主人公の年齢

 誰もが小説を書いていると疑問に思うことがある。好んで書く主人公の年齢があるということだ。そして誰もが漠然とこの年頃の若者が好きとか、好みとはいうけれど、具体的な理由を説明することは出来ない。

 坂口安吾の文学のふるさとには、この疑問に対する解答が得られる部分がある。かれはシャルルペローの赤ずきんを読んで、何とも言えない突き放されたような気持ちを抱いたという。彼はそれをプツンとちょん切られた虚しい空白とも書いている。

 突き放されて、どこか置き去りにされたような感じを彼は「ふるさと」と呼ぶのだ。これはまさしく大洋感情だと思う。自分が今まで体験しなかったような衝撃を受けて、自分の持つ価値観そのものが揺さぶられる感覚。

 それが坂口安吾のいうふるさとではないか。

 どうも物書きが好んで描く主人公の年齢は、この鮮烈な「ふるさと」を体感した年齢と重なるらしい。私自身、中学時代に不登校を経験しているが、その後に書いた小説で大体私は10代前半の少年少女を好んで主人公にしている。

 この不登校時代が私にとってまさしく「ふるさと」体験した時期なのだ。落ちこぼれて授業にもついていけず、心身症を患って学校にもいけなくなった私はまさしく自分をクズだと思っていた。

 そんな私の書いた小説を友達が一言「上手いね」と言ってくれたのだ。これだけで私は作家になりたいと思った。学校に行かなくなって、好きなことを片っ端から調べて覚えるようになったら、訳の分からない授業を聞くよりも生きるために必要な知識が随分と身についた。

 漢字を他の中学生より当時の私は多く知っていたし、キリスト教や天使についても詳しかったと思う。そしてその知識が、今の創作にとても良く役立っている。

 不登校は私がまさしく突き放された経験だったし、私はその後も社会とはぷちんとちょん切られたような状態でどこか生きている気がするのである。

 今までみんなと同じだった価値観が、不登校を境にがらりと変わってしまった。私はなんだかみんなとは違う奇妙なものになってしまったのだ。

 でも、その奇妙さが私は好きだ。

 

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