第10話 記憶の回帰、そして……



「――あのクソアマ女神がぁああああああああああああ!!」



 周囲の迷惑も顧みず、その場で思いの限り叫んだのは――あの女神への怒りが度を超していたためか。



「あのアマ! 今度会ったらぜってぇ殴る! ぜってぇだ! ぐちゃぐちゃのみそみそにしてやる!」



 ハメられたことへの憤懣ふんまんが収まらず、口をついて出たのはそんな暴言。

 あのキャラシートがどういったものかを知っていれば、もっと違うことを書いたのに……という怒り。

 記憶の話をあらかじめしてもらっていれば、それを見越してポイントを割り振っていたのに……という未練。

 それらが上手くいっていれば、そもそも『こんなこと』にはならなかったのではないか――



 そこで、ハルトはふと気付く。

 自分が、どこかの家のベッドに寝かされていたということに。

 ベッドは沢山の藁を骨組みに敷き詰め、その上にシーツをかけたものだ。

 スイスの宿を連想させるそれは、村にある他の家のものとほぼ同様。

 しかし部屋自体は広く、家具もそれなりに揃っている。

 先ほど大きな声を出したことで、家主が気付いたのだろう。


 足音のあと、部屋の扉が開く。

 現れたのは、ハルトの住むアリウス村の村長だった。



「気がついたようじゃな、ハルト」


「う……えっと、村長。ここは?」


「儂の家じゃよ。数日前に村の近くの森の中で倒れていたのを、わしが見つけてここまで運んだんじゃ」


「あ……」



 ハルトはそこでやっと、自分の身に何が起こったのかを思い出す。

 転生前にあった女神とのやり取りの印象が強かったせいで忘れていたが、いまはっきりと思い出した。



 そう、自分は【勇者こんやくしゃ】を迎えに来た者たちに、嬲り殺しにされたのだと。

 村長が心配そうにのぞき込んでくる。



「ハルト、身体の具合はどうじゃ?」


「いえ、いまはなんとも」


「あれだけひどかった傷が、みるみるうちに治った。一体どういうことなんじゃ?」


「それは……まあ、いろいろ、運が良かったとか? ですかね?」



 曖昧な笑みを浮かべながら、適当な返事をすると、村長はキツネやタヌキに化かされたような顔を見せる。



「……どうしました?」


「お主、その喋り方はどうしたんじゃ? 別人とまでは言わぬが、少し違和感があるぞ?」


「あー、えー。これは」



 記憶が戻ったせいか、無意識のうちに口調が転生前のものに変わっている。

 確かにこれではおかしいなと、自分でも違和感を抱きつつも、いまさら【ただのハルト】の喋り方に戻すのも変な話と思う。



 いまの自分は【アリウス村のハルト】であると同時に【転生前の線崎春斗】でもあるのだ。

 どうするべきかと、顔を渋くさせていると、村長が首を横に振った。



「……大丈夫であればいい。だが、髪の色も変わっているのはどういうことじゃ?」


「髪って、髪の毛もですか?」


「そうじゃ。黒から赤に変わっておるぞ?」



 村長に言われ、鏡を探して辺りを見回すが――この部屋にはない。

 そもそも、グランガーデンでは鏡は高価ゆえ、どこにでもあるようなものではないということも思い出す。



 仕方ないので髪の毛を一本抜いてみると、確かに赤い色味を持っていた。

 これも、記憶が戻った影響だろうか。

 いや、転生前も黒髪だったため、それはおかしい。

 原因は杳として知れないが、ともかくだ。



「あと他に見た目で変わったことは?」


「顔つきも心なしか……」


「か、顔つきもですか?」


「目もとが凛々しくなっておるの」


「……それはきっと奴らにしこたま殴られて変形したんでしょう」


「…………」



 ハルトが冗談めかして言うと、村長の顔は沈鬱なものに変わっていた。

 ということは、つまり、だ。



「その様子だと、何があったかは知ってるみたいですね」


「儂が村を出たあとすぐ、公爵の息子が儂のもとに現れて、自分から口にしたんじゃよ。勇者さまの婚約者を反逆の罪で始末したから、処理しておけとな」


「それは…………なんというか巻き込まれなくて何よりです」


「さすがに儂まで手にかけるわけにはいかなかったんじゃろうてな」



 だろう。

 口止めのために村長まで手にかけたら、村は混乱するし、そうなればベルベットの耳にも入ってしまうことにもなりかねない。

 村を守るために出立を決めた彼女だ。

 村に何かあれば、黙ってはいないだろう。

 ふと、村長が険しい面持ちを見せる。



「ハルト。急な話になるが、お前には村を出て行ってもらう」


「村を、ですか?」


「そうじゃ。ベルが行こうとしたとき、反抗したのじゃろう? お前はそのあと斬られたが、こうして運よく生き残った。それが知られれば、この村も無事ではすまないからじゃ」


「村の人間が俺を助けたと思って、連中が何かしらしてくると?」


「そうじゃ」


「でも村の他のヤツが俺のことを見てたら」


「お主が生きていることを知っているのは儂と、メルダだけじゃ」



 メルダとは、村長の妻のことだ。

 運ばれてから、すでに数日経っている。

 その間に、一緒に面倒を見てくれていたのだろう。



「……あの公爵の息子がお主の死体を処理しておけと言ったあと、儂に釘を刺したのじゃ。お主を殺したことを、勇者には知られぬようにしろ、とな」


「だから、累を及ぼさないために、村を出て行けというんですね?」


「……すまぬ。お主の親にはお主のことをよく頼まれていたが、村のことには代えられんのだ」



 村長は項垂れたように頭を下げる。

 本当に申し訳ない気持ちなのだろう。

 ハルトの両親は、少なからず村に貢献していた。

 その二人の頼みを、これから反故にしようというのだ。

 村長は、そこに負い目を感じている。



 ハルトの答えは、無論のこと決まっていた。



「わかりました。準備ができ次第、村を出ます」



 そう口にすると、村長は思いのほか驚いた顔を見せる。



「思った以上に、落ち着いておるな」


「騒いでも、どうしようもありませんしね」


 いずれにせよ、村は出なければいけないのだ。

 この件をこのままにしておけば、ベルベットがあの連中の道具になってしまうかもしれない。

 それを回避し、彼女を自分のもとに取り戻すためには、どうしたって村を出て、行動しなければならないのだ。



 それに、



(……連中に、お礼参りもしなきゃだしな)



 あの連中をのさばらせてはおけないという思いもあるが、正直なところあそこまでやられた報復もしておきたいというのが大きい。



 まず、ベルベットを取り戻すという時点で、衝突は不可避だろう。

 そうなれば、完膚なきまでに叩き潰さなければならない。

 公爵――王族に近しく、大きな権力を持つゆえ、まずは準備が必要だろうが――



「ハルト」


「はい?」


「出て行けと言った儂が憎くはないのか?」



 見れば、村長は思い詰めた表情をしていた。

 先ほどの負い目の話もそうだが、村長自身、自分のことを気にかけてくれているのだ。

 気にしないで欲しいと言うように、微笑みを返す。



「いえ、両親が死んでから、俺を気にかけてくれたのは、ベル以外では村長だけでしたから」


「だが、精霊さまから職を授かっていないお主を放り出そうと言うのじゃぞ?」


「ああ。それに関しては、心配いりません」



 ハルトはそう言ってから、【スキル】を使えること確認。

 魔術スキルの応用で、火を指先から出した。



 村長が驚愕の表情を見せる。



「……!? なんじゃそれは!?」


「一回死ぬくらいのことがあって、やっと目覚めたってところですかね。ま、これを使えれば、生き抜くのはそう難しくないかと。まあ、死にかけからの異常な回復もこれ関係ですよ」


「そうか……良かったな」


「いえ、良くはありませんよ」


「ベルか」


「…………」



 そうだ。結局、むざむざ連れて行かれてしまった。

 それが彼女の意思であるにしても、選択肢がなかった時点で理不尽なことに変わりない。

 それゆえ、記憶さえ戻っていればと強く思う。

 あの女神の言う通り、記憶が戻ったと同時に自分の身に強い力を感じるようになったし、ゲームのグランガーデンをやり尽くした自分には、この世界に関するメタ的な知識が豊富だ。



 それらを最初から……遅くてもベルベットが勇者となった時点で運用できるようになっていれば、話は大きく変わっていただろう。



 それを思うと、やはり。



(あのクソ女神め……何が『あなたが死に直面し絶望したその直後、溢れんほどのパワーで復活する!』だ。直後も何も日数それなりに経ってるじゃねぇか。不備ありまくりだぞ)



 せめて、せめてだ。本当に死の直前で記憶が戻り、力を得ていれば、カリスたちや取り巻きの騎士たちを全滅させて、ベルベットと一緒に今後の方策を練ることもできただろう。



 数日経っているなら、追いかけても間に合わないし、さりとて王都付近で接敵となれば、面倒なことになるのは想像するに難くない。

 いまは、もう何もかもが遅かった。



 だが、こうしているわけにもいかない。



「……家に行ってもいいですか? 村を出る準備がしたいので」


「いいじゃろう。いまの時間なら、外には誰もいまいて……」



 村長の了解を得て、ハルトは藁のベッドから立ち上がった。




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