女侍

第2話 女侍

「鏡明館のお化け屋敷」が「作りはしっかりしているが古屋敷」程度になるまでには、さほど時間はかからなかった。しばらく人の手が入っていなかったので建物のあちこちにガタがきてはいたが、宗助の粋な計らいで懇意の腕のいい大工たちが手配され、そのほとんどは一月のうちに修繕された。

 道場を開くにあたって、前述のように近隣で「鏡明館のお化け屋敷」呼ばわりされたその名をそのまま受け継ぐのもなにかと支障があると思い、深雪のすすめもあって新しい道場の命名をふたりして考えた。これに二日かかって決まった名前が

鹿南しかなみ道場」

である。

 新之助も左源太も六男坊同士、「鹿」は新之助の好きな京都鹿苑寺から、あとはなんとなくあったかい道場にしたくて「南」の字をあてた。それで「ろくなん」とも読める。

「実のところ小さな道場を開くのは年来の夢だったのだ」

 と左源太は「鹿南道場」と大書された看板を腕くみしながら満足げに見上げた。

「六男たちの鹿南道場、俺たち二人の夢の道場だな」

 新之助が笑うと、

「いや、三人の、だろう」

 となりで深雪が微笑んでいる。


 初めの仕事は人集めであった。

――時を持して剣を習う、志し有るもの、齢、身分を問わず、来たれ鹿南道場へ

 左源太の父が自慢の達筆で書き上げた引き札はそちこちに配られた。その功あってか程なく少しずつではあるが、侍・町人・着物の肩もとれないような子供から大店の商家のご隠居まで、あらゆる者が連日のように入門に訪れた。その誰をも拒まない。

「うちの親父様も息子の道楽に乗せられたと言いながら結構楽しそうにちらしを書いていたが、どうしてどうしてこの一文は気に入っているらしい。身分を問わずってところが」

「旗本たるもの道場商売などに現を抜かしてと陰口を言う者もあるらしいがそういう石頭にはわからんだろうな」

「言いたい奴には言わしとけ。ああ俺は建前ばかりにこだわる長子連中に生まれなくて本当によかった」

 こうして入門希望者は続々集まったがそんなある日、意外な人物が鹿南道場の門を叩いた。

「引き札を見て参りました」

 玄関先にすくっと立った人物をあがりはなで出迎えた左源太は一瞬言葉を失った。

髪はきりりとした総髪で二本差しの若侍、袱紗小袖に五仙平の袴、帯は平織の献上博多。

それが息を呑むような凛々しさだ。が、りんとした声の響き、明らかに女人である。

「まァ、なにはともあれ‥‥‥こちらにどうぞ」

 事情があるとみた左源太は奥の座敷に招き入れたが、その女人はすすめられた座布団に座るやいなや淡々とした口調で静かにこう言った。

「身分、年齢を問わず、ならば性も問わないで頂きたい。わたくし小普請組支配佐橋文衛門の娘、名を菊乃と申します。是非こちらの道場で松波新之助様にご教授頂きたいのです」


「わたくし、何故わたくしと松波様の祝言話がご破算になったのか、納得のいかぬものがありました。聞けば新之助様はご友人と新しく道場を開いた由。身分も齢も問わない自由な道場と評判です。それならばわたくしも入門させていただこう、少しでも新之助様のお側に……。それにわたくし、女ながら剣については多少なりとも心得がございます」

 両手を膝の上に突っ張らせ、一歩も譲らぬような強い意志が瞳に溢れている。どこかで巻いてきたのか、伴の者の姿も見当たらなく、ひとりで現れた。こりゃ噂にたがわぬじゃじゃ馬娘だ、と左源太は心のうちでつぶやいた。

「我が道場はそのような不純な動機での入門者は引き受けかねます」

彼はわざと厳しい表情で言う。

「第一、名家佐橋様のご息女、しかも跡取り娘ともあろう方が男ばかりのむさくるしい道場で剣術修行など家の者がお許しになりますまい」

「さすが新之助様のご友人だけあってすでにわたくしのことはよく御存知と見えますね」

 彼女は少しうんざりしたようであった。過去、何をするにもまずこのようなことを言われ続けてきたのだろう。そして例によってこう言い返すのだ。

「しかし家の者は家の者、わたくし自身の志しとは何の関係もございません。そちらこそわたくしの身分にこだわるとは、看板に偽りありと言われても仕様のないこと」

 キッパリと言いながら菊乃の顔は興奮のためか幾分紅潮している。左源太はいかにも困ったという顔になった。確かに彼女の言い分はもっともだ。その隙を彼女は当然見逃さない。

「入門、お許しくださいますね。犬丸左源太様!」

笑っている。この時初めて娘らしい笑顔をみせた。


「とんでもないことになったぞォ」

 深雪とともに枡もとに暇をもらいに行った新之助は帰るなり左源太に腕をかかえられて別室につれこまれた。子細を聞いた彼が仰天したのは言うまでもない。

「今すぐにでもこの道場に食客として住み込みかねない勢いだったのを今日のところはうまいこと言って帰したが、明日から欠かさず来ると言っていた。おまえもえらいものに見込まれたものだよ。これで佐橋のお姫様に怪我でもさせてみろ、そうなれば道場はおとりつぶし、我等ふたりの行く末も刀の露と化すわけだ」

「茶化してる場合かっ、ああっ、困ったものだ」

 とまたも頭を抱える新之助ではある。

「しかしどうしてそこまで俺をなぁ……皆目見当がつかない。顔も知らない人だというのに……」

「それについてはなかなかの美人と申し上げておこう。まぁ良く考えてみると新之助ごときにそこまで惚れとおすとは可愛いところもあるというものだ」

 少し感心しているような様子の左源太の様子に

「呑気なことを言ってるなよ、それにしても女だてらに剣を習おうとはとんだお姫様だ。だいたいあの、」

 新之助が言いかけたその時、

「そういう言い方はないでしょう。新之助さん!」

いつの間に来ていたのか、深雪が障子戸の影から顔を出していた。いつもの笑顔ではない。いきなりの怒気にあてられて一瞬のうちに黙ってしまった二人の前にそのままスタスタと歩み寄ってきた。

「女だてらになんて、これから自由な鹿南道場をやっていこうというお人の言葉とも思えません。私もこの度の道場再興については、とても言葉に表せないほどお二人には感謝しております。もちろん父も草葉の陰で涙を流して喜んでいることでしょう。けれど父は生前申しておりました。これからは男だ女だといわれる時代ではなくなる、女も自分の身を守る術のひとつも覚えておいたほうがよい、何より剣術は心の修養でもあるからと。私も思いの外早くに父に死なれ、剣については多少の手ほどきを受けた程度で習う機会もないまま時を過ごしてしまいましたが、それは今でもくやしゅうございます。そういう私にとって菊乃さんの言葉やおこないは羨ましいと思いこそすれ、そのように責め咎められるものではありません」

 言っているうちに思い余ったか最後は少し泣くのを堪えるように声がうわずった。

「そうだよ、そのとおりだ、深雪ちゃん」

 左源太が小さく叫んだ。深雪の姿はいつになく毅然としている。

「そうと決まれば明日から女剣士ふたりを加えての稽古開始だ。そうだろ? そうだよな、新之助!」

 新之助は頷くほかない。気が強いのは姉上や菊乃ばかりではないらしい。確かに男だ女だという時代でなくなるのはそれほど遠い将来のことではないだろうと、彼は妙に納得して思い定めた。

しかし、何か大事なことを忘れている気もする。


 こうして鹿南道場は雑多な事件は多いもののひとまず道場開きは順調なすべりだしといえた。一応のところ道場の塾頭は腕の順からいって犬丸左源太が勤めたが、道場主は経緯を慮って新之助という体になっている。

 稽古が始まると入門者は誰でも、まず自分たちの仲間うちに女剣士がいる、しかも二人、という事実に驚き、その上で彼女たちの筋の良さが男を圧頭させるものがあることに感嘆した。二人の正体は新之助と左源太以外、道場内では知る者がない。知れば色々と厄介が生じる恐れもあるということであえて伏せてある。それが二人の神秘性に拍車をかけていた。

 けれど当の二人、深雪はどういう形にしろ菊乃の存在を知っていたが、そこはおとなで、自ら悶着を引き起こすことは無かった。が、問題なのは菊乃の方だ。道場に住み込みであらゆる雑務をこなしながら、それでいて単なる賄い女では絶対にない深雪の姿をいつも目にして、彼女の内に多大なる疑問がもちあがったらしい。

「左源太様!」

早朝稽古も終わり、庭にある井戸端で顔を洗っていた左源太の後ろから声がした。

「左源太様、ここにいらっしゃいましたか」

 左源太は両手で顔を覆ったまま横目でチラリと菊乃を見た。小走りにやって来る、たすきを解いた菊乃の額に巻かれた白布の紐が風になびいて、まるで蝶々のようだと左源太は思った。

「申し訳ないが」

 あえて意に介さない風で言った。

「そこの手拭いをとって下さい」

「手拭い? 手拭いどころではありません」

 それでも彼女は周りを見渡して縁側においてあるそれに気づいて持ってくる。無造作に空にのびている左源太の手にはわざとのせず、彼の顔の前にぞんざいに突き出して、

「わたくし、前々から不思議に思っていたことがあるのですが」

「なんでしょう」

いよいよ来たか、と左源太は故意に空惚けている。

「新之助様第一のご友人と思って率直にお尋ねします。わたくしと新之助様の祝言話がこわれた陰にはもしかして女人の存在があったのでしょうか?」

「これはこれは突然に何をおっしゃるのやら」

「はしたない事とは存じますが、一人で悶々と考えていても始まりませんし、思いきってこうしてお尋ねしているのです」

 誠実なお答えが聞きとうございます、と左源太の顔を真っ向から見据えている。逃がさぬといった感じだ。どこまでまっすぐな娘であろう、と彼はこのお姫様に小気味よささえ感じはじめている。


 新之助が左源太と道場を開いたと聞いて、同じように千葉道場に通っていた友人たちは一様に半ば呆れ、半ば羨んだ。左源太の腕は誰もが認めるところではあったが、新之助にはそれほど剣術の才覚があるとも思えない。本来ならばまだまだ修行中の身なのだ。それがいきなり道場主になった。噂によれば嫁御付きでもあるらしい。興味をもった人間は三人四人と群れを作って道場を見物に来た。

 老若、貧富、身分の高低、入り乱れてはいるが、特に熱心に稽古しているのが女人とあって来るもの皆不思議な面持ちで稽古を見ている。

「皆さん、よくお越しくださいました。新之助さんと左源太さんのご友人でいらっしゃいますね。この度は色々とお世話になりまして」

 笑顔で座敷に茶を運んでくるのはついさっき目の前で大の男を相手に鮮やかに面を決めていた深雪である。みんな目をまるくして大変に恐縮しつつ茶をすする。

「こちらが新之助の細君であられるか」

「思いのほか美しい方で驚きました」

口々に言うのを新之助がいやそれは何も決まったわけでは、と言いかけると

「皆さんゆっくりしてらして下さいね。私はまだ稽古がありますのでこれで」

否定もせずにふいと部屋を出ていく。

 彼女は最近こそ剣の手ほどきを受けているがあくまで女性としてこの道場をきりもりしている。道場の方は皆ながするにしろ奥の座敷を掃除するのも、床の間に花を飾ったり、門下に軽い昼食を作ったりするのも深雪の役目であった。他人の家で苦労してきただけあって何をするにもそつなくこなす。防具の購入や月謝納めの段取りといった経理一般も任せて大丈夫。これからの婦女子はああでなくてはいけないと門下は度々口の端に掛けた。

 そういった彼女の一連の姿を遠目で秘かに見つめているのは菊乃である。幼いころから佐橋家のひとり娘として何不自由なく育てられたおかげで気位だけは人一倍、しかし家事はそれほど得意ではない。忙しく立ち働く深雪に

「深雪さん、手伝いましょう」 

と一応声など掛けはするが、要領を得ないままかえって深雪のじゃまだてで終わることも多い。茶器を割ったり、箒の勢い余って障子を破ったり、味付けを頼まれた味噌汁がしょっぱくて誰も飲めないなどということは日常茶飯事である。

「大丈夫ですよ、菊乃さん」

深雪はいつも意気消沈している彼女に優しく言う。

「誰だって得手不得手があるものです。菊乃さんに出来て私に出来ないこともたくさんあるのですから。菊乃さんは生け花がとても上手だし、お琴も上手だと聞いてますよ。それに家事なんか慣れればすぐできます」

と屈託なく笑いかける。

 育った環境がまるで違う二人だが、歳も近いし、女同士はすぐに仲良くなった。

――が、それも束の間、ある時を境に菊乃は突然に、何故かひどく沈みがちになってしまったのである。


 新之助が道場に出てくると、子犬のようにすっ飛んでいってこれ見よがしにわざと熱心な竹刀の素振り姿など披露していた彼女が、ある日突然それをしなくなった。あれほど新之助にふりまいていた笑顔もめっきり見せなくなった。稽古にも身が入っていない。気がつくと何か考え事をしているようで、時々ため息をついているかと思えばいきなり男どもを相手に喧嘩をしかけるように竹刀でこてんこてんに伸していることもある。

 そのうち日参していた道場をしばしば休むようになった。二日に一度が三日に一度、次第にそれが十日に一日程になり、やがてぱたりと来なくなった。

「わがままお姫様もお遊びにそろそろ飽きたというところなのだろう」

「やはり一時のきまぐれだったか」

 所詮女だ、剣術修行より花嫁修行が大事と気づかれたのだと他の者はいいかげんなことを言いあった。深雪も心配したがいまひとつ彼女の気持ちを図りかね、当然ながら大きなお屋敷を訪ねる勇気もなく、ため息をつくばかりである。

 ところが、それとともにどうしたわけかほとんど期を同じくして左源太にも元気というものがなくなった。こちらもひどく呆けている。ある時、稽古中に年端もいかぬ門下にあっというまに一本とられた。免許皆伝者が、である。

「いったいどうしたんだあの態は」

 夕方、庭先で面をはずした手拭い頭のまま、目を閉じて天を仰いでいる左源太に新之助が駆け寄った。

「ああ、俺はどうかしているようだな」

「そうだよ左源太、おまえらしくもない。馬鹿馬鹿しくも左先生は恋の病かもしれぬと言ってる奴がいた」

「恋の病か、うまいことを言ったもんだ」

いつになく自棄的な笑いをくちもとに浮かべた。

「まァ、いっそその方が俺もどれだけ楽かしらん」

 左源太はうつむいて、深いため息をついた。

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