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 勤め先の二階を訪れて、置かれた長机が壁と並行に並んでいた試しはない。アルバイト達が散らかしていったそれは今日も違わず現代アートか、好き勝手とトキの前で踊っていた。

 「ったく」ともらしてトキは、社名が一文字ずつ貼りつけられた窓と並行に机を並べ直してゆく。座る者のいないパイプ椅子を壁際に立てかけ、最後、ひとつだけを手に心地よく並ぶ机の前で腰を下ろした。

 社屋の傍らを流れる川がちょうどと目の前に横たわる。両側に積み上げられた土手はここを一階のように錯覚させ、「閑静な」という形容詞がぴったりくる住宅街を川向こうに広げた。その端はせき止めて連なる山々の中腹にまで這い上がると、送電線だけを向こう側へ消している。

 一望すれば乗り出していた体も自然、反り返っていた。背もたれに触れて覚えた痛みに再び身を丸める。ついでに頬杖なんぞついてしまったなら、カタチはほどなくトキへ思考を促していた。

 つまりテレビはつけて正解だったというわけらしい。何しろトキにとってあの火災は無縁でなく、拾い上げたとたん鳴り出した電話から引き起こした輩がここに勤める何某だということを、同じく公にできない整理を請け負っていた者だと言うことを聞かされていた。

 それはちょうどトキがふて腐れて眠っていた頃らしい。その何某はクマジリの元へ連絡を入れると、預かった整理が手に負えないことを、ゆえに今朝がた見知ったあの方法で自殺することを話したらしかった。

そうして起きたあの事件だ。事態は偶然の一致だと思えぬ特異さを放ち、以降、何某と連絡も取れていないという。

 すなわち何某が請け負っていた整理は間違いなく途中で放棄されており、呼び出されてまで聞かされる話とはそんな一部始終のみならず、おそらく前任者が放り出した整理の後始末についてもまただろうと思えていた。

 と、奥で事務所のドアは開く。「あ」と放たれた声に首をひねれば先月、組んで整理に当たった新人はそこに立っていた。

「トキさん」

 つまり巡らせていた考えこそ休むに似たりか。前屈みだった体をトキは起こしてゆく。

「なんだ、打ち合わせか?」

「ええ、まあ」

 太めのカーゴパンツに乾燥機から出したきりのようなシワだらけの青いネルシャツを引っかけた新人は、たしか名前はサイトウと聞いたか、あの人懐っこい笑みを浮かべひょこっ、と頭をさげてみせる。

「この間はどうも。トキさんから太鼓判、もらっちゃったみたいで」

「うまくやれてるのか? お前なら大丈夫そうだけどさ」

「いえ、今のがあれから初めてのヤツで」

 後ろ手にドアを閉めるとトキへ歩み寄った。

「それ、引き受けたのかよ?」

「なんか聞いてたら、ホントに立ち入り禁止区域の警備だったんで、まぁ」

「お前、調子こいてんじゃないぞ。痛い目みるのは持ち込んだ先方も、って場合もあるんだからな」

 よほど一人前と扱われたことがうれしいらしい。はにかみ笑いサイトウは、改め頬を引き締めなおす。

「もちろん」

 だが続かず、早くも緩めて「そういうトキさんこそ」と腫れたトキの横面へ首を突き出した。

「それ、どうしたんです?」

 つまりトキこそ人の心配をしている場合ではない様子だ。

「だから言った通りを、こうしてお前に教えてやってるんだろうが」

 これみよがしと示すのは、赤目を剥いた頬だろう。顔へ「マジですか」と身を乗り出したサイトウは神妙な面持ちだ。露骨と眺めまわし、やおら乾いた声で笑い出す。その笑いで会話から、深刻さだけを吹き飛ばしていった。やり方には「こいつ」と呆れるしかなく、そんなサイトウの背でドアは、再び浮いて開かれる。唇にかかりそうな高さで切りそろえた髪を揺らし、隙間からクマジリは顔をのぞかせた。

「呼びだしたのに待たせたわね。入って」

 顔以上、背中が酷いことになっているなど知られたくもない。応えてトキは身軽な素振りで立ち上がる。見て取り笑い納めたサイトウも「僕はここで」と頭を下げた。上げて「お大事に」と付け加えるものだから、顔へは「大きなお世話だ」と返すほかないだろう。ついでに手もまた振り上げる。向かって迷うことなく繰り出されたサイトウのハイタッチは組んだあの日と同じで、それきり互いは互いの方向へきびすを返した。

階下へ降りてゆくその靴音は羨ましいほど小気味がいい。

「無事、終わったって聞いていたけど」

 聞きつつ事務所のドアをくぐる。

「二階の借主も同じ野郎だった」

 事務所に社長はいない。二人の社員とアルバイトの女の子が黙々と仕事をこなしているだけだ。

「ダメね。先のこと、本気で社長と相談しなきゃ」

 言うクマジリの声は小さくない。にもかかわらず目尻にも捉えない事務員たちの態度は、これが聞こえないフリというヤツか。気にかかるからこそ確かめたくなり、確かめられるはずもないならトキはクマジリへ投げる。

「言った通り、こっちは問題ないさ」

「だとしてこの先、不安な顔であなたは現場を振られたい?」

 返され押し黙った。

 ままに事務所奥、面接にも使われるパーテーションで仕切られた一角へもぐりこむ。狭さが秘密めいたそこで机を挟み、クマジリと腰を下ろした。

「気が付いたら、あなたがウチの古株だなんてね」

 聞き取れた試しのない面接の会話より、ここでの会話こそ聞かれる心配がない。だからかクマジリも警戒することなく切り出すと、机の上へ置いた用紙を時へ向かって滑らせていた。

「ああ、見なくなった人間の方が増えたな」

 つまみ上げればそこには大きく「ヒツジ倶楽部」と書かれている。下には住所と電話番号が添えられ、読めばそれはここからそうも離れていない場所だと知れた。それ以外、書かれているものは何もない。

 トキは視線を持ち上げる。

「だから俺に頼みごとだって?」

 率直にぶつけた。

「今朝、話した担当者が担当していた、それが先方の所在地」

 だが同じように率直と返してこないクマジリには、話す順序というものがある様子だ。

「最悪だったけれど、先方に事情の説明はつけた。それでも先方は整理の続行を訴えてる。あなたに引き継いでほしいの」

 向ける眼差しはニコリともしない。

 トキは思わず眉を跳ね上げ返していた。

「手に負えないってのが前任者の、その、理由なんだろ?」

 当然だ。どれほど頼りにしていると前置きされたところで、ホイホイ引き受けてしまうようではただの消耗品でしかない。

「現場で何があったのか、先方とのハナシで分かったのか? そんな状況でも先方はこっちへ頼んで来るうえに、事務所は事務所でやれると判断して俺に振るっているわけか?」

 確かめたところでクマジリの「順序」が変わることはなかった。

「これ、捜索依頼よ」

 ただ明かす。

「だから先方は現場で何があったのかを知らない。今じゃもう前任者、本人にしか分からないことになってる」

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