第29話 誰の死地か



 【痩せ狼】の腕が、振り下ろされる。



「――【短刀投げダークショット】」



 その場にいる十二人の暗殺者全員が、スキル名をごく小さな声で呟いた。



 【短刀投げダークショット】。

 これは暗殺者の職業に就く者が覚える基本的な攻撃スキルで、投擲用の武器を相手に投じるという極めてシンプルなものだ。

 しかし、そこはスキルであるがゆえの妙か。

 普通に投げるよりも遥かに威力が高く、スキルの補正で失投する確率が格段に下がる。

 なにより、たまたま【当たり所が良い】ということがよくあるのだ。

 使ったあとの隙も小さいため、使い勝手もいい。



 ともあれ、これで終わりだ。

 投擲された短刀の数は都合十二。

 路地の前後から五本づつ。

 標的の少年、騎士風の男ともに死角となる場所からも、短刀が二つ襲い掛かる。



 それを一斉に放たれては、防ぐ術はない――はずだった。



「な――!?」



 そんな声を上げたのは、部下たちだったのか、それとも【痩せ狼】自身だったのか。

 予想外にも、標的の少年や騎士風の男はハリネズミにはならなかった。

 騎士風の男は手にした牙のような短剣で短刀を叩き落とし、少年と言えば――



「おー、やればできるモンだなー。さすが【オーバークロック】あると違うわ」



 感嘆の声を上げ、自分の両手を眺めている。

 しかしてその両手には、彼に向かって放たれた短刀のすべてが。

 指と指の間に挟まれて、受け止められていた。

 部下のうちの一人が「バカな……」と恐れの声を漏らす。

 そんな中、騎士風の男が震えていることに気付いた。

 無論、それは恐怖のためではない。



 なぜか彼の視線は、路地の脇に注がれていて――



「貴様らよくも……」



 騎士風の男の怒気が、一瞬で膨れ上がる。



「私のさけ……いや! このような下術で私と主が倒れるなどと思うとは思い上がりも甚だしい!」



 騎士風の男は怒号を発すると共に、後ろ側の部下たちに強烈な【武威】を放った。

 突風のように吹き付ける圧力と、幻覚じみた目眩に襲われる。

 ちらちらと点滅して見えるのは、黒い沼から這い出て来る多数の手。

 それが、【痩せ狼】を含む暗殺者たちの足元を脅かしにかかる。



 一体、どれほどのスキルレベルがあるのか。

 修羅場には慣れているはずの暗殺者たちが、軒並み後ろ足を踏む。

 反対に、騎士風の男の立ち姿は、威風を感じさせる佇まい。

 背筋を伸ばし、暗殺者に立ちはだかって、睨みを利かせている。

 怖れている様子など、一切ない。



 ――英雄。



 騎士風の男を見ていると、そんな言葉が脳裏をよぎる。

 風体もどうだが、それほどの威風が、騎士風の男からは感じられた。



 一方、そんな男から主と呼ばれている標的の少年はといえば、



「……あーあ、やっちゃったなーお前ら。つーかピンポイントでそれに当てるかよ。いくらなんでも【短刀投げダークショット】のクリティカル補正かかりすぎだぞ? ん……? そういやここでのクリティカルってどういう扱いなんだ?」



 標的の少年はぶつぶつと何かを呟いて、首を二、三傾げている。

 この状況で何を考えているのか。

 彼の視線の先は、やはり先ほど騎士風の男が見ていた場所だ。

 よく見ると、割れた酒瓶が転がり、中身がぶちまけられている。

 何なのかはよくわからないが、言葉を聞くに、騎士風の男の怒りを買ってしまったらしい。



「ぐ……!」


「がっ!?」



 そんな中、突然騎士風の男の前にいた部下たちが、地面に膝と手を突いた。

 それはさながら、何か途轍もなく重い物に圧し掛かられたかのよう。

 騎士風の男は、その隙を見逃すはずもなく、手に持っていた短剣を振るう。



 繰り出したのは、鋭い横薙ぎ。

 だが、その得物ではあまりに短すぎる。

 一番近い部下に切っ先がかするか、かすらないかという程度の距離。

 にもかかわらず、圧力に膝を屈していた他の部下たちまで、どうして斬撃に見舞われる。



「ぐぁっ!?」


「gyあ!?」


「いぎぃ!?」



 衝撃波。

 強風。

 そのどちらもが一緒になったような一撃によって、三人の暗殺者が石壁に叩きつけられた。



「な、なにが……?」


「ぶ、武器のスキルか!?」


「バカな……武器は、当たっていないぞ……」



 暗殺者たちが銘々疑問を口にするが、明確な答えは出ない。

 武器も当たっていない。

 スキル名も口にしていない。

 にもかかわらず、攻撃を受ける。

 となれば、特性スキルが働いたと考えるのが自然だろう。



 そして、それを肯定するように、



「おー、やっぱ【グラビティフィールド】と【範囲攻撃】のコンボは凶悪だなー」



 標的の少年は、騎士風の男に切り払われた部下たちを見つつ、そんなことを言う。

 やはり、特性スキルなのか。

 どちらも耳に覚えのないものだが、言葉を聞いただけでも、どちらも強力だということが窺える。



 【グラビティフィールド】。

 おそらくそれは、始めに部下たちを地面に押さえつけた力のことだろう。



 【範囲攻撃】。

 まず間違いなく、一振りで三人を斬り付けるに至った力のことだろう。



 特性スキルは、通常のスキルと違い、一度覚えると自動で発動する。

 攻撃力を向上させたり、詠唱がわずかばかり早くなったりと、効果が目に見えないものが多い傾向にあるのが特徴だ。



 しかし、中にはいま騎士風の男が見せたもののように、効果の程がわかりやすいものも存在する。

 そう言った特性スキルほど強力であり、持っている者は超の付く高レベルであるのが常だ。

 難敵だ。

 間違いなく。



 ふと、標的の少年が肩をすくめる。



「お前らも、姿見せずにさっさと仕掛けてりゃあ、過程くらいはもっと違ったものになってただろうになぁ」


「――っ、取り囲んで確実に殺せ! まずはそっちの騎士装束の男の方だ!」



 まず厄介そうな方、標的の少年が頼みにしている方を狙う。

 指示を出すが、やはり標的の少年と騎士風の男に危機感はなく――



「アホじゃねぇの? その数の投擲が全部止められてるんだから、囲んだって意味ないだろうが」


「予想外のことが起こって思考が追い付いていないのでしょう」


「はぁ、かもなー」



 そんな気の抜けた会話が交わされる中、各々が自らに強化を施していく。



「【上武錬功ハイバトルアップ】!」


「【神速功アクセラレイズアップ】!」


「【毒宿しポイズンサーブ】!」



 それぞれ、武術スキルによる強化だ。



 攻撃力を大幅に向上させるスキル。

 敏捷を大幅に向上させるスキル。

 攻撃に毒の効果を付与するスキル。



 それを発揮させた部下の一人が、嘲りの笑いを見せる。



「わざわざスキルを使う時間をくれるとはな」



 だが、



「いやいや姿見せる前にあらかじめ使っておけよアホが。ドヤ顔決めんな」


「まったくです。スキルの使い方がまるでなってない。減点ですね」



 少年たちは気にした様子もない。

 むしろ呆れている始末。

 挑発なのか。

 しかし、部下がそれに乗るはずもない。

 彼らはみな訓練された一流の暗殺者たちなのだ。

 指示に従い、騎士風の男を取り囲んで、各々攻撃やスキルを繰り出していく。



 やがて騎士風の男は部下たちに釣られて、少年から離れた。

 護衛がその対象から離れるとは、失策以外の何物でもない。



「いまだっ! 取り付け!」



 すかさず、控えさせていた他の部下に指示を出す。

 強化が施された部下たちが、一瞬で標的の少年との間合いを詰めた。

 今度こそ、終わりだ。

 そう思ったそのみぎり、



「……つーかよ」



 響いてきたのは、ため息のような呆れの声だった。



「――そのあたり全部、俺の間合いだっての」



 口にするや否や、少年は人一人飛び越すほどの高さまで跳躍。

 部下の一人の側頭部に、膝をぶつけた。

 跳躍からの強烈な膝蹴り。

 頭蓋に守られているはずの頭部はあえなく破壊され、真っ赤な血と脳漿が辺りに飛び散った。



「いけー! やれー! ぶっころせー!」



 魔術師メイジの少女が、まるで観客のように騒ぎ始める。

 それが、標的の少年が暴れる前触れだったのか。

 先ほどまで佇むだけだった標的の少年が、周囲に立つ影の間を踊り始める。

 あるいは回避に。

 あるいは攻撃に。

 隙も、無駄な動きも一切ない。

 まるでスキルを使用しているときのような完成された動きを見せ始めた。



 ふと見えた口元には、小さな笑み。



 ――ぞく。



 【痩せ狼】の背筋を、戦慄が駆け上がる。

 騎士風の男をたとえるなら、英雄が相応しかった。

 だが、この少年は違う。

 まったく違う。

 言うなれば、戦いを好む手合い。

 殺しを楽しんでいる手合いではなく。

 戦いを楽しんでいる類の人間だ。

 闘技場の闘士モンクに多い人種だろう。

 自分の肉体のみを武器にして、相手を圧倒することに喜びを覚える狂人ジャンキー

 こういった手合いほど、己の身の安全を顧みない。

 死ぬまで戦う。

 いや、死んでもいいから戦う。

 ただ、戦いたいからというだけで。

 しかも、この強さだ。

 これほど始末に悪いものはない。



 部下の二人が、少年の蹴りと拳打によって、それぞれ絶命する。



「そんな! 話が違うぞ! 相手はメイジを盾にするような小物じゃなかったのか!?」


「男もガキも強いぞ! 油断する――ぴgyぇっ!」



 すぐに部下の一人が少年の餌食になる。

 後ろを向くように回転してから出した蹴りを、胸にもろに受けた。

 吹き飛んで、壁にしたたかに叩きつけられる。

 もう、動かない。

 蹴られた時点で、部下は他の二人同様すでに絶命していた。



「なんだいまのスキルは!? 特性? いやどう見ても武術スキルだぞ!?」


「いや、違うぞ! こいつスキルなんて――」



 そう、使っていない。

 スキルを使用するなら、まずはスキル名を口にしなければならないのだ。

 それに、特性スキルだったとしても、発動の仕方がらしくない。

 理にかなわない効果が働いたわけでもない。

 ただ、動いただけ。

 動いただけなのだ。

 なんの変哲もない拳打を繰り出すように。

 標的の少年は無言のまま。

 口に笑みを浮かべたまま。

 ただひたすらに戦い続けている。



 すると標的の少年が、ふいに口を開き、



「いや、安心したよ。これまでスキル一辺倒の戦い方しかしないヤツばっかりだったから、それが主流なのかって内心ハラハラしてたんだが、ちゃんとしてるヤツもいるんだな」



 安堵の口ぶり。

 だが、それは早合点だ。

 【痩せ狼】たちは暗殺者ゆえに、こういう戦法を取っているだけで、大抵の戦闘職はスキルで押していくのが主流である。



 そちらの方が、確実に強力な攻撃を与えられるからだ。

 だから、少年のようなスキルを使用しない戦い方など、決してしない。



 ……以前、【痩せ狼】がまだ伯爵の子飼いでなかったころ、【剣魔】と呼ばれる少女の暗殺を請け負ったことがあった。

 ティオファニア・ドゥ・ダスク・アナスタシア。

 現、王国最強と名高い剣士だ。

 剣士ソードマン魔術師メイジ、その両方の特性を持った職の最上位に就く王国の騎士。

 【アルカナの魔法剣】という強力なスキルを持ち、魔術スキルの効果を持つ斬撃を繰り出してくるという稀代の剣士である。



 無論、【痩せ狼】が依頼を果たすことはできなかった。

 強すぎたのだ。

 かすり傷はおろか、髪の毛の一本すら切り落とせなかった。

 この少年はあれに比肩する。

 いや、それ以上かも知れない。

 あの少女と違って、この少年はスキルを一切使っていないのだから。



 ――化け物。



 氷のように冷たい汗が、耳元から首筋をなぞるように落ちて来る。

 それは、戦慄だ。

 純粋な死への恐怖。

 この職業に就き、職として選んだ時点で、すでに死は覚悟している。

 自分の番が来ただけだ。

 今回はただ、それだけのこと。



 だが、それでも――



「【大蛇うわばみ】!!」


「おおっ!」



 名を呼ぶと、一際大きな巨漢が前に出る。

 部下の中でも近接格闘を得意とする男だ。

 暗殺者の職業に加え、闘士モンク系の職業も持っている。



「【剛体功ガードアップ】! 【上剛体功ハイガードアップ】! 【鋼に至る研鑽アイアニストロード】!」



 【大蛇うわばみ】がかけたのは、耐久力を強化する武術スキルだ。

 これで、生半なまなかな攻撃は効かなくなる。

 標的の少年の攻撃も、耐えられるだろう。

 動きは、小柄な少年の方が早いだろうが――



「――へぇ?」



 標的の少年が、【大蛇うわばみ】の腹に拳打を打ち込む。

 しかし、【大蛇うわばみ】他の部下たちとは違って崩れなかった。



大蛇うわばみ!」


「だ、大丈夫だ……」



 とは言うものの、返事が震えている。

 見れば、顔には冷や汗が。

 武術スキルの強化を重ねても、ダメージは避けられなかったのか。

 武術スキルを一つもかけていない相手の攻撃であるにもかかわらず。



 ならばこの少年は、どれだけ埒外の力を持っているというのか。



「向こうじゃこんだけ体重差あると絶望するくらい危機感持ったもんだけどなぁ……改めてレベル制って怖ぇ怖ぇ」



 標的の少年は身震いするような仕草を見せたあと、拳をぽきぽきと鳴らす。

 そして、



「来な。お望み通りガチンコでやってやるよ」


「ぐぉおおおおおお!」



 【大蛇うわばみ】が標的の少年に向かって突進する。

 そして、攻撃すると見せかけ、



「――【鋼鉄功アイアンズエフェクト】」



 少年の迎撃に合わせ、武術スキルをタイミングよく発動した。



 【鋼鉄功アイアンズエフェクト】。

 これは闘士モンク系の職業が持つ、防御系の武術スキルだ。

 発動後、わずかな時間の間だけ、物理的な攻撃に対して優位を得る。

 発動のタイミングはシビアだが、タイミングがよければ受けるダメージをゼロにすることも可能だ。



 どうやら、【大蛇うわばみ】の目論見は上手くいったらしく。



「お? タイミング取るのうまいなお前――」



 標的の少年が発したのは、純粋な称賛か。

 【大蛇うわばみ】は受けるダメージをゼロにして、標的の少年を押さえ込むことに成功した。



「主!!」



 部下たちを相手にしていた騎士風の男が、切羽詰まった声を上げる。

 そう、組みつかれては、攻撃することはおろかスキルを使うこともできないからだ。

 武器を持っていれば話は別だろうが、標的の少年は無手。



 すぐさま【大蛇うわばみ】が、標的の少年を押しつぶしにかかる。

 それだけでは足りないことも考慮し、すぐに【痩せ狼】も動いた。



 その直後だった。



 聞こえて来る、「こぉおおおおお……」という呼吸音。

 瞬間、周囲の建物さえも震わせるような轟音が、辺りに響く。

 強烈な衝撃波が暴風となって少年を中心に放射され、一帯の石畳が砕けて宙を舞い。

 少年の身体と【大蛇うわばみ】の身体が、激甚な陥没によって沈み込む。

 俄かに起こった地揺るぎに足を取られるのもつかの間。

 そして、



「哈ッ!!」



 鼓膜を重く振動させる大音声と共に、【大蛇うわばみ】の背中が、真っ赤になって吹き飛んだ。


真横を駆け抜けていく衝撃は渦を巻き、衣服や面の一部がそれによって削られる。

壁際に寄せてあった鉢植えや木箱が巻き込まれ、吹き飛ばされて塵となる。

舞い上がった粉塵で静かな裏通りが煙る中、



「――秘技、ワンインチパンチ……なんてな」



 そんな、嘲弄まじりの言葉が反響する。

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