20

 繁華街からほどなく離れた住宅地に建つ店には、目立つ看板もなければ紛れて違和感ないほど押し開けるドアもそっけなかった。

 だが足を踏み入れたとたん印象は一変する。手狭ながらも清算カウンターとクロークを傍らに、エントランスは黒光りする大理石と毛足の長いエンジ色の絨毯に取り囲まれ現れていた。目隠し代わりと中央に活けらえた花は豪勢極まりなく、今日に至っては純白のカサブランカがこぼれ落ちんばかり花びらを広げている。乗せたテーブルはうねる曲線がヨーロッパのなんとか、という様式で、その足元には警護するかのように陶器のジャガーもまた鏡の瞳を光らせ横たわっていた。

 ヴィークの勤める店「P.S.」は、例の一件で訪れた時のままだ。トキは見回してゆく。

 だからしてあの時のように「よう」とジャガーへ声をかけ、陶器の前足を蹴りつけた。無論ジャガーが反応することはない。そして蹴っても差し支えないほど、辺りに人はいなかった。

 仕方なくカサブランカごとジャガーを後ろへ回り込む。フロアへ伸びる細い通路をのぞき込んでみた。

 行く先をL字に折ったそこは完全に外界とフロアを隔てており、誰も迎えて出てこないならだった。しばし気配を待ってのち、こちらから出向いてやるかと、トキは奥へ足を繰り出すことにする。

 ややもすれば柔らかなピアノの音色は聞こえていた。

 L字を折れたところでなお鮮明に、温もりさえ伴いそこへ話し声もまた混じりだす。

 今日も大盛況というところか。散りばめられたテーブルと「肩書き」を連想させる客はそうして、トキの前に広がった。合間を埋めてきれいどころが、シャンデリアの光とピアノの音色をまとい笑みを浮かべている。装飾はここも曲線だらけで、その優雅さで全てを一つに絡め取ると声さえくぐもらせ、フロアを水中のように変えていた。

 そこに泳ぐヴィークの姿を探す。

 見つからなければ色とりどりのボトルを並べるバーカウンターへ首をひねった。

 だが見定められたのはトキの方と、上から下までを見回される。確かに顔のアザなどすっかり忘れていたのだから追い返されるのかと警戒せずにはおれない。だがボーイは残る距離を詰めると何事もなかったかのように「いらっしゃいませ」と頭を下げただけだった。

「当店へのお越しは初めてでいらっしゃいますか?」

「いや何度か来てるよ」

 つまりストーカーの件を知らない、ということだ。説明が面倒で、その「何度」かは相手の想像に任せることにする。

「失礼いたしました。お席の御希望はございますか?」

「カウンターは遠慮したいね」

 返しつつ奥からひょい、と現れるのではないかとヴィークへ目を配った。何度か往復させたところでカウンターに寄りかかる男がじっ、とコチラを見ていることに気づかされ誰だ、と目を凝らす。

 伝わったのか、寄りかかっていたそこから男は身を浮き上がらせた。そうして見せつけるのは自身の姿に違いなく、やおら親しげな笑みもまたトキへと投げた。

 なるほど。おかげで思い出せたのは、紛れてコレクションかと店をチェックする。それがこの店「P.S.」のオーナーだったということだろう。証拠に男もスーツの袖口を右、左と整えながらトキの元へ歩み寄ってくる。

「いらっしゃいませ」

 優雅というには混じりけの多い、一礼を繰り出してみせた。

「ストーカーはもう、いなくなったはずですが?」

 上げて二言目でもう問いかける。

「それともうちのヴィークに、また別の犬ころがつきましたか」

「一度くらい客で来てみたいと思ってね」

 つけたして筒抜けだ、あえて示してトキの顔色をうかがいもした。

「それはそれは。当店をお気に召していただき、誠にありがとうございます」

 だからしてとぼけたはずが、さらにとぼけて目を丸くするオーナーの猿芝居こそ見ていられるものではなくなる。

「ボックスがいいな」

 すぐにもボーイへ投げかける。

「でしたらあちらへご案内を」

 割って入るオーナーがカウンターからつかず離れずの位置、ピアノの傍らに置かれたソファを指示した。確かめ、先導して歩き始めたボーイに従え、と言わんばかり「ごゆっくり」とトキを送り出しもする。

 何がごゆっくりだ。せいぜい吠えて威嚇すればいい。監視するためのようなその場所に、残す視線をくれてやっていた。

 自動演奏を続けるピアノの向こうへ腰を下ろせばカウンターは案の定、ピアノの影から見え隠れしてならない。再びそこに寄りかかるオーナーの存在を意識へ、否応なく割り込ませた。

「ヴィーク、呼んでくれるか?」

 ついぞ凝視しそうになり、知ったことかでボーイを呼び止める。

「少々、お時間がかかると思われますが、よろしいですか?」

 つまりいるのだと知れて、やり方を変えてみた。

「トキが来てるって伝えてくれよ」

「承知いたしました」

 自惚れたこの手の客に慣れているのだろう。顔色一つ変えないボーイがフロアを去ってゆく。その足でヴィークの元へ向かうのかとしばし目で追い、追い切れず見失ったところでどっ、と起きた笑いへ視線を投げていた。

 背広の肩を揺らし何某はそこで笑っている。はべらせたきれいどころも一人や二人でなかったなら、あてがわれたホール中央というスペースさえもがトキへ、場違いだってことくらい分かっているさ、言葉を再び過らせていた。

 払うが離れようとしないそれは、この場所の持つ雰囲気のせいなのか。ならヤツらはここにも群れているようで、飼いきれずセッティングされていたボトルへトキは手を伸ばす。

「お医者さんへは行ってきたの?」

 上へ声は降っていた。

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