第27話 酒場で
この日の夕刻、ハルトはメリルリースと共に酒場を訪れていた。
目を回す子山羊亭。
なんとも忙しそうな名前のこの店は、ザガンの職人街の一画にある。
周囲には鍛冶屋の工房を始め、靴屋やその材料を作る革なめし職人の店、パン屋にビールの製造、各種商店など様々な店舗が軒を連ねていた。
ハルトたちがここを訪れた目的はいくつかあるのだが、基本的には食事と情報収集のためだ。
情報収集には別途ナイアルにも動いてもらっているが、場末で聞く話もバカにできない。
噂は、口が緩みやすいこういった場所で、よく広がるのだから。
入って早々、席を探すついでに、酔客の話にも耳を傾ける。
仕事やその稼ぎの話。
気に食わないヤツが同僚になって、頭が痛いという愚痴。
どこぞの旦那が浮気をして、女房に追い出された話。
果ては、ある役人が横領をしているなどのうわさなど。
店の中を一通り回ると、勇者の話をしているのが聞こえて来る。
職人らしき者や、勇士らしき者が丸テーブルを囲み、わいのわいのと騒いでいた。
みな、かなり前から飲んでいたのか、すでに出来上がっており、ビールが届くたびに不必要な乾杯に興じている。
ハルトはそこに目を付け、近付いた。
「相席、いいかな?」
「お? 別に構わねえぜー」
「どうせ仲間内ってわけじゃねぇんだ」
「仕事終わりで飲んでたら、いつのまにかこうなってたんだよなー」
ガハガハと、あまり品がいいとは言えない笑い声が上がる。
酔客たちは機嫌がよく、みな赤ら顔。
どうやら相席が重なった影響で、いつの間にか知らない者同士の集まりになっていたらしい。
「いい女だな。兄さんのコレかい?」
ふと酔客の一人が、メリルリースの顔を見て小指を曲げる。
「いや、こつは俺のしもべだ」
「へぇ? 兄さんしもべを買えるほどのお大尽なのかよ?」
「いや、こいつはちょっとした拾いものでさ。おかげさまでいい思いさせてもらってるよ」
「おーおー、それじゃずいぶんと景気もいいだろ?」
「まあな。なんか飲むかい?」
「お? いいのか?」
酔客の輪に溶け込むため、店員を呼び出して、酒を注文する。
前払いやチップの支払いも忘れない。
彼らが乾杯した折を見て、反対側にいた勇士らしき人間に声をかけた。
「なあ、さっきそっちで勇者の話をしてたみたいだけどさ」
「お? なんだ、お前、勇者さまのことが気になるか?」
「そりゃあこのご時世だからさ。そういった話は聞きたくてしょうがないんだ」
「そうだよなぁ。俺たちも控えめに言って期待してるからな。ガハハ!」
そう言って笑い出す中年勇士。
腹は前に出ているが、基本的に筋肉質であるため、そこまでだらしなさは感じない。
ところどころ見える傷にも年季が入っており、かなりのベテランだということが窺える
「なんでもな、勇者が現れたって精霊さまがお告げを出したってことで、殿下の命令でとある騎士さまが迎えにいったらしいんだよ」
「へぇー」
「詳しくはまだ発表待ちでわからねぇんだが、なんでもここマーシール領内にある村だったらしい。まだ成人を迎えたばっかりだが、すげぇ美人だそうだぜ?」
「――酒とつまみを」
「お? いいねぇ。控えめに言って話が捗るってもんよ」
ハルトはベルベットの評価が高くて、ついつい追加注文をしてしまった。
同席していた仲間たちも、酒の追加を聞きつけ、その話に加わって来る。
まず、眼帯をした女性勇士だ。
すらりとした背の高いサムライ系で、歳の嵩が窺える見た目だが、結構な美人である。
「勇者さまをお迎えに行ったとある騎士さまというのもすごいお方だぞ? かのアーヴィング公爵家の長子、カリス・ドゥ・アーヴィングさまだ」
名前を聞いて、ハルトの心中にざわりとさざ波が立つ。
「……すごいのか? あんまりその辺り疎くてさ」
「ほう? あのカリスさまを知らないというのは意外だな……まあいい。カリスさまは【
周囲の酔客たちが「すげぇよな」「俺たちじゃ無理だなー」「しかも美男子だ」「世の中不公平じゃん」「ヤー。クソ貴族死ね。潰れて死ね」と口々に言い合っている。
他方隣に座るメリルリースが「別にそんなすごいものじゃないわよ。私だって最上位職を直に言い渡されたんだし……」と、対抗意識を燃やしている。
自分だってそのあたり、自慢げだったろうに。
そう言ってしまえば、自分だって大したものじゃなくなるのではないか。
ハルトがそんなツッコミを胸に秘めていると、
「しかも、活躍もそうだぜ?」
「そうだな。活躍も相当なものだ」
気付くと、カリスの話がどんどんと進んでいた。
どうやら、いちいち合いの手を入れなくてもいいかもしれない。
「カリスさまはな、仲間を引き連れて、率先して魔物狩りを行っているのだ。わかると思うが、魔物の存在は民にとっては悩みのタネだ。それを御自ら駆け回って倒しているのだ。それだけでその責任感の強さと慈悲深さが窺える」
すると、くたびれた顔つきの男性勇士が身を乗り出してくる。
「しかもそのお仲間もすげぇじゃん? 【
「まったくさすがはアーヴィング公爵家の跡取りって話だ。控えめに言ってもすげぇ」
中年勇士の話を聞いて、ふと家柄についても気になった。
「……なあ、アーヴィング公爵家ってのはそんなにすごいのか?」
「ん? アーヴィング公爵家っていうのはな、魔物や外敵と戦ってきた武門だ。統治もしっかりしていて、控えめに言っても民衆の受けはバカみたいにいい。『エルブン王国にアーヴィング家あり!』とはよく言われるらしいぜ?」
「…………へぇ」
本人もお家についても、外面は随分といいらしい。
いや、カリスの性格だけがひどく歪んでいるのかもしれないが――
(いやいや、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いはダメだな。別にして考えないと)
ハルトが考えを改めていると、中年勇士が口を開く。
「そしてこれに勇者さまが加わるんだ。控えめに言って世界最強だろうな」
「いや、いくら勇者が加わったからと言って、まだ彼らが最強とは言えないだろう。他にも強者は大勢いる」
「そうかぁ?」
「ああ、私は帝国の傭兵、傭兵王グレンナー・バルバッソー率いる【黒の明星】を挙げる。以前諸国を放浪中に見かけたが、あれはまこと、強者の風格があった」
「俺ちゃんはあれだな。A級勇士、狂楽者ナイン・ザ・ロッドだと思うじゃん」
その話に、どんどんと他の酔客も交ざって来る。
「くはー! どうなってんだよここはよ! 帝国最強に、殺人狂いだぁ? ここは帝国の酒場かっての!? 俺は断然王国の【剣魔】ティオファニア・ドゥ・ダスク・アナスタシアを推すぞ! 王国最強にして義の人間! しかも超が三つも四つも付くくらいの美人だぜ!? もう最高だろ!」
「おいテメェ! 王国最強は【
「でもよー、【錆鉄】は【剣魔】に御前試合で負けたんだろ?」
「あれは手加減したんだ。絶対そうだね。相手が貴族さまだから、勝つわけにはいかなかったのさ。というわけで【錆鉄】が最強だ。他に推しは居ねぇか?」
「傭兵王の宿敵【ガナンガ盗賊騎士団】の筆頭騎士、大雷霆ガナンガ・ドゥ・ジゥだっているぜ?」
「ヤー。A級勇士チーム【翠玉の華】の面々だって負けてない。【殺人狂い】なんて目じゃない。ぐびぐび」
「じゃあ彼の伝説のハイエルフはどうなんだ? 神話の時代、千年前から生きてる存在だぞ?」
「いいや、俺は――」
「いやいや、私は――」
「いやいやいや、俺ちゃんの――」
「ヤー。だから――」
卓はにわかに、最強論議で盛り上がり始めた。
それぞれの推しが一通り挙がると、今度はハルトの方に視線が集まる。
「おい、あんたは誰推しなんだ?」
「え? 俺? 俺は……」
わからないが――
「そんなに悩むことねぇよ。なんでもいいから挙げろって」
「なんでもってなぁ……」
酔客たちはにやにやしながら話の仲間に加われと言ってくる。
王国民として言うのなら、確かに【錆鉄】を挙げるのが一般的だろう。
十数年前から王国最強として君臨しており、先年御前試合で誰ぞに負けたという話だが、いまでも最強は彼だと信じで疑わない者も数多くいる。
だが、この世界で最強の二文字が相応しい者となれば、話は別だ。
こういった話は、ある程度知識がある分難しい。
別に誰を挙げたところで構わないのだが、下手なことを言って不興を買うのは避けたい。
せっかく、舌が滑らかで口も開きっぱなしなのだ。
ここでいろいろと訊いておきたくはある。
さて、誰でも知っていそうな強い存在。
となれば、やはり存命していそうなNPCとなるだろうか。
そう言えば、ザガンに来る前、メリルリースと塔の話をしたことを思い出す。
「うーん……挙げるとすれば、そうだな。【
「……なんだそりゃ?」
「あー、これはダメなのか……」
酔客が怪訝な顔をしたため、ハルトは失敗したとを悟る。
まさか、これも知らないとは思わなかった。
勇者ニール・オスマインの話が言い伝えとして存在する分、名前くらいは知っていると思ったのだが。
ふと、気になったらしいメリルリースが訊いてくる。
「ねえ、誰それ?」
「お前も知らないのか。じゃ、ほんとに誰も知らないんだな……」
「……それで、そのオービタルなんとかって?」
「ほら、あれだ。ザガンに来る前に乗った馬車で話しただろ? あの塔の一番上にいる御仁さ」
「あの塔って、【
「そ」
【
それが、イベントNPC【
ダンジョン最上階、【神々の座へ続く門】で待ち受けている彼女を倒すと、膨大な経験値と資金、そして特別なアイテムが入手できる。
魔王などよりも遥かに強く、いくつかあるグランガーデンのエンドコンテンツの一つとなっている。
固有スキル【クロスワイズハーゲンティ】と【スパイラルリベンジエイト】【クシャナ・ダーナ・サマディーヤ】には多くのプレイヤーが苦労させられたもとい、全滅させられまくった。
ハルトのギルドも、ニールのように出没するタイプの自立学習型NPCを引き連れて、固有スキル覚えさせることができるかどうか挑戦しに行ったことを思い出す。
ああいったレベルをカンストさせても個人ではどうしようもないステータスを持つ相手にこそ、最強の名はふさわしいのではないか。
「ああして【
「いやいや、塔の一番上に主がいるかどうかっていうのは控えめに言わなくても神話の中の存在だろ?」
「そうなのかねぇ……」
そんなことを言ったら勇者ニール・オスマインや魔王たち、さっき名前に挙がったハイエルフの某はどうなるのか。
それらだっておとぎ話の登場人物で終わってしまう。
だが、酔客たちの興味は引けなかったらしく、またそれぞれの最強談議に戻ってしまった。
ふと、メリルリースが何か言いたそうに視線を向けてきていることに気付いた。
「おっと、すまん忘れてた。ほら、これで好きなものでも頼め」
そう言ってお金を渡すと、彼女は呆れたようなため息を吐いた。
「……あのね、こうして返すんなら、
「いいや、あれは重要だからな」
「重要って……ねえ、アンタ一体何してるの? いい加減教えてくれたっていいんじゃない?」
「いや、その必要はないみたいだぜ?」
「……?」
メリルリースが怪訝にする中、店の入り口から卓に向かって客の一人が歩いてくる。
見た目は、どこにでもいそうな男という言葉がしっくりくる風体。
顔色はあまりよろしくなく、どこか影があるようにも見える
その人物は、迷わずハルトのもとへと近付いてきた。
そして、
「少し、いいか?」
「ああ、いいぜ」
ハルトはそう返答して、まず酔客たちの酒の追加注文を行う。
そして
赴いた先、酒場の端で、男が切り出す。
「確認するが、【
男の下品な笑いに付き合うように、ニッと笑みを作る。
「ああ。俺がそうみたいだぜ? こいつがその【
そう言って、メリルリースの髪の毛を触る。
少しムッとした表情が向けられた。
すいません。
重要なんです。
ハルトが心の中で謝っていると、
「随分と悪いうわさが立ってるぜ? 特に勇士界隈じゃ、あんたのこととっちめてやろうかって連中がわんさかいるらしい」
「物騒な話だ。向こうの連中はそうでもないみたいだが」
そう言って、さっきまで一緒に飲んでいた連中を指し示すと、
「あいつらはザガンに来たばっかりであまり知らないだけさ。そのうち例の連中から声がかかるんじゃないか? ひひひ」
「ひどい話だよな。奴隷持ちなんて世の中沢山いるのによ。美人でレアな職に就いてるからってだけでこれだ。毎晩抱いてひいひい言わせてるのが羨ましいんだろうな。きっとやっかみだぜ? しもべの扱いなんざ、主人の自由だろ? なぁ?」
「まったくだ」
男は、笑いながら同意する。
目を引くのは、やはり陰のある嫌らしさ。
やはり、思った通りのところからのコンタクトだろう。
そして、それを証明するように、
「――なあ、あんた。他の奴隷に興味があるか?」
おいでなすった。
「……大いに興味あるな。物騒な話も聞けたし、なにより自分のいいように使える人間は多いにこしたことはないからな」
「なら、明後日の夜、ここに来い」
男はそう言って、一枚の紙を差し出してくる。
地図を兼ねた、招待状らしきものだ。
「衛兵には届けるなよ? 違法な市場だからな」
「わかってるさ。やっとお目当てのところから声をかけられたんだ。自分からフイにするような真似はしねぇよ」
男にそう言うと、男はニヤリと笑みを浮かべ、酒場から足早に去って行った。
それを見届けたあと、メリルリースに向かって言う。
「……これがさっきの答えさ」
「つまり、いままでずっと悪評を立ててたのは、奴隷オークションに誘われるためだったってこと?」
「そういうことだ。こんなの奴隷好きか悪党でもやってなきゃ、声なんてかけられないだろ?」
「そんなもん?」
「そんなもんさ。蛇の道は蛇ってやつ」
転生前、普通の相手に飽き飽きして、相手を渇望していたころのことだ。
アンダーグラウンドな闘技場に出るために、悪そうな連中とつるみ、ストリートファイトを重ね、やっと声をかけられた。
こういった連中は堅気に対して警戒心が滅法強い。
同じ匂いがしない人間には、絶対に声をかけないのだ。
「でも、なんでまた奴隷オークションなんか?」
「言ったろ? 人材が欲しいって」
「そういうのって普通に探せばいいんじゃないの? 勇士から募るとかして」
「それだと目当ての人間が来るまで時間がかかるだろ? 正攻法で協力してくれる人間を募集するのは効率が悪い。そもそも目当ての人間がいるかもどうかわからない。それなら、人間の見本市に行けば、あるいはってな」
「随分急いでるわね」
「……時間がないわけじゃないんだろうが」
それでも、早ければ早い方がいい。
レベリングしなければならないということを含めると、時間があるとも言い切れないのだ。
「それにしても、よくここで奴隷オークションがあるなんて知ってたわね」
「山賊共のところに、売買リストがあったんだ。あのときに紙切れをいくつか拾っただろ? ……お前と同じ帝国の人間は、もう売られてるだろうが」
「そうね」
「他に知り合いでもいたのか?」
「それはいないわ。親しい人は上手く逃げられるようにしてもらったから」
「囮になったのか?」
「当たり前じゃない」
「頭下がるわ」
「じゃあ解放してよ」
「それはダメ」
「死ね! 死んでしまえ!」
メリルリースにぽかぽかと殴られるが、別に痛くもかゆくもないので放置。
……その後は、彼女と共に夕食を摂ったのだが――
「――こんな美少女に手も出さないなんて、アンタは不能なのかって!」
「…………」
何故か、酔っぱらったメリルリースに叱られる羽目になっていた。
「普通は! あの盗賊団の親玉みたいに! ムラムラくるでしょ!? それなのに(バキューン)少しも勃たせないって何!? なんなの!? 普通なら(バキューン)して(バキューン)しまくって(バキュバキュバキューン)するでしょ!? 違う!?」
「…………」
酒が飲みたいという要望を聞き、ストレス溜まっているだろうなと思い気を遣って飲ませたのが悪かったのだ。
「アタシを助けたときだってそうよ!」
「え? いや別にあのときは助けたわけじゃ……」
「(キッ)」
「あ、はい。そうですね。助けましたね」
「なんで?」
「いやなんでって言われても……」
「ねぇちょっと、アンタ聞いてるの!? ねぇ!?」
「……はい。聞いてます。聞いてますから、ちょっと落ち着いてくれませんか?」
「これが落ち着けるかってのよ! アタシの沽券にかかわる問題よ!?」
「いや、でも、店の迷惑になるから」
「別に構いやしないわよ? どうせここなんて酔っ払いばっかりでしょ? あ、店員さん? お酒追加で! もっとじゃんじゃん持ってきてー!」
メリルリースはそう言いながら、木製のジョッキを豪快に傾ける。
「あの、飲み過ぎはよくないかなって……いやちょっとイッキとかそういうのはよした方が、ほら、健康に悪いし」
「うるさいわね! アンタは黙ってアタシの話を聞いていればいいのよ!」
「はい……」
メリルリースがひどい絡み酒だということが、ここで判明した。
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