第8話 こちらにご記入ください



 ――顔を打つ冷たい感触で、目が覚めた。



 大地に寝そべり、空は灰色。

 透明な粒が無色の糸を引いて落ちてくる。

 雨だ。

 雨が降っている。



 何気なく手を動かすと、水たまりにでも触れたのか、パシャンと音を立てて水が跳ねた。



「確か、僕は、さっき剣で斬られたはず……」



 そんな風に、まだ曖昧な境にある意識のまま、困惑を呟く。



 そう、さきほど確かに【剣聖ソードマスター】の少年に両目を斬られたはずなのだ。

 もう二度と光を認識することは叶わなくなったはずなのに、いまこうして灰色の天を見上げることができるのは、果たして一体なにゆえなのか。



 いや、そもそもあれだけ傷を付けられて、生きていること自体がおかしい。



 ならば、ここが教会で伝え聞く、あの天国なるものか。

 いや違う。

 いま自身が倒れ伏している場所は、カリスたちに嬲り殺しの目に遭ったその場所に他ならない。



 それに、が天国は存在しないと、そう確かに言っていたのだ。



 ――そんなもの造る余裕があったら、リンネ・システムなんて救済措置、そもそも存在する必要ないじゃないですか。



 ならばなぜ、自分はこうして死なずにいるのか――



「な、治ってきて……る?」



 身体中に刻まれた傷や火傷が、じうじうとしたひりつく痛みと共に、癒えてきている。

 それはまるで『動画を逆再生』でもしたかのような、巻き戻りよう。



「……そうだ。僕……いや、俺は不死身だから、治るんだ。……そうだ、治るん、だったな」



 問わず語りに口にしていると、徐々に徐々に、いつかの記憶が戻って来る。

 それはそう、



「そうだ。確か俺、あのとき十トントラックにぶっ飛ばされて――」



 ――アリウス村のハルトではなく、日本人、線崎春斗としての最後の記憶が。



    ■

     


「――で、ここは一体なんなんですかねぇ……」



 ふと思った疑問を、独り言のように口にする。

 いまの状況を一言で表せば『よくわからない』だ。

 気が付けば、自分の部屋のような場所にいた。

 ようなと形容したのには、明確な理由がある。



 ここには自分の部屋だと思えないような、不可解な違いがあったからだ。



 各種トレーニング用の器具。

 自作のへたっぴな木人椿。

 命と同じくらい大事なゲーム用のヘッドギア。

 散らかり放題なベッド。



 それらはそのままだが、部屋の真ん中にまったく見覚えのない机があり、窓の外に見える景色は色を失ったように灰色だった。

 さながらそれは、白黒写真の世界にでも迷い込んでしまったかのよう。

 そもそも最初から話がおかしいのだ。

 自分はつい先ほど、死んだはずである。



 バイクに乗ったまま、暴走した十トントラックに撥ねられそうになった女の子をどうにか助けて、その代わりに自分がフロントボディに突っ込む羽目になった。



「間に合うと思ったんだがなぁ……」



 そうにもかかわらず、無事でこうしてここにいるのは、前提からして狂っている。

 あの速度であの質量に突っ込まれたのだ。

 頭も身体も腕も足も、ぐちゃぐちゃのみそみそであることには間違いないはずである。



 そうでなくても、



「さすがに無傷ってのはないしな。これはおかしいわ」



 いくら可能性を手繰っても腑に落ちないが、どうしようもない。

 そのまま、室内を観察する。

 よく見れば机の上に用紙とペンが準備され、その隣にモニターらしきものも置かれていた。



「なんだこれ?」



 どれも、見覚えはない。そもそも購入した覚えがないものなのだ。

 用紙は、TTRPGのキャラシートを連想させる。

 モニターはなんだかよくわからない。

 コンセントのコードも付いていない。



 ――こちらにご記入ください。



 ふと覗き込んだ折、モニターに文字が映し出される。

 もしやこれは、自分の声に反応したのだろうか。



「これに?」



 ――お願いします。



「は、はあ……」



 シートへの記入を促され、困惑したまま席に着く。

 シートをよく見ると、やはりTTRPGのキャラシートに似た表記やマスが設定されていた。



「なになに? レベルに装備に所持アイテム、見た目、職業、スキル……と。結構大雑把なんだな」



 TTRPGのキャラシートならば、STRなどに細かい数字を割り振れるが、手元にあるシートにはそういった欄は記載されていなかった。



 ――ポイントを表示します。ゼロになると、割り振れません。



「割り振れないって……数字書く欄、レベルと所持金だけじゃん」



 ――その他の部分は、こちらで勝手に算出いたしますので、お気になさらず。



「さいですか。見た目欄は……これはこのままでいいかなぁ。いま着てるのお気に入りだし」



 いま身に付けている服は、死んだときのものそのままだ。

 白のライダースジャケット。

 薄手のパーカー。

 黒のパンツ。

 ミリタリーブーツ。



 ちょうどバイクに乗っていたので、薄手のオープンフィンガーグローブも付けている。

 このご時世ダサいと言われそうな格好だが、好きなものは好きなのだ。



「装備……装備ねぇ。バイク……ダメだ消えた。じゃあTTRPGと言えばでファンタジーよろしく、なんかゲームのやつで行こうかな」



 となれば、だ。ここは好きなゲームで行くべきだろう。

 もうすでにサービスは終了しているが、つい最近までやり込んでいた体感型MMORPG【グランガーデン】。



 それをもとにして記入していけば、多少見れるものにはなるだろう。



「そうと決まれば、まずレベルだな。基礎レベルは……ははは、かなり高いけど60くらいにしとこうか。ゲームやってたときも似たようなレベルだったし。で、次は職業レベル……っと。ん? こっちは書けない? うん?」



 職業欄にいくら希望の職業とレベルを記入しても、先ほどのバイクと同じように消えてしまった。

 どうやら、記入できる部分とできない部分があるらしい。

 その辺りは仕方ないかと飛ばすことにして、次に移る。



「武器は……ふふん。【ロード・オブ・グラム】。防具は【塞の盾】……うお、さすが超々レア武器書くとポイントガッツリ減るのな。あとは手持ちの金だけど……こっちは別にいっか」



 金銭にリソースポイントを割り振ると、このあとのスキルの割り振りが楽しくなくなってしまうので、記載はゼロ。



「そしてスキルだ。……これだよな! これ! まず魔術スキルは入れてみたいよなー。あと異常状態無効は必須と……よし、ポイントはまだまだイケるぞ。あとは、武器を剣にしたから剣士の武術スキル。モンク系は……いらんか。こっちは俺の本職だし。あと鑑定系スキル……アイテムストレージっと……あ、アイテムの【黒い男の召喚サモニスオブダークネス】も追加、と」



 そのあとも、目ぼしいスキルを片っ端から記入していると、シートの上の方の欄に変化があることに気付いた。



「あれ、職業が勝手に決まってら。これ装備とかスキルで決まるのか? ええっと、なになに? 【不死身の戦王シグムントウォーロード】? やけにごっつい名前だな。そういや確か、プレイヤーが取得できない設定上の職業でこんなのがあったような……はぁ!? 特性不死身? え、なんかヤなんだけどそれ。つまりずっと死ねないんだろ? うわ。なんかここだけ変えれないかな……特記事項に、老衰アリにしとこう。そうすれば、多少は真っ当なヤツになるだろうし――お、その分のポイント増えた! これでまだスキルに割り振れるぞ」



 そんな調子で記入を進めていくと、やがて、記入欄がすべて埋まった。



「よし、これで一通り終わったかな……あーあ、リアルでもこんな感じのステで、ゲームの中を冒険してみたかったなぁ」



 ――受諾しました。



「ん?」



 ふと何気なく口にした言葉に、モニターが反応したらしい。

 しかし、モニターに映し出された文字を見て、小首を傾げる。

 受諾とは、どういうことか。

 一体何を、承ったのか。



 ――ステータス確定。提出したデータは受理されました。



「提出? は?」



 見れば、手元にあったキャラシートが消え失せていた。



 ――あの扉をくぐれば、あなたの魂は異世界グランガーデンで転生します。おめでとうございます。



「は? え? なに、どういうことそれ?」



 訊ねても、モニターは何も映し出さない。

 結局、意味が分からず、線崎春斗はその場で戸惑うことしかできなかった。



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