16
「ついているだけ、ってワケないだろ」
ひん剥き目玉を突き付けた。
「ほらこれだ」
とたんあきれ顔の相手に返されて、「まったく」と舌打ちさえ食らわされる。
「でしたらなおさら見えやしませんか? 先ほどから煙たげと、漂っているものがあるでしょう。ヒツジに噛みつかせるもさせないもですね、気配、雰囲気ってやつが勘所なんですよ。だいたいいくらヒツジでも五十頭が相手じゃ、手がつけられないでしょう。ええ、シロウトならなおさらまとめ上げるなんて無理ってものだ。そこをうまくやりたいなら、持ち寄って作るそれが何より大事ってことなんですよ」
お分かりになられましたか、言わんばかりに相手はアゴを持ち上げ、いや分かるはずがない、とそこにたちまちそれこそ雰囲気を漂わせていった。
「って、お兄さん、あなた読めなくて嫌われるタイプでしょ」
言い放つ。
「それこそ殴られるほどに」
おやまあ痛そうに、と大袈裟に顔を歪めた。
「そういうの、お持ちですよ」
吐き捨てレジへと向きなおる。つまり作業へ戻るのかと思えばとたん「五十頭も」と空へ嘆いた。
「失礼だな、これは違うさ」
ついぞ言ってやるが、どうにも見透かされているような気がしてならないのは、昨夜のせいで間違いない。
「……って、ヒツジもそのなんだ、ムードってモンが大事なのかよ」
確かめていた。瞬間、振り返った顔は何とも言えぬ形に歪められてゆく。
「ムードってねぇ。それが何だか知ってらして、お確かめになっておられるんですか?」
「分からないから聞いてんだろう」
「ああ、そんなんじゃ、まったくもって無理ですな」
口ぶりにただいら立ちを覚えていた。
「だいたい雰囲気ってやつはこっちが読んで従っても、そうも巧みに操れやしないものでしょう。大事にするったってあなた、あいつらはコッチのことなんておかまいなしに動きまわっちまうものなんですよ。大事にしようなんて、それどころじゃありゃしない。それほど手ごわい生き物なんです。いいですか?」
呼び掛けてレジ上の棚へと爪先立つ。
「そもそもヒツジは喋らないんです。喋れないヒツジと仲良くするってことは本当のところ、まずはそいつらとうまくやらなきゃならないってことなんです」
白いロール紙は取り出されて、レシートの交換は慣れた手つきで行われていった。
「ですからテレパシーでもムードでもこのさい呼び方は何だっていいでしょう。読めないお兄さんには、ましてやうまくやろうなんて無理だと申し上げておるんです。だいたいお兄さんは」
終えて跳ね上げられていたカバーを戻し、改めトキを上から下へ見回してゆく。それこそテレパシーだか雰囲気だかの成せるワザか。途切れた続きは伝わって、いたたまれなさにトキは急かされ口を開いていた。
「うるさいな。ここが場違いだってことくらい俺にも読めてるさ」
「ええ、ええ、ならその調子でどうぞ。扱うコツさえつかめば世界中、何とだってうまく繋がってゆけますよ」
バカにしやがって。
腹の底で吐き捨ててやる。
しかしながらあながちデタラメでもなさそうだと思えてならないのは、あの時うまく操れていたならヴィークとも心おきなく繋がれていたはずで、むしろ操られていたのは自分の方だったのだと振り返る。
それもこれもヴィークの、止めと食らわせる笑みが放つ「雰囲気」のせいで間違いなかった。言うとおりアレは手ごわい。こちらの都合などおかまいなしだと思えていた。つまり封じ込めさえすればなんてことはないはずで、しかしながら笑わぬヴィークの味気なさに一人ゾッとしもする。
「ってあんたさ、世界中って話が大きくなってないか?」
おかげで我に返っていた。
「何を。五十頭でしょう。そら大きな話ですよ」
目を丸くされて、そんな話なのかとむしろ初めて知ったような気になる。悟られたくなく、手っ取り早く話をすり変えた。
「つっても、ようは雰囲気なのかよ。そら相手しろったってお目にかかった試しもないしな」
「ええ、ええ。それが五十頭もですと、そら手こずることになるでしょうな。相手にせいぜい頑張ってください」
様子はまるきり追い払うようで、引き付けトキはかぼちゃの中へ身を乗り出す。
「あんたさ、俺の言ったこと信じてないだろ」
「は? ジャムパン牧場でしたか?」
返され、いっとき返事に詰まった。それきり相手はつまみ出した紙コップへスティック状に切り分けたニンジンを挿し始める。もうトキを相手にする気はないようで、実際、目も向けやしなかった。
なるほど。思い起こせばたった二百円の講習だ。ヒツジのどこを撫でると喜ぶやら、どう扱えば大人しくなるかなど、肝心要を教えてもらえるはずもない。トキもまた釣り銭へ手を伸ばす。
「ああ、ここでせいぜい練習しておくさ」
懐へかくまい、引き換えに手に入れた牧草の束を掴み上げた。
柵へきびすを返す。
だがそれも数歩だ。
進んだところで立ち止まる。いやそれこそ扱うに手ごわい雰囲気、とやらに従わされただけなのか。
「言っておくがな」
振り返ざま投げていた。
「俺は変質者じゃないぞ」
とたん視線は集まって、むしろ変質者扱いと母親たちは辺りでそわそわ動き出す。だとして当の相手こそ見向きもしない。避けて遠のいてゆくような空気の中、トキは再び動物たちを囲う柵にもたれかかった。
中にヒツジは白い顔と黒い顔の二頭が囲われている。知らぬ存ぜぬで草食む動きは緩慢を極め、だからして子供が近づいたところで危ないとは思えなかった。トキも気安く突き出した牧草を振ってヒツジを呼び寄せる。
「そら、いろいろ事情はあるだろうが、お互い仲よくやろうや」
ならすぐにも気づいた白に黒までもが、ゆっさゆっさと近づいてくる。えらく両側に離れた目のせいだ。面持ちはどうにもすっとぼけた具合で緊張感などありはしない。
だというのに前任者はなぜ「手に負えない」と言ったのか。解せず、それこそ本当にひどいアレルギーの持ち主か何かだったのかと疑いかけて、ヒツジの瞳に気づきもする。
その瞳孔は瞳の中、線を引いたように長細かった。両目が離れているせいもあるのだろう。ゆえに近づけば近づくほど、どこを見ているのかがまるきり分からない。それは次にヒツジが取る行動を読みにくくし、ましてやヒツジのせいで一人、死んだ人間がいるやもしれないと知っているからだ。間抜け面こそ仮面とそこに得体の知れぬ不気味さをちらつかせる。
スキに牧草を毟られていた。力は案外、強く、持って行かれそうになってトキは慌てて腰を入れなおす。
その頭に威嚇するような角はない。鋭い牙に爪もまただった。
眺めていれば大げさだと、すぐにも疑いは晴れてゆく。触れればなおさら勘違いと生きてヒツジは温かかった。ウールと呼ばれるそれもまた、指に記憶に優しく馴染む。
だが馴染めずパーリィは、ノートパソコンの画面へ身を乗り出していた。股ぐらでもぐの首は折れて苦しげだったけど、今のパーリィには見えやしない。
そうまでして食い入るように見つめるのはログインした書き込み画面だ。そこにスポンサーがつくかもしれないことは、そのため今日急遽、打ち合わせが入ったことは、ユースケの名前で書き込まれていた
ウソ、も言えず息をのむ。そんな口へ手を押し当てたきりパーリィは、一体いつからそんな話が進んでいたのか記憶を懸命に辿りに辿った。けどまるで思い当らず、そんなの酷いよ。重大な裏切りにただもらす。
でも腹立たしさはこれっぽっちも沸いてこない。ましてやすっぽかされてがっかりだよ、なんてすねる気にもなれなかった。
少なくとも数百万だ。それだけの話がついにユースケの元へ舞い込んできた。緊張はパーリィを襲い、はち切れんばかりに膨れ上がって口元にあった手を握り合わせてゆく。
だいたい文字で語り明かした夢物語こそ、今起きたこの大事件のような話ばかりだ。興じた分だけそれはパーリィの夢にもなると、つまり今頃はと想像を走らせる。
そこでユースケはオリジナルロゴの入ったTシャツを着て、スーツ姿のスポンサーとテーブルを挟み向かい合っていた。両手をヒザに喋るユースケは実に堂々としていて、それはパーリィになんて真似できないほど大人っぽく、比べてスポンサーこそおっかなびっくり、及び腰な具合だった。もちろんパーリィはユースケの顔に声に話し方さえ知らない。けれどそうして進む打ち合わせの主導権は間違いなくユースケが握っている。だからずっと交渉はユースケの希望通りにさえ進んでいた。
すごい。
ユースケは正真正銘やったんだと感じ取っていた。パーリィなんかじゃかなわない男の子なんだと痛感して、だから自分の力でどんどん前へ進むとこうして夢さえ叶えてしまうんだと仰ぎ見る。その姿はやっぱり格好良くて眩しくて、目玉へじんじん響いていた。合わせてど、ど、と押し寄せるそれは鼓動で、止まらないならパーリィの周りで部屋もくるくる、チカチカ、回りだす。
そんなユースケはしばらくインターネットから離れることを詫びていた。最後「落ち着いたら報告するから応援に来る準備、してろよ」の一文はとどめとパーリィを高く飛び上がらせて宙返り、ぐるぐる光る部屋を早くもダート場へ変えてしまう。
巡る車輪の風切る音が、走らせる息遣いが、土臭さと共にパーリィの前に広がっていた。全身で受け止めてパーリィもペダルを漕げば、裂く風と、傍らを走るユースケがひとつになってパーリィへ振り返る。
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