第31話 いつかの記憶
【痩せ狼】の顔面が吹き飛ぶ。
それを可能にせしめたのは、【
「――リードパンチだ」
どの武術にもリードパンチはあるが、ハルトが使ったのは
速さはジャブと遜色ない程度。
ただ、相手は上手く術中にはまってくれた。
他の暗殺者たちとの戦いでは左手左足の攻撃を主としていたため、【痩せ狼】はハルトが左で攻撃すると思い込んでしまったのだ。
本来ならば利き手以外での攻撃も警戒するのだが、そこが未成熟な世界のウィークポイント。
駆け引きをスキルにしか見いだせない時点で、ハルトの勝ちはすでに約束されていた。
「一番の要因は……レベル差なんだけどな」
それでも、ハルトと【痩せ狼】のレベル差がそこまで大きかったとは思えない。
ゲームプレイ時の経験を照らし合わせるに、【痩せ狼】のレベルはおそらく40以上50未満。
そして、彼が最後に使ったスキルは、
それは、レベルが40はないと取れないものだ。
そこから考えるに、この【痩せ狼】はこの世界で通常強いとされる者たちを遥かに凌駕する実力備えていたことが窺える。
「にしてもすげぇなマーシール伯爵。さすがは西部閥の筆頭領主だよ。まさかこんなの抱えてるなんてなぁ」
この世界、レベルはせいぜい30前後と聞くが、意外とそれ以上に至った人間がいるようだ。
ナイアルが近づいてくる。
「お見事です。いまの一撃も、スキルではないのですね?」
「ああ」
「スキルも使わずあの速度とは……」
「いや、さすがにあれはステのおかげだからな? ステが高くなかったらあんな早く攻撃できないからな?」
「申し訳ありません。おっしゃっている意味がわかりかねます。そもそも強くなるということ自体ステータスも上がるということなのではないのでしょうか?」
「いや、普通は……ああ、ここじゃそうじゃないのか。うーん、こういうの説明が難しいなぁ」
この世界は、レベル、ステータスありきの世界だ。
筋肉が付くと
人によっては筋肉が付かず、ただステータスだけが上がるということもあるくらいだ。
ハルトはどうしても前世の物理法則に囚われてしまうきらいがあるため、齟齬が出る。
「我が主。先ほどの攻撃はバフを重ねた【
「あれは鍛錬の賜物さ。要は身体の動かし方だよ。昔いろいろ教えただろ?」
「それは……はい、確かに」
ゲームのプレイ中にも、ナイアルに現代世界で覚えた格闘のノウハウを教える機会はよくあった。
もちろん彼もこの世界に囚われているため、よくわかっていない節はもちろんあったのだが。それなりにものにすることができているからこそ、動きのキレがかなりいいし、利用できるようになっている。
ともあれと、【痩せ狼】を亡骸に視線を落とす。
死体に向かって、改めての謝罪はない。
先ほど、それは驕りだと言われたから。
(そうだな。生きてるんだよな。この世界の人間もさ)
この空も大地も、街並みも。
そのすべてが、ゲームではなく現実のものだ。
人の手で生み出された虚構の存在ではなく、みな生きており、生活を営んでいる。
だから、この【痩せ狼】のように、信念もあるのだ。
それはそう、確かにここに。
そう思ったそんな折、ふいに胃からせり上がって来る。
「ぐ、げぇ……」
強い吐き気に耐え切れず、胃の中のものを吐き出した。
「主! まさか先ほどの大男の攻撃がっ」
「げほっ、うぇ……大丈夫だ。なんともない。ただの吐き気だ。あんなのにダメージなんて貰うかよ」
心配そうに駆け寄るナイアルを、手で制する。
だが、
「こういうのって、最初に殺したときに来るもんじゃないのかよ……?」
人は人を殺すと、吐き気を催すことがあるという。
それは、殺人への罪の意識から。
誰かの人生を潰した重圧から。
辺りに撒き散らした臓腑のにおいから。
だがそれらは、ここに来るまでにもあったことだ。
山中で多くの盗賊どもを手にかけた。
ならば、これはそのときに来るのが筋というものだろう。
(いや――)
違う。
そうではないのだ。
自分はいままで殺した相手を、人間と見ていなかった。
あまりに行動が下衆すぎていて、現実味がなく、状況もあいまって無意識のうちにゲームの登場人物と同じように思っていたのだ。
だが、この【痩せ狼】と名乗った男からは、確かに人間味を感じ取った。
だから、自分は今日この日この場で、初めて人を手に掛けた実感が湧いたのだ。
(ゲームのような世界だから、感覚もそれに引きずられるってのは怖いな。気を付けないとな……)
この世界は
いくら法則がゲームのシステムのようであっても、生きている者には確かに血が通っているのだ。
それを忘れたとき、自分は――
――春斗は勇気ある。でもネ、それは獣と紙一重ヨ。
転生前、いつか路地裏で出会った、酔っぱらいのじいさまのことを思い出す。
自らを李伯と名乗り、半ばホームレスのような生活を送っていた仙人さながらの老人だ。
初めて会ったのは、高校に入ったばかりのころ。
ストリートファイトでイキっていた頃に、コテンパンにやられて転がされた。
別に自分からケンカを売ったわけではない。
突然向こうから仕掛けてきて、のされて、説教をし始めたのだ。
それが中国武術を覚えるきっかけになったのだが。
いや、武術だけではない。
いまだ自らが持ち合わせていなかった、哲学をも。
「……人も手足合わせて四つある以上、必ず獣が内にいる。その獣は、人が争いに呑まれたとき、必ず己を食い破ろうとするだろう。だからこそ、その獣を飼いならせ、己が獣にならないために、だったな」
手の甲で口もとの酸っぱさを拭い。
路地の奥まった場所にある闇を見詰める。
ゆらゆらと見えるのは、酒瓶を持って、人の良い笑みを浮かべている小さな翁。
果たして、彼は何を言っているのか。
気を付けろ、か。
それとも…………いや。
「大丈夫だよじいさん。俺は獣にはならねぇからさ」
あんな
あの世界で生きてきて多くの人から貰った
空手の師匠がいた。
路地裏の
タイ料理屋の料理長がいた。
みな慈愛を説き。
正道を称え。
誰もが、自分に道を示してくれた。
だいたいが似たような話ばかり聞かされたというのも、懐かしい話。
そのせいで、
ふと思い出し、おかしくなって笑ってしまう。
――大丈夫、あの沢山の思い出がある限り、自分は自分でいられるだろう。
いまも胸に刻まれるすべての言葉を思い出し、頬を張って気合を入れる。
そして、
「メリルリース、そろそろ行くぞ……って、寝てるし」
見れば、メリルリースは路地裏の床に寝そべって、可愛らしい寝息を立てていた。
暢気だなと思いつつ、彼女に抱かれたままのモコを拾い上げる。
「ナイアルはモコを頼む」
「は」
ハルトはモコをナイアルに預け、メリルリースを背負い直し、逗留する宿屋へ戻ったのだった。
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