第2話お隣のお嬢様

「……暇だ」


ベッドの上に寝転び、天井を見上げ、アルマはそう呟いた。

今まで、自分は時間をどのように過ごしてきたのだろうか。

それが分かれば、自分のやりたい事も見つかっただろうにと、無駄だと知っていても考えてしまう。

すると、部屋のドアが二、三度ノックされて、咄嗟にアルマはドアの方を振り向く。


「お邪魔するわよ」


返事を返す間もなく、ドアは開かれた。

それから、二人の少女が中に入ってくる。

一人は、背中まで伸びた紫髪の少女。

紫紺の瞳が、冷たくアルマを見据える。

青と白が入り交じったドレスが彼女の高貴さを漂わせている。

もう一人は、青色の髪が腰まで伸びていて、紫髪の少女とは違い、瞳は優しさに溢れていた。

少女が着ているメイド服がとてもよく似合っている。


「えっと、誰?」


アルマの問いかけに、紫髪の少女が答える。


「私はユリ=マーリエス=エンヴァリニアよ! そしてこっちがメイドのスズネよ」


「スズネと申します。御見知りおきを」


自信満々に名前を述べるユリと、美しい姿勢でお辞儀するスズネ。

その様子を見て、アルマも自己紹介をと思ったが、その前に一つ。


「ごめん。ユリさんの方、名前を後五回ほどフルネームで言ってもらえる?」


「どうして私がそんな無駄な事をしなければならないの? 」


「いいから。いいから」


「なんなのよ、もう……」


渋る様子を見せながらも、どうやらやってくれるようで、ユリは息を吸い込んだ。

そして────


「ユリ=マーリエス=エンヴァリニア。ユリ=マーリエス=エンヴァリニア。ユリ=マーリエス=エンびゃ……もう! 何度も言わせないでよ!」


予想していた通りになり、気付かれないよう小さくガッツポーズするアルマ。

しかし、ユリの方は頬を膨らませて、アルマを睨んでいる。


「すみません。言いにくそうな名前だなと思って……つい」


「まあいいわ。私はこんな事で怒るほど子どもじゃないもの」


先程見た表情は何だったのかと、問いたくなる気持ちをぐっと抑え、アルマは保留にした自己紹介を述べる事にする。


「さすがお嬢様だ。俺はアルマ。今日からこの町に住むことになった。よろしく」


視線を、ユリとスズネの両方に向けて、挨拶するアルマ。

咄嗟に、スズネを見てある事を思い出す。


「そういえば、スズネさんがこの部屋を掃除してくれてたんだっけ? その……ありがとな」


アルマの言葉を聞くと、スズネは周りが輝いていると錯覚させられる程の明るい笑顔で。


「いいえ。お気になさらないでください。アルマ様さえ良ければ、これからもお掃除させていただきますが?」


笑顔のまま、問いかけてくるスズネ。

一人で暮らすのだから、何もかも人に任せてしまうのはどうかと思い、アルマは曖昧に答える。


「いや、そこまでは……」


「嫌、ですか?」


暗い表情を見せ、首を傾げてくるスズネ。

その表情は、時折女の子が見せる小悪魔的表情とは少し違って見えた。

アルマに断られれば、後がないとでも言いたげだ。

言葉に詰まっていると、ユリが口を開いた。


「スズネ。あなたには他に仕事がたくさんあるでしょ? もう少し自分の体を労りなさい」


「は、はい! すみません。お嬢様」


慌てて謝罪をするスズネ。

見ていると、本当にお嬢様とメイドと言った感じだ。

実際、そうなのだけれど。


「ところで、今日はどんな用事でここに?」


「特に用はないわ」


「え?」


予想だにしなかった返しに、間抜けな声を上げるアルマ。

ユリが続ける。


「ただ、あなたに少し興味を持ってね」


「興味?」


「そうよ。こう見えて私、勘が鋭いのよ。あなたがこの町に引っ越してきたのと、精霊の様子がおかしいのはきっと何か関係がある」


堂々と、語ってくれたがアルマにはなんの事だか、さっぱり理解できなかった。

そもそも。


「精霊って何?」


アルマのその発言に、ユリとスズネが同時に驚愕の表情を浮かべる。


「精霊を知らないってあなた今までどうやって生きてきたのよ!?」


「精霊を知らないなんて有り得ません! 今の時代子どもでも知ってる常識ですよ!?」


大声で叫び出す、ユリとスズネに圧倒されるアルマ。

この世で最も怖いのは精霊かもしれない。

記憶が飛ぶ前は、知っていたのだろうか?

ユリたちに記憶喪失なんて言っても、説明が大変だ。怪しまれて、町を追放でもされたらアルマは住む場所を無くしてしまう。

今はまだ、記憶喪失の事は、アヤメ以外には黙っていた方が良さそうだ。


「聞いた事はある気がするけど、どんなのだったか忘れちまった。説明してくれるか?」


アルマの言葉に、ユリが溜め息をつく。


「仕方ないわね。いい? 精霊っていうのは、この世界を守っている神様のような存在なのよ。自然を豊かにするのも、精霊の力。人間が魔法を使えるのも、精霊の力。精霊はありとあらゆるものに力を貸してくれる。だから精霊に好かれた人間ほど、強大な魔法を使う事が出来るし、中には不思議な能力を精霊から授かるなんて人もいるわ。それだけ精霊はこの世で重要視されてる存在なのよ」


語り終えたユリが、疲れた様子で「分かった?」と訊ねてくる。

理解は出来たので、頷くアルマ。

不思議と魔法の事は分かっていた。

と言っても、使えるという感覚があるだけで詳しい構造までは分からないが。


「さっき、ユリは精霊の様子がおかしいって言ったよな? それって分かるものなのか?」


「姿は見えないけれど、声が聞こえるのよ。最近になって、助けてだとか、逃げてだとか、そんな言葉ばかり聞こえるわ」


精霊の声が聞こえた時のことを思い出したのか、ユリは悔しそうに歯を噛み締めた。

精霊の声。

一つだけアルマにも心当たりがあった。


「じゃあ、あの声も精霊の声だったのかな」


今まで、黙っていたスズネが反応する。


「アルマ様も精霊の声を聞いたことがあるのですか?」


「うーん確証はないんだけど、俺も頭の中に知らない女の子の声が聞こえてきたことがあるんだよ。助けてとか、逃げてとかそんな切羽詰まった感じじゃなかったけど……」


思い出すように、アルマが言うと、スズネは考え込むようにしてから。


「精霊たちに何か起こっているのは確かのようですね。普段精霊の声は凄腕の精霊使いなどでないと聞こえないはずなんです。お嬢様は精霊使いではありませんし、精霊を知らないアルマさんにまで声が聞こえるのはおかしすぎます」


スズネの言葉にアルマは記憶のヒントを見つけ出していた。

本来、精霊使いでないものに声は聞こえない。

つまり、精霊を知らないのは、今のあるまであって過去のアルマがもしも精霊使いだったなら、声が聞こえたのも納得出来る。

となると、自分の正体は精霊使いなのか?

そこまで考えたところで、ユリが口を開いた。


「私たちが、今悩んだところで何も出来ることは無いわ。とりあえず、明日。気になる場所があるからあなたも来なさい」


ユリは真剣な表情で、そう告げる。


「まさか、いきなり事件に巻き込まれることになるとはな。絶対危ないことにクビ突っ込もうとしてるだろ……俺たち」


呆れた顔で、重い溜め息をつくアルマ。


「あら、怖いのかしら? 私はこういう冒険もありだと思うけれど」


「ただの冒険で終わればいいんだけどな」


「ふふ。明日が楽しみね。それじゃ、私たちは帰るわ」


「ああ」


ドアを開き、去っていくユリとスズネ。

二人が帰ってから、ほっと一息つくアルマ。

しかし、そんな事は許さないかのように、アルマの頭の中にまたあの声が聞こえてくる。


アルマ。ねぇアルマ。今どこにいるの?




本当にこの子は精霊なのか?

そして、俺はいったい何者なんだよ。


アルマの心の中の問いに答えるものは誰もいなかった。






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