性への希望も特になかったステファンだったし、彼女のことは知らないこともなかったので、親の言うままに婚約したのである。


「ねえ、来年式を挙げる頃にはラプラント領に戻ってきているわよね?」


「うーん、でもその頃までにボルデュック領が再建しているとも思えないなあ」


「え? じゃあ私たち結婚してもずっと離れ離れなの?」


 結婚したら君がボルデュック領に来て一緒に住めばいいじゃないか、一度引き受けた仕事は途中で放り出せないよ、と喉まで出かかったステファンだが言わなかった。


「将来の見通しが立たなくてすまないね、ロレッタ」


 そう言えば式は来年の夏に予定していたのだった、とステファンは改めて思い出した。


 二人が婚約したのは約一年前だった。ロレッタが王都の花嫁学校を修了したい、もう少し独身生活を楽しみたい、と言うのでとりあえず彼女が二十歳頃までは婚約という形だったのだ。


「ねえ、今晩私、事務所の二階に貴方と泊まってもいいでしょう?」


 テーブルの上に置かれたステファンの手を彼女の手が優しく誘うように握る。爪の先まで丹念に手入れをされた、肌荒れなどまず縁のないすべすべの美しい手だった。


 ステファンは一瞬ルーシーの荒れてカサカサになった手のことを考えてしまった。ルーシーはその手を見られるのを拒んだなと初めて会った日のことを思い出す。


「はい? いやそれはまずいよ、ロレッタ。君は何処に滞在しているの? お友達のお家かな、後で送って行くよ」


 美貌の婚約者と一緒に居る時だというのに、年端もいかない他の少女のことが頭から離れないステファンは戸惑いを覚えた。


「もうステファンったら、どうせ私たち結婚するのだし……いいじゃないの?」


「僕はやっぱりそんな奔放な考え方がどうしても……けじめはしっかりつけたいと思うんだよ」


「頑固過ぎよ、貴方は!」


「うん。君の目にはそう映るよね、やっぱり」


 そして食事の後、送って行くというステファンにロレッタは辻馬車を拾うと言い張るので、結局二人はその食堂の前で別れたのだった。


 ステファンはその後事務所の二階に戻り、荷物をまとめてすぐにアントワーヌの屋敷に向かう。元々その晩は彼を訪れる約束になっていたのである。


 アントワーヌはステファンよりもずっと若いが、学生の頃からステファンや他の実業家仲間にも投資をしており十代で既にかなりの金額を運用している。貴族学院で優秀な成績を修め飛び級で卒業した彼は昨年から王宮で高級文官として働いている。


 彼の屋敷に向かいながら一人ステファンはつぶやいていた。


「まだ二、三日だけなのにもうボルデュック領に帰りたくなってきちゃったな……」




 ステファンは既に帰宅していたアントワーヌに温かく迎え入れられた。


「アントワーヌ、夜分遅くなって申し訳ないね。人と夕食をとっていたものだから。ちょっと相談があるのだけど、いいかな」


「何でしょう?」


 ステファンは彼に商会の葡萄酒の帳簿に不審な点があることを説明した。


「従業員のジャコブをもっと問い詰めても良かったのだけど、何となくもう少し泳がせておこうかなと思ってね」


「そうですか……じゃあ僕の方から手を回してこっそり調べてみましょうか?」


「君も忙しいのだろう?」


「流石に今すぐにというわけにはいかないですけれど、何か分かったら至急連絡しますね。ステファンさんはボルデュック領でのお仕事に専念して下さい」


「アントワーヌ、君みたいな頼もしい友人が居るって本当にありがたいことだね」


「お互い様ですよ。僕も王都に出てきてからはステファンさんにお世話になりっぱなしですから」


「それでね、図々しくもう一つ頼みがあるのだけど……良かったら今晩泊めてくれないかな?」


 ひょっとロレッタが事務所に戻って来たらステファンも流石に拒みきれないかもしれないという恐れからだった。


 彼のその遠慮がちな態度にアントワーヌはどう思ったのか片眉を少し上げた。しかし事務所の二階に寝泊まり出来るのに何故だとも聞かず、にっこり笑って快く受け入れてくれた。


「なんだ、そんなことですか、ステファンさんならいつでも大歓迎ですよ」


 そこで一晩過ごしたステファンは翌朝ルーシーの兄テオドールを迎えに行き、そのまま王都を後にし、ボルデュック領に向かった。




 ステファンは今回の王都滞在で、数々の取引先や懇意にしている店などを訪ねて回った。ジョエルの作品を置いてもらえそうな店もさらに何軒か見つけた。大量生産出来る品物でもないのでこれで十分だった。


 まだ少しの間しか住んでいないボルデュック領だったが、ステファンにはもうそこに帰るという言葉が自然に出て来るようになった。いつの間にかボルデュック領が、そこの人々がこんなにも好きになっている。


 王都で仕入れた日持ちする食糧、商会で取り扱っている葡萄酒などをルーシーやマリアに渡すのが楽しみである。王都を見たことのないルーシーはいつでもステファンの話に目を輝かせながら耳を傾けるのである。


(いつか彼女も王都に連れて行ってやりたいな……さぞ喜ぶことだろうなぁ)


 そう考えるとステファンの頬は自然と緩んでくる。馬車で隣に座るテオドールはそんなステファンを見て尋ねた。


「何だかとても嬉しそうですね、ステファンさん」


 今日テオドールとステファンは初対面だった。彼とルーシーは良く似ていて二人とも背が高くほっそりとしている。早く医者になりボルデュック領を少しでも助けたいと言う彼は日々勉学に励んでいるのだった。


「うん、何でもないよ。君もボルデュック領に帰ると益々賑やかになるだろうなって思っていたんだよ」


「ええ、姉まで王都に出て来た時は一人残されたルーシーが心配でした。そもそも姉が出てきたのは僕の学費を捻出するためでもあったわけですから……僕も早く学院を出て家族の力になりたいです」


「君達兄弟は三人とも若いのにしっかりしているね」


「うちは父があの調子で全然頼りになりませんからね。反面教師ですよ」


「まあ確かに……と言うとボルデュック侯爵に失礼にあたるけれど……それでも彼の小物も割に人気だったよ。今回何軒か更に店をあたってみて結構手応えを感じたな」


「父は父なりに頑張っているのですね。商売目的の小物を作るようになるなんて、今までの父からは考えられませんよ」


「そろそろボルデュックの町が見えてくるね」


「ああ、懐かしいです。春祭りに帰ってこられて嬉しいです。ありがとうございます、ステファンさん」


「いや、礼には及ばないよ。もうこの時間だとルーシーも帰宅しているだろうね。学校には寄らずに直接屋敷に向かおうか」




***ひとこと***

婚約者とは何だかぎこちないステファンでした。ボルデュック領にはかなり愛着が湧いているようですね。さて、ボルデュック家は久しぶりに一家勢揃いです。

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