潜入
ほんの少し前まで、あれほど青かった空が、もう見当たらない。
夕暮れのような薄暗さの中、雷のゴロゴロという音を耳にしながら、大神秀一は山中を走っていた。
湧き上がった黒雲は分厚く天を覆い、ただでさえ暗い森の中は、さらに暗色を濃くしている。
ぽつ。……ぽつ。
降り出した雨は、だがまだそれほどの激しさはない。
信乃の臭いは、まだはっきりと感じ取ることができた。
それは、学園のある山の反対側の斜面の方へと向かっていく。
この山には学園のある場所から反対側へと続く道路は整備されていない。車で反対側の斜面に向かうためには、一度麓へ下り、別ルートで登らなければいけない。
もちろん、地元の人間が利用するための細い砂利道や、ほとんど獣道のような道なき道ならある。ただ、よほど土地勘のあるものでなくては周囲とを覆い尽くす藪に紛れ、道があることすら気づかないかも知れない。
秀一はそんな山の中を、信乃の臭いだけを頼りに、ひた走っていく。並の人間なら方向感覚さえあっという間に失い、進むこともままならないであろう山の中を、運動神経の良い大人が平坦な道で全力疾走しても追いつかないようなスピードで駆けていた。
腕を伸ばした木々の枝がバチバチと身体に当たり、秀一の着ていたシャツやズボンはすでにあちこちにかぎ裂きが出来ている。
しかし、敵が車を使わずにこの山道を突っ切っていってくれたであろうことは、秀一にとっては喜ばしいことだった。車など使われては、匂いを追うことが難しくなる。
それにしても、信乃を抱えていた頬に傷のある大きな男は、かなりの能力を持った
意識をなくした人間をひとり抱えて、秀一でも追いつくことの出来ない速さでこの山の中を駆け抜けていったのだ。大神の一族は、妖かしの中でも高位にある力の強い一族だ。おおかたの妖魔には――たとえ相手が大人であっても――能力で秀一が劣ることはまずない。
枝をかき分け、急に現れる亀裂を飛び越え、岩を蹴り、どれだけ森の中を駆け抜けただろうか。
唐突に途切れた藪の向こうは、アスファルトの道だった。
はあ。
はあ。
はあ。
はあ。
突如として開けた場所に出て、秀一は一瞬立ち止まった。
先程から降り出した雨は、アスファルトに黒い大きな水玉をつけていた。出来ては消える水玉も、後少しすれば真っ黒に塗りつぶされるだろう。
はやく見つけなくては、この雨で匂いが流されてしまう。
信乃の匂いは目の前の坂道を降りて行った方向からする。
秀一は今まで以上のスピードで、雨に濡れた黒いアスファルトを蹴った。
しばらく下ると、そこには大きな……廃墟があった。
侵入が出来ないよううに、その建物の中へ続く道には、ゲートの真下に立入禁止の看板が立っている。看板とゲートの金属の柱は鎖で繋がれていて、さながらゴールテープのようだった。
車では侵入することは出来ないだろうが、人間は簡単に出入りができそうだ。
そのゲートの向こう、いくつかある建物の一つへと信乃の匂いが消えていく。
見失わずに、追いかけることができた。
胸の中に安堵が広がり、秀一はほんの少し肩の力を抜いた。
◇
薄暗がりの中に、その洋風な建物は黒い影のように浮かび上がっている。
バブル期に企業の保養所として建設されたものの、完成間近でバブルが弾け、そのまま打ち捨てられた過去の遺物だ。
もう少し町中にあったのなら、無節操な若者たちの肝試しの場にでもなったのだろうが、あまりにも山奥だったために、誰の目にも止まらないまま、ゆるゆると朽ちていこうとしている。
秀一は侵入者を退けている鎖をまたぎ、静かにゲートをくぐり抜けた。
気分が高揚し、人としての意識よりも、狼としての本能のほうが大きく膨れ上がっている。
狼の姿になってしまえば、信乃の追跡もたやすいのだろうが、秀一はまだ自分自身を律し、コントロールすることができない。狼化してしまえば、人としての意識を失って、ここまで来た目的さえも忘れてしまう恐れがある。
きちんと成人してしまえば、人間になることも、狼になることも、自分自身の意識を保ったまま自由にできるというのに……。
秀一は自分がまだ子どもだということを、これほど歯がゆく思ったことはなかった。
ギリツ……。
噛み締めた奥歯が、小さな音をたてた。
ゲートを潜った先は開けた空間になっていて、真ん中を突っ切れば建物までは近いのだが、身を隠せる場所が全くない。
秀一は広場の周囲を取り囲む建物や、大きな木を伝って目的の建物へと向かうことにした。
身を隠しながら少しずつ前進し、ようやく目的の建物の前までたどり着く。
遠くから眺めたときよりも、その建物は、確実に廃墟だった。
大きな扉にはめ込まれたガラスは砕け、ジグザグとした穴が開いている。
秀一はその穴から、そろりと体を滑り込ませる。
パリンッ!
踏み砕いたガラスが大きな音をたる。秀一は思わず立ち止まり、周囲の気配を伺う。
音は周囲に反響しながら建物の奥に広がる闇の中に静かに吸い込まれていった。
建物内に入ると、そこはロビーか待合室のような場所になっていた。奥へと続いていく廊下は真っ暗で、闇の中へと溶けていくように見えた。
そうっと足を進めていくと、その先に階段をみつける。
この建物にはどうやら地下もあるらしくて、階段は上だけでなく下にも伸びていた。
ザァァァーー、と聞こえている雨音の中から、カタン、という物音が聞こえて、秀一ははっと振り返った。
振り返った先では、侵入してきた待合室がうっすらとした明かりの中で浮かび上がって見えた。動くものは見当たらない。
埃っぽさが鼻をくすぐる、非常灯すら灯らぬ廊下。
闇の底に立っているような気持ちになってくる。
耳を澄ませるが、物音はもう聞こえない。空耳なわけはないのだと思うのだが……。
は、は、は、は、
今聞こえるのは自分自身の呼吸音だ。ずうっと鳴り止まぬ雨音は、すでに意識の外にある。
ここまで走り通しだったから、多少息があがっている。
呼吸を落ち着けようと、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
暗闇も静けさも、秀一にとっては恐怖ではない。周囲の気配を探ることに集中してしまえば、迷いも恐怖もしだいに消えていった。本能に飲み込まれない程度に、自分の感情を殺す。
カタン。
――上!
今一度聞こえた物音に、秀一は階段を駆け上がった。
踊り場でくるりと方向転換したところで、二匹の獣が、上階から駆け下りて来るのを、視界の隅に捉える。
ザリ……。
埃の積もった床材を蹴り、秀一は跳んだ。
初めに襲いかかってきた一体の獣を躱してその背後に回り込むと、階下に蹴落とす。
現れた二体の魔物は、鬼と呼ばれるたぐいのものだろうか。それもかなり格下の、邪鬼だの、悪鬼だのと呼ばれる類の子鬼のようだ。
体格は、秀一より一回り小さい。
筋肉質な体つきではあるが、不自然なほど前かがみにで、それなのに腹が出ている。腕が長く、その動きは人というよりは、猿といったたぐいの獣を連想させた。
一体を階下に突き落としたところで、秀一は背中に衝撃を受けた。
「ぐっ……!」
背中の皮膚が裂けたかもしれない。
秀一が床に転がりながら襲ってきたもう一体から距離をとった。
はっ、はっ、はっ、はっ……
踊り場には、秀一と鬼の呼吸音が絡まり合いながら反射している。
その場には、生臭い匂いが広がっていた。
秀一は痛みをこらえて起き上がると、敵めがけてふたたび跳ぶ。それほど深手ではなかったのだろう、動き出してしまえば、痛みを忘れることが出来た。
鬼の繰り出す腕の下をかいくぐり、トン、と壁を蹴ると鬼の肩に跳び乗る。そのまま腕を鬼の首に回し、力を込める。
ゴキン!
という音とともに、嫌な感触が腕に伝わり、鬼の体から力が抜けていった。
秀一は鬼の首から腕を外すと、再び上階への歩みを再開した。
二階を何事もなく通り過ぎ、三階にたどり着いた途端、一斉に何かが羽ばたく音が聞こえて、秀一は天井へと目を向けた。廊下の奥から、無数の黒くそこそこ大きな鳥が、秀一をめがけて飛び掛かってくる。秀一は思わず頭を両腕でかばった。
ギャア、ギャア、という鳴き声と、バサバサという羽音に包まれる。
間断なく嘴でつつかれ、身体を小さくして耐えた。腕の間から、覗き見ると、幾羽もの黒い鳥――おそらく烏が、秀一に群がっているらしかった。
「ちっくしょ……ちょこまかと……うぅぅぅおりゃぁぁ!」
気合を入れると、秀一は目の前の鳥の足をむんずと掴む。掴んだ足が三本あることにほんの少しぎょっとしたが、そんなことに気を取られている暇はない。
ギャーーッ!
と、鋭い鳴き声が上がるのも意に介さずに、秀一はその足を持ったまま振り回し、周囲の鳥を追い払った。
振り回した鳥にぶつかり、羽ばたきを止め落下した鳥の中から、もう一羽を空いていた方の手にも掴み、両腕を闇雲に振り回した。
手応えを感じなくなり、動きを止める。
天井を埋め尽くすようだった黒い鳥が目の前で一つに集まろうとしていた。黒っぽい影のようだったものが、ぎゅっとその存在を濃くして、その影の中に無数の烏が吸い込まれていく。今までの乱闘の名残か、周囲には黒い羽がふわふわと舞っていた。
暗闇の中のことだ。
普通の人間だったら、この光景を目撃することは出来なかっただろう。
けれども秀一の瞳は、睨みつけるように目の前の変化をじいっと見つめていた。
まとまった黒い鳥は今ではもう、人の形になろうとしている。
黒いスーツを纏った男が、ポケットに右手を軽く突っ込んですうっと立っていた。
長い髪を後ろにゆるく一つに束ねているらしい。はらりと一筋の髪が白磁の頬に落ちかかる。薄い唇がゆっくりと開いた。
どこか大人の男の色香のようなものを漂わせたその男は、確かに美しかったが、その瞳には、ただならぬ気配がチラチラと見え隠れしている。
「飛んで火に入るなんとやら……だね。大神秀一」
地の底から聞こえてきたのではないか。そう思わせるような低い声だ。
秀一は手にしていた鳥を、力いっぱい男に向けて投げつけてみた。
男はそこに立ったまま、手をポケットから出すこともなければ瞬きすらしなかった。
投げつけた黒い二羽の鳥は、男にぶつかると思った途端に、当の男の中に音もなく、吸い込まれるように消えていった。
くすっ。
男が笑った。きれいな笑だったが、秀一にはどこか歪んで見えた。
「信乃は……どこだよ」
「お姫様を手に入れるためには、戦って、勝たなければね」
男の姿が、また崩れていく。
バサバサーーーッ!
「くそっ!」
男の姿が崩れ、分裂し、生まれた無数の黒い羽が、再び天井を埋め尽くしていった。
――コイツ! さっき何羽か殺したのに、まったくダメージを受けてない!
グルルルと喉を鳴らしながら、秀一は奥歯を噛み締め、いつでも迎え撃てるように腰を落とした。
しかし、黒い烏の群れは天井を旋回するばかりで、襲ってくる様子はない。
「何だよ……襲ってこないのかよ?」
秀一がわずかに力を抜いた時だった。
廊下に並んだいくつものドアが、パタン、パタン……と、一つづつ開いていく。
大きな音がしたわけではない。パタン。と、無造作に開いた扉。けれど、秀一の、並外れた感覚は、扉の向こうの異様な気配をすでに感じ取っていた。
静かに開かれたドアの奥を、瞬きすら忘れて凝視する。見開いた目がピキピキと乾いてくるような気がするほど、秀一は扉の奥を見つめ続けていた。
『君の相手は、彼らにしてもらおうと思うんだ。お似合いの相手じゃないかい?』
ウー。
グルルルルル……。
扉の奥から聞こえた唸り声に秀一の背中が泡立った。
テッテッテッテッテッテッ……
開いたドアから出てきたのは「犬」だった。
犬の爪が床をひっかく、どこか間の抜けた音が、しんと静まり返った建物の中に響いていた。
眼の前に現れたのは、何の変哲もないただの犬だ。それ以上でもそれ以下でもなく、妖力のようなものも感じることはない。
けれども秀一は、気圧されるように一歩後ずさった。
何匹もの犬が、最初の一匹に続いて廊下に姿を現していた。次から次から、途切れることなく、廊下に溢れ出す。
部屋の中に、どれだけ詰め込まれていたのだろう。
「うー……」
思わず漏れたのは、自分自身の唸りだった。
妖気が感じられないということは、化け物や妖怪の類ではないのだろうが、ごくごく普通の犬かと問われれば、否である。
普通の犬であれば、秀一が牙を向いて唸って見せれば、尻尾を巻いて逃げ出すはずだ。
それがどうだろう。廊下に溢れ出した犬の目に、感情のゆらぎは全く表れない。秀一を恐れる様子もなければ、数を頼みに襲いかかろうとする殺気もない。犬たちの目は濁り、牙をむき出した口元からはダラダラと涎が垂れていた。
『お前たち、敵は目の前のその少年だ……』
先程のスーツの男の声がどこからともなく聞こえてきた途端、膜を貼ったようだった濁った瞳に、赤黒い狂気が浮かんだ。
バタバタと天井を覆っていた黒い烏たちは、犬と秀一を置いて、秀一が立つ場所よりも、もう一つ向こうの階段から、上の階へと吸い込まれるように姿を消して行った。
「待てよ!」
烏を追って一歩踏み出そうとしたが、できなかった。すべての犬の目が、自分に集中しているのを、秀一は痛いほどに感じていた。
犬たちは唸り声を上げることすら忘れ、怒りに支配された瞳で、秀一を見つめている。
しんと静まったのは一瞬のことで、次の瞬間、犬たちは一斉に吠え始めた。それと同時に、一匹、また一匹と、秀一に向かって、飛びかかって来る。
秀一は犬をなぎ払い、蹴り倒しながら前に進もうとするが、おびただしい犬の数に、立ち往生しているような状態だった。
秀一から見ればたかが犬なのだが、数で圧倒される。
おそらくこの犬たちは、何者か――おそらくさっきの烏男――に操られているのだろう。もともと犬にはリーダーに従いたいという欲求がある。それをうまくつついてやれば、従順な犬の兵隊が出来上がるというわけだ。更に、敵は妖力により、その支配の力を強めているに違いない。
正気をなくしているだけの犬を、殺したくないという思いが、秀一の攻撃力を鈍らせた。
「いってー!」
躊躇している間に足に噛みつかれ、秀一は悲鳴を上げた。
脛に齧りついている犬の鼻面を、もう一方の足で蹴り飛ばす。
「ちくしょー! どうしろっていうんだよ!」
秀一が天井に向かって泣き言を叫んだ時だった。
『上じゃない!』
突然声が聞こえた。
人間の言葉ではないけれど、一般的な念話でもない。
それは、秀一の耳から聞こえる、はっきりとした声だった。
――仲間がいる!?
秀一の心の中に、小さな灯明が灯った。
耳に聞こえてきた声は、人狼同士が仲間に呼びかける時に使う声だ。他の種族には聞き取ることのできない声である。
個体差はあるが、その声の聞こえる範囲は四キロ前後といったところだ。
秀一はその声に向かって、全身で吠えた。
藁にもすがる思いというのは、こういうときに使う言葉なのかも知れない。
間を置かずに返事が返ってくる。
『屋上に向かってはいけない。トラップだ。下だ。阿部信乃は地下に囚われている』
もしかすると、この声だって罠かもしれない。
頭の隅でそう考えなかったわけではないが、今の秀一にとってこの場に仲間がいるということは、勇気を与えてくれた。
矢継ぎ早に浴びせられた攻撃は、知らず知らず秀一のメンタルにも影響を与えていて、今の秀一は、大神家の跡取り息子なのだという小さなプライドと、信乃との約束を違えるものかという気持ちだけでこの場に立っていたのだ。
秀一は飛びかかってきた一匹に渾身の力で拳を埋め込むと、振り返りざま大きく跳ね跳び、犬の群れを飛び越え、登ってきたばかりの階段を今度は一目散に駆け下り始めた。
一階へと続く踊り場でで、耳を塞ぎたくなるような音の洪水にさらされて、思わず身をすくめ、手すりの影に身を伏せる。
ダダダダダダダダ! ダダダダ! ダダダダ!
断続的に聞こえる銃声。
あたりに立ち込める火薬の匂い。
敵が銃器を使用したということは、秀一にとっては驚きだった。鬼に出くわしたことよりも、烏男よりも、操られた犬に襲われたことよりも、秀一に深い衝撃を与えた。
「嘘だろう?」
言葉が思わず秀一の口から漏れた。
妖同士の戦いで、人間の使う武器が使用されることはまず無いはずだった。
妖というのは、もともとそれぞれに高い能力を持っている。人間の扱う道具には確かに便利なものもあるが、戦いの場に於いて、それを使いこなすことよりも、自分たちの持っている力を使ったほうが圧倒的に楽なのだ。
もちろん、妖力の高くない妖ならば、人間の使う武器をもたせたほうが破壊力は上がるかも知れないけれど、それでも妖には妖なりのプライドというものもある。
大神家でも、人間の道具はそれなりに取り入れているが、こと戦闘に対しては、自分たちの力を使う。
けれどもたった今、秀一に向かって使用されたのはどう考えても人間の使用する重火器のたぐいだろう。
どんなものかはよく知らないが、大きな音で、連続での攻撃が可能らしい。
当たったら、秀一でもかなりのダメージを食らいそうだった。
神経を研ぎ澄ませてあたりを伺えば、階下からは複数人の気配がする。
いったい何人銃を持っているのか?
その武器が、自分の身体にどれほどのダメージを与え得るのかということも、秀一にはよくわからない。
銀の玉。
思わずひらめいた単語に、心臓が、ドキッと拍を打った。
人間は、狼男を倒すために銀の玉を使うのだそうだ。
銀という物質は、自分たち狼族にとっては毒であるらしく、体内に入ってしまった銀の玉は、早く取り除かなければ命取りになるのだという。
もし敵が銀の玉を使っていたら?
肚の奥の奥からじわじわと登ってくる、命の危機を感じる恐怖というものを、秀一は生まれて初めて感じていた。
一度目をつぶり、精神を集中させる。
――絶対に撃たれたりしない! 全部躱してみせる!
そう心の中で呟いてから、己の感情に蓋をした。
身を潜めていた場所から飛び出すと、敵の只中に向かって走り込んでいく。
ダダダダダ……ダダダダ……
断続的に続く連射音が走る秀一の後を追う。
階段を降りきる前にジャンプした秀一は銃を手にした一人踊りかかった。
踏みつけた敵が手にしていた、腕の肘から先ほどの大きさの銃をもぎ取ることに成功すると、それを振り回して数名の敵をなぎ倒す。
「捕まってたまるか!」
けれども、廊下の奥からそして、更に下の階から、また敵が現れる。
「ちっ!」
身を低くして銃弾を躱した時、またあの声が聞こえた。
『こっちだ』
迷っている暇などない。秀一は声のした方へ転がるように走り込む。
グイッと腕を弾かれ『気配を消せ』という言葉とともに、すぐそばの部屋の中へと放り込まれた。
秀一は腕で口元を塞ぎ、乱れた呼吸を殺しながら、廊下の様子をうかがった。
すると扉の向こうから、秀一と同じような軽い足音が聞こえてきた。その足音が、階段を登っていく。
――誰だよ。いったい、何人協力者がいるんだ?
秀一が息を殺す部屋の扉の向こうには、人狼の『声』を使って話しかけてきた男の気配がまだ残っている。
その気配を感じつつ、息をひそめていると、ドキンドキンと血液を送り出す心臓の鼓動がやけに大きく耳の中でこだまして聞こえた。
「史郎さん!」
少し離れたところから、第三者の声が聞こえた。秀一は扉の内側で身を固くする。
「上だ」
答えたのは、史郎と呼ばれた男だろう。
史郎という名の男の声に呼応して、バタバタと階段を駆け上がっていく複数人の足音がした。そして、辺りに静寂が訪れる。
秀一はほっと肩の力を抜くと、扉に寄り掛かったままずるずるとその場にへたり込んだ。
『まだまだ、休んでる暇はない』
『わかってるよ!』
狼の『声』が話しかけてきた。ムッとした秀一は、へたり込みそうだったことも忘れて、思わず言い返す。
扉の向こうから伝わる波動には、わずかに笑みの成分が含まれている。
『……あんた誰だよ』
『犬神史郎だ。君のお父さんの知り合いだ。詳しく話している暇はないぞ』
犬神といえば、狼族の一族のうちの一つだ。大神が今は狼族をまとめているが、大神の他にも大口だの、真神だの真口だの、狼族には多くの一族がある。
そんな事を考えているうちに、もう扉の向こうの気配は消えていた。
ただ、あの声だけが『もう大丈夫だ、行け!』と、秀一に次の行動を促す。
秀一はその声に引っ張られるように、扉に手をかけると廊下に出た。
狼族はもともと暗闇に強いのだが、今ではもうすっかり目がなれて、周囲をはっきりと見て取ることができた。
廊下には、秀一が倒した数よりも多くの妖したちがゴロゴロと転がっている。しかも、倒れた妖は、下の階までも続いている。妖しと言っても、見た目は人間と変わらないものが多いようだ。
自分以外の誰かが敵を倒す手助けをしてくれているのは、どうやら間違いがないらしい。
グズグズしていて、コイツラが目を覚ましては面倒なことになる。秀一は、転がる妖しの体を躱しながら、階段を地下に向かって二段跳びに駆け下りた。
信乃は地下にいる。その言葉を信じるしかない。
あっという間に地下一階にたどり着く。その先にはもう階段は続いていない。地下の妖たちはすでにもう床に倒れ伏していて、攻撃してくるものはいなかった。
秀一は片端から扉に手をかけてみたが、どの部屋にも鍵がかかっていて、開くことができない。
『こんなもんで、俺を止められると思うなよ!』
秀一は笑った。笑うことで、弱気になってしまいそうな自分自身を鼓舞する。
そして思い切り脚を上げると、いらだちも恐怖も怒りも……自分の中にとぐろを巻くすべての感情をその靴底に託して、鍵のかかる扉に打ち付けた。
ガコォォォォォォーーン!!
扉を止めていた蝶番が外れ、勢いよく飛んだ扉が部屋の中の何かに当たる。
地下全体に響き渡るような大音量で、秀一は次々に扉を打ち破っていった。
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