23

 リュックへ入れてゆくものに無駄な物なんてない。たとえ無駄なように思えても何かが起きるとすればそれは想定外なのだから、無駄に見えるものほど役に立つかもしれなかった。

 だからしてパーリィは頭の中へも、無駄だとしか思えないヒツジの生態を詰め込んでいる。後は少しの水とおやつ程度の食糧。着替えに地図にポリ袋、それから銃と弾薬と傘に手袋とハンカチ。そして、その時まで電源を入れないルールになっている携帯電話だけだ。

 詰め終えたリュックを一度、持ち上げた。重すぎるのは動きづらくて困るけれど、これならまだ入りそうだと耳かきのような開錠ツールにラジオペンチほどのワイヤーカッターも入れておく。上へもぐを乗せ、出た頭の下でリュックの口ヒモを蝶々結びにした。様子はまるきりもぐがリュックを着ているようで、見つめるその顔は今日もぼくがパーを守ってあげるからね、と話しかけているように見えてならない。だからしてパーリィも一緒にがんばろうね、とその頭をなで返した。

 壁の時計へ振り返る。

 もう昼だ。

 こうしてはいられない。

 リュックを背負いながら玄関へ向かう。気配にキッチンからシクラメンもまた見送りに出て来てくれていた。

「忘れ物、ないわね」

 その顔は朝からニコリともしていなくて、今もまた組んだままの腕でそう確かめる。

「あるわけないじゃん」

「現場のフォロー、できないわよ」

「ジ、ジ、ジンギスカーン」

 パーリィは歌い、厚底ミドル丈のブーツへ足を突っ込んだ。

「大丈夫だよ。ちゃっちゃと料理してさ、帰って来るってば」

 結ぶ靴ヒモは少しきつく感じるくらいがちょうどいい。調節しながら返し、よしとかがめていた身を起こした。繰り返す足踏みで仕上がりを確かめ、申し分がなければ笑って「だってさ」とシクラメンへ視線を投げる。

「愛する者をおいてけぼりになんて、できないぜ」

「バカ」

 ウィンクしたとたんペチリ、シクラメンに額を叩かれていた。

「いっ、たぁい」

「こんな時に冗談なんて勘にさわるだけでしょ」

 それもこれもシクラメンの冴えない顔のせいなのに。言いそうになって飲み込むと、パーリィはただ姿勢を正す。

「ふぁーいっ」

 そうして返したきびすはオモチャの兵隊のようで、ドアノブもまた押し込むだけならそのまま表へ出かけたところで踏みとどまった。

「終わったら連絡する」

 なら初めてシクラメンも腕を解く。

「六時半ね。待ってるから」

「やっぱりオムレツがいいな」

「分かってるわよ。卵あるし。チーズ、たくさん入れてね」

「ん」

 想像するほどに待ち遠しくて、むしろそんなオムレツ目指しパーリィは表へ身をひるがえした。

 エレベータで今日も人っ子一人いないエントランスへ降りる。うって変わって喧騒にまみれ表通へ出た。今日は一人で行くんだよ。胸の内で自慢しながら駅を目指し、昨日の事故などなかったかのような駅で地図にメモされていた時刻通りの電車に乗る。

 窓から見上げた空は雲一つ浮かんでおらず、だから車内もずいぶん明るくて、そのせいでか行儀よくだんまりを決め込んで腰かける乗客はみんなどこか眠たげと見えていた。その誰もは仕事や学校や買い物の最中なのだろう。考えながらパーリィはドアの前で手すりを掴む。なら果たして自分はそんなみんなからどういう風に見られているのだろう。きっと学校をさぼって街へ繰り出す女子高生だ。思い浮かべてそんな気分を装った。

 電車は片側に街を流して山へ近づき、回り込みながら針金の絡まる赤茶けた工場地帯をかすめて隣街へと入ってゆく。

 目的の駅まで、あいだ停車するのは三駅だけだ。どの駅も人の乗り降りは少なく、ドア前はほとんどパーリィのもので、余った時間を持て余してパーリィは夕闇に紛れてエムニへ近づく様をもういちど頭の中でなぞっていった。終えたところでまた同じように電車に乗って帰り、特製のオムレツを食べる自分を思い描く。繰り返せばそれはまるで当然のことのように思われて、わずかながらもあった緊張をパーリィの中から消した。

 と目の前を知った映画館の看板は流れてゆく。

 目的の駅だ。

 線路沿いにとめられた自転車がはっきり見て取れるほど、列車は速度を落としていた。到着を知らせて車掌のアナウンスが、パーリィの前にあるドアが開くことを知らせる。応じてパーリィの背後へ降りる人は集まり始め、気配にパーリィもその心づもりで立ち位置をとりなおした。

 窓の向こうにホームが滑り込んでくる。列車はブレーキをかけ、揺れに合わせてよし、とリュックを背負いなおした。先頭を切って車両を降り、改札を通り抜けて、いつも遊びに行く繁華街とは逆の方向へ曲がる。昨日の夜、聞かされた説明を思い出しつつロータリーから地図に引かれたピンクの蛍光マーカーとおり、駅前をさらに左へ歩いた。

 切れたフェンスの侵入口までは、ここから三キロほどある。その三分の一が山の中で、パーリィの足なら目的地まで二時間足らずで到着できるはずだった。つまりこのまま行けば日没まで一時間ほど余裕はあり、定刻まで山の中で待つあいだ、たくさん虫が出てきたらどうしよう、と今さらながら心配になって眉を寄せる。

 前へ、公園は現れていた。

 入口の文字は指示されていた公園で間違いない。通過すべくパーリィは中へ足を踏み入れる。

 公園はシクラメンが選んで相当と、大きな木が四方をほどよく囲っていた。中ほどにベンチはあり、さかいに手前と奥の二つのスペースに分かれてもいる。そのどちらもが盆踊りでもできそうなほど広く、手前にだけ遊具が置かれていた。けれど時間が中途半端だ。遊ぶ人はいない。ただ一人、ちょうどパーリィくらいの年ごろの男の子だけが防波堤よろしく作りつけられた滑り台で、ガリガリとスケートボードの練習に熱中していた。

 通り過ぎかけてパーリィは足を止める。人気がないならいいだろうと思えてならない。やっぱり虫は気になるから待機の時間を削りたくてベンチへ腰を下ろした。

 背負っていたリュックを下ろせば、吹き抜けてゆく風が背に心地よい。思わずふう、と息はもれ、なんだかこのままここで日向ぼっこしてしまいそうになり、慌ててリュックの中を確かめにかかった。

 もぐのまたぐらから拳銃のグリップはのぞいていて、その下に茂みへ紛れ込むにちょうどの黒いジャージはあり、傍らに差し込まれた地図へ指をかける。グイッと手を押し込めば、底のツールやペンチもちゃんと確かめることが出来ていた。

 大丈夫。

 呟いて、そのどれもをしっかり番してくれているもぐへ笑いかける。再びリュックの口を結びなおし、木目のボタンがついているサイドポケットから桃味のグミをつまみ出すと、ひとつ、口の中へ放り込んだ。

 間もずっと男の子は練習を続けている。ひたすら片足で地面を蹴ると、つけた勢いで壁のように反った滑り台へ滑り上がり、切り替えすボードの先で一気に下るを繰り返していた。かと思えば屈み込み、伸び上がると同時のジャンプでクルリ、足元のボードを回転させる。とたん途切れる音はパーリィの注意を引いて、着地と同時にバタン、派手な音を鳴らしてボードはまたゴーッ、と滑り台の前を滑っていった。

 すごい。

 様子にパーリィは釘づけとなる。

 惹きつけ男の子は三度目のジャンプを試みた。だが今度は少し飛び上がり過ぎたようだ。体の下でボードは余計分、回転して、おかげで着地し損ねた男の子はボードを縦に踏みつける。転びはしなかったけれど弾みですっ飛んでゆくボードにあったリズムは途切れてしまい、やれやれ、といった具合だ。男の子も裏返ったボードを拾い上げた。それでも足元へあてがいまた地面を蹴りつける。

 ユースケもこんな風に練習しているのかな。

 思い出してパーリィは、もう打ち合わせは終わったかも、と空を見上げた。向かってついたため息には桃の匂いが混じっていて、そんなユースケはすぐにもパソコンを開けるだろうと考える。

 横顔が、ひどくガッカリ画面を見つめていた。いやユースケなら偶然パーも用事があっただけだと考えるかもしれないと思いなおす。そんなユースケは明日もチェックするだろう。

 けどパーはもう……。

 立ち上がる。

 ばたん、がたん。

 留まり過ぎることは良くなくて、休憩はここじゃなくても取ることができた。

 パーリィが歩き出せばスケートボードの音はまた無人の公園に鳴り響く。だけどパーリィは振り返らない。今はヒツジのことだけを考えることにする。

 新しくつまみ出したグミの味が桃だったのかどうか。そういえばよく分からない。





 求められるまま急ぎ過ぎた気がしていた。パーリィを送り出したその後、今さらシクラメンは悔いてみる。だとして今回、手出しはできず、ここから先はパーリィを信じるほかなかった。

 昨日の今日に追われてシンクには、まだ今朝の皿が積み上げられている。水切りカゴにも昨日の食器が積み上げられたままだった。

 冴えない気持ちは切り替えるに限り、早速にもエプロンをつけシクラメンは蛇口をひねる。そうして洗う食器はたかが二人分と造作もなく、だからして片手間にパーリィから終了の連絡が入るまでをどうやって過ごすか考え、何一つ浮かんでこないなら仕方なく水切りカゴから二日分の皿を取り出した。右から左へのいつものリズムだ。拭いながら食器棚へ積み上げなおす。

 はずが動きは止まっていた。

 皿だ。

 五枚ある。

 二人なのだから偶数が続く中、皿だけが三枚あった。なぜだろう。単純な疑問は皿を凝視させ、やがてその表面に急ぎ、帰り着いた昨日の夕刻、テレビを眺めていたパーリィの後ろ姿は浮かび上がってくる。

 何かあった。

 シクラメンは「あ」と口を開いていた。

 なにしろ一度、始めたらいつも尻に根が生えたかのように動かなくなるパーリィだ。皿などこれまで一度も洗ったことなどなく、ましてやチャットに飽きてテレビを見ていた試しなどない。

「あの子……」

 聞いておいてやればよかった。

 思う。

 だがその相手はもう、いない。

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