第9話 女神とは、かくも胡散臭いものか



 モニターに映し出された『ステータス確定』や、『転生します』の文字は気になる。



 だが、だ。

 いくらなんでも、そんな昨今のライトノベルや漫画のような展開が起こり得るはずもない。



「…………うん。夢だなこれは。俺があまりにグランガーデンにハマり過ぎてたから、そのせいで今際の際にこんな夢を見たんだ。そうに違いないわ。これも全部ギルマスのせい」



 そんな風に、いま起こった出来事を勝手に現実逃避の類だと解釈する。

 だって、あまりに現実味がないのだ。

 今際の際の蒙昧と思っても仕方ない。



 だが――



「だけど、本当に転生だったらいいなぁ……」



 ――【グランガーデン】。



 仮想空間没入型のMMORPGで、VR機能を利用したゲームが主流となった時代に生まれたゲームの一つだ。

 プレイヤーは、グランガーデンと名付けられた幻想世界を魔王の手から救うために、世界中を冒険するという、設定はありがちだが王道を地で行くもの。



 大手が発表したビッグネームのようにメガヒットしたわけではないが、世界観やゲームシステム、そして自由度が多くのファンを生み、VRゲーム戦国時代を生き抜いた。



 メーカーが小規模企業であったためか、サーバーが弱すぎて不具合連発。

 そのくせ大手が持たないような変態技術をいくつも搭載していたため、人気はまるで衰えなかったという伝説付き。



 だが、春斗が死ぬ一年前に、惜しまれつつもサービスは終了した。

 当然、没入型のゲームであるためか、その手のゲームによくありがちな制限も多くあった。

 味覚や嗅覚に関しては技術的な面で追いつかず、触覚はあったものの、痛みなどはチクリとするくらいでほとんどなかったと記憶している。



 それらはすべてプレイヤーの健康面を考慮して政府が設定したものであり、プレイヤーたちはこれに大なり小なり不満を懐いたものだった。

 だが、これがゲームではなく転生となれば、その手の不満も抱くことなく、ファンタジー世界で過ごすことができる。

 いちプレイヤーとして、これを魅力に思わないはずはない。

 春斗が「ま、そんなわきゃないか」と笑いつつ、ともあれなんとなく玄関の方へと歩き出した、そんなとき――



「――結局あなたは、最期まで人助けをしてましたね」



 背後から、そんな声がかかる。

 目を細めて振り向くと、そこには長い黒髪を流した女性の姿。

 先ほど春斗が用紙を記入した机の上に、腰を預けていた。

 人間離れした美貌に、薄手の白いワンピース。

 シルクのグローブを嵌め、指揮棒のようなものを持っている。

 もちろん初めて見るし、そもそもこれだけの容姿、一度見ればまず忘れない。



「……どちらさま、ですかね?」


「私ですか? 私はあなた方が言う、神、女神のようなものです」



 微笑みながら、胡乱げな言葉を吐く自称女神。



「んで、その女神様が、一体どうして俺なんかの前に?」


「本当は出てくるつもりなどなかったのですが、最後にあなたと話をしてみようかという気分になりまして」


「我ながらすごい夢だ。女神を名乗る女が出てきて、しかも俺なんかと話をしたって言い出すなんてなー」


「これは夢ではありませんよ?」


「いや、今際の際の夢でしょうよこんなの」


「いいえ。いくら死の直前であろうとも、これほど長い夢を見る時間はありません。というかあなた、即死でしたので。あなたで言う、ぐちゃぐちゃのみそみそでしたので」



 やっぱりか。



「翌日の朝刊にも載りますね。期待の若手総合格闘家、交通事故死。トラックにひかれそうになった少女を、その身を挺して助けた悲劇のヒーロー。感動的です。きっと全米が泣くでしょうね」



 女神は最後に茶化すような言葉を付け足したが、



「じゃあこれは本当に?」


「これは現実ですよ。あなた方で言う死後の世界、とでもいいましょうか」


「天国は随分殺風景なところで」


「いえいえ、地獄かもしれませんよ?」


「人助けしたあとに地獄行きとか笑えないですよ」


「ふふ、そうですね。ちなみにここは天国でも地獄でもありませんよ。そんなもの造る余裕があったら、リンネ・システムなんて救済措置、そもそも存在する必要ないじゃないですか」


「は?」


「ふふ、こちらの話です」



 いまいちよくわからない。

 いや、そもそもそんなことを考えている場合ではないか。



「そういや、さっきのあれに書かれた転生うんたらってのは」


「はい。その通り、転生です。あなたは生まれ変わります」


「ポイント割り振ったのって」


「聞いたことはありませんか? 人間は善行を積めば、また人間に生まれ変わることができると。あなたはその善行が――徳ポイントとでも言いましょうか。それが一定以上溜まったので、ある程度好きなように生まれ変われることができるのです。普通、ほとんどの人間は、なんの選択もできずに同じ世界に生まれ変わるところを、あなたは世界の選択、能力の選択ができるまで善行を積みましたので、先ほどのようになったわけです」


「善行って……そんなにした覚えはないんですけど」


「それは、あなたが意識しなかっただけでしょう」


「ああ……ええっと、はい」



 そうかもしれないが、なんとなく面映ゆい。

 照れている最中、ふと気付く。



「…………あの、もしかして、さっきのシートってやっぱりあれがそのまんま転生に影響しちゃうので?」


「はい」


「ちょ、そこ先に説明してくれよ! なんか適当に選んじゃったぞ俺!」


「ええ。大丈夫です」



 ――大丈夫。つまり。



「想定の範囲内ってことか!? もしかしてそう言う目論見だったのか!?」


「その方が、面白いと思いましいて」


「俺的には面白くないって!」


「私的には面白いからいいんです」



 にっこりと微笑んだ女神に、非難の視線を送る。



「…………」


「そんな目で見ないでください。ちゃんとあなたの書いたスキルやアイテムが登場する世界ですので、楽しめますよ?」



 女神はにこにこしながら言う。

 ひとまず落ち着いて、敬語に戻す。



「グランガーデンって」


「あなたの知っている、グランガーデンのようなところですね」


「なんですか。あのゲームみたいな世界観の世界が都合よくあるんですか?」


「それこそ世界は無限にあるので。むしろ、あなたのいた世界の方が、都合のいい世界だったのでは?」


「そりゃそうかもしれませんが……だからってゲーム世界っていうのもよっぽどでしょう?」


「あら? 冒険してみたかったのでしょう? もちろん、一から十までゲームではありませんよ? 用意されたシナリオやイベントをなぞるわけではありませんし、その世界の人々が生きています。それらの人々が繋いだ歴史があります。違うところだってあります。なんでも都合よくはいきません」


「……ステに関しては結構めちゃくちゃ書いちゃいましたけど?」


「あれなら、ほぼ間違いなく最強でしょうね」



 女神はしたり顔でそう言うが、しかし春斗はそんな風には思わない。



「最強ね。転生先が本気でグランガーデンだったら、個人最強でも危ういですよ」


「あそこは、職業やスキルが物を言う世界ですからね。大群相手になるとうかうかしてられませんか」


「く……わかってたらもっと違うの書いてたのに……」


「人生そんなものですよ。ふふふふ……」


「くそ、この……」



 どの口で言うのかと言いたくなるが、それは女神のふとした声に、遮られた。



「最後に、あなたに訊きたいことがあります」


「……なんだよ」


「そういじけないでください。あのステータスで生まれ変われば、好きなことができますよ?」


「そうでしょうけど。なんか納得いかないっていうか……で、訊きたいことってのは?」


「今生では、どうしてあれほど人助けをしていたのですか?」


「まあ、人助けした方が俺も相手も気分いいし。そんだけですよ。特に『なんで』とか『どうして』とか、深く考えたことはないかな」


「愚かですね」


「……いやまあ、俺も自分自身利口だとは思ってないし、褒めて欲しかったわけじゃないけどさ。徳だか善行だかポイントがどうとか言ってるクセにそれかよ」


「徳ポイントとは、いわばあなたが他人を助けて割を食った分の指標です。人生とは……そう人生とは、本来好きなように生きていいものなのですよ! 奪っても! 犯しても! 殺しても! 何をしても構わない! 誰にでも奪う権利があり、奪われる義務がある! だってそうでしょう! ここは、そういうことができる世界なのですから! そういう風に造られたのですから! でなければどうしてあなた方人間に他を略する機能があるというのですか! そうあっていいからこそ、そうできるようになっているのです!」


「…………」



 女神の熱の入った弁を、反対に冷めた様子で聞く。

 狂気。

 そう、これは狂気だろう。

 まるでカルトの教祖を見ているかのような、逸脱ぶりだ。



「――失礼。少し取り乱してしまいましたね」


「なあ、あんた、本当に神か? そんななりして実は、悪魔なんじゃないのか?」


「神は神聖なものだと、誰が決めたんですか? そもそも神聖とはなんです? 神聖な者が正道を体現すると言うならば、人の真の在り方を教える私こそが、正しく存在すると言ってよいのでは? 潔白、清貧、それらを良いものと位置付けるのは、ひとえに人間の幻想でしかないのです」


「それであんた、神みたいなもんだって言ったのかよ」


「……次の生活では、その力を使って好きに生きてください。また人助けに生きるも、奪うも、犯すも、殺すも、支配するも、あなたの自由です。ふふふっ」


「じゃあ、異世界グランガーデンを生きる秘訣ってのを教えてくださいませんかね。女神様」


「何事も、上手く立ち回ることです。悪が悪とされるのは、下手をうったからにほかありません。常に先々を考えて行動し、はかりごとを怠らない。それだけで、あなたの人生はバラ色です。もちろん黒バラの方ですけど」


「はー、悪いことを推奨する神って怖ぇ」


「だってその方が面白いじゃないですか」


「おい、徳ポイントってあんたの思い通りならなかったヤツに課されるペナルティなんじゃないだろうな? 次は好きなようにしていいってお墨付きやるから、抑制されてたモンを思いっきり出してみろって」


「くすくすくす……」



 こいつはヤバいと、改めてそう思う。

 人生を見て楽しんでいる。

 そんな邪悪な雰囲気が、ひしひしと感じられた。



「やっぱり悪魔だ」


「あら? そういった生き方は、善良なあなたには合いませんか?」


「二度目の人生をもらっても、俺は好きなように生きるよ」


「それもいいでしょう。それもあなたの人生なのですから」



 女神はそう口にして、ふと何かを思い出したように手を叩く。



「あと、言い忘れてましたけど」


「おい、なんだ。何を言い忘れた。すごい不吉なんだが」


「ええ。あなたの記憶は、一度不死身の身体が死から回復しないと戻りません」


「は? なんで?」


「ポイントを使い切ってしまったでしょう?」


「いやいやいや、そもそもそんなこと書いてすらなかっただろ?」


「そうですね。でも、そういうことなんで」


「うっそだろ! それじゃあ一度も戻らないってこともあるじゃねぇか!」


「いえいえ、あなたの場合だと、ちゃんと寿命で戻りますよ。一度寿命を迎えればそこで発動しますので」


「俺は! 老衰で! 死ねるようにした!」


「あ、そうでしたね。じゃあ戻ってもすぐそこで死にますよ」


「ファーーーーーー!!」


「ちなみに職業とスキルも記憶に連動しまーす!」


「俺はシートの書き換えを要求する!」


「ブー。もう受け付けは終わりましたー。バリアーも張ってまーす」


「バリアーって……いやほんとにバリアー張るんじゃねぇよ! なんでもありか! つーかテメェ、ハメやがったな!」


「てへっ」


「何が『てへっ』だ! 最初からそのつもりだったんだろうが!」


「だってその方が面白そうじゃないですか! あなたが死に直面し絶望したその直後、溢れんほどのパワーで復活する! 男の子ならみんな大好き! 燃える展開です!」


「だからそれがないかもしれないってのが問題点なんだろうがぁああああああああ!」



 女神にそう叫んだ折、背後からドアが開く音が聞こえてくる。

 その音に対して振り向くと同時に、春斗の身体はドアの先に吸い込まれていったのだった。



 ――行ってらっしゃい線崎春斗。次の人生も、悔いのなきよう。




 春斗の意識が解かれる直前、どこからか、そんな声が聞こえた気がした。



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