第30話 攻撃力とは
【痩せ狼】が勝利を確信した瞬間。
その場に崩れ落ちたのは標的の少年ではなく、必殺を期したはずの【
「バカな……」
あまりのことに、【痩せ狼】は固まって動けない。
眼前には、背中を自らの血で真っ赤に濡らして、石畳に沈む【
くずおれる巨躯の向こうから、拳を握り締めた標的の少年が現れる。
なぜなのか。
少年は、【
にもかかわらず、この結果である。
……攻撃的な武術スキルは、相手に組みつかれてしまうと、【武威】や特殊な希少スキルという例外を除き使用不能になる。
それは武術スキルが、一定の動作を伴うものだからだ。
予備動作、本動作に関わらず、何かしら動く余地を必要とする。
だからこそ、体格差にものを言わせた組み付き、という戦法が有用となる。
それに、スキルを使用するなら、必ずスキル名を口にしなければならないはずだ。
しかし、【
聞こえたのは呼吸の音と、掛け声のみ。
だが、それでもこの有り様だ。
見れば、付き従っていた騎士風の男も、目を丸くさせていた。
「我が主、いまのは、一体……」
「ん? いまのか? いまの単に攻撃力を上手いこと発揮させただけだが?」
「攻撃力を……?」
「ああ」
標的の少年は首を左右に傾け、ごき、ごきっと音を鳴らす。
そして、いまも不思議そうにしている騎士風の男に応えるように、
「ナイアル。攻撃に【攻撃力】が乗っかった状態っていうのは、相手を傷つける意思を持ったうえで、それに見合う威力の打ち込みを出したときに発生するものだろう? それ以外は、【攻撃力】が乗らずに、触るとか、ちょっと当たるとかになる。そうだよな?」
「え、ええ……確かに」
「つまり、要はその、【攻撃力】が発揮される条件さえちゃんと押さえた動きができていれば、どんな状況に置かれても、攻撃力分の数値を乗せられるってことになる」
それが、この結果なのか。
しかし、それでは疑問が残る。
「ですが主はいま密着された状況にあったはず」
そうだ。
そんな状況では、腕を伸ばすことはできないし、ろくな動きができない。
たとえ拳を動かしても、打撃に加速が乗らず、決して攻撃と呼べるものにはならないはずだ。
「密着されたら攻撃できないってのは、いくらなんでも極端だろ?」
「確かに、武器を持っていれば相手を傷つけることはできます。しかし打撃となれば話が変わります。腕の曲げ伸ばしができなければ――」
「攻撃にならないってのは、単にお前が知らないからだな。腕を大きく曲げ伸ばししなくても打撃に近いものを繰り出すことは可能なんだよ。さっき言った、ワンインチパンチがそれなのさ」
「ワンインチ……初めて聞くスキルです」
「いや、だからいまのはスキルじゃないんだって」
「……特性スキルでもないのでしょうか?」
「全然」
「…………」
なにをいっているのか、このしょうねんは。
この少年の言い分が正しいと言うのなら、スキルがなくとも、スキルのような技術を再現できるということになる。
スキルとは、この世界に住むすべての者に許された力だ。
人は職業を精霊から与り、その力を鍛えて強くなる。
標的の少年の言い分は、それを真っ向から否定することに他ならない。
つまりそれは、人はスキルを得なくとも、強くなることができるということであり――
「……いえ、さすがは我が主。このナイアル、改めてそのお力、端倪すべからざるものと思い知らされました」
騎士風の男が、標的の少年に礼を取る。
その眼差しには、少年への敬服と、彼に対する確かな
……あれほどの男にさえ、怖れを抱かせるとは、この少年は一体何なのか。
王国中の強者はおろか勇者でさえ、きっとこの少年には敵わない。
そんな風に思わせる、強さ……いや、不気味さがある。
標的の少年が、赤い髪を揺らしながらこちらに向き直った。
「ここまでやったんだ。あんたを帰すつもりはないぜ?」
「無論だ。俺だけ退くつもりはない」
「そか。……なんか悪いな。あんただって仕事だろうに」
そう口にする少年の態度には、本当にすまないというような雰囲気があった。
だが、
「この仕事は、殺すか殺されるかだ。この仕事を選んだ時点で、こうなることはわかっていたことだ。同情などしないでもらおう。それに、肉体を武器に戦う
「…………そうだな。ああ、確かにそうだわ。それについては素直に謝罪させてもらうよ。俺が悪い。だが――」
「――【
魔術スキル。
そう悟った直後、背後が爆裂した。
背をしたたかに打つ衝撃波に、咄嗟に振り向く。
街の夜を照らすほど煌々とした爆炎と、黒煙が上がっていた。
「……気付いていたのか」
「まあ、その辺りなら俺やナイアルの【感知】に引っ掛かるからな。おおかた油断したところを討たせるか、失敗を報告させに行かせるかのどっちかってところか。もっと【
標的の少年の言う通り、そこには部下を配置していた。
万が一のときのために、報告に行かせるためだ。
「……
「基礎レベル補正ってヤツだな」
補正だけで、
ならば、この少年はどれだけのレベルがあると言うのか――
「主。いかがいたしますか?」
「ん。俺がやる。ナイアルは警戒しつつ下がっててくれ」
「承知いたしました」
騎士風の男は、少年の言葉を受けて後ろに下がる。
普通は主人の身を案じ、そして雑事をさせぬため、従者自ら引き受けるものだが。
(それだけ、自らの主に忠実で、それと同等に信頼を置いているのか……)
あの実力ならば、納得だろう。
おそらくこの少年は、騎士風の男よりも遥かに強い。
間違いなく。
「――あんた、名前は?」
「名乗りは【痩せ狼】としている」
「そか」
少年は小さく頷いて――【武威】を発する。
強烈な風圧と共に、少年の足元から鎖が津波のように広がっていく。
裏路地の石畳は一瞬でその鎖に覆われ、まるで銀色の蛇がのたうっているかのよう。
やがてそれは【痩せ狼】の足に絡みつき、身体までがんじがらめに縛っていく。
足が震える。
汗が止まらない。
気概が打ち砕かれそうになる。
幻覚だ。
【武威】スキルのレベルが高いと、対象に幻覚を見せる。
その幻覚はバットステータスによって変化し、たとえば【身体能力低下】や【鈍足】をもたらすものならば蛇や縄が身体にまとわりつき、【恐怖】ならばその背後に恐ろしい化け物を背負うという。
ならばこの少年はなんなのか。
その背後には魔王よりも遥かに強大な怪物が立ち。
突風が常に吹き付け。
足元は鎖で埋め尽くされる。
先ほど騎士風の男が発したものよりも、更に格上の【武威】だ。
負けじと、【武威】を返す。
無論、少年の発する【武威】よりもレベルは低い。
だが、それでも対抗はできる。
鎖の締め付けが、いくばくかながら緩んだ。
すると、標的の少年は、
「こっちの【武威】スキルってのは面白いな。盗賊の親玉やレクスに食らったときもそうだったが、こんなものが見えるとはな。さすが異世界ってところか」
愉快そうに笑っている。
この武威の応酬が、一体彼のどの部分を刺激したのか。
ふと、標的の少年はその喜悦に飽きたというように、
「……だが、ちょっと野暮ったいな」
撒き散らしていた【武威】を消し去った。
同時に、鎖や彼の背後にあった怪物も消失する。
そして、さも「挑んで来い」と言うように、手の平を差し出して五本の指をクイクイと曲げた。
一縷の勝利に望みに懸けて、スキルを使用する。
「――【
一つ目のスキルは、上位の敏捷速度上昇効果を持つ武術スキル。
二つ目は、生命力を減らす代わりに、相手の防御を貫通できるようにする武術スキル。
そして、自分の腹部に短刀を突き刺す。
「ぐっ……」
「……一体何を?」
「ほう?」
困惑する騎士風の男とは違い、少年は感心したような声。
どうやら、この自傷がどういうことか、彼は瞬時に悟ったらしい。
この特殊なスキルのことまで知っているとは、やはり只者ではない。
「ぅ……【
最後三つ目、使用者の生命力が弱まると、すべての能力が大幅に向上するスキル。
これを使用すれば、空いた穴が埋まるはず。
むしろ、大幅に超えることも可能。
そして、
(このスキルなら)
標的の少年を討ち取るために使うのは、【痩せ狼】が持つするスキルの中で、最速のもの。
これならば、勝機はある。
これまで少年はほとんどの攻撃を左手か左足でしか出していない。
つまり、利き手利き足は左ということだ。
必然、少年の攻撃は左拳か左足。
そして、相手はいま左半身を後ろに下げている。
であれば、攻撃の到達がどうしても遅くなる。
「――【
スキル名を吼える。
相手の左半身は、まだ動かない。
(
勝利を確信した瞬間、暗殺者【痩せ狼】の意識はその頭ごと吹き飛んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます