第26話 メリルリース、口が悪い子
王国子爵、バスク・ルァがハルトと相対して行ったこと。
それは、貴族の、平民に対する命令だった。
彼の発言で、ギルドのロビーが水を打ったように静まり返る。
一方ハルトは、表情も声色も変えないままに。
「嫌だと言ったら?」
と、そんな口答えを行った。
挑発を匂わせる言葉ゆえ、これはあまりに不遜。
平民には決して許されない行為だ。
そもそもの話、貴族を前にしているため、平民であれば真っ先に跪かなければならないところ。
ここでバスクが激昂してもおかしくはない。
だが、子爵は余裕を見せるように、鷹揚な態度を崩さない。
「ふん、なにもタダというわけではない。代わりに君には相応の金銭を用意しよう。どうしても嫌だというなら、貴族の権利を行使するだけだがね」
「つまり、断れば無理やり連れてくって?」
「それだけではない。いまこの伯爵領では、閣下のご意向により、奴隷に対する待遇の改善を推し進めている。その反した君を、犯罪者として連行することも可能なのだよ」
「そんな話、聞いたこともないけどな」
「つい先日決まったのだよ」
バスクはしれっとした態度で言う。
これはおそらく嘘だろう。
確かに、奴隷の待遇改善はあるかもしれない。
あまりに不当な扱いであれば、注意や指導はあるかもしれない。
だが、それは領内の小さな範囲のものであって、法律として定めることはできないことだ。
奴隷は世界にとって欠くことのできない労働力である。
彼らが世から消えてしまえば、人々の生活は立ちいかなくなるというほどに、奴隷という存在は社会の基盤を担っている。
だが、奴隷に権利を与えすぎてしまえば、奴隷の数はどんどん減っていくだろう。
そして奴隷に代替するほどの【破格の労働力】がない以上、奴隷がいなくなれば、当然その分の労働力は消えていくことになる。
奴隷の雇い主の商売が立ちいかなくなる。
その商売で成り立っていた人々の生活の質は下がる。
人はより良い生活を求め、別の土地へ出て行くだろう。
人が出て行けば、国力は弱くなる。
だから、王国は……いや、王国以外の国も、奴隷に対する配慮などは行わない。
労働力を確保しなければならないそれゆえに、暗黙のルールが存在する。
その足並みを崩してしまえば、他の領主たちはおろかその上の王宮から、吊るし上げられるだろう。
ならば、領主が軽々しくそんな法を敷いたとは思えない。
だからバスクの言ったことは嘘なのだ。
だが、貴族が黒と言えば黒になるし、白と言えば白になる。
控えさせていた兵士たちが動いた。
いつでもハルトを取り押さえられるという示威行為だろう。
「さて、どうする。大人しく【
「…………」
ハルトは、黙り込む。
さすがに権力を振るわれれば、この男でもどうにもならないということか。
歯噛みをしているのか。
確かに上から無理やり押さえつけられれば、誰だってムカッ腹が立つ。
いずれにせよ、平民はそれを呑まなければならない立場にあるのだ。
だが、ふと窺ったハルトの表情は、極めて冷静なものだった。
冷めているとも言っていい。
まるで、不快な虫でも見ているようなそんな表情と視線である。
モコも主人と同じ気持ちなのか。
肩の上で、普段は出さないような唸り声を上げている。
すぐには答えないハルトに対し、バスクは手段を変えて攻め始める。
周囲の同情を引く方に切り替えたか。
思い詰めたような表情を顔に出した。
「私も、そちらの若者と同じで心苦しいのだよ。しもべとされ、不当な扱いを受ける者を見るのはね」
「子爵様……」
バスクの言葉で、レクスをはじめ、ギルドに詰めていた他のギルド員も感嘆の声を上げる。
普段ほとんど配慮しない貴族たちが、しもべや平民を気遣う態度を取れば、確かに感化されるだろう。
そして、ハルトに向けられるのは敵意だ。
彼へ、いくつもの視線が突き刺さる。
ふとバスクが、こちらを向いた。
「【
「……ええ」
「君も、そんな男のもとで働かせられて、苦しんでいるのだろう? 隷下に置かれているからと言って、遠慮しなくていい」
ここで自分から「不当な扱いを受けている」という言質を取れば、勇士たちをけしかける理由にもなる。
彼らがこの男に敵うかどうかについては、また話は別だが。
バスクに返事をせず黙っていると、レクスの言うようにハルトが黙らせていると思ったのか。
バスクはハルトに対し、返答を迫るように視線をぶつける。
しかして、ハルトは、
「――断る」
「ほう?」
「やっぱり最上位職のしもべを手放すってのは勿体ないからな。一時的な金に目がくらんで、そのあとに手に入れられるかもしれない大金をドブに捨てるような真似はしたくないんだ」
「交渉は決裂か」
だろう。
金をドブに捨てるなどの話は、これまでの彼の行動を見れば真っ赤な嘘だということは明白である。
だが子爵の命令をはね付けた以上は、起こるのは荒事だ。
正規兵、そして正義感の強い勇士たちが武器を抜き放つ。
正規兵は子爵の命令で。
勇士たちは、雰囲気に感化されたゆえの先走りだ。
彼らのレベルは15から25前後。
たとえギルドマスターが30を超えていたとしても、お話にもならないはずだ。
レベル35をハナクソと同列に扱って鼻で笑うようなこの少年である。
結果がどうなるかは、想像するに難くない。
「――――!?」
そんな中、ふいに背筋が薄ら寒くなった。
ハルトの影が、突然不気味に揺らめいたのだ。
それに気付いて、確信する。
これをそのままにしていれば、何かが起こるということを。
勘だ。
ならば、打つのか。
レベル35の相手さえ一撃で葬り去る、あのすさまじい攻撃を。
いや違う。
ハルトは、冷静だ。
感じ取ったのは、もっと違う未来。
一掃される。
敵意を向けてきたもの全員。
有無を言わさず。
なにかに押し潰されたあと。
一撃のもとに両断されるという現実。
これは、マズい。
なにかわからないが、ひどくマズい。
いま一瞬、降ってわいた危殆に心囚われていた折、子爵の声が聞こえた。
「君も、それでいいね?」
「え……?」
「君を解放することだが?」
「えっと? あ……」
完全に、悪い予感にばかり気を取られていた。
そのせいで、自分がどう動くかという選択肢があることを失念していた。
気を取り直し、どうすればいいかを冷静に考える。
そして、答えが出ると同時に、いつもの調子を取り繕い――
「いいえ」
と、そう、最初から決まり切っていた断りの言葉を口にした。
「なに?」
「だから、アタシに構わないでって話よ」
「は、いや……何を言っているのだ君は? ここで私の言葉に頷けば、君は解放されるのだぞ?」
子爵は、こちらが思ってもみなかった出方をしたせいで困惑の声を上げる。
周囲の勇士たちもそれに同調するように、戸惑いの表情。
それらに対して、大きなため息を吐いた。
「アンタの言葉に頷けば、確かにコイツからは解放されるでんしょうけど、その代わり、次はその伯爵さまがアタシのご主人さまになるってことでしょ? 要するにアンタはさっきから、伯爵さまならアタシのことをしもべとして上手く使ってくれるって話をしてたんじゃないの? 違う?」
「い、いや、そのようなことは……」
「そいつから解放されたところで、その伯爵さまもどうせアタシのことこき使うって魂胆なのは見え見えよ」
「貴様! 閣下に対しなんと無礼な!」
「ハッ――奴隷如きがってこと? 本性出るの早いわよ? もうちょっと我慢したら?」
「な……?」
「ほんとわかりやすいわね。いくらそんな笑顔張り付けてもね、下心が透けて見えるのよ。貴族の顔色を窺ったことのないギルドの連中は騙せても、アタシには効かないわよ? それになに、その奴隷の待遇改善なんてちゃんちゃらおかしい法律。王国法の条文に真っ向から対立してるでしょ? まさか領主自ら付け込まれる隙を作り出したってこと? あり得ないでしょそんなのバカじゃない無能領主って罵られても文句言えないわよ?」
「い、言わせておけば……」
「言わせておけばなに? 力ずくでどうにかするって? あら怖い。でも先に言っておくけど、アタシの名前はメリルリース・ラーン・エルトリシャ。アンタ、ちゃんと、それが、わかって言ってるの?」
子爵は、その名前を聞いて気付いたか。顔色を青くさせ、
「ま、まさか、エルトリシャとは……」
「そうよ。アンタみたいな木っ端役人でも知ってるような名前よ。たかが子爵如きが弁えなさい。たとえアタシがいまここでアンタを燃やし尽くしても、問題にさえならないのよ?」
「ぐっ……」
「あらあら、さっきの威勢はどうしたの? 別にいいのよ? 奴隷に落ちた分際で、大きな口叩くなって言えばいいじゃない? どうせアタシは奴隷なんだから。ねぇ?」
「な! なら、なおのこと!」
「今度はなに? 保護するとでも言うつもりかしら? アタシがここで不当な略取をされそうだって勇士に訴え出てもいいの? 本当に?」
「う、うぐぐ、うぐぅ……」
子爵はそれ以上言い返すことができず、悔しげに呻いている。
そんな中、ふとこれまで黙って聞いていたハルトが、肩を揺すってきた。
「……あのさ、もうそのくらいにしとけって」
「いいじゃない。もっと言わせなさいよ。アタシはああいう権力を笠に着たヤツが嫌いなの」
「いやぁお前もさっき笠に着た発言してなかったか?」
「アタシはいいのよ」
「いや」
「いいの」
「…………そうですか」
ハルトはそう言って、すぐ押し黙った。
ということは納得したのだろう。
こういうところはなかなか素直な少年なのだ。
目玉が飛び出るほど強いくせに、いち市民、いち平民的なところがある。
「アタシはアンタに付いていくつもりはないわ。目障りだからさっさと失せなさい」
自分の意思で、しもべのままでいると表明した。
これで、バスクも勇士たちもどうにもできないだろう。
ここでバスクがそれでもと食い下がれば、伯爵が勇士を無理やり略取したということになり、勇士隊ギルドで問題になる。
他方、それを一から聞いていた勇士たちは目を丸くしていた。
まさか、反抗するとは思わなかったのだろう。
少なくとも奴隷なら、自由になりたいと言うはずだ。
だが、だからといってこの子爵の甘言に騙され、のこのこ付いて行けば、いいように扱われることは目に見えている。
「ぐ……後悔するなよ!」
最後はそんな、三下らしい台詞を吐き棄てた。
これで役者が知れると言うもの。
……子爵が兵士を引き連れ、すごすごと帰って行ったあと。
ギルドマスターや勇士たちがわっと群がって来る。
そして口々に、「なんで断ったのだ?」などという訊ねを口にしたのだが、
「貴族の玩具にされるなんてゴメンよ」
答えはもちろんこれ一つ。
しかし、領主は信頼があるらしく「伯爵閣下はそんな人間ではない」とみな口を揃えていたが――それを額面通りに受け取るほど、自分は間抜けではない。
貴族など、基本的に仮面と舌を大量に揃えている人種だ。
甘言に乗せられて、のこのこ付いて行き、ひどい目に遭わせられるという話は枚挙にいとまがない。
そんなこんなで、ハルトと二人でギルドを出たあと。
ザガンの目抜き通りを歩きながら、彼のフードの中にいたモコを抱き上げる。
「モコちゃーん」
「もこもこ」
モコのすりすりで、子爵のせいでささくれだっていた心が癒されていく。
しばらくモコの可愛さの恩恵を受けたあと、訊ねるのは先ほどのこと。
「――それで、アンタさっきよくまあ貴族に断るなんて言い切ったわね。子爵が部下や勇士をけしかけたら、一体どうするつもりだったの?」
「んー、使えるカードもないし、逃げるって選択肢しかなかっただろうな。基本的に他領にさえ逃げ込んじまえば、どうにでもなるし」
「そうね」
「ま、なんにせよだ。派手なことにならなくて良かったわ」
「アタシがならないようにしたのよ。アンタ暴れさせたら、このギルドはおろかザガンまで壊滅するでしょうが」
「いやいやそんなことしねぇって」
「ほんと? 冷静そうに見えたけど、ホントはアンタ、暴れる気満々だったんじゃない?」
「まさか」
ハルトはあっけらかんとした態度を取るが、こちらは確かに感じ取ったのだ。
「う、そ。アンタあのとき危ない雰囲気駄々洩れだったわよ?」
「あー、それは俺じゃなくてな……そうか、お前も感じ取ってたか」
「……?」
ふとハルトが困ったというような、何とも言えない表情を見せる。
俺じゃない。
その言葉の意味はわからないが、態度から鑑みるに、どうやら暴れるつもりがなかったおのは本当のことらしい。
「でも、ああやって申し出を断るのは悪い手だったと思うわよ?」
「じゃあお前はあの野郎に引き渡された方が良かったってのか? いやまあ俺のとこにいるよりはマシなのかもしれんが……」
「それはないわね。断言できるわ」
「つまり、メリルリースお嬢さまは奴隷プレイがお好みだと」
「真面目な話してるときに茶化すな!」
こちらが目くじらを立てると、ハルトは悪びれもせずに舌を出す。
いちいちなにか言わないと気が済まないのかこの少年は。
出会った頃から一貫してとぼけた手合いだが、ともあれ。
「さっきもギルドで言ったけど、あの子爵に付いていったら、それこそいい様に扱われてたでしょうね。あの目を見ればわかるわ」
「なら、他には手はないだろ?」
この少年も、あの子爵が隠していた嫌らしい目つきを見抜いていたか。
ふと見れば、滅多に見ない苛立ちのような雰囲気が伝わって来る。
「ねえ、アンタって貴族嫌いなの?」
「ああ。めちゃくちゃ嫌いだ。この世から滅ぼしてやりたいくらいにな」
「アタシも似たようなものなんだけど」
「お前は貴族って言うよりはただのわがままお嬢様だろ?」
「はぁ? なにそれ? アタシがいつわがままなんて言ったのよ?」
「いやぁ、自覚ないんすか……」
ハルトは何故か呆れたような顔を見せる。
特にわがままを言った覚えはないのだが、もしかすれば庶民と高貴な者の齟齬があるのかもしれない。
「ま、貴族に反抗したのはそれもあるが、お前だって嫌なんじゃないかと思ってな」
「心配してくれるんだ」
「俺はお前のことなんてどうでもいい」
「はいはいどうでもいいどうでもいいー」
「てめ」
「アンタばっかりに、言わせてなるもんですか…………で? どうでもいいけど、そのあとはなによ?」
「…………こうしてしもべにした以上は、責任ってモンがあるからってことだ」
「だから、きとんと面倒見るっていうの? 筋を通すのは真面目で結構だけど、その言い分、矛盾してない?」
「うるせぇ。道理なんざクソくらえだっての」
何故かハルトは苛立ち始めた。
それは、自分の言葉での苛立ちや、先ほどの子爵との会話の余韻でもない。
不思議だ。
どこか、自分に対して苛立っているようにも感じられる。
……この少年、無理をしているのだろうか。
本当なら、もっと真っ直ぐ生きたいのではないか。
こんなことなど、していたくないのではないか。
だからあのとき、レクスとかいう勇士を、うらやましそうに見ていたのではないか。
見えない鎖に縛られて、がんじがらめになっているのは、間違いないだろう。
だが――
(なんだかんだ言ってても、善人なのよね)
おそらくそれだけは、間違いのないことなのだろう。
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