第36話 勇者一行、王都へ



 ――私が彼と過ごした記憶の中で、一番古いのは、おそらく私が三歳のころのものだと思う。



 私は昔から身体や心の発達が早く、その頃にはすでにその日あった出来事を覚えることができていた。それ以外にも、文字や数字も読むことも難なくこなし、肉体に至っては年上の子供たちの様に達者に歩き、その足で野山を駆けることも可能だった。



 そんな私のことを、よく大人たちは天才だの神の子だの精霊の愛し子だのと言って、もてはやしたのを覚えている。

 大人顔負け。

 手のかからないよくできた子供。

 それらの言葉は、これまで何度聞いたかわからない。



 彼と会ったのは、大人たちからそんなことを言われ始めたころだったように思う。

 母親の腕に抱かれて、私の家に訪れた同い年の少年。

 彼は私とは対照的に発達が遅く、いつも親の目が必要だった。

 三歳ほどになれば、みなそれなりに歩くことができるはずが、彼は少し歩いただけですぐ転んでしまうらしく、一人歩きの練習のとき以外の外出は常に母親に抱かれていたように記憶している。



 だが彼の親とてやることがある。常に彼のことを見ているわけにもいかず、しかし仕事があるため、目を離さなければならないときもあった。

 それゆえ、彼と同い年であり早熟だった私に、彼の面倒を見る役目が回って来たのだ。

 その頃は彼の両親と私の両親の仲も良く、頻繁に物の貸し借りなどをして互いを助け合う間柄だった。いや、いま思えばそれは、彼の母親が【細工師】という村では珍しい職を持っており、村では比較的裕福だったからという理由だったのだろうと思う。



 あのろくでもない両親は、彼の家に依存していたのだ。

 物品の貸し借りはこちらの家が借りるということが圧倒的に多かったし、家には出所不明の金銭もあった。

 だからこそ、未熟な彼を快く預かったり、私の婚約者に決めたりしていたのだ。

 自分たちも、彼の家のおこぼれに与れるだろうという魂胆から。

 面倒を見始めたころの彼は、言葉も話せず、やること言えばただ指をしゃぶってぼうっとしているだけ。

 柔らかいほっぺたをつつくと、むずがりつつも、無邪気な笑みを浮かべてくれた。

 それが妙に可愛らしく感じたのを、よく覚えている。



 幼いころは、ほとんど彼と一緒だった。

 親同士が決めた婚約者だからという理由もあったが、私が彼に構いたかったからだ。

 素直で、心優しくて、なにより、甘えさせてくれたからだ。

 私は周囲から期待されており、勉強や裁縫、料理、読み書きができるため代筆に至るまで村で覚えさせることができる仕事は、なんでも教え込まれていた。

 この世には職業という精霊の祝福があり、上手く希少な職に就くことができれば、暮らしを豊かにできる。

 両親は教育に熱心だった。



 それは、子供に稼がせて楽な暮らしをしたいと、そんな風に目論んでいたためだろう。

 そのせいで、私はまだ子供であるにもにもかかわらず、息つく暇もなかった。

 否応なく期待という重圧を乗せられ。

 勉強も厳しく。

 周囲の子供たちも、悪い影響を与えると言って、まともに遊ぶことも許されなかった。

 それが、ひどく窮屈だった。



 そんな中、唯一私になんの期待も寄せなかったのが彼だ。

 日々の重圧に疲れた私に「だいじょうぶ」と言っては慮ってくれていた。

 おそらくは、あの出来た両親から大変だから優しくしてあげてとでも言われていたのだろうと思う。

 それでも、周囲の期待が激しかった私には、彼の存在はかけがえないものだった。



 ……そんな彼と長く離れることになったのは、おそらくこれが初めてだろうと思う。

 【勇者】の職を得てからは何度か魔物や害獣の駆除などで外に出ることはあったものの、それでも村には一日二日で戻ってこられた。

 だが今回は、次にいつ会えるかわからない。

 彼がいないことで、不安は募るばかりだ。

 これで、やっていけるのだろうか。

 かけられる期待の重みに、圧し潰されてしまわないか――



 馬車の窓から外を覗くと、巨大な門が見えて来る。

 人が造り出したものとは到底思えないような、高さと大きさを持つ城門。

 エルブン王国王都の西門だ。

 田舎暮らしが長い自分には、呆気にとられるほどの威容である。

 ここにたどり着くまでに、いくつか都市を経由してきたが、城壁の高さも城門の大きさもそれらを遥かに凌駕するものだ。



「ここが王都です」



 【聖槍騎士カリス】が言うと、やがて馬車が門をくぐる。

 入場待ちの長蛇の列を横目に、なんなく門の中へ。

 それも、貴族の馬車だからだろう。

 御者が馬を止め、やがて馬車から降りると、が凝った肩をほぐすように伸びをする。



「やっと着いたかー。辺境はさすがに長旅になるよなー」


「……私のために申し訳ありません」


「い、いや、そう言う意味で言ったわけじゃなくてな……」



 【剣聖ケイ】が焦ったようにそう言うと、【隠の弓王シェリー】がからかいの笑みを彼に向ける。



「ちょっと、許してあげなよ。勇者さまが悪いわけじゃないんだし」


「だ、だからそういう意味じゃねえって!」



 焦る少年の、わき腹を突っつく少女。気の置けないやり取りだ。

 この二人は他の三人に比べ、やり取りが砕けている印象がある。



 ふと、【聖槍騎士カリス】が身体を傾け、顔を覗き込んできた。



「勇者さま。お身体の調子はいかがですか?」


「はい。どこも悪くはありません。それで、このあとは?」


「まず、勇者さまを我が屋敷にご招待いたします。そこでゆっくりお休みいただいたあとは、クライフス殿下――エルブン王国第一王子であるクライフス・フーズ・フィシャス・エルブン様にお目通りをしたのち、謁見の間で正式に国王陛下にご挨拶を申し上げていただきます」


「わかりました」


「もしよろしければ、少し王都を歩いてみますか?」


「そうですね。よろしくお願いします」



 促されて、目抜き通りを歩き出す。

 王都はどこもかしこも、賑わっていた。

 田舎育ちで耳慣れない身としては、ともすれば喧しくも聞こえるが、それが活況であるためか嫌な印象は全く受けない。

 建物は二階建て、三階建てが当然で、色鮮やか。

 屋台には見たことのない商品が並び。

 大道芸人に似顔絵描きまで。

 ベルベットには、もの珍しいものばかりだった。



 そのまま歩いていると、ふいに【隠の弓王シェリー】がこちらの緊張を見抜いたのか、声をかけて来る。



「勇者さま、心配しなくてもいいと思うよ? 殿下もすぐに魔王軍と戦わせようなんて思ってないし。じっくり訓練してレベルを上げて、魔物と戦って、それからだよ」



 そうであってくれるとありがたい。

 レベルはともかくとして、こちらは実地が極端に少ないのだ。

 いますぐ魔王討伐に向かえと言われては、堪ったものではない。



 そんな中、気になっていたことを訊いてみる。



「そう言えば、皆さんのレベルはいくつくらいなんですか?」


「私は31です」とは【聖槍騎士カリス】の言。


「僕は26」とは【最上位魔術師イッド】の言。


「オレは29だ」とは【剣聖ケイ】の言。


「あたしは27かな」とは【隠の弓王シェリー】の言。


「私は25になります。この中では一番低いですね」とは【聖女ラミュル】の言。



 みな、レベルはかなりのものだ。

 神父や村の年かさの大人たちの話では、普通戦いを生業とする者なら25あれば随分と高く――それも、常に前線で戦い続けてやっとたどり着けるかどうかという高みにあるという。

 続けられた話から、彼らの場合はもともとの才能が高く、すぐに強い魔物と戦うことができたとのこと。だからこそ、自分と同じくらいの年齢にもかかわらず、こうして高いレベルになれたのだと思われる。



 ふとケイが口を開く。



「勇者さまのレベルはいくつなんだ? まだ訊いてないよな?」


「そう言えばそうだよねー。村で過ごしてたから、10もないかな」


「えっと、私のレベルは20になります」


「え!? なにそれ!? 勇者さまもうそんなにあるの!?」


「剣の練習もそうですけど、村では魔物の駆除もしてましたから。それに私には【取得経験値増加】と【必要職業経験値低減】の特性スキルがあるので」


「それでレベルの上りが早いのかよ……」



 ケイが驚いた顔を見せると、対照的にカリスが笑顔を見せる。



「勇者だけが持つ特殊なスキルか……これは、素晴らしいことだ」



 彼の口から漏れてくる、くつくつとした笑い声。

 それに、なんとなくだが違和感を覚える。

 表情は朗らかなものであるはずなのに、感情と声音が一致していないような、そんなおかしさ。



 ふとした不可解に気を囚われている中、突然【聖女ラミュル】が手を取る。



「勇者さま。そのスキルも、精霊さまのお導きゆえのものでしょう。そのお力を存分に振るってくださいませ」


「はい」



 彼女の言いようは、まるで尊いものとでも相対しているかのよう。それにわずか気後れしつついると、



「では勇者さま、参りましょう」



 そうして、カリスが屋敷への案内をしようとした、そのときだった。

 


「――どこへ行かれるおつもりか、カリス・ドゥ・アーヴィング」

 


 後方から、鈴を鳴らしたような美しい声が、彼の足を引き留めにかかる。

 一体誰か。声のした方を振り向くと、そこには自分たちと同じくらいの年頃の少女が立っていた。

 肩口で切り揃えられた黒髪。

 雪のように白い肌。

 しかしただの少女と違うのは、その身に騎士装束をまとっているというところか。

 衣服には全体的に手の凝った刺繍が施され、見るからによい誂え。

 そして彼女が後ろに伴うのは、同じような格好の女性騎士たち。

 立ち振る舞いはきびきびとしているが、その中に上品さが感じられる。

 間違いなく、地位の高い人間だろう。



 どうやらカリスたちは、彼女と面識があるようで。



「これはこれは……ティオファニア殿ではございませんか。ご機嫌麗しゅうございます」



 そう言って、恭しく頭を下げた。



「え? ティオファニアって……」



 ――【剣魔】のティオファニア。その名前は、辺境の人間であるベルベットにも、耳に覚えがあった。それは、王都で何年かに一度開かれる御前試合で、【錆鉄さびがね】のゼオルートを打ち倒した、現エルブン王国最強と名高い剣士の名前だ。

 佇んだまま、カリスの礼を受け止めるティオファニア。

 目は閉じられており、感情にはいささかの揺るぎもない。

 その静けさは、まるで夜の湖面のよう。

 だが――



(ぱんつ、丸出しって……)



 ティオファニアの出で立ちは騎士装束で、上は普通なのだが、下が下着以外なにも履いていないのだ。どこの地域でも、ズボンかスカートを履くのが一般的だと思うのだが、煽情的な黒の下着を履いているだけで、白い足が上の方まで露わになっている。上着が長いため、臀部は背後からの視線には守られているようだが。

 まるで寝起きのどさくさで忘れでもしたかのような、間抜けさを感じてしまう。



 しかし、周囲の誰もがそのことを気にしていない様子。周囲の顔色を窺っても、そのことに対する嫌悪、嘲笑、呆れ、それらの感情は窺えない。

 だからこそ、まるで異界にでも迷い込んだような気分にさせられるのだが。



 ともあれそんなティオファニアは、いままさに豁然と開眼し。



「カリス・ドゥ・アーヴィング。クライフス殿下より、王都に着いたらすぐに登城せよとのお達しだったはずだが?」


「勇者さまをこれから我が屋敷に案内しようと思いましてね」


「いえ、まずは殿下へのお目見えが先とのこと。このまま、即刻登城なされよ」


「ティオファニア殿。勇者さまはお疲れで――」



 そう言い差したカリスに、ぎらりとした鋭い眼光が叩き付けられる。

 それにカリスが一瞬身を固くしたのち、ティオファニアが。



「ほう? 勇者さまがお疲れとは、一体どういうことか。カリス・ドゥ・アーヴィング。クライフス殿下は『勇者さまを丁重にお迎えしろと仰せになられた』。ならば、お疲れになるはずがない。つまり、卿は勇者さまに、ご無理をかけたということになる。答えられよ」


「そのようなことはない。だが、旅は目に見えぬ負担をかけるものだ」


「お連れする期間を長く取ったのは、それを見越してのもの。まさか西方辺境から王都までの道のりで倍の時間を掛けた理由は、他にあるとは申さぬな?」


「く……」



 まくし立てられたカリスは彼女の勢いに呑まれ、言葉に詰まる。

 さすがに自分のことで、不和が起こるのは申し訳ない。

 それに、馬車の旅であるため、疲れも気疲れ以外ほとんどないのだ。



「わたしは構いません。カリスさん、先にお目通りをお願いします」


「……よろしいのですか?」


「はい」



 すると、ティオファニアが目の前で膝を突いた。

 平民だった小娘に対し、明らかに身分の高い者が、最敬礼を執る。違和感しかないことだが、そんな彼女は驚くこちらを余所に、口を開いた。



「勇者さま。まずはお耳を騒がせたこと、ここにお詫び申し上げる。ボクの名前は、ティオファニア・ドゥ・ダスク・アナスタシア。アナスタシア侯爵家が長子にして、王国四騎の一人。この度は勇者さまの拝顔の栄を賜り、誠恐悦至極に存ずる」


「は、はい。お名前の方は、存じ上げています。ティオファニア様」


「ティオファニアで結構」


「いえ、でも」


「結構」


「ティ、ティオファニア、さん」



 ぎこちなくだが名前を呼ぶと、ティオファニアは気にした様子も見せずに穏やかな笑みを作る。

 そして、



「そう固くなられずとも構いませぬ。この話し方は性分ゆえのもの。楽にされて結構だ」



 そこで、すかさずカリスが口を挟む。



「ティオファニア殿。勇者さまに対してその口の利き方は不遜ではないのか?」


「いまし方、ボクは性分と言ったはず。それに、ボクの口の利き方を指摘するなら、卿の仲間らはどうなのだ?」


「……貴公も相変わらずだな」



 カリスはその話はしたくはないという風に、話を流す。

 一方ティオファニアはそれに無視を決め込み、そっぽを向いた。

 この二人、あまり仲が良くないのか。



「では、伝えたぞ」



 ティオファニアはそう言って、供の騎士たちを連れて去って行った。

 彼女の足音が遠くなったおり、シェリーが不機嫌な様子で、



「……ほんとあいつ、自分勝手な女よね。まくし立てるだけまくし立てて、あとははいさようならなんて」


「そう言うな。名にし負う【剣魔】殿は、実直なのだ」


「融通が利かないとも言いますね、ヒヒッ」



 カリスの言葉にイッドが追随する一方、ティオファニアに視線を送っていたシェリーに、訊ねる。



「あの、シェリーさん」


「なに? 勇者さま」


「……その、どうしてティオファニアさんは、下着だけ……ズボンなりスカートなりを履いてないんですか?」


「あ。あれ、村じゃ見慣れないか。女騎士さまたちはあれが普通なんだよ」


「えぇ!?」


「……驚くようなこと?」


「あれ、変じゃないんですか?」


「そうだけど?」


「…………都会ってすごいんですね」



 下着でいるのが普通とは、まったく恐るべしだろう。

 だが、シェリーは違う感想を抱いているらしく。



「すごいのはあの下着だよ。女性用の下着系装備で、騎士様御用達。しかも【剣魔】が付けているのは【世界を征し覇する黒コンカラーブラック】って言って、装備者の能力を軒並み向上させるの。しかも特性スキルの【オーバークロック】付きで、王国の至宝の一つ。【剣魔】はあれを国王陛下から直々に貸与されてるんだよ」



 ということは、よほどの装備なのだろう。

 だが、



「ぱんつが、国宝……」



 もちろん、ベルベットには衝撃的だった。



「でも、それなら下着の上に何か身に付けない理由にはならないのでは?」



 すると、ラミュルが、



「その上に完全に着込んでしまうと意味がないらしいのです。露出させておかないと効果が発揮しない。魔訶不思議な装備ですね」


「…………」



 隠す工夫さえ許されないとは、もはや言葉が出ない。

 すると、



「まだ他にもあるようですから、もしかすれば勇者さまにも何か貸与なり下賜されるなりあるかもしれませんね」


「え!? それはちょっと! その!」


「……? 嫌なのですか?」


「えっと、ね……」



 そんなもの、嫌に決まっている。下着で出歩くことを嬉しがるなど、どんな変態だ。

 ベルベットがもしものときのために拒否の言葉を考えている中、ふとケイの方を向くと、いままさに剣を抜いて斬りつけんとばかりに、ティオファニアの背中に憎悪の視線を向けていた。



「あの、ケイさん?」


「あ? ああ、どうした勇者さま?」


「いえ……」



 ふと垣間見た陰鬱な態度に戸惑っていると、イッドが、ぼそりと呟く。



「……ケイは彼女に一度たりとも勝てたことがないんですよ。だからあんな顔をしてるんです。ヒヒヒッ」



 なるほど、それで。

 魔王を倒すために集められた者たちにも、いろいろと抱えるものがあるのだろう。

 みな聖人のような人間だというのは、物語の創作だ。誰にでも、相手を妬む気持ちや暗い感情を持ち合わせているということか。



 ……やがてベルベットは、カリスに促され、王城へと向かったのだった。


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俺の勇者を取り返せ!―婚約者が勇者のパーティーに連れていかれてから最強覚醒しても遅すぎる― がめ~ @gamei

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