第32話 お粥を食らう者たち
暗殺者【痩せ狼】の襲撃があった翌日の朝。
ハルトは宿の庭先で一人、武術の鍛錬を行っていた。
(レベル制とスキル制の両方を取り入れた世界で、鍛錬もクソもあるのかって話なんだがな……)
そう、この世界では、人間の能力がステータスによって数値化されている。
場合によっては人間の基本的な能力に数値が乗っかっているというのが正しいのかもしれないが。
攻撃力。
耐久力。
敏捷。
それらの数値が存在し、レベルアップによって数値を上昇させることで、身体性能が向上する。
そのせいか、向こうの世界で強くなるための。
筋肉を付ける。
身体を柔らかくする。
最適な動きを身体に覚え込ませる。
これらのことはあまり重視されていない傾向にある。
こちらではレベルが上がればそれに見合った筋肉は付いていくし、頑丈になる。動きも滑らかになる。
しかも、ウェイトトレーニングで経験値を得られなくなる域に行くと、魔物の討伐や対人戦闘でしか強さを得られなくなるのだ。
レベル上げや職業の熟練度を上げるのが手っ取り早いこちらでは、そもそもウェイトトレーニングという概念すらないのだが。
武術が発展していないことについても、スキルというわかりやすい攻撃手段があるためだ。
スキルは一度覚えれば衰えもしない。
使えば使った分だけ、強くなる。
それが確定で約束されているのだ。
それなら誰だって、スキルを選ぶ。
しかし、武術は何度も何度も繰り返し鍛錬しなければ身に付かないものだ。
そのうえ、たとえ身に付いたとしても、練習を怠れば忘れてしまう。
反復練習が必要なうえ。
個人のセンス左右され、やっても身に付かないことなどザラにある。
そんなものが、この世界で発達するかという話。
誰だって、手間のかかる武術になど見向きもしないだろう。
それに、戦闘職を持たない者の間で、武術が発達するということも考えにくい。
戦闘スキルが欲しければ、まず戦闘職を取るために行動するからだ。
わざわざ相手の出方に対応した動きや、力が入る身体の動かし方、最適な身体の動かし方などを試行錯誤するはずもない。
これまでの戦いで驚かれたのは、おそらくはそれらの理由があるからだろう。
スキルを使用せず、それに比する動きができる。
それは、ゲーム【グランガーデン】の
ならば、だ。
「これを利用しない手はないよな……」
このグランガーデンでは、現代日本で培った武術が完全に活きている。
相手は自分の使う武術を武術スキルと勘違いするし、それが武術スキルにない動きであれば、ひどく戸惑う。
ならばそれは、戦術の一つになりえるということだ。
だが、それを常に発揮させるためには、毎朝の反復練習は欠かせない。
いま目の前には、木の杭が突き立っている。
ついさっきまで、鍛錬のため、拳を打っていたものだ。
普通、このステで打ち込めば吹き飛んで粉々。
繰り返し使うことは決してできない。
しかし、いまはレベルを下げるアクセサリーと、
そのため、どれほど打っても吹き飛ばないし砕けない。
「…………」
黙したまま、木の杭を見据える。
そして拳を解き、指を伸ばす。
手刀を作り、杭に向かって袈裟懸けに振り下ろす。
木の杭はなんの抵抗もなく二つに分かれ、上部分が吹き飛んだ。
「…………ふう」
もちろんこのような現象になるのは、ステータスが大きくかかわっているためだ。
高いステータスが加味されることによって、できることが補強されたのだろう。
「……この世界だと、俺はスキル使用しなくてもこういうぶっ飛んだことができるが、この世界の人間は【
攻撃力が載るということは、普通の打撃にさらに途轍もない強化がなされるということ。
しかもそこに、グランガーデンの物理エンジンを再現したちゃちな物理法則が加味される。
それゆえ、結果は常識の範疇を逸脱するのだ。
……昨夜、戦ったときのこと。
【痩せ狼】がけしかけた【
捕まったことで身体の可動範囲が狭まったため、
その打ち込みの威力は【
それはおろか、暴風じみた強烈な衝撃波を巻き起こし、渦を巻いた衝撃が拳の一直線上にあったすべての物を巻き込んで、塵へと変えた。
もちろん普通は、あんな威力など発揮されない。
攻撃力の高さもそうなのだが、理由はもう一つある。
それが、ゲーム【グランガーデン】のポンコツ物理エンジンである。
グランガーデンの物理エンジンはバグが頻発するゲームシステムからもわかる通り、細やかに設定されているわけではないうえ、一部演算の仕方がぞんざいだ。
そのため、ゲームでは一部人体の動きを正しく反映させることができず、おかしな挙動が発見されるたびにメンテナンスが行われ、その調整のせいで他の挙動に不備が現れさらにメンテナンスに突入するという半ば泥沼的な状況に陥るほどにポンコツエンジンとして有名だった。
しかも、ゲームもある程度落ち着いてくるとメンテナンスも行わず放置が常で、その挙動も込みで楽しんでくださいねという丸投げなアナウンスを運営が行うほど。
そしてその影響をもろに受けたのが、発勁などの動きである。
ゲームを作るエンジニアが、半ばファンタジー的な身体操作法の神髄など知る由もない。
結局そう言った動きがどういうメカニズムなのかを知らず、もしそれが行われた場合に挙動がどうなるかを設定しなかった。設定がないのなら結局は何も起こらないはずなのだが、そこがこのゲームのおかしなところ。
コンピュータが勝手にどこかの数値や演算式を自動的に引っ張って来るという要らない高性能を発揮して、バグが起こるという状態になってしまったのだ。
ゲームプレイ時、発勁という身体操作を行ったときに起こるバグは、攻撃力増幅の異常な倍率。
震脚による踏み込みと身体の捻りによって、半歩という短い距離でも十全に力を発揮できる【距離】を生み出すことにより、設定と差異が生まれ、コンピュータが演算を誤り、不具合が起きるのだ。
それがここ、異世界グランガーデンにも反映されている。
だからこそ、【
不審な死体はあるわ、ぶっ壊れているわで、朝から上を下への大騒ぎである。
「…………うん、料理すっかぁ」
だからこそ、こんな風に現実逃避に走るわけだが。
●
ハルトは朝の鍛錬を終えたあと、宿の台所を借りていた。
ある程度調理の準備を終えると、二階の部屋からメリルリースが現れる。
いたって平然とした様子で、のんきにあくびをしながら、階段を下りて来た。
昨夜はべろんべろんに酔っていて、次の日にも影響がでるだろうなと思っていたのだが、当人はまったくけろりらしい。
そんな彼女はこちらに気付き、怪訝な表情で厨房を覗き込んでくる。
「早いわね。アンタまたあの変な踊りでもしてたの?」
「変な踊りはやめてくれよ。鍛錬だ鍛錬」
「鍛錬って、あんなことしてなんになるのよ? スキルだって強くならないじゃない?」
やはり、彼女もそういう認識なのか。
だが、それもそうだろう。
この世界で武術と言えば、【武術スキル】だ。
数値を上げることに正義を見出す彼女たちからすれば、確かにわけのわからないことをしているように見えるのだろう。
ふと、メリルリースは金色のツインテールを揺らして、可愛く小首をかしげる。
「それで今日はどしたの? 厨房なんか借りて」
「メシ作るの」
「へぇ? アンタって【料理人】のスキルまで持ってるんだ?」
「ん? いいや?」
と言うと、メリルリースは露骨に目を逸らした。
「…………そう。頑張って」
視線も態度も、まったく失礼極まりない。
【料理人】のスキルがないため、真っ当な物を作れないと思っているのだろう。
というかそもそもの話、【料理人】のスキルがなくても料理は作れるだろうに。
スキルがなければマズいものばかりになるなら、世の家庭料理はすべてゲロマズと化しているはずである。
だが一応、メリルリースにも興味はあるのか。
「で、アンタ一体なにを作ろうとしてるの?」
「お粥……っぽいものかな」
「おか……ま、まあいいんじゃない?」
メリルリースがまた微妙そうな返事をする。
どうやらお粥と言ったことで、完全に素人だと思われてしまったらしい。
おいしいお粥は作るのには技術と知識が必要なのだ。
お粥舐めんな。
そう言いたい。
しかもこちらは学生時代から飲食店で修業並みの働きをしていたため、腕前はそれなりに高いと自負している。
あとは食材なのだが……以外にもこの世界、現代日本と似たような食材がチラホラある。
おそらくこれは、グランガーデンが和製ゲームだった影響だろう。
細かく言うと、運営の手抜きで既存のデザインが適当にぶち込まれていた影響なのだと思われるが。
(まーおかげさまで食い物の不自由はしなさそうだが)
油。
醤。
ライス。
肉。
野菜。
塩。
胡椒。
いまのところそれだけあれば、十分である。
まず事前に洗っておいた生米を、鶏を茹でた湯にぶち込む。
中華ダシがあればいのだが、残念ながら異世界にはそんなものはないはずなので、その辺りはどうしようもない。
手羽を使いじっくり鶏のうま味を出しているため、代用にはなるだろう。
粘りが出てきたらお湯を足し、丁度良くなった頃合いをみて溶き卵と鶏肉を加える。
最後に味を調えれば、中華……風粥の完成である。
メリルリースはやはり興味があるらしく、鍋を覗き込んでくる。
「……お粥ね」
「そうだな」
そう言いながら、匙を使って粥を鍋からすくい上げる。
卵によって黄味を帯びた粥はねっとりとしており、湯気を上げている。
「……そ、それなりにおいしそうじゃない」
「だろ?」
「……おいしそうじゃない」
「そうだな」
「……お、おいしそうじゃない!」
「NPCみたいな定型文やめろや。……食いたいんなら素直にちょっとくれって言えよ」
「べ、べつに食べたいわけじゃ」
「じゃあ食わなくてもいいよな?」
「ちょ、誰も食べないなんて言ってないじゃない!」
「なんで意地張るんだよ面倒な女だな」
「面倒で悪かったわね!」
叫んでぷりぷりし始めるわがままお嬢様。
ハルトはため息を一つこぼして、器によそってやる。
「ほら」
「そうやって最初から素直に出せばいいのよ」
「このっ……お前いい加減はっ倒すぞ」
「は、はっ倒すって……こんな朝っぱらか何考えてんのよ! 変態!」
「そういう意味じゃねえよ! この脳内ピンクが!」
とまあ、そんな不毛な言い合いもそこそこにして。
メリルリースは席に着くと、お粥を木匙で掬って口に入れた。
すると、
「……へぇ、これ結構おいしいじゃない」
そんなことを言いながら、食べ進め、時折「いけるわ」とか「うんうん」とか独り言を呟いている。
評価は悪くないらしい。
「ほら、スキルなくてもイケるだろ?」
「そうね。アンタってほんとどうなってるのよ? わけわかんないわ。おかわり」
「ガッツリ食うんかい……」
呆れていると、ふとモコがいたことに気付く。
スキル【念動力】を使って部屋から出て来たのか。
ウサギのようなつぶらな瞳で、鍋をじっと眺めている。
やがて、トコトコと二足歩行で近付いてきた。
隙あらば二足歩行する可愛い生物。
「もこ……」
「モコも食べたいか?」
「もこっ!」
「そうか、ちょっと待ってな」
そう言って、別鍋に取った中華粥を気持ち薄味にし、よくかき混ぜて冷まし、小さな器によそう。
……普通、小動物の食事は気を付けなければならないが、モコは雑食で、基本なんでも食べる。
木の実も果物も肉も野菜も花びらも雑穀も、なんでもござれ。
家にいたときは自分と同じものを食べていたくらいだ。
食べられないものや味の濃すぎるものは吐き出すし、そもそも【毒見】という謎スキルを持っているため、おかしなものはまず食べない。
……オオカミなのかキツネなのウサギなのかリスなのか、それすら不明なNPC生物なのだ。考えたってキリがない。
ともあれモコは、くんくんとお粥の匂いを嗅いだあと、食べられるものであると判断したらしい。
匂いが良かったのか、器に顔を突っ込んで物凄い勢いで中華粥を食べ始めた。
「美味いか?」
「もこっ、もこっ♪」
「そうか」
いつになく声の調子が弾んでいる。
どうやら、気に入ってくれたらしい。
「ねー私の分おかわりはー?」
「わかったわかったいまやるから……」
メリルリースの催促に、呆れの返事をする。
どうやら自分の分にありつくには、もう一度作らなければならないらしい。
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