火が燃え移る

位月 傘

火が燃え移る

 ぎゅっとスカートの裾を握り、頬を赤くしている少女と2人きり。しかも屋上にわざわざ呼び出されたとなると、いやいやまさかと考えていた出来事に真実味が帯びてくる。

 夏の暑さのせいだろうか、鼓動が速まるのを嫌でも感じてしまって、悟られないように浅く息を吐く。

「あの、私ーー」

 絞り出すように聞こえる声は、思いの外大きくて、誰かに聞こえてしまわないかなんてこちらが心配してしまう。

 汗をかいた掌を拭うようにズボンに押し当てたが、そのあとどうにも行き場がなくてつい、目の前の少女と同じように拳を握りしめた。

 少し彷徨わせた視線が、彼女の表情をとらえた所で、口元が開くのが見えて、何故だか整えたはずの呼吸を一瞬止めてしまう。

 目をつむってしまいそうな衝動に駆られる自分を叱責するように、握りしめた拳の中で己に爪を立てる。一方で少女は決心したように、先ほどよりも大きな声でを張り上げる。

「私――堺先輩のファンなんです!」

 次いで告げられたのは、俺の友人の名前だった。


「聞いてくださいよ智哉先輩、なんと堺先輩の写真をゲットすることに成功してしまいました」

「それ、本人の同意を得てるなら俺は何も言わないけどさ」

 告白されるかと思ってたら、女の子の目当ては俺の友人でした。家に帰って行き場のない悲しみと緊張からの疲労感でちょっと泣いた。

 彼女の言う健全な情報収集というものを手伝うことになったあの日から、時々こうやって呼び出されるようになった。それは今日のように昼休みであったり、放課後であったりと様々だが、今や話すのは相談事だけではなくなっていた。

 もし否定されたら悲しいので口に出したことは無いが、彼女とは友人のような関係を築けていると思っている。それも結構親しいやつ。

「もちろん許可はとってありますとも。一緒に写ってる友人からですが」

「それ、本人の許可をとったとは言わないんじゃ……」

 なお屁理屈を続ける後輩ーー北条かなえを適当にあしらいつつ、心の中で中心人物である彼に謝っておいた。悪い堺、お前にプライバシーはない。俺が売った訳じゃないから許してくれ。

「そんなことよりも!先輩、今日の放課後空いてますか?」

 こちらが真面目に取り合ってないことに気づいたのか、強引に話題を変えて、いじけていたように落としていた視線をこちらに向ける。外にはねたセミロングの黒髪が揺れるのを目で追いながら、卵焼きをひょいと口に運ぶ。

「俺は堺の住所、教えないぞ」

「違いますよ、先輩は私をなんだと思ってるんですか」

「訴えられたら負けそうな情報を集めてる、糖分中毒の後輩」

 いつもなら子犬の様にキャンキャンと反論してくるというのに、今日は上機嫌に気の抜けた表情を晒している。そこで俺は何となく要件を察して、今日は何か予定があったかと考える。

「ちょっと聞き逃してはいけない言葉があった気がしいますが、今回は聞き逃してあげましょう。実は前行った隣の駅降りてすぐのとこにあるカフェで、最近カップル割なるものを始めたらしくでですね」

 あぁ、あの店か、と思い出して快諾しようとしたところで、彼女の言葉を今一度自分の中で思い返す。呆れた顔でにこにこ顔の後輩を見つめて、甘いものに目がないといっても、流石にそれは注意しないといけないことだろうと顔を引き締める。

「お前、それ堺にバレたらどうするんだよ」

 そういう関係だと勘違いされるぞ、という意味を込めてそう伝えると、意図が通じていないのか、何を言ってるんだこいつはという顔をされるだけであった。再度注意するように怒ったような表情を作って見せると、戸惑うように俺のほうへ言葉を続ける。

「バレても何もないですけど」

「いや、お前、自分が好きな相手に誤解させるのはまずいだろ」

「好きは好きですけど、私ただのファンですし」

 相変わらず怪訝そうな顔をしたままそんなことを抜かすものだから、一瞬ぽかんと間抜けな顔を晒して、すぐにほぼ叫ぶような声をあげる。いつぞや自分が心配していたはずの彼女よりも大きな声を出してしまっただろうけど、今はそんなことを気にしている余裕などなかった。

「お前、それ照れ隠しじゃなかったのかよ!」

「えっ先輩今まで私が恋愛相談してると思ってたんですか!?」

 確かにそう言われれば、本人を紹介してやろうとしても拒否されたことも納得できる。あのとき、単に照れてるのかなーと微笑ましくさえ思った自分が恥ずかしい。

 黙り込むと、北条が身体を乗り出してこちらに近づく。逃げるように体をのけぞらせるが、そんなことはお構いなしに彼女はまくし立てるように言葉を浴びせる。

「じゃあ一緒に出かけたり、わざわざ一緒に帰ったり、こうやって一緒にお昼食べることを、私がどういう意図でやってると思ってたんですか」

 思わず目を回してしまいそうな状況に、へっぴり腰になりながら答える。決して怒鳴られている訳じゃないというのに、年下の少女に気圧されていることが情けなくて、他に人がいないことに本当に安堵した。

「えぇと、情報収集とか」

「馬鹿ですか先輩、いや馬鹿ですね先輩。そんなこと、直接会わずとも済ませられますし、なにより先輩じゃあなくたっていいいじゃないですか」

 呆れたように、どこか憤るように告げられて、頷くことしか出来ない。しかし変なことをまた言ってしまったら、それこそ火に油を注ぐことになるだろうから、これは正しい行動のはずだ。

 すぐに落ち着いたらしい彼女は、疲れたように大きくため息をついて、いつの間にか食べ終わっていた弁当箱をてきぱきと片づける。

 嵐は去ったらしい、とバレないようにこっそり息をつく。一息着いたことだし、と自分も広げたままだった弁当箱を片づけはじめる。

 そこでふとした疑問が頭によぎり、視線を手元に向けたまま、考えなしに口を開く。

「じゃあなんで、わざわざ俺に堺のこと聞こうと思ったんだ?」

 もしかしていろんな奴に聞いてるのか、と続けようとして顔を上げると、今度は怒ったように涙目になりながらぷるぷると震えている彼女が視界に入り、その発言が火に油だったことに気づいて慌てて口を止める。

 だが時既に遅し、と言うべきか、彼女は半ば悲鳴に近い声をあげる。その奇妙なほどの迫力と、自分の性質のせいか、肩に手を当てられたことにも気づかずに、身体を支えるために、ひやりとする地面に手をつく。

「ほんっきで言ってるんですか!先輩!」

 俺の肩を掴んでいる手が思い切り揺さぶられ、今度こそ目を回し、中身のない謝罪だけが俺から出される。しかし誰か説明してくれ、という祈りが通じたのか、彼女はぴたりと動きを止める。

 こちらが一息つく間もなく、彼女はぐいっと俺に近づくので、反射的に身体を引く。がしゃん、というフェンスと背中がぶつかる音だけがやけに響いた。額同士がくっついてしまいそうなほど近くにいるというのに、なおも彼女は俺の瞳をじっと見つめ続ける。つい先日彼女と丁度いい気候になってきたなんて話していたというのにやけに暑いのは何故だろう。

 熱っぽい瞳から目がそらせないのは自分も同じだった。彼女はついにお互いの額をくっつけて、絞り出すようにささやいた。あの日がフラッシュバックしたのは何故だろう。

「どうして私が、わざわざ先輩と一緒に出かけたくて、一緒に帰りたくて、一緒にお昼食べたかったか。放課後までによーーく考えてください」

 そこまで一方的に告げて、彼女は逃げるように校舎へと駆けだした。実際逃げ出したのかもしれない。それを止めることもせずに見送り、今度こそ大きなため息をつく。

 熱は、まだ冷めそうになかった。

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