第二話 死んで花実が咲く芋か
ルーシーを乗せたステファンの荷馬車がボルデュック家に着くと年配の侍女が屋敷から飛び出して来た。
「まあお嬢さまでしたか! お帰りが遅いから心配致しました。今日は午後の授業はないとおっしゃっていたので」
「ラプラントさま、こちらは我が家の侍女、マリアでございます。ごめんなさいね、マリア。帰り道色々あって……」
「マリア、ステファン・ラプラントさまがお着きよ」
「まあまあ、貴方さまが。失礼致しました。お疲れでしょう、荷物は後でうちの主人が下ろします。どうぞ屋敷にお入り下さい」
「二人共私のことはステファンとお呼び下さい」
「マリア、お父さまを呼んできてくれる?」
「はい、お嬢さま」
そしてマリアはステファンに頭を下げた後に離れの方へ向かう。
「ステファンさん、応接室にご案内します。こちらへどうぞ」
「ルーシー、すぐに怪我の手当てをしないと」
「ええ、後で自分でできますから、とりあえず応接室でお座りになって……」
「救急箱はどこ?」
「え?」
「君の怪我の手当てが先だ」
「私、大丈夫ですから……」
「屋敷には他に使用人は居ないって聞いているよ。利き手には自分で包帯を巻けないだろう?」
「何とかなります」
「ならないよ、あの小川の水で洗っただけじゃ不十分だよ。すぐに綺麗な水で怪我を洗うんだ。厨房はどっち?」
ステファンに強引に厨房の水場まで連れて行かれて手を洗ったルーシーだった。
ルーシーが引っ込めかけた、ささくれ立って荒れた手を彼に無理矢理、しかし優しくとられた。怪我をしたところに異物が残っていないか丹念に調べられ、包帯を巻かれる。
「あの、ありがとうございました」
「しばらくは水仕事は禁止だからね。感染症にかかったり悪化したりしなければいいけれど。ちょっとした傷でも軽く見たら駄目だからね」
「はい」
「包帯が汚れたり濡れたりしたら、すぐに傷を洗って消毒すること」
「はい」
「よろしい、いい子だ」
素直なルーシーにステファンは軽く微笑んだ。まるで小さな子供扱いがルーシーは気に入らない。
「ステファンさま、お嬢さま、こちらでしたか」
「主人のボルデュック侯爵が応接間におります」
「父を紹介いたしますわ、ステファンさん」
ボルデュック家は代々優秀な医師を輩出してきた家であったが、ルーシーの父親、ジョエルは根っからの芸術家でいつも離れのアトリエでわけの分からない像やら何やらを作っているのである。
領地経営はルーシーの母親が取り仕切っていたのだ。ルーシーの生後間もなく彼女が亡くなった後、ジョエルはふさぎ込んで益々アトリエに籠るようになってしまった。彼は領地を仕切るにはまず不向きな人物なのである。
それでもジョエルは昨年の夏頃からは首飾りと言った装飾品、小さな置物のような売れる商品も少しずつ作り始め、僅かな額ではあるが家計を助けてはいる。
ステファンに紹介するなり、ジョエルは今作成中のオブジェだか何だかについて熱く語り始めた。
家族や親しい人間はもう彼の芸術論などには耳を傾けないので、初対面の人間に対して熱弁を振るうのだった。大抵は無礼に当たらない程度に興味のあるふりをするからである。
「お父さま、もうそのくらいになさったら? ステファンさんも長旅でお疲れでしょうし」
「うん、そうだね。また後でアトリエも見に来て下さいよ、ステファン。離れの君の部屋のすぐ隣だから」
「はい、是非」
「ステファンさん、お部屋にご案内致しますわ」
ステファンの部屋は離れに用意されていた。
「ここは少し手狭ですけれど、ステファンさんも母屋よりは
「僕はこれで十分ですよ、ありがとうルーシー」
本当はマリアと夫のピエールが若い娘が居る屋敷で家族以外の男性が寝泊まりするのは良くないと言ったのだった。
ステファンが来るまでに慌てて皆でこの離れを片付けたというのが正しい。
「父のこと、申し訳ございません。領主だと言うのに芸術の話ばかりで……執事のピエールが帰って参りましたら彼と仕事のお話も出来ると思います」
「じゃあそれまで少し休ませてもらうよ。ルーシー、くれぐれも水仕事はしたら駄目だからね」
「はい……」
そんなことを言われてもルーシーはマリア一人に家事を押し付ける気はさらさらなかった。
しかし夕食の支度を手伝おうと厨房に行ったルーシーはマリアにたしなめられる。
「お嬢さま、お怪我をされているのに何ですか!」
いつの間にかステファンに言い含められていたに違いなかった。
「でも、マリア。貴女一人では……」
「お嬢さまは食卓の準備をお願いいたします」
「それだけ?」
「ご不満でしたら早く怪我を治して下さいませ」
しばらくして領地の見回りで出かけていた執事のピエールも帰宅し、夕食をとることになった。
ステファンが驚いたことに使用人のマリアとピエールも同席して皆で食事をしている。マリアはステファンの表情から察して理由を話した。
「こんな旦那さまですから創作に夢中になると食事に呼んでもいらっしゃらないことがあるのです。特にアナお嬢さまが去年の夏に上京してからはルーシーお嬢さまお一人で食事をすることが多くなりました。ですから使用人の私たちも関係なく皆で食卓を囲むことになったのです。ステファンさまの目には奇異に映ると思いますが、よろしいですか?」
ルーシーも侯爵家の娘でれっきとした貴族で、爵位はステファンの家よりも高い。しかし、どうしても彼女は小さい頃から既に領地の経営不振のため、自分は貴族という感覚がないのである。
彼女が生まれた時ボルデュック家はまだ侯爵家らしく潤っていた。しかし、領地の管理をしていたルーシーの母親が彼女の出産後体調を崩して亡くなり、それからどんどん家計が傾きだした。
ルーシーが物心つく頃には既に貧乏貴族の名を欲しいままにしていた。ルーシーが知っている他の貴族と言えば母方の伯父、ゴダン伯爵だけである。だから世間一般に貴族がどのような生活をしているか彼女はまず知らないのである。
「私は構わないですよ、こうしてピエールに領地の様子も聞きたかったしね」
そしてステファンはピエールから領地の現状を簡単に聞かされ、明日の午前中に領地を案内してもらうことになった。
「ところでルーシー、君は今日書物を抱えて帰宅していたけれど、学校で教鞭を取っているの?」
「え? 違います。私、まだ中等科の生徒ですから」
「君いくつなの、一体?」
「十四です」
「これは驚いたな、てっきり十八くらいかと……」
ボルデュック領だけでなく田舎の小さな町ではどこでも学校と言えば初等科も中等科も全学年一緒に一人の教師が全科目を教えることが多いのである。
教師は大抵の場合独身女性で、中等科を出て試験に通れば十六やそこらで教師になれる。ステファンが間違ったのも無理はない。
ルーシーは背も高く、貧乏貴族の家で苦労しているからか、顔つきも随分と大人びている。それに年の離れた姉の言葉遣いを小さいうちから真似ているのでいつも実年齢より上に見られる。
「ステファン、ルーシーはまだ子供とは言え女性に歳を聞くなんて。後でこっそり私にでも聞いてくれればいいのにね」
「そんなことおっしゃって、お父さまは私たちの歳をちゃんと覚えておいでなのですか?」
「うん。アナは二十歳、テオは十六だ」
「惜しいですわお父さま、お姉さまは二十一になられましたわよ」
「あ、そうだったかな」
「全くもう」
「ははは……そうか、まだ十四なのか……」
ステファンは父娘の会話に笑いながらもブツブツ言っている。
「あの、ステファンさんの歳もお聞きしていいですか?」
二十代半ばは出ていると思っていたルーシーだった。
「僕は二十五だよ」
(私と十一歳も離れているのね、分かってはいたけれど。こんな素敵な方だからきっとお付き合いしている方か婚約者がいらっしゃるのよね、きっと。もしかしたらもう結婚されているのかも……)
考えていることを顔に出さないように努めたルーシーだった。
「ところで今日はやたらじゃが芋ばかりだね、行商が安売りでもしていたのかい?」
ポタージュに付け合わせ、サラダにひき肉の団子にも実は入っているのだった。
「あ、それは……今日の午後のことなのですが……」
ルーシーがステファンの荷馬車に木から落ちた顛末を話し、その晩は笑いの絶えない食卓となった。
そしてボルデュック家の食事は数日間じゃが芋づくしが続いたのだった。
***ひとこと***
ステファンに淡い想いを抱くルーシーでした。ルーシーが落ちた衝撃で少し痛んだじゃがいもも無駄にせず、皆さんでしっかり食べて下さい!
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