第6話 勇者の決断と無職の未練
カリスたちが不穏な企みをする一方で、ハルトは勇者の出迎えが現れたことに、大きな不安を抱いていた。
貴族が、わざわざ騎士たちを従えて訪れたのだ。
勇者であるベルベットを迎え入れようとする、王国の本気のほどが窺える。
「ベル、行かないよね?」
「……う、うん。私は行きたくない。魔王を倒すなんて私には無理だよ……」
「…………」
確認に訊ねると、ベルベットが目を伏せた。
これは、彼女が迷っているときによくする仕草だ。
おそらくは自分の感情と勇者の責任の狭間で、心が揺れているのだろう。
「行く必要なんてないよ。魔王なんて、きっと誰かが倒してくれる」
「そうだよね。無理に私が行く必要もない、よね?」
「うん。そうだよ。ベルが危険な目に遭わなきゃいけない理由なんかないよ」
ハルトが強く頷くと、ベルベットは笑顔を見せる。
だがその笑みはいつもの晴れやかなものとは程遠いものだった。
彼女も不安の渦中にあるのだろうことが窺える。
…………ハルトはベルベットに確認したものの、当然カリスたちがいる期間は不安な日々を過ごすことになった。
出迎えと言って、ベルベットの意思を尊重する素振りはあったが、もしや無理やり連れて行ってしまうのではないか。
ベルベットの責任感の強さに付け込んで、唆してしまうのではないかと、様々な可能性が不安として脳裏をよぎった。
そして来るべき最後の逗留日に、ハルトの不安は的中した。
その日の昼ごろ。
ハルトの家に、ベルベットが沈痛な面持ちで訪れたのだ。
それは、彼女がいままで見せたことがないような、ひどく思い詰めたものだった。
ハルトは増大する不安を押し殺して、彼女に訊ねる。
「ベル、あの、今日はどうして……」
「……ハルト。ごめんなさい。私、カリスさんたちと一緒に行くわ」
「そんな! だって行かないって!」
「でも私がやらなきゃならないの。私は【勇者】だから。魔王と戦わなきゃいけないの」
「魔王とは戦いたい人が戦えばいいじゃないか。ベルはやりたくないんでしょ? ベルがやらなきゃいけないなんてことないよ」
「ダメ。それが【勇者】になった者の責任なの」
「責任って」
「ハルト。ハルトもおとぎ話や英雄譚を聞いて知ってるでしょ? 魔王は【勇者】しか倒せない存在だってこと。この世界には、私にしか魔王を倒せる人間がいないの」
「…………」
そう言われてしまえば、ハルトとしては弱い。
確かに魔王が【勇者】にしか倒せない存在だというのは、この世界の常識だ。
どの魔王にも必ず精霊に選ばれた勇者が立ち向かい、光り輝く剣を以て倒したのだと伝えられている。
精霊に選ばれる【勇者】が一人であるなら、その役目を負うのはベルベットしかいないのだ。
「……でも、僕はそれでも、ベルには怪我をして欲しくないよ」
「ハルト……ありがとう。でもね、何度も言うけど、これは私がやらないといけないの。それに、私がここにいると、魔王の軍が攻めて来るかもしれない。そしたら、村のみんなが危ないの」
「ベル……」
それが、決定的な一言だろう。
誰かからそう言われれば、ベルベットも頷かざるを得ない。
村の人間が危険な目に遭うという引け目から、村を出て行かなければいけなくなるのだ。
だが、ハルトはそれでも、自分の婚約者に危ない目には遭って欲しくはなかった。
「ハルト、待ってて。魔王なんてすぐに倒して、村に戻って来るから」
「ダメだよ! やっぱりそんなの危険すぎる!」
「わかってる。わかってるけど……お願いハルト、聞き入れて」
ベルベットが頭を下げて頼み込んでくる。
なんでも一人でこなしてきた彼女が、お願いをするなど、滅多にないことだ。
そんな中、突然家のドアが開いた。
家の入口に立っていたのは、カリスと、そのお付きの騎士たちだった。
カリスが一歩前に出て、ベルベットに向かって鷹揚に礼を取る。
「勇者さま、こちらは準備が整いました。お話はお済みになりましたか?」
「……はい」
カリスの訊ねに、ベルベットは頷き、立ち上がった。
話を終わったことにして、この場を切り上げるつもりだろう。
ハルトはベルベットを連れて行こうとするカリスに追いすがる。
「ま、待ってください! ベルが魔王を倒しに行く必要なんて本当にあるんですか!?」
「当然だ。魔王は勇者さまにしか討ち果たせない存在なのだ」
「それは伝承で伝わっているだけで、それが本当かどうかは……」
「真実だ。君も聞き分けというものを持ちたまえ」
「で、でも!」
カリスは食い下がるハルトを無視して、ベルベットに家を出るよう促す。
「さ、勇者さま。参りましょう。お気になさらず。あなたの決意は尊重されるべきものです」
「ま、待って!」
ハルトはベルベットを追いかけて飛び出すが、すぐにカリスに付き従っていた騎士たちに押し留められる。
ベルベットは一度未練そうに振り向くが、すぐに前を向いて、馬車のある場所へ歩いていってしまった。
やがてベルベットの乗った馬車が動き出す。
そこで、ハルトは騎士たちから解放された。
彼らは護衛であるため、付いていかなければならない。
それゆえ、ハルトをすぐに解放したのだろう。
ハルトは馬に乗った騎士たちを追いかけるように駆けだした。
ベルベットをもう一度説得するために。
聞き分けのないことだとはハルト自身もわかってはいたが、それでも、大事な人に命を懸けるような危険な真似は、して欲しくなかったから――
■
(ハルト……ごめんなさい)
追いすがる婚約者を振り切ったベルベットは、心の中で彼に謝る。
魔王を倒すまでの一時の別れだが、ハルトにそう告げたときのベルベットの心は、苦しさでいっぱいだった。
彼の呼び声が聞こえなくなったいまでも、気を抜くと、目尻に熱いものが溢れてきそうになる。
……やがてベルベットが導かれた場所には、家があった。
家が、大きな馬車に引かれている。
家、いや、屋形だ。
屋形の載った車。
大きな車輪が八輪、
まるで小型の家にも思えるようなそれは、移動するために作られたものであるにも関わらず、外装は豪奢であり、その金の注ぎ込みようが窺える。
「すごい馬車ですね」
「勇者さまをお迎えするのですから、これくらいのものでなければいけません」
「…………」
あまりに豪華すぎてベルベットの趣味には合わないが、これが体面を気にしてのものだということは、ベルベットにもわかった。
勇者を乗せる馬車が質素では、勇者を招聘した王子の沽券にかかわる。
貴族はもちろんのこと、平民にも示しがつかないと考えてのものだろう。
「村の者にお見送りをさせなくてよかったのですか?」
カリスは心配しているような素振りを見せるが、
(お見送りを『させなくて』か……)
それは貴族と平民の違いというものを嫌でも感じさせる言葉だ。
『させる』つまり強制させる立場にあることをなんの疑問もなく受け入れ、自然に見下している。
生まれの立場の違いがあるため、仕方のないことだが、ベルベットにはあまり気分のいい言葉ではなかった。
「……勇者さま? いかがなされましたか?」
「いえ。見送りに出て貰うと行きたくなくなってしまうかもしれないので、これでよかったんです」
「そうですか……では、こちらに」
カリスはそう言って、騎士の一人に馬車の出入り口を開けさせる。
馬車は外装もそうだが、内装も豪奢で、馬車の内部とは思えないようなものだった。
内部にはソファや椅子にテーブル、果てはベッドまで据えられている。
おおよそベルベットの知る馬車とはかけ離れた存在だった。
すでに馬車には、四人の人間が乗り込んでいた。
その者たちは、彼らが逗留している間にすでに紹介を受けている【
ベルベットはカリスの勧めに従い、ソファに腰を掛ける。
やがて、馬車がゆっくりと動き出した。
徒歩よりもほんの僅かに早い程度の、遅々としたもの。
しばらく進むと、シェリーが声をかけて来る。
「ふぅ……硬いよ? 勇者さま」
「そ、その……」
「まあ仕方ないか。時間が経てば、そのうち慣れるかな」
彼女の話を聞く中、ふいに馬車の動きが止まり、外から扉が叩かれた。
扉を開けた騎士に、カリスが何か確認する。
すると、
「勇者さま。どうやら、あなたの婚約者が追いかけてきているようなのです」
「ハルト……」
心配してくれる婚約者に、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが沸き上がって来る。
だが、自分は行くと決めたのだ。心苦しく、心臓が張り裂けるような思いだが、突き放さねばならない。
「……私が行って、もう一度説得してきます」
「いえ、それには及びません」
カリスがそう言うと、彼を含めた他の面々が、席から一人また一人と立ち上がる。
「……カリスさん? それに皆さんも」
「勇者さま。彼のことは私たちに任せていただきたいのです。私たちが説得しに行きます」
「でも……」
「あなたはお優しい。あなたは彼を強く突き放すことはできないはずだ。代わりに私たちが、恨まれ役を買いましょう」
「…………はい。お願いします」
心情を慮ってくれるカリスに頭を下げる。
「御者! 少し先に行って待っていろ!」
カリスたちが馬車から降りていく。武器を持ったまま。
当然ベルベットは、その行為に疑問すら抱かない。
戦闘職は、いつでも武器を携えているのが当たり前だからだ。
……馬車を下りたカリスの顔に、侮蔑が浮かんでいたのは、当然のようにベルベットには見えなかった。
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