24
列車が山を回り込み、隣街へとレールを軋ませ背後を駆け抜けていた。聞かされてもシャッターは震えるばかりで閉じたきりと愛想がない。そんな光景は一軒や二軒にとどまらず、一帯が活気を失ってから長いことをトキへ伝えよこしていた。
それでもまだどこか操業している工場はあるらしい。かすかな音を立てて側溝を、排水はチロチロ音を立てて流れている。沿うように歩けばまた列車だ。背後から風が音を運んでいた。いや、聞こえるほどに辺り静まり返ると、奥へ進むほどに生活感さえなくしてゆく。
その角からふいとトラックが、積み荷を揺さぶり飛び出していた。おっつけ猫がその手前、くっきり引かれた「止まれ」の文字を渡ってゆく。物音ひとつ立てない身のこなしはしなやかだ。ままに並び置かれたドラム缶へ飛び上がり、足がかりにして建物と建物の隙間、立てかけられたブロック塀を伝い奥へ姿を消していった。
辿り着いてその隙間へ、トキは何気に視線を投げる。そこにもう猫の姿はない。むしろ害獣の侵入を防ぐ板ははめ込まれて、最初から猫などいなかったかのように風景は塞がれていた。
やり過ごした次の角で電信柱を見上げる。貼られたプレートの番地を読んだ。傾いだそこにヒツジ倶楽部の所在地と同じ数字が振られていたなら、もうこの左に倶楽部があることを知る。のぞきこみ、しかしながら折れずトキは直進した。何しろ倶楽部に関わった前任者の末路を知っている。出前のようにおいそれドアを叩けはしない。散歩にしては殺風景が過ぎる界隈を、様子見がてらさ迷い歩く。
集金か。戸口に一台、停められているスーパーカブが目に留まり、初めて感じた人の気配にふうん、と鼻を鳴らして傍らを行き過ぎた。その先、操業中の工場にようやく出くわし、開き切ったシャッターからコンクリート敷きの作業場をのぞき見る。
中は、こんなところで作業ができるのかと思うほどに暗かった。いや表が明るすぎるせいでそう感じるだけかもしれず、洞窟よろしく奥へ広がるそこで鈍い光を放ち散在する工具と部品の輪郭をなぞってゆく。中でも異彩を放つのは据え置かれた制作中と思しき部品で、トキの背丈ほどもある銀色の楕円だった。中央が緩やかと窪んだそれはパラボナアンテナか。だとしてこんな大きなものを設置するのはどこだろう。ただ感心して眺めてみる。
どうやらここからだったらしい。そんな工場の傍らから、排水があのかすかな音を立て側溝へ流れ落ちていた。
ただ人の気配だけがしない。
視線を正面へ据えなおしかけ、揺れた何かへ目をやった。隣り合う建物のベランダだ。カチコチに乾ききった手拭いが風に吹かれて揺れている。
もういいだろうと戻れば、耳へ列車の音は舞い戻っていた。通りへ入り、今度こそヒツジ倶楽部へ向かうことにする。
何ら変わり映えしない風景の中、お目当ての工場名が刻まれた看板は目にとまり、掲げた三階建ての、スレート仕立てがありきたりな工場の前で足を止めた。
閉じられたシャッターには、これまで見てきた工場と変わらず均一と埃が積もっている。防音のため一階に窓はなく、辛うじて二階、三階に窓はつけられていた。だが白く映り込んだカーテンの無造作がすでに伝えてやまないように、長らく放置されていることはあからさまで人気はかけらもない。なぞりさらに上へ目をやれば屋上へ上がれるのか、腐食しまだらとなった手すりもまた目に留まった。
本当にこんなところで聞いた通りが行われているのか。うがれば唯一、シャッター脇、アルミ製の勝手口だけがやたらノブを光らせていることに気づかされる。
時刻は十四時半。
ねじった手首の時計はあとは断るだけと、約束の時間を指していた。
そのとき頭上で影は動く。
近さに驚き、トキは視線を振り上げた。控えめと遠ざかってゆく足音は聞こえてリズムに、さきほど見かけた猫の姿を過らせる。なんだ、と思えば足音は真後ろを駆け抜け、気配に急ぎ振り返っていた。見当たらないなら視線を泳がせる。合わせるしかない帳尻に「気のせいか」とひとりごちた。
勝手口にインターホンやらカメラの類はない。整えなおした心持ちでノブを握った。動かないと分かったところで強めのノックを数度、繰り出す。
うつむき応答を待った。
何ら返ってこず今度は、はめ込まれたすりガラスの窓を叩く。
冗談だろう。
頼んでおいて留守などと、これを最後に辞める仕事のケリがつかない。
後じさって建物を見上げ、いい具合に傾ぎ始めた日差しに目を細めたところで光は確かと明滅した。影だ。今度こそ確かに遮り何かが頭上を飛び越す。トキは思わず身を縮め、ならまた小気味よく足音は傍から遠ざかって行った。
逃すものかで身をひるがえす。
だが目にしたのはといえば、がたんごとん、とぬるく風を吹かせてくる無人の街でしかない。
消えたのか。
疑わずにおれずこぼしかける。
呼び止めドアから鍵の解かれる音は聞こえていた。急ぎ切り替えたのはチャンネルにほかならない。ならドアは有り余るほどの時間をかけて、ようやく押し開けられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます