25
「どちらさまで?」
わずかな隙間から目だけがのぞく。
「ご依頼の件でお伺いした警備会社の」
ぎょっとしながらも名乗ればドアは全開にされ、やおら伸びた手にトキは体を掴まれていた。
「これは、これは。お待ちしておりましたよ。ささ中へ」
ワイシャツにネクタイをしめた小太りの男が、丸い顔に乗ったナスのヘタのような髪を揺らしトキを中へ引き入れる。
「どうぞ、お早く、お早く」
暗い。シャッターが開いていないのだからなおさらだった。だというのに明かりは全く点けられておらず、背に回ったドアから漏れる光だけが物の輪郭を浮き上がらせている。
「ようこそいらっしゃいました」
それすら遮り、急ぎ男がドアを閉じた。先ほどかけた手順を辿りなおすと結構な時間をかけて施錠しなおしてゆく。
「ですのに、どうか気を悪くならさらないで下さい」
「目立たない方を教えくれていたら、そっちへ回れたんだがね。その、依頼主の?」
返してトキは確かめた。
「はい、おっしゃる通りで。倶楽部をお探しの警備会社の方でしたら、こちらで間違いございません」
最後すりガラスの上へロールカーテンは下ろされてゆく。
「入口は会員の皆さんもこちらを利用されておいでで、どうぞお気になさらず。ただ用心に越したことはありませんので」
全くの闇だ。声だけが響き渡り、向かって足を踏み変えれば足裏から、ここもまたコンクリートの打ちっぱなしであることを感じ取った。
「いやぁ、ですがこれでわたくしどもの首がつながったというものでございます」
だからか男は、うって変わって上機嫌に声を張る。気配は今度こそトキの前を横切ると、金属を弾くケチン、という音は鳴っていた。
「明かりをつけましたので」
声と共に瞬く光を食らい顔をしかめる。
壁際の作業台、その手元を照らす傘付の蛍光灯が灯されていた。だからか光は戦時中の灯火管制よろしく照らす範囲を極端に制限し、男の胸から下ばかりを切り取ったように闇の中に浮き上がらせている。
「そいつは少し話が早いと思うよ。今日は依頼を続行できるかどうか、その査定に寄せてもらうという話のはずだが」
「はい、そのことはお電話で。その、あのようなことになってしまわれるなどと、まったくもってお気の毒なことでございました。このたびは倶楽部を代表いたしましてわたくしから、心よりお悔やみ申し上げます」
深々下げた頭が、初めて光の中へ降りてくる。
「でしたらなおのこと、お急ぎになられた方がよろしいかと」
持ち上げ男は、胸の前で両手を強く握り合わせた。
「どうぞこちらへ。皆さん、朝からお待ちかねでいらっしゃいます」
だがトキには理屈が読めない。かまわず男は奥へと誘い、もう先へと歩き出していた。
「皆さん?」
「お気を付け下さい。昔は金属加工の工場として稼働しておりまして、今もまだ当時のままごちゃごちゃと機械が置かれております。初めて来られた会員の方は必ずつまずかれるほどでして」
その手が宙へ振り上げられた。
ケチン。
また音は鳴り、壁沿いの作業台で蛍光灯は灯される。男はさらに数歩先でも、今度は反対側で別の明かりを点けてみせた。繰り返しながら奥へ奥へ進んでゆく様は、パンくずでも撒きながら深い森へ分け入ってゆく童話の主人公だ。
「あ」
と声が聞こえたのは、ずいぶん離れた場所からだった。
「申し遅れました。わたくし当ヒツジ倶楽部の運営管理を担当しております、ソウマと申します。とはいってもここはわたくし一人がやっておるような場所でして、担当も何もあったものではないのですが」
振り返りトキへ会釈を繰り出す。
「お待ちの皆さんは、もちろん会員の皆さんのことでございます。このようなことになっていてもたってもおられず、そうですね、早い方ですと昨日の夜からこちらへ来ておいででした」
そうしてさあ、さあ、と動かぬトキへじれったげと手招きする。二、三歩進んで「あ、ここです」と教えて言った。
「レールが通っておりますので転ばないよう、どうぞまたいでお通り下さい」
蹴りつけ存在を示し、手本とばかり大袈裟な動作でまたいでみせる。
「いや、会うつもりはないんだ。ひとつだけ確かめたいことがある。今日はそれだけだ」
だが聞いている様子にないソウマの足は止まらない。
「おいッ」
たまらず吐き捨てていた。後を追えば、そこに重い物を運搬するためのものか、足首の高さに固定された二本のレールは横たわる。確かに知らされていなければ足を引っかけるところで、またいでやり過ごせばその先でソウマは、四つ目の蛍光灯へ手を伸ばした。
「これはヒツジの、いやただのヒツジの回収だと聞かされている」
ケチン。
灯された明かりが工場の深部をまたわずかに照らし出していた。
「それがどうしてあんなことに? 前任者はヒツジに原因があるようなことを言ってああなった。もちろんこちらはここで行われている事に一切、口を出すつもりはない。だがらあるなら正直に言ってくれ。倶楽部はヒツジについて我々へ、何か伏せていることがあるんじゃないのか?」
ようやくソウマと肩を並べる。嫌うようにソウマは、勢いよく振り返っていた。
「まさか! 頼んでおいて隠し事などと、わたくしどもに何の利があってのことでしょうか」
「でない限り、コッチが引き続き受けることはできない」
いや、「事実」などというものが発覚した地点でなおさら信用などできない。いずれにせよ断る道筋をつけてやる、とトキは意気込む。
「殺生なことをおっしゃらないで下さい。あれからこちらも大変なことになっておるのです」
嘆くソウマの声は甲高かった。
「ですからぜひとも引き続きお願いしたく御足労いただきました。出し惜しみする理由こそ、わたくしどもにはございません。お知りになりたいことはおそらく、わたくしよりも会員の皆さんがよくご存じかと思われます。何しろここで飼われていたヒツジは全て皆さんの持ち物でございますし、皆さんこそ活動を通してヒツジに詳しくなられておいでです。ヒツジを怪しんでおられるのであれば、どうか皆さんとお会い下さい。じかに皆さんからヒツジについて聞いていただき、下していただく判断もその後のことでしたらもう何も申し上げません」
ハの字にへこませた眉がトキを見上げる。だがそこには到底、聞き逃せやしない経緯が紛れてもいた。
「というか、なんだよ、その大変なことって?」
この期に及んで、だろう。
「こちらです」
だというのにソウマはもうトキを見ていない。立ち止まると改まった口調で目の前の板切れを指し示している。いつしか作業場の突き当りまでたどり着くと、その壁には化粧板も反り返った木戸は立てつけられていた。
「こちらから倶楽部へ降ります」
そのふすまがごとき木戸の窪みへソウマは指をかける。鍵もなければ窓もない、幼い頃、遊びに行った田舎の手洗いの扉すら思い出させるそれを引き開けた。とたん奥から膨れ上がって光はもれ出し、明るさよりも勢いにトキは思わず手をかざす。隙間から細めた目でうかがい見れば、まるで宙へ浮き上がったような感覚だ。踊り場のない階段が、急な傾斜で地下へ向かい伸びているのが見えた。
めがけてソウマは足を繰り出す。その体ががくん、と光の中へ沈み込んでいった。一段一段、降り行くたびに頭は左右に大きく揺れ、咄嗟に呼び止めてトキは声を上げる。
「おい、待て。大変なこと、ってのは一体なんなんだ」
だがもうソウマの頭は足元へと沈んだ後だ。
慌ててトキは中をのぞきこむ。
ふともすれば頭から転がり落ちてしまいそうだと思っていた。その幅は扉ちょうどとかなり狭く、素人造りの後付けなのかコンクリート製のステップも奥行きが浅い。加えて一段一段もまた微妙に歪むと見ているだけで平衡感覚が狂いそうなシロモノだ。おかげで危うくクラリときかけたところでトキは咄嗟と体を引き戻す。
苦もせぬソウマは、いくらか降りた所で螺旋のように反転した階段の向こうへ消えていた。
「ですから、ああでもしないと落ち着けないと……」
言うこえ声だけが足元から吹き上がってくる。
「だから一体」
繰り返しかけてトキは舌打ち、埒があかないと最初一段へ靴底を預けた。相性の悪さに滑りそうになって及び腰となり、両手を壁へ突っ張ったところでソウマに指示される。
「あ、扉を閉めておいてくださいませんか? 明かりが表へ漏れますので。シャッターの新聞受けからのぞくと見えるんです」
頼める輩がいない。くそう、と毒づき、伸ばした腕でどうにか扉を引き寄せ閉じた。とたん行き止まりと切り立つ背に、空間は錯覚でもなんでもなく確かにトキの前で密度を上げる。傾斜どころか歪ささえ倍増すると、手すりのないそこで壁へ両手を突っ張り貼りついた。
「とにかく、わたくしどもにも何がどうなっておるのか、まるで分からないのでございます」
話すソウマはそれもこれも慣れたものだと言わんばかりだ。「実を申しますと」と前置きして、こう告げた。
「昨晩のうちに二名、会員の方がお亡くなりになられたのです」
聞かされてトキは眉間を詰める。
「加えて今朝、さらにもうお一人まで」
「それとこの件が関係していると?」
「はい」
声はずいぶん下方から小さく返され、聞いていない、過るや否やトキはソウマへ声を上げていた。
「オイ、そいつはどういうこったッ」
ためらいが消え失せる。合図に、一気と階段を滑るように駆け降りた。むしろ止まらなくなった勢いに任せて反転し、次の角を曲がりゆくソウマのつむじを下方にとらえる。ひょうひょうと視界から抜け出して行ったその先が、の階段室をの出口らしい。
「会員の皆さんは口々にそう、おっしゃられてここへ集まっておられるのです。やったのは」
なだれ込むようにしてトキも最後の踊り場で身を反転させていた。
「ヒツジたちだと」
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