第33話 子爵の失態



 領城の執務室に、マーシール領領主、ライヴェン・ドゥ・ザン・マーシールの声が響く。



「――【痩せ狼】の死体が上がっただと?」


「は、は! どうやらそのようでして……」



 伯爵の問い返しに答えたのは、伯爵家家令バスク・ルア子爵。

 先日、ハルトからメリルリースを取り上げようと画策し。

 それが失敗すると、腹いせとばかりに刺客を差し向けた男である。



「それで、それは本当か? 何かの間違いではないのか?」


「報告を聞いた限りでは、死体と【痩せ狼】の特徴は一致すると」



 ライヴェンはバスクの言葉を信じ切れてはいないのか。

 何かの間違いではないないのかという独り言を繰り返し繰り返し呟く。



「……いま【痩せ狼】には仕事を任せてはいなかったはずだ。そもそもいまはあの男を動かすような時期ではない。なのになぜ……」



 【痩せ狼】はライヴェン自身が伝手を通じて雇い入れた男だ。

 暗殺者の、それも上級職に就いており、腕も恐ろしく立つ。

 【闇夜の殺し屋ダークヒットマン】という職に就き、その職を後ろ暗い仕事の役に立てていた男だが、反面確固とした信念を持つ者であり、十分信頼に足る人物であった。

 そんな男に任せたのは、ザガンの防諜対策。

 秘密裏に動き回り、ここマーシール領の屋台骨を齧って崩そうとするネズミたちを追い払い、時には始末させるのが、ライヴェンが彼に与えた仕事だった。



「考えられるのは、ネズミに返り討ちにされた……そんなところか」


「か、かもしれません」



 気持ち上擦ったようなバスクの同意が、ライヴェンの耳に聞こえて来る。

 となれば、だ。

 すでにネズミは領都ザガンに入っており、行動を始めているということになる。

 これは、危険な事態だ。

 市民の安全を守るため、早急に勇士隊ギルドとも連絡を取り合い、今後の方策を模索しなければならない。



「だが奴の部下はどうした? 【痩せ狼】は慎重な男だ。決して一人では動かないはず」


「そ、それは」



 バスクは何故か言い淀む。



「どうしたバスク? はっきり申せ」


「その、【痩せ狼】が連れていた手勢も、そのことごとくが」


「バカな……」



 ライヴェンは、バスクの顔色で察する。

 そのことごとくが――【痩せ狼】と同じ末路をたどったことを。

 防諜のため揃えた集団は、レベル41の【痩せ狼】を筆頭に、25~30もの怪物どもが揃っていた。

 たとえ【痩せ狼】が倒されるということがあったとしても、一人二人は落ち延びるはず。

 【痩せ狼】から、劣勢甚だしければ逃げるように指示がなされているはずなのだ。

 それでも誰一人領城には戻ってこなかった。

 ライヴェンには、それがまるで信じられないことだった。



「まことか? まことに部下共々全滅の憂き目にあったと? あの【痩せ狼】が」


「……は」



 ライヴェンの頬に、汗が一筋伝う。

 それは無論、冷え切ったものであり。

 その表情は緊張で固まっている。

 事態は、悪化の一途だ。

 そうでなくても、



「……この、重大なときに【痩せ狼】を失うとは」



 いまこのマーシール領では、アンデットが発生しているという報告が様々なところで上がっている。

 つい昨日も、勇士たちにも危険視される【殺人死蝋キラーアンデット】が、ザガン近くにまで現れたという話まで出て来たほどだ。



 そんなときに、【痩せ狼】ほどの強者を失う。

 痛手という言葉では生ぬるいとさえ思えるほどの、危機的状況である。

 危機感に苛まれる中、ライヴェンはバスクがひどく汗をかいていることに気が付いた。

 その挙動も、ひどく落ち着きがないうえ、手が小刻みに震えている。

 確かに恐れを抱くような事態だが、バスクの動揺ぶりはライヴェンから見て異常だった。



 これは、一体どういうことなのか。



「……バスク、【痩せ狼】の件について、何か知っているのか?」


「え……い、いえ! 私はなにも!」



 口にするが、言葉の調子に滑らかさはなく。

 取り乱しており、顔もひどく青い。

 そこで、ライヴェンはピンとくる。



「……バスク、ときに例の【古代魔術師エンシェントメイジ】の件はどうなった?」


「あ、あちらは、その、いまだ芳しくなく……」


「接触したのだろう? であれば連れて来られるはずだ」


「そうなのですが、奴隷の方が何故か拒否をして話を聞かず……」



 そこで、【痩せ狼】と【古代魔術師エンシェントメイジ】の件がつながった。



 拒否して話を聞かず。

 バスクの思い通りにならなかった。

 だから――



「だから、【痩せ狼】を動かしたのだな?」


「――!?」


「図星か。勝手な真似を……」


「い、いえ! 決してそのようなつもりでは!」



 身を乗り出して釈明に走ろうとするバスクに、一睨み。



「バスク! そなたはこの期に及んで隠し立てするつもりか!」



 そう喝破すると、バスクは観念したのか大きく頭を下げる。



「も、申し訳ございません! まさかこのようなことになるとは思いもよらず……私はどうしても【古代魔術師エンシェントメイジ】を閣下のもとへお送りしたかったのです!」


「だからと言ってみすみすこのような事態を招くとは……そなた己が冥利に憑かれたな?」


「申し訳ございません! どうか、どうか」


「……バスク。そなたの処遇についてはいまは置いておこう。いまは報告が先だ。知っていることはすべて申せ。よいな?」


「は、ははっ!!」



 顔を上げたバスクに、ライヴェンが訊ねる。



「バスク。そなたは【古代魔術師エンシェントメイジ】を手に入れるため、【痩せ狼】を差し向けた。それはよいな?」


「は! その通りでございます!」


「では【痩せ狼】はその者に倒されたということになる。【痩せ狼】は魔術スキルで倒されていたのか?」


「いえ、報告では、現場にて魔術スキルを使われた形跡はあるとのことですが、状況から見て一度だけしか使われていないのではないかと」


「一度? たった一度か?」


「は。伯爵級カウントクラスの魔術スキル。おそらく火炎系ないし爆炎系のものだとのこと」


「…………」


 バスクの報告を聞いたライヴェンは、疑問を抱く。


 いくら相手が【古代魔術師エンシェントメイジ】でも、一撃。たった一撃だけで【痩せ狼】を倒すことは難しい、むしろ不可能なはずだと。

 使った魔術スキルが公爵級デューククラス以上のものだったのならばその話もわかるが、そんなものを使えば街に甚大な被害が出る。

 しかし、報告では被害に遭ったのは路地と路地周辺だ。

 やはり状況から見ても、伯爵級カウントクラス程度と推測できる。

 その一撃で【痩せ狼】とその部下たちを全滅に追い込むなど、まず不可能と言えた。



「一体なにが起こったというのだ……」



 ライヴェンは呟いた折、ふとそこで、とあることを思い出す。

 【古代魔術師エンシェントメイジ】は奴隷だ。

 隷下に置かれた者ならば、必ず近くにその主人がいる、と。



「バスク。死体の状態は? 【痩せ狼】はどうやって殺害されていた?」


「その、原形をとどめていないものが多数あり、判断が難しいとのことです」


「斬られていたのか?」


「いくつかは」


「ではそれ以外は?」


「何かに重いものに叩き潰されていたようなもの、と聞いていおります」



 バスクはそう言ったあと、続けて、



「ただ、現場を調べた者の見立てによりますと、戦いは一方的だったのではないかとのことです」


「……では、いまのザガンには【痩せ狼】よりも強い何者かが滞在し、それが【古代魔術師エンシェントメイジ】の近くにいる」


「そ、そのようで」


「以前の報告では、奴隷の主は平民の小者だったな?」


「はい。【古代魔術師エンシェントメイジ】の力を笠に着て……閣下、もしやその者が!」


「かもしれん。バスク、その者を早急に調べさせよ。ネズミなのか。そうでないのか。そして本当にただの小者なのかをな。失態をすすぐ働きをして見せよ」


「はは!」



 ライヴェンに喝を入れられたバスクは、執務室を飛び出していった。

 そして一人残された執務室で。



「……話の次第によっては、頭を下げねばならないかもしれぬな」



 バスクのしでかしたことを考え。

 そう、呟いたのであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る