14

 背で閉められた扉に振り返っていた。

「車で来られましたか?」

 肩へウエステイの声はかけられる。

「いえ、電車で」

 答えてシクラメンは改め前へ向きなおった。

「それはよく時間通り来られましたな。火事でえらいことになっているらしいじゃないですか」

 部屋は広く、おおよそ仕事をする場所とは思えない空気で満たされている。視線の先に置かれた装飾が目を引くデスクなど、何一つ乗せられていないのだからなによりそれを象徴していた。

 ウエステイはその向こう側、額縁よろしくはめ込まれた窓を背に、逆光の中シルエットと浮かび上がっている。

「ずいぶん混雑していたでしょう」

 言って離れかけ「あれ」と呟いて立ち止まった。すぐにも探して忙しく体をなでまわすと、胸元に見つけたそれに改めシクラメンへ身をひるがえす。

「いやあ、その中を時間通り、わざわざお越しいただき恐縮です」

 動作はどれもがいちいち大げさだ。勢いのまま差し込む光からもたった二歩で抜け出してみせる。知った顔はたちまちそこに浮かび上がると、すまし顔で映っていたホームページの写真とはずいぶん印象をたがえてシクラメンの目に、ひげのないサンタクロースと映っていた。

「どうぞこちらへ」

 崩すことなくウエステイは傍らの応接セットへ、シクラメンを促す。

「そのようですね。今朝はニュースを見ていなかったのもので、驚かされました」

 そうして見せる親しみこそ、幾らも場数を踏めば「芝居」だと察するに容易いものだ。ここは調子を合わせておくべきかと腰かけて、おろしたトートバックを体へ添わせた。この雰囲気なら足くらい組んでおいた方が無難だろうと、積み上げたヒザ頭の上へくだけた調子で、両手もまた添えてみる。

「さて、そういうことでしたか」

 右手側、一人掛けのそこへ腰を下ろしたウエステイが臆面もなく切り出していた。

「男女でお伺いします、とおっしゃっていらしたのに預かった名前はひとつ、トリムラでしたからな」

「ええ、場合によっては下に名前がつくこともありますが、その時は男か女、どちらかが都合で来られなくことになります」

 とたん、ほう、ほう、ほう、と声を上げて笑うウエステイは、はさも楽しげだ。声は外へも漏れているはずで、ノックの音はちょうどその時、聞こえていた。

 受付嬢とはまた別の女性がドアを押し開け入ってくる。一礼して差し出されたコーヒーへ「お気づかいなく」と返すのは「一連のやり取り」というもので、儀式が成立したところでウエステイへもカップを置いた彼女は、裂いた場の空気さえ塞ぎなおす完璧さで部屋を後にしていった。

 合図に、続けられていた茶番の幕も下ろされたようだ。とたんサンタは重い息を吐き出し、夢運ぶ老人から現実配る商売人へ姿も変わる。部屋もコーディネイトしなおされると、みあう重さを引き入れ沈んだ。

 押しのけてウエステイがカップへ手をかける。形ばかりとすする動きはとにかく早く、ならってシクラメンが手にした頃にはもうテーブルへ戻された後だった。

「単刀直入に申し上げます」

 性急さがいかがわしさをなお醸す。

「ヒツジを一頭、始末していただきたい」

 ひとまずだ。聞かされようと一口、シクラメンはコーヒーを口にしていた。

「それはまた、さぞ仕立てのいいウールのスーツを着たヒツジなのでしょうね」

 返してからウエステイへと視線を投げる。

「一体、どちらの紳士を?」

「エムニをご存知ですか?」

 問い返されて目を瞬かせた。

「ええ、まあ。今日のことが決まってすぐ、こちらのことはいくらか調べさせていただきました。研究成果を競っておられる相手だと」

 知らない、などと完全な嘘はつかないに限り、「そのスーツは脱げませんよ」と言うウエステイに眉を詰める。

「我々がお願いしたい相手は正真正銘、動物のヒツジです。エムニで飼育されておる実験動物のヒツジです」

 それみたことか。

 成り行きに、声こそ胸の内で上がっていた。

 やられたワタヌキの報復に、エムニへ乗り込め。

 筋書きは読め、たとえワタヌキの件が絡んでなくとも実験動物とくればパーリィには向いていない。判断は急転直下で下された。

「残念ながら室長」

 だがそれではあまりに結論ありきを露呈しそうで、手元のカップをひとまず戻すことに専念する。その際、何ひとつ音を立てなければ大丈夫だ。己へ暗示をかけなおし、シクラメンは従来のペースで改めウエステイへ口を開いた。

「対象が何らかの病原菌等を保持しておるのであれば、遂行するに当たって接触する者の安全が確保しきれません。この件はわたくし共が扱える範疇にないと。室長へは専門的な知識をお持ちの方へのご依頼をお勧めいたします」

 だがウエステイは持ち上げた手のひらを見せつける。

「いや、トリムラさん、先ほど我々についてお調べになったとおうかがいしましたが、それは我々が行っている研究についても、でしょうか?」

 質問は鋭く、返す言葉を探していた。

「トリムラさんは詳細をご存じのうえで、そうおっしゃっておられるので?」

「いえ。実験動物なら、と想像したまでです」

 言うほかなく、後手に回った気分がたちまちシクラメンを落ち着かなくさせる。

「でしたら安心していただくためにも我々の研究についてまず、ご理解いただく必要があるでしょう。いただけましたらヒツジは恐れるものでないと、お分かりいただけることと思います」

 深くうなずくウエステイの微笑みはあくまでやわらかだ。

 だからといって断るために来たのである。「ぜひとも」と、催促する気こそなれず、「結構です」とも言えはしなかった。ならウエステイは「我々が行っております研究、EgTは一口でいいますと」と、話し始める。

「近年発見された、しかしながら古来より我々と共存してきた生命体の保護と繁殖を目的としております」

「それは絶滅危惧種の保護、という意味ですか?」

 もってまわった言い方をまとめたつもりが「いいえ」と首は振り返され、「信じられないとおっしゃるでしょうが」と前置きしたうえでウエステイは「我々が保護に繁殖を進めておりますのは」と続けてみせた。

「感情です。その中でも絶滅が危惧されておる『幸福感』とであるとご理解いただければ結構です。ええ、ええ、驚かれることは承知のうえです。この話をすればどの方もそのような顔をされる」

 などと間髪入れずなだめられて、向けていた表情の露骨さを知らされる。

「当然です。受け入れてしまえば自身の大半を得体のしれぬモノへ預けてしまうことになるのですから。混乱を避けるためにもこのことはまだ、おおっぴらにされておりません。ですが間違いなく我々の喜怒哀楽、いやもっと原始的な情動とそこに連なる思考の全ては、我々とは異なる生命体、それらが活動することによりもたらされていたのです。これまで我々はこの隣人を知ることなく感情そのものが自らより沸き出るものと信じて過ごしてまいりました。ですが見識はくつがえされたのです」

 語る眼差しはホームページの写真通り、力強さと自信に満ち溢れていた。目の当りにしてあっけにとられ、だからこそウエステイはひとつヒザを打ちつけ空気を入れ替えてみせる。「昔からよく言うではありませんか」と声を弾ませた。

「人は感情に振り回される生き物だと。時にその暴走を抑える事ができなくなると。皆、古くから彼らの存在には勘付いていた。ただ目にする手段がなかったせいで確信することができなかっただけなのです」

 そうして「そもそもセンターは」と言葉を続けた。

「センターは脳科学における自由意志の解明、つまるところ脳内に張り巡らされたニューロン神経の同時発火と、その指向性、謎とされてきた発火、最初のキッカケを解明すべく発足したグループでした。生命体はそのさい使用していた脳波測定機器が拾い続けていたノイズ、いわば微弱な電気信号を取り除こうとした過程で発見されております」

 脳波測定器により増幅、映像化されたそれは最初、頭部にまとわりつく七色のオーラとモニターへ映しだされていたらしい。二人並べば伸びてくっつき、色を混ぜてうごめく様は取り除くよりむしろこれは何なのかと職員らを釘付けにしたそうだ。

「興味をそそられるままあれやこれやと試すうちに、七色のオーラの変化は外部からの刺激を受けてのものであることが分てきましてね。まあ刺激とは千変万化する環境そのものです。それらに対してオーラは反応を示しておるようだったのです。例えばですね」

 唱えたウエステイは、ソファの上で座りなおす。

「たとえば、赤く見える部分は強い光を当てるほど活性化し、でなければ鎮静化してゆきますが青い部分はその逆、と言った具合にです。ですので光を当てたままで強さだけを調整すれば赤と青が入り混じり紫に見えたりもする。こうした性質を様々持ったものが集まり、我々にオーラを我々に見せておったと分かったのです」

 そうして、それはただ我々を楽しませるためになのか。わざとらしいほどあり得ぬ問いを投げかけ、反応は環境へ適応するためのもので間違いがない、と断言してみせた。

「ええ、暑さに汗をかき、寒さに震える我々と同じく、順応、適応し、変わりゆく環境中を生き抜くためのものだと考えるほか、ありません」

 おかげですぐにもこの生き物の正体を突き止めるべく、研究費はつぎ込まれたのだという。比例して加速する研究に、そもそもの謎も解き明かされることになった、とも明かしてみせた。

「取り除こうとしていたノイズ、それらの活動から発せられていた極微弱な電気は我々の脳の動きと、ニューロンの発火と符号していると、判明したのです」

 事実へウエステイは、改め何度もうなずき返している。

「そうなんです。ニューロン最初の発火こそ、彼らの活動で生じた電気信号を受けてのものだったのです」

 我々の感情は、我々とは異なるモノからもたらされている。言い切るそれが理由であり、その後の臨床実験で、色で分けられる特性ごとに発火する脳の部位との符号もまた、ある程度が解明されつつあるのだ、とも付け加えた。

 以降、それらと呼んでいた現象の最小単位を「情動因子」と呼び、それらが繰り出す活動を「情動代謝」と、オーラと観測される因子の集まりを「情動体」と呼んでいることをシクラメンへ教えた。相槌さえ打ちかねたシクラメンが歪な笑みを浮かべていれば「もちろん今ここでも」と両手を広げてみせる。

「因子たちは申し上げた通りを、いやそれ以上を繰り広げておりますよ」

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