第7話 死
「はぁ……はぁ……」
追いかけていた馬車や、護衛の騎士たちが停まった。
村の入り口から全力で走っていたハルトは、息も切れ切れ。
膝を押さえて、荒くなった息を整える。
何もない場所で停車したため、カリスがベルベットを説得する最後の機会をくれるのかと思ったのだが――どうやらそうではないらしい。
顔を上げると、カリスとその仲間らしき面々が、馬車から降りて来たのが見えた。
先頭は、大きな槍を背に負ったカリス。
その後ろに、腰に高価そうな剣を差した軽薄そうな顔つきの少年。
その隣には、二の腕ほどの長さの杖を持った仄暗い雰囲気をまとう少年。
反対隣りは、弩を腕にくくり付けた枯れ草色の髪の少女。
大きな白銀の杖を携えた、教会のシスターのような格好をした少女が後ろに続いている。
彼らの名前は、すでにベルベット伝手に聞いていた。
彼らはみな、この辺境でもその名を耳にしたことがあるほどに、有名な者たちだ。
それゆえ、わからない。
説得の機会をくれるならば、彼らが出て来る必要はないだろうし、そのうえどうしたことか、馬車と他の騎士たちは、ベルベットを擁したまま先に行ってしまった。
ハルトが疑問に思っていると、やがてカリスが目の前まで歩み寄って来る。
「か、カリスさま、あの……」
息を切らせたまま口を開くと、カリスが苛立ちの視線を向けてきた。
「なんだ。貴様はまだ勇者さまを引き留めようというのか?」
「そ、そうです! 僕はベルを危険な目に遭わせて欲しくなくて――」
だから、ベルベットを帰らせてくれ、と。
そんな思いを、ハルトは最後まで口にすることはできなかった。
突然腹部に痛みが走り、そのまま地面を転がってしまったからだ。
「ぐうっ……」
一体何が起こったのか、わからなかった。
急に天地が逆さまになり、呼吸がさらに苦しくなった。
かすれた呼吸音を響かせながら顔を上げると、そこには槍の石突きを突き付けるカリスの姿があった。
おそらくは石突きでしたたかに打ったのだろう。
彼の顔には、苛立ちと侮蔑の表情が浮かんでいる。
「かしこくも王子殿下のお言葉に背くとは……身の程知らずめ。己が平民だということを弁えろ。このクズ」
「そうそう。平民は平民らしく、貴族の前では地面に這いつくばるのがそもそもの礼儀でしょ? そんな礼儀も弁えないで頼み事なんて、思い上がりも過ぎてるって話よ」
嘲笑うように見下してきたのは、腕に
彼女に続いて、腰に高価そうな剣を差した少年が、剣呑な視線を向けて来る。
「おら、頼みごとがあるんだろ? 地面に頭を擦り付けろよ」
「う……」
平伏はおろか地面に頭を擦り付けろとは、あまりに屈辱的な命令だった。
だが、これが身分の違いによる理不尽なのだ。
身分の低い者は、身分の高い者の命令を聞き、決して反抗してはいけない。
どちらが良いか悪いかではなく、社会の機構として、庶民は貴族に
……ハルトは地面に手を突いて、土を握り締め、頭を擦り付ける。
「お願いします! ベルを村に戻してあげてください! 彼女も本当は魔王と戦うなんてこと、したくはないんです!」
「あははっ! こいつマジにやりやがった! お前プライドとかないの? え? プライド、ないんでちゅかー?」
「……お願いします!」
頭を指でつついてくる【
「さすがは平民だよね。貴族にお願いするのに、こんなことまでするなんてさ」
「……お願いします!」
侮蔑の声は、【
彼らの小馬鹿にした行為は、徐々に度を越していく。
指でつつくのが、足蹴にして踏みにじる行為へと変わり、土をかけられ、やがては唾まで吐きかけられた。
だが、それでも――
「お願い、します……」
自分には、頼み込むことしかできないのだ。
無力だから。
自分がベルベットの代わりになるとも言えず、彼女の盾になるとも言えず。
ただ、願うだけ。
それこそ、恥入るべきことだろう。
(僕に、力が、あれば……)
力があれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
ベルベットの助けになると、彼らの前で口にできたのだろうか。
いや、それが不可能なのは、自分がよくわかっている。
多少の力を手に入れたところで、どうにもならないことは、ずっと彼女と比べられてきた自分がよく知っているのだ。
絶大な力を持つ【職業】と、前途を眩く照らす【才能】がなければ、強者には決して追い付くことさえできないのが、この世界の理だ。
そのどちらも持たず、そればかりか劣等とさえ囁かれる自分には、力なんて求めること自体、おこがましいことだろう。
……二親が死んでからは曲がりなりにも農夫として生きて、母の職業である【細工師】となるべく、努力を重ねてきた。
確かに、強くなる努力を全くしてこなかったのは、自分に責任があるだろう。
だが、それがこの辺境の村で生きる者にとって、罪なことだろうか。
グランガーデンは、【職業】と【スキル】が物を言う世界だ。
自分のできること精を出し、みなそれに精一杯になる。
それは誰であろうと同じだ。
強くなる必要がなければ、強くなどならないのは、当然のことだと言える。
そんな生き方が、悪いことなのか。
こんな惨めに遭わなければならない理由になるのか。
どんなに疑問を抱いても、これが是とされるのがこの世界の道理。
だから、どうしようもないのだ。
自分には、恥を忍んで頭を下げ続けることしか、許されていない。
自分に職を授けてくれなかった精霊も、自分にそうしろと思うからこそ、こうした運命を課したのだろう。
「お願いします……どうか、どうか……」
「……ここまでされても、ただ頭を下げ続けるだけとは、平民は本当にあさましい存在だな」
「それでカリス、結局こいつはどうするんです?」
「予定通りだ。――そろそろ汚い面を上げろ平民」
「ぐっ!?」
カリスに顔を蹴り上げられる。
そのまま、後ろへと転がされた。
顔に付いた土を払い、前を見ると、カリス以外の全員が、それぞれ武器を抜き放っていた。
「え……?」
――何故だ。浮かび上がったのは、そんな疑問だ。
世界を救うはずの勇者の仲間が、どうして魔物を殺すかのように、武器を掲げて迫って来るのか。理解できなかった。
そんな風に、ハルトの思考を混乱が占拠するも――彼の思考はそこまで続かなかった。
「あ、あ……」
武器を携えて迫って来る五人から、目に見えない圧力の波が放たれる。
――【武威】だ。
レベルの高い戦闘職が総じて持つと言われる【スキル】の一つ。
その効果はレベルの低い相手を射すくめることはおろか、様々な悪い効果を与えるという。
当然、それが向かう先はハルトに他ならない。
強者たちの【武威】を一身に受けたせいで、口や頭が麻痺してしまったかのように、
「平民がここまで我らの手をかけさせるとは、度し難いことだ。本当にな」
「しかも、あんた無職なんだって? 精霊さまから見放されているくせに、あたしたちに頼み事なんて、図々しいなんて思わないの?」
――無職。
――無職。
――無職。
そんな、罵りの声が聞こえてくる。
いま目の前にいる彼らが。
過去、自分を罵って来た村の人間たちが。
こぞって自身を【無職】だと。だからお前は無能なのだと責め立てる。
無職、と。そんな言葉を使って。
「ぼ、僕だって好きでそうなったわけじゃないんだ! 僕だって! 僕だってずっと、職を得られるように努力してきた! それでも精霊さまは! 精霊さまは……」
みなと同じように、職をくれることはなかったのだ。
「あ? なに? あたしに言い返すなんてあんたいい度胸してるわね? ウザイんだけど」
枯れ草色の髪の少女は、そう言って弩を取り付けた腕を上げ、
そして、
「――【
「ぎゃっ!?」
両肩に、熱い痛みを覚える。
スキルによって、一瞬にして射抜かれたのだ。
「無職のクセに。スキルもまともに使えないクセに。雑魚のクセに。精霊にも見放されてるクセに。劣等は劣等らしくしてなさいよ。あんたを見てるとほんと頭に来る……」
枯れ草色の髪の少女は、苛立ちを遥かに超えた怒りを表情に滲ませて、迫って来る。
仰向けに倒れ込んだ顔に、さらに迫るのは、彼女の靴の裏で――
「ほら、無職。どうしたのよ? なんか言い返して見なさいよ! ほら、ほら、ほらぁ!」
「ぐっ、がっ、あっ……!」
少女に、顔面を踏みつけられる。
強く、断続的に、何度も、何度も、何度も。
それには容赦も慈悲もなにもなく、顔を滅茶苦茶にせんと言わんばかり。
踏みつける行為は、当然のように止まらない。
「ぐ、いだ、やべ、やべで……」
「おいおいなんだよその顔! 腫れまくってどんな顔してたかわかんねぇじゃねぇか!」
「う、うう……」
戦闘職に何度も強く踏みつけられたせいで、顔がひどく腫れあがったらしい。
顔全体を熱と痛みが支配する。
痛い。痛い。痛い。この痛みがいつまで、どれだけ続くのか。
そう考え始めた折、
「はい次俺の番ー。シェリー、ちょっとどいてくれ」
「もっとやらせなさいよ」
「お前ばっかりやってたら、俺が斬れないだろ? な?」
「……わかった。いいよ」
枯れ草色の髪の少女が下がると同時に、剣士の少年が腰に差した剣を抜く。
「ひっ――」
鋭利な光を反射する白刃に、命の危険を覚える。
そして、ハルトは理解した。
こいつらは、自分を嬲りに来たのではなく、嬲り殺しに来たのだと。
日頃の鬱憤を晴らすための、使い捨ての道具にするために。
だからこいつらは、こうして気味の悪い笑顔を、自分に向けてきているのだ。
「――ほら、立てよ平民。地面に這ったままだったら斬りにくいだろうが」
「う、ぐ……」
「ちっ、オラ、さっさと立てよ。この……」
剣士の少年は、ハルトが立ち上がらないことに腹を立て始める。
だが、ここで立ち上がれば、彼に斬られるのは目に見えていた。
だから、その場で亀のようにうずくまるほかなかった。
そんな中、白銀の杖を持った少女が歩み寄って来る。
「――あらあら、ひどいですわね」
落ちてきたのは、清らかな声。
それは、王国では聖女とまで呼ばれる有名な【
【
聖女は、微笑みを浮かべながら近づいてくる。
見えるのは、人の心を安んじさせるような、慈愛に満ちた笑みだ。
聖女と呼ばれるほどのその慈悲深い心をもって、手を差し伸べてくれるか――
「た、たひゅけ、て……」
近付いてくる聖女に向かって、助けを求めるように手を伸ばす。
この痛みから救って欲しくて。
この苦しみを取り除いて欲しくて。
手を差し伸べて欲しくて。
のろのろと伸ばされた手の先端、指先が彼女の靴に触れた折、彼女の慈愛に満ちた顔が豹変する。
それはまるで、恐ろしい顔と強大な力を持つ魔物である、
そして、
「このっ、ゴミ虫!!」
「ごはっ!?」
言葉と共に叩きつけられたのは、彼女が手に持っていた白銀の巨大な杖。
それが、先ほど踏みつけられたときのように――いや、それよりもなお激しく、ハルトの身体を
「たかが! 虫けらの! 分際で! 汚い手で! 私の靴に! 触れるな!」
「うぐ、う、う、ごめ、んなさ、い……ごめんなさ、い……」
気分を害したことを謝罪するも、杖の乱打は止まらない。
ヒステリックな声と共に、痛みが倍増しに増えていく。
「おーおー、ひでぇひでぇ。聖女様の名が泣くぜ?」
「は……このようなゴミ虫どれだけ潰したところで、私の名声には一筋の傷もつきません」
「さすがは聖女さまだ。おーい、大丈夫かー? まだ生きてまちゅかー? あーあ、勇者さまも、こんなザコにまとわりつかれて大変だったろうなー。同情するぜ」
剣士の少年の嘲笑う声に続き、陰気な空気をまとう少年が口を開く。
「では、そろそろ僕の番、いいですか?」
「俺を飛ばすんじゃねぇよ」
「こういうのは、早い者勝ちですよ」
「で、イッド。あんたはどうするのよ? 魔術スキルで細切れにでもするの?」
「いいえ、今日は炙ってやろうかなって思いまして」
「――ッツ!?」
炙る。まるで食材を調理するかのようにそっけなくそう言われ、背筋に戦慄が走る。
「――【
それは、メイジが使う、火系の魔術スキル。
中空に現れた魔法陣から、炎が暴れるように飛び出し、うねり、そして弾ける。
一目で危険だと判るそれが、瞬く間に迫ってきた。
「あ、あ……あぁあああああああ!!」
「のたうちまわれ! あははははっ! あはははははっ!」
「あ、あつ、熱い! 熱いィイイイイイイイイ!」
肉が焼ける匂いが、自分の身体から漂ってくる。
それはあまりに絶望的な匂いだ。
火傷で、肌がぐずぐずと爛れてくる。
「あはははは!! なんだよお前!? それじゃほんとに虫みたいじゃないか!?」
「うぐ、あ、あ、あああああ!」
絶望的な痛みと同時に、思う。
ベルベットはこれから、こんな人を人とは思わぬような残虐な連中と、魔王を倒すまでずっと一緒にいなければならないのか。
そう考えると、やはり思う。
痛い。
苦しい。
辛い。
それでも、彼女を王都には行かせられない、と。
「ベ、ベルを……ベルを……」
そんな考えが伝わったのか――
「そう心配するな。勇者さまにお前が思うようなことはしない」
「え……?」
いや、そんなわけは、なかった。
「あの女なら、俺が上手く使ってやる」
「つか……う?」
「そうだ。平民、お前は知っているか? 強者と強者が子を成せば、その子に職業やその強さが引き継がれることを。私の子が、有能でレアリティの高い職業の胎から産み落とされれば、我がアーヴィング公爵家は百年、いや千年は安泰だ。それを鑑みれば、勇者が女だったのは私にとって僥倖だったよ」
「ちが、ベルは、ぼくの、こんやく、しゃ……」
「いいや。すでにあの女はお前のものではない。私のものだ。まあ私の所有物にするには村育ちで泥臭すぎるが、幸い見てくれは良家の姫君に匹敵するほど良い。金に物を言わせて着飾ってやれば、それなりのものにはなるだろうな」
「はははッ! カリスお前、昨日まで勇者さまは尊崇すべきって言ってただろ? ゲッスいな。ふ、くくくくくっ……あはははは!」
「俺は、貴族のように選ばれた者と言っただけで、あれが貴族と同じだとは言っていないぞ? たかが村娘。むしろ貴族という選ばれし者である俺に抱かれること、涙を流して感謝するべきだな」
「ベルが、そんなこと……」
「しないとでも思うか? なに、耳もとで睦言を囁いてやれば、股も簡単に開くだろう。どうせ平民など、犬畜生と同じで年がら年中盛っているんだからな」
辺りに、カリスの声が響く。
彼女の善意を嘲笑うように。
彼女の決意を侮るように。
彼女の責任感を貶めるように。
ベルベットのすべてを見下した物言いを聞いて、心の底に沈んでいたものが、ふつふつと沸き上がって来る。
立てと。
動けと。
反抗しろと。
そう、彼女のために。
「そんな、こと……」
「あ?」
「そんなこと、させる、もんか……」
「おいおい、立ったぜこいつ? なんだよ。自分の女を貶されて、腹でも立ったか?」
「うるさ、い……」
立ち上がり、剣士の少年を睨み付けた。
「……おいお前、いまオレになんて言ったよ?」
「うるさ」
「オレにそんな目を向けんじゃねぇよ! ゴミクズの分際で!」
「ギッ!?」
怒号と共に、剣が横薙ぎに降り抜かれる。
痛みと同時に、目の前が光を落としたように真っ暗になった。
斬られたのだ。目を。
「あ、あ……あぁ!!」
斬られた痛みよりも何よりも、底抜けの絶望が自身を襲う。
両目を斬られた。
なにも見ることができなくなった。
そう、大事な人の、ベルベットの顔さえも。もう二度と。
彼女のあの明るい笑顔も、あの優しいまなざしも、すべて。
それがわかった瞬間だった。
膝が、支えを失ったようにガクリと折れた。
地に伏すと、誰に向けるでもない疑問が、口をついて出てきていた。
「どう、して……」
「お前が平民だからだよ」
「なん、で……」
「精霊に見放されたからさ」
「…………」
最後の疑問を口にしようとしたハルトの唇が、わずかに動く。
だがそれきり、ハルトはぴくりとも動かなくなった。
「お? さすがにくたばったか」
「この程度で死ぬとは、まったくいたぶり甲斐がないですね」
「まったくね。まあこれだけざっくり斬られたら、戦士職でもないと耐えられないか」
「ああ、泥が撥ねてしまいまた。汚らわしいですわ」
カリスたちは、ハルトをいたぶったことに対して、なんの感慨も抱かない。
彼らにとっては、路傍に転がった石を蹴って遊んだ程度のことだ。
すぐに死んでしまったことも彼らにとっては腹立たしいのか。
怒りをぶつけるように、ハルトの死体を踏みつける。
――地を這う虫けらごときが、私の邪魔をするなというのだ。
彼らがひとしきりハルトの死体を辱めたあと、カリスが切り上げるよう提案する。
「そろそろ行くぞ。勇者さまがお待ちだ」
彼の言葉に、剣士の少年が皮肉げに笑った。
「勇者さま、ね」
「そうだとも。あれが、我らが勇者さまだ。あれがな」
ハルトが嫌った哄笑が、また辺りに響く。
やがてカリスたちは、無残に転がったハルトの死体から、離れていったのだった。
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