第五話 俎板の上の恋

 ある日のことだった、ルーシーが午後の授業を終えて教会兼学校の建物から出ていくと、その前に荷馬車が一台止まっていた。


 授業中に馬のひづめと車輪の音には気付いていたルーシーだった。それはボルデュック家の荷馬車で、ステファンが一人乗っていた。


「やあルーシー、丁度授業も終わる頃だと思ったから寄ってみた。一緒に帰るかい?」


「え、ええ。ありがとう、ステファンさん! あ、私お弁当の袋を置いてきてしまったわ……それに友人達に一言告げてきますね!」


 ルーシーは慌てて中に引き返した。


「ミランダ、ごめんね。今日はステファンさんが迎えに来て下さったから私このまま帰宅するわ! じゃあまた明日ね!」


 そして空になった弁当の袋を掴み、いそいそと外に駆け出して行く。ミランダはソフィーを呼び、ルーシーのその慌てた様子を二人で窓から眺めた。


「あの男性ね、ルーシーのお屋敷に新しく来た人って。うちの母が言っていたわ」


「へえ、あれがあの子のステファンさんなの?」


「ものの見事にすっかり懐いちゃってるわ」


「彼はルーシーのことどう思っているのかしら?」


「まんざらでもないのじゃない?」


「ちょっと年が離れているのよね……」


「ルーシー、尻尾をブンブン振っているのが見えるようだわ」


「あの子、超分かり易いわね」


「小さい頃から苦労続きだからルーシーはねぇ……この町の同年代の男子は彼女にとっては精神的にも未熟だし、身分的にも釣り合わないのよね。だからちょっと大人の洗練された男性にコロッときちゃうのよ」


「同じ貴族同士だしね」


「とにかく明日はあの子を何としてでも捕獲して女子会開催よ! 分かった、ソフィー?」


「言われなくても承知しておりますとも!」




 案の定翌朝ルーシーが登校すると二人の友人が今か今かと待ち受けていた。


「ルーシー! 今日の放課後、しっかり話を聞かせてもらうわよ! 分かった?」


「話って?」


「しらばっくれても駄目よ、ソフィーと私、昨日ばっちり見ていたのですから」


「何を見たの?」


「貴女のステファンさんよ」


「……別に話すことなんてないのに……」


「こっちは聞きたいことが山ほどあるの! 女子会開催はもう決定事項だからね!」




 そしてその日の午後はミランダの宿屋の食堂でお茶を飲みながらルーシーは質問攻めに遭っていた。


「ステファンさんって言うのよね、うちの母も彼に最初に会ったって言っていたわ。最近よく町でも見かけるって」


「水くさいわね、ルーシー。どうして今まで何も言ってくれなかったの?」


「別に何も報告すべき事なんてないのだもの……」


「でもルーシーは彼のことが好きなのよね?」


「あのね、ステファンさんはそんなこと、露とも思っていないわよ……私のこと、完全に子供扱いだもの……それに王都かラプラント領に恋人がいるかもしれないじゃない」


「ルーシーね、貴女まだ十四だけと大人っぽく見えるし、出るとこはちゃんと出てるんだから……大丈夫大丈夫!」


「恋人が居たって遠距離恋愛じゃないの! 奪っちゃえ!」


「まあ何てことを……この間ね、宿題を見てもらおうと思ったの。常々彼は勉強教えましょうかって言ってくれていたから。だから……課題を持って離れの彼の部屋を訪ねたのよね」


「まあルーシー、大胆!」


「そんなつもりは全然なかったのよ、私。本当よ。でもね、彼にはもう夕食後だし、今度母屋の居間ででも見ますから、とやんわり断られて……」


 ミランダとソフィーは意味ありげに視線を交わした。


「お貴族さまは部屋で男女が二人きりで居ただけで間違いが起こっただの何だのって決めつけるのよね、違う?」


「彼は貴女の名誉のために追い帰したのよ」


「私のこと呆れているのよ。私があまりに軽率ではしたないから……あーあ、でもね離れにはすぐ隣に父も居るのよ……」


「しっかりしなさいよ。貴女のステファンさんはきちんとした人みたいね。据え膳なんて後先考えずに食っちゃえばいいものを……」


「貴女と彼の関係は雇い主の娘と使用人だから……毎日嫌でも顔を合わせないといけないのだし、恋愛関係がこじれたらやりにくく気まずくなるわよー。大人の男性じゃない?」


「そう考えてみればそうなのよね。とにかく貴女たちに話してちょっと気分が晴れたわ。二人ともありがとう。私、そろそろ帰るわね」


「ミランダもお店の手伝いしないといけないのじゃない?」


「ええ、まったく看板娘はツライよ」


 そこで店の奥からミランダの母が出てきた。


「ルーシーお嬢さま、パンを少し持って行かれますか?」


「はい、今日はお代を払います。いつも頂いてばかりですから」


「そうかい、じゃあ大いにまけておくからね! ミランダ、スープの具を切ってくれ!」


「はいはーい!」


「ハイは一回!」




 そうこうしているうちにその年の春祭りが近付いてきた。毎年領地全体でその年の豊穣を祈る祭りである。


 ステファンは祭りの前に王都へ数日間行くことになった。王都では事業関係やその他の用事を済ませ、ジョエルの作品を卸し、ルーシーの兄テオドールを連れて帰ってくる予定だった。


 王都の繁華街の一角にステファンの営むラプラント商会の事務所はある。今回の滞在中にステファンは商会の帳簿を見て何かが引っ掛かっていた。


 南方の葡萄の産地から葡萄酒を取り寄せて売っているのだが、ここのところの売り上げがあまり芳しくないのである。


「昨年の酒は味が落ちたわけでもないし、むしろ例年よりも良い酒が出来ているし、同じ値で売っているのに何が原因なんだろう? 在庫がこんなに残っている……」


 その時は少しだけ不審に思ったステファンだった。自分が留守の間に商会を任せているジャコブという男が丁度外回りから帰って来たので聞いてみた。


「ジャコブ、最近の葡萄酒の売れ具合についてどう思う?」


「特に変わったことは……昨年よりも少し低いですが、まずまず順調ですよ」


 このジャコブはラプラント領出身でステファンも弟分としてよく可愛がってきた、付き合いの長い人間である。少々気が弱く、神経質で、人前ではいつもおどおどするのが欠点だった。ジャコブはすぐに裏の倉庫へ行ってしまった。


 その時である、事務所に人が訪ねて来た。質の良いドレスを着た若い女性である。


「こんにちはステファン。お久しぶりね。王都に来ているのなら教えて下されば良かったのに」


「ああ、ごめんロレッタ。今回はあまり予定が立たなかったから……君も王都に居たとは知らなかった。元気にしていたかい?」


「ええ。今回は友人に歌劇を観ようと誘われたから少し滞在しているのよ」


「そうだったのか」


「今回はこちらでゆっくりできるの?」


「いや、明日には発たないといけなくて」


「まあ、残念ね。ねえこれから夕食一緒にしませんこと?」


「うん、そうだね」


「そこの角の食堂でいいでしょう?」


 ロレッタと事務所から少し離れた食堂に向かいながら、彼女がどうして自分が王都に滞在していることを知っていたのだろうとステファンは少々疑問に思った。


 丁度通りがかったのにしても、この辺りは彼女のような裕福な商人の娘が来るような界隈でもない。




***ひとこと***

さて、舞台は王都に移りライバル登場! ルーシーの恋路は難しくなってきました!?

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