解答編、及びネタバラシ

 目を覚ました私がいたのは、壁も床も真っ白な部屋だった。そこで私は、壁にもたれて、白い椅子に座っている。

 ここはどこだ? 室内には椅子以外の物がない、どころか、窓すらない。この部屋の圧迫感と閉塞感から、病院ではなさそうだ。では、天国か?

 天国、という単語が浮かんだことに、私は冷笑を零す。自分が天国に行けるなどと自惚れているつもりはない。しかし、地獄というには殺風景だ。

 とすると、ここは一体どこなのだろう。

 部屋は広くも狭くもなく、どこか『待合室』を連想させた。壁には扉が一枚あるだけ。壁と床は同じ材質で、硬い。大理石だろうか? しかし、どこか自然味の欠けた、人工的な冷たさを感じた。

 人の体温を感じさせない、無機質に白く冷たい部屋。心地いい。

 とんとん、と、部屋に唯一ある白い扉がノックされた。

 扉の向こうから、スーツの女が現れる。二十代前半の若い女だ。肩までの、直線的に切り揃えられた黒髪。服装に合わせたのであろう黒縁の眼鏡。黒いパンツスーツは着崩されることはなく、きっちりと枠に嵌った印象を受けた。

 非常に事務的で、好感が持てる。

 女は「はじめまして」と言い、私の名前を訊ねた。名前が一致していることを確認すると、女は私に、扉の向こうへ一緒に歩くよう指示した。

 部屋と同じく白い廊下を歩き、事務所のような部屋に通される。

 手前に応接用のソファと机、中央に整った事務員用のデスク、奥には書類が山積みで整理されていない責任者用のデスクが配置されている。白い壁には扉が何枚か設置してあったが、部屋の最奥の壁、その左右にそれぞれ取り付けられた赤い扉と白い扉が目を引いた。

「やあ! いらっしゃい!」

 責任者用のデスク、後ろを向いていた椅子が、くるりと回転する。そこに座っていたのは、なんと、猪狩だった。

「………………」

 私は、猪狩よりマシだろうと、スーツの女へ説明を求める。

 女が説明する。

「あなたの肉体は死亡しました。ここは、死者の裁判をする場です。裁判の結果によって、あなたは天国か地獄へ行くこととなります。あの人が、裁判官です」

 女が猪狩を手で示す。

「………………」

 あの男が、裁判官? 面白くない冗談だ。

「あはは! 御巫ちゃん、彼女、全然納得していないよ! あはははは!」

 猪狩が笑う。私からしてみれば笑い事ではない。

 スーツの女の名は御巫みかなぎと言うらしい。様子からして、秘書か部下だろう。

「さて、雑談はここまでにしよう。君が――『番号札零零二番』ちゃんが納得していようがしていまいが、真実は変わらない。俺は俗に言う『閻魔大王』だよ。それとも、自分の死に疑問でもあるかい?」

「………………」

 いや、ない。車に撥ねられて、雨に降られて、あのあと私はたしかに死んだのだろう。

 もし、私がまだ生きているのなら、せめてその痕跡が残っていなければおかしい。だが、現在の私には怪我などの痛むところはない。音も両耳から聞こえるし、頚椎を損傷して歩けないというわけでもない。健康そのものだ。

 つまり、私は死んだ、ということになる、のだろう。

 猪狩と御巫の言葉に、嘘はないのだろう。

 ……なるほど。ここが、死後の世界、か。

 生きていた頃の名前ではなく、事務的に割り振られた番号で呼称されるのはなかなか新鮮だ。悪くない。

 それにしてもこの男、こんな時までヘルメットを被っている。外せ。邪魔だ。そんなふざけた格好で私の裁判をするつもりか? 猪狩は、室内だからかコートは着ておらず、セーターにジーンズ姿だ。ならば、ヘルメットも外すのが道理ではないだろうか?

「……ずっと思っていたんですが、その格好はどうにかならないんですか?」

 私は我慢できず言った。

 猪狩が、きょとんと私を見つめ返す。

「え? 何が? もしかしてヘルメットのこと? 格好良くない?」

「は? 格好良い?」

 私の心底理解できないという眼差しに、猪狩は真正面から言い放つ。

「このヘルメットは重要なアイテムだ。外すことはできない」

「重要なアイテム?」

「そうだ」

 猪狩は言う。

「ヘルメットを被ると、キャラ立ちする!」

「…………今すぐ外せ」

「敬語が抜ける程の威力! ヘルメット効果すげえ!」

 猪狩はけらけら笑っている。

 どうやら外す気はないようなので、諦めるしかなさそうだ。

 もし、私がスタンガンを持っていたら、猪狩を執拗に攻撃していただろう。私の所持品がゼロで命拾いしたな、猪狩。

 私と御巫は、猪狩のデスクの前へ移動した。机を挟んで、猪狩と向かい合う形だ。

 私たち二人は立っているのに、猪狩は一人座っている。ムカつく。

 私は言う。

「……最初から、狙って私に声をかけたんですね」

「うん?」

 私の言葉に、猪狩が耳を傾ける。

「あなたは偶然を装い、ナンパ目的だなどと言いながら、本当は、私をのことを『調査』していた。そうですね?」

「どうしてそう思った?」

「そう考えるのが一番合理的です。あなたは、初めから私が殺人犯だと知っていたんです」

 そのように考えれば、猪狩が植西に殺人事件関連の話題を振っていなかったことにも説明がつく。

 ――もしかしたら、楽しくお喋りをしている相手が『そう』だとも限らないでしょ?

 ――今、目の前にいる人物が、人殺しだったとしたら、どう思う?

 ――事件の説明をしておこう。君には説明の必要なんてないかもしれないが……。

 ――彼は模倣犯だよ。

 ――そんなこと本気で思ってないよね? 俺が真犯人だなんて、ちゃんちゃらおかしいね! 君がそんなことを言うとは思わなかったよ!

 今までの猪狩の言動だ。よくよく思い返してみれば、これらのセリフは全て、『一月岬は殺人犯である』ことが前提のセリフである。

 楽しくお喋りをしている目の前の人物――私のことだ――は殺人犯だし、そもそも事件を起こした張本人相手に事件の説明など必要ないし、私が本物の殺人犯である以上、私を襲った包丁男や猪狩が真犯人であるなどということはありえない。

 この男は最初から、全て知っていたのだ。

「それらは全て、私の死後裁判の判断材料にでもするんでしょう?」

「まったくその通りだ」

 猪狩は肯定した。

「ということは必然的に、あなたは私に声をかける前から、そのうち私が死ぬことも、知っていたことになる」

 ――時間は限られている。人生は短い。

 ――時間は有限だ。

 これらのセリフを最初、私は間違って解釈していた。『人生は短く時間は有限』という『一般論』なのだと。しかしそれらは正しくは――『もうすぐ死ぬ私と話す時間には物理的に限りがある』という意味合いだったのだ。

 この男は最初から最期まで、全て、知っていたのだ。

 私は猪狩を睨む。

「もうすぐ死ぬ人間がもがいている様を嘲るのは、楽しかったですか?」

「……そうだね。『もうすぐ死ぬ人間』がもがく様は、実に滑稽だ。けれど、人間なんていつか絶対死ぬんだ。俺からしてみれば全人類が『もうすぐ死ぬ人間』だよ」

「戯言を」

 私の罵倒をまるで気にせず、猪狩は「さて」と話題を切り替える。

「一応説明しておこう。先程も言った通り、俺は閻魔――裁判官だ。君の死後の処遇についての決定権を持っている。どのような判断を下すかは、俺の裁量次第だ。それによって君は天国に行ったり地獄に行ったりする。君の処遇を判断するにあたり、いくつか質問と確認を行いたい」

「どうせ地獄行きなんでしょう。早く終わらせてください」

「ドライだねえ」

 猪狩は一度笑ったあと、少し真面目な顔をした。

「俺が聞きたいのは、今回の一連の殺人事件の『動機』だ。君が最後の被害者を嫌いだったのはなんとなくわかるが、一人目と二人目はどうして殺したんだ? 彼らと君には、接点がまったく見つけられない。閻魔の俺がしらみ潰しに資料を漁っても、そこにいる俺の有能な部下が聞き込みに走っても、だ。どうして今回の事件を起こそうと思ったんだ?」

 『そこにいる俺の有能な部下』、御巫。彼女は聞き込みに走ったのか。ご苦労なことだ。

 そんなことをしても、接点など見つけられるはずがないというのに。

 さて、なんと答えるべきか。

「猪狩さん、私に黙秘権はありますか?」

「死人に人権なんてあるわけないだろう」

「………………」

 黙秘権どころか人権まで否定されてしまった。

「話しにくいなら、少し話題を変えよう。最後の被害者――同僚の女性を殺したのは、社内でいじめられていたから、ということでいいのかな?」

「いじめ?」

 植西のことか? はて、いじめられていただろうか? 植西のことは普段無視していたため、あまり覚えていない。

「……微妙な反応だなあ。いじめられて追い詰められて殺したんじゃないの?」

「どうして私が植西に追い詰められなくてはいけないんですか?」

「………………」

 猪狩と御巫が、顔を見合わせる。

 なんだ? 私は何か変なことを言ったか?

「あー……、番号札零零二番ちゃん。君はいじめのリーダー格だった被害者が憎くて殺した……んじゃないのか?」

「別に憎いと思ったことはありませんけど」

「……それじゃあ、どうして殺したんだ? 理由もないのに殺したわけじゃないだろう?」

「………………」

 どうして、って。

「……猪狩さんは、道に小石が転がっていたらどうしますか?」

「え?」

「道に小石が、丁度足の前に転がっているんです」

 猪狩と御巫は、一瞬虚を突かれたような顔をしていたが、すぐ、真面目な顔で私の話を聞き始めた。

「私なら、その小石を蹴り飛ばします。邪魔ですから。けれど、かといってその小石に『悪いことをしたな』と罪悪感を抱いたり、『邪魔な物を蹴散らしたぞ!』と達成感を感じたりしますか? 普通、そんなことはありません。小石を蹴り飛ばした程度で心が動くのは小学生くらいなものです」

 猪狩と御巫は、私の話の意図をいまいち掴み損ねているようで、相槌などの反応はなかった。

「道に転がる石は、大きかったり小さかったりしますが、そのうち、道を塞ぐほどの大きな岩に遭遇します。岩はとても蹴り飛ばせる大きさではありません。猪狩さんなら、どうしますか?」

「……岩を回り込むように歩いて、岩を避けて先に進むね。もしくは、別の道を使う」

「負け犬の発想です」

 私は言う。

「岩を避けて進む? たかだか岩一つのために、わざわざそれだけの労力を使うんですか? 別の道を使う? 今来た道を戻るんですか? 岩一つのために? 断言しますが、この先道を歩いていけばそんな岩はごろごろ転がっています。あなたは、その岩にぶつかるたびに、回り道をしたり別の道を探したりするんですか? まさに負け犬の発想です」

「……じゃあ、君ならどうするんだ?」

 猪狩の問いに、答える。

「岩を打ち砕いて前に進みます。小石を蹴り飛ばすのと大差ありません。その岩は私にとって何のメリットもなく、残しておくと後々面倒を起こす可能性もあるので、壊して進むのが一番です。禍根は元から絶ってしまえばいい」

「………………」

 猪狩と御巫は、徐々に、私の言いたいことを理解しているようだ。

 猪狩は真面目な顔をしたままでにこりともせず、御巫は少し青い顔をしていた。

「もうわかると思いますが、植西は、私にとって『岩』でした。私はただ、道を塞ぐ『決定的』に邪魔な障害物を壊して進んだだけなんです」

「そ――そんな話がありますか!」

 御巫が声を荒らげた。

「そんな……人を『石』とか、『岩』だとか、『障害物』ですって? あなたは人を、なんだと思っているんですか!」

「御巫ちゃん。ちょっと落ち着こうか」

 そんな御巫を、猪狩がなだめる。

「落ち着いてなんかいられませんよ!」

「質問はまだ終わりじゃない。それに、俺たちの仕事は彼女の今後を決める事であって、倫理道徳の説教じゃない」

「で、でも……」

 御巫は何か言いたげだったが、猪狩にじっと見つめられ、引き下がる。

 ほう。あの猪狩が部下の人心を掌握しているとは、ちょっと驚きである。実は私の上司より『できる』人間なのではないだろうか。

「……被害者を『岩』だと思ったきっかけは?」

 御巫が黙ったので、猪狩は質問を続ける。私は答える。

「二、三週間程前です。猪狩さんは知っていると思いますが、私、この前音楽プレイヤーを新しいモデルに新調したんです。一つ前のプレイヤーは植西に壊されてしまったのですが、それが、二週間前です」

 二週間前――植西が私の音楽プレイヤーを感情に任せて壊した時、実感した。

 この女は、私にとって『決定的』な障害物なのだ、と。

 排除しなければ、道の先には進めない。

 回り道やルートの再検討、それは、『植西の問題行動を上司に報告する』だとか『私が会社を辞める』だとかになるわけだが、そんなものは負け犬のすることである。そもそも、上司は私と植西の確執を既に知っている。知っていて対処できないから『ああ』だったのだ。ならば、消去法で残る道は私の退職。何故、私が植西のために身を引くような真似をしなければならない? それこそ敗走である。

 だから、殺した。

 歩くのに邪魔だったから蹴り飛ばした。

 ただそれだけだ。

「そんな……ことで……?」

 御巫が、狼狽を隠さず言う。

「音楽プレイヤーを壊されたから、ただ、それだけの理由で、人を殺したんですか……?」

 御巫の言葉に、少し不快さを覚えた。音楽プレイヤーを壊されただけで他人を殺す人間がどこにいるというのだ。

「御巫ちゃん。音楽プレイヤーはきっかけに過ぎないんだよ。これまでの被害者の行動が、水のように器に溜まっている。今回の事件は、音楽プレイヤーという最後の一滴がきっかけで、その器が『決壊』しただけなんだ。彼女だって、他人にプレイヤーを壊されたくらいじゃ殺意までは湧かないよ」

 思ったことの大体を猪狩が説明する。

 やはり、猪狩は私が思っていたより有能な人間らしい。ただの馬鹿ではなかったのか。驚きである。

 猪狩は、いや、と少し言葉を濁した。

「『殺意』……というのは、言葉としては適当じゃない、のかもな。番号札零零二番ちゃんにとって、被害者は人間じゃなくて『石』だったわけだから、別に殺意があったわけじゃない。『石』を『殺す』なんて変だからね。だから、たぶん、『蹴り飛ばした』とか『壊した』というのが正しいんだろうな。彼女にとって、被害者は『人間』じゃなく『石』だった」

「い、石――」

 猪狩の言葉を、御巫が繰り返す。少し声が震えていた。理解が追いつかないのかもしれない。

 どうでもいい。

 まあ、御巫の反応は常識ある一般人の普通の反応(と思われるが、常識だの一般だの普通だのの正しい定義については知らないし議論するつもりもない)であろうから、狂言回しとしては百点満点なのだろう。

 猪狩は笑顔で、固まっている御巫を無視するように続ける。

「なるほどなるほど、掴めてきたよ。そうか、それが動機か。たしかに、人間を石と等価値にでも見ていなければ、こんなことにはならなかっただろう。君にとって、人はゴミではなく枯山水だったわけだ」

 猪狩は「目がァー!」と言いながら、椅子をくるりと回転させた。

 なるほど。猪狩には、もう事件の全容が見えているのか。

 逆に、御巫は私と猪狩を交互に見つめ、説明を求める顔つきだった。

 ……ふむ。

 猪狩が思っていたより有能、という言葉は撤回しよう。

 いや、たしかに多少は有能だろう。しかし、『有能』……というのは、言葉として適当ではない。

 猪狩は有能なのではなく――私に近い人間なのだ。

 私と距離が、あるいは思考回路が、価値観が似ているから、私の考えがわかるのだ。

 人とはズレた価値観、人と外れた価値観。

 私は別に、猪狩の言うよう『人間は石だ』などとまでは思っていない。『人間は、動いて喋る分普通のものより厄介な石』程度だ。猪狩の言うことは少々度が過ぎている。

 しかし、その考えが『他人』と違う考えだというのは理解しているつもりだし、私の考えは理解されないつもりでいた。

 その価値観の違いを、猪狩は、簡単に超えてきた。

 御巫のように怒ることも固まることもせず、私の考えを読み取り、笑った。おおよそ他人には理解できない考えを理解し、それを拒絶もせず受け入れもせず、ただ笑った。面白い冗談でも聞いたかのように。

 それは、猪狩が私と同じ側の――ズレて外れた人間だからだ。

 ただ、決定的な違いを上げるなら、それは――猪狩が『普通』と『ズレ』の間を行き来し、どちらにも同調できることだ。

 猪狩が『ズレ』たまま移動できない――私がそうだ――のなら、植西たちと楽しそうに会話することはできない。『ズレ』た人間は社会では拒絶されるからだ。猪狩が『ズレ』たままでいれば、私にしたように、植西たちは猪狩を排除しようとする。

 私の考えを理解できる『ズレ』た価値観を持ちながら、『普通』の人間とも価値観を共有させる。猪狩は……ズレて外れて、ねじれている。

「さて、番号札零零二番ちゃんはあまり饒舌ではないから、まず俺が推察した『動機』を聞いてもらいたい。間違っているところや疑問点があったらその場で指摘してくれ」

 猪狩は椅子にもたれて、実にリラックスした風に提案する。

 『動機』が推察できたということは、猪狩は仕事が半分終わったようなものなのだろう。

「動機が……わかったんですか……? 今の話で……?」

 御巫は信じられないといった風だ。たしかに、今の話を聞いても、『普通』な御巫は混乱するだけだろう。

 私と御巫の視線の先で、猪狩が笑顔で言った。


「一人目と二人目の被害者は、無差別に選ばれただけの無関係な人間だ」


「……え?」

 猪狩の言葉に、御巫は呆ける。

「第一・第二の被害者と、番号札零零二番ちゃんの接点を、俺たちは必死で探した。何か『ミッシングリンク』が――隠された繋がりがあるんじゃないか、とね。けれど、そんな調査は意味がなかったんだ。だって、第一・第二の被害者たちと彼女には、何の関係もなかったんだから」

「ちょ――ちょっと待ってください。それじゃあ、彼女は、本当に無差別殺人を……?」

「前半の二人は、そうだ」

 難なく肯定する。

 そして「ついでに」と補足を加える。

「前半二件の被害者が男性なのは、彼女の犯行当時の姿――水着姿が、男性に対してより有効だからだろうね。一瞬でも注意を逸らせれば、スタンガンで無力化できる。失敗のリスクを考えるとかなり向こう見ずだが……。けど、十分に効果を発揮したようだね。目撃者がいなかったのも幸運だ。そこらへんは手際のよさが光るね」

 呑気に『手際がいい』などと述べる猪狩に、御巫が食い下がる。

「待ってください。どうして、何の理由があって、無差別に二人もの人間を……? 何が、目的で……?」

「目的があるから殺したんじゃない。殺すことが目的だったんだ」

「え……? そ、それは、どういう……?」

 恐らく、懇切丁寧に説明したところで、御巫には理解できないだろう。それでも、猪狩は説明する。

「手段と目的が逆だったんだよ。最初の二人は、殺すために殺されたんだ」

「殺す――ため?」

「彼女の目的は最初から決まっていて、彼女はそのためにしか行動していない。その目的は『最後の被害者――同僚の植西を殺しても警察に捕まらないこと』だ」

「それはわかります。けれど、それなら最初の二件はやはり必要ないのでは……?」

 猪狩は続ける。

「こう考えてみてくれ。ある日、ある会社で一人のOLが殺される。真っ先に疑われるのは誰だ? 今回の場合、きっといじめられていた番号札零零二番ちゃんが容疑者候補筆頭だ。被害者との不仲は会社の人間全員が知っていて、動機もしっかりとある。このままでは、番号札零零二番ちゃんはあっさりと捕まってしまうんだよ」

 ここで、やっとわかったのか、御巫は目を見開き、口に手を当てた。

「さて、今回のケースを考えてみよう。今回は『街に無差別連続殺人犯が現れた』と連日報道されている。もし、ある会社のOLが死んだら、誰が疑われる? それはもちろん巷で噂の殺人犯だ。手口も一緒、標的は無差別。捜査範囲は広がり難航する。誰も、OLにいじめられていた彼女を犯人だとは疑わない」

「じゃあ、そのために――そのためだけに――何の関係もない人たちを……?」

 御巫が、一歩後ずさった。

「そうだ。木を隠すなら森の中、死体を隠すなら死体の中。彼女は『本当に殺したい人間』を『無関係な一般市民』に紛れさせることで、自分の正体を隠そうとしたんだ」

「殺すために、殺した――」

「犯行時間を固定していたのも、『生活パターンがバレないため』じゃなく『同僚の女性を殺せる時間に合わせていただけ』だ。同じ曜日、同じ時間帯に殺すことで、『同一犯の犯行』だと強調したかった」

 そうだよね? 猪狩は私に目配せした。

 その通りだ。

「付け加えると、被害者の両目を抉り取ったことも、手段と目的が逆だ。世間は『目を抉り取った目的』とか『抉り取った目は何に使うのか』について注目していたが、彼女にとっては『目を抉り取る』というのは『抉り取ること』自体が目的だ。目を抉ることで『この人間は私が殺しました』という一種の『犯行声明』に使っていただけ。『目印』だよ。これも『同一犯の犯行』という事実を強調するためだけのもの。目を惹く猟奇性と、その割りには手軽だったことが、目を抉り取った理由だ」

 御巫が震える声で言う。

「そんな理由で、尊厳ある人間の目を――? 被害者が憎かったとか――」

「さっき彼女自身が言った通りだ。彼女は被害者を憎んでいない。『石』に対して『憎しみ』なんて、変でしょ?」

「………………」

 どさり、と、御巫はその場に座り込んだ。

 猪狩が私へと微笑みかける。

「間違いや疑問点、矛盾点はあったかな?」

「ありません。お見事です」

 見事も見事、大正解だ。あれだけの情報で、よく私の考えを理解できたものだ。

 見事過ぎてドン引きである。

 気持ち悪い。

 ストーカーとして警察に突き出したい。

「よし、これで『動機』はわかったね。それじゃ、とっとと裁判してしまおう」

 猪狩は机の上に左足を乗せて、その上に右足を組んだ。机に積んであった書類の山が崩れ、床に散乱した。

 何故わざわざ態度を悪くする?

「いやあ、今回ほど簡単な裁判はないかもしれないなあ。動機によっては情状酌量の余地があるかな? って思っていたけど、いやあ、必要なさそうだなあ」

「じゃあ早く終わらせてください」

 私は言った。どうせ地獄行きだ。早く終わらせて私の前から消えて欲しい。

「御巫ちゃん、いいかな?」

 猪狩の言葉に、御巫がはっとして立ち上がった。

「大丈夫です。取り乱して申し訳ありません」

「うん、いーよいーよ。気にしないで」

 私は気にするのだが。

 最初は事務的な御巫の態度に好感を持っていたが、こうして観察するとそうでもないような気がしてくる。良くも悪くも、彼女は『普通』なのだろう。

 まあ、あんな話を聞いたあとでもきちんと仕事を全うしようとする姿は、立派だ。ふざけた態度の猪狩よりはよっぽど。価値観が近いからと言って好感を持つわけではない。

「さて、番号札零零二番ちゃん。君の言う通り、君には地獄へ行ってもらう」

 足を下ろしてから言えよ。

「そして俺には、地獄で君が受ける罰を決める権利がある。何がいいかな? 血の池? 針山? 舌を抜く?」

 なんでもいいから早くしろ。

 私の不機嫌な顔を見て、猪狩が愉快そうに笑う。

「ひゃははは! いや、違う。どれも相応しくない。俺が君に与える罰は、そんなものではない。そんな比ではない。もっとつらくて、もっと恐ろしくて、もっと絶望的な罰だ」

 猪狩は机から足を下ろして、立ち上がる。机に右手を置いて、体重を傾けながら、私を見下ろす。自然と、私の顔との距離が近付く。私は怯むことなく、正面から猪狩を睨む。

 猪狩の黒い目に、私が映りこむ。奈落の底を思わせる昏い目が言う。


「君には過去を繰り返してもらう」


「……え?」

 過去を繰り返す?

「そうだ。君が会社に入社して、同僚にいじめられて、その同僚を殺し、その日のうちに事故で死ぬまでを延々と繰り返してもらう。その間、君は『その時の君』が知っていることしか分からない。たとえば、同僚を殺した時点での君は、そのあとすぐ自分が死んで俺に裁判されることになるとは知らないわけだ。そして死んだら、これまでの記憶――俺に裁判されたこと、今までの実体験が『罰』であったこと、『罰』を今まで何度繰り返してきたのか――を思い出す。しばらく時間を置いたら、記憶を消し、もう一度最初から、入社するところからやり直す。それを何度も繰り返すんだ」

「……入社してから、死ぬまで、同じ時間を、何度も……?」

 植西を殺し、自分が死んで初めて、今までの体験が予定調和だったことを思い出す。一体何度繰り返してきたのかを思い出す。そしてまたそのことを忘れ、繰り返す。何度も何度も。

「弱者の発想」

 猪狩が呟く。

「え?」

 私は思わず聞き返した。

「『自分の行動は間違っていた』、『こうしておけばよかった』、そんなものはただの言い訳。未来に恥じるような行動は過去に行わなければいい。自分の行動にくらい責任を持て。間違いを悔いることは、弱者の発想だ。――全部君の言葉だ。君自身の言葉だ」

 猪狩は言う。

「この罰の期限は、君が『後悔』するまでとする。君が『後悔』し、『悔い改めたい』と心の底から思った時、君をこの時間の檻から解放しよう。それまで、精々繰り返すことだ。何度も何度も、延々と、後悔で心が折れてしまうまで」

 くつくつと、猪狩が嗤う。


「結局、運命を変えることはできない。無力だね?」


「………………」

 私が後悔するまで――だと? そんなの――永遠にこの罰に甘んじろと言っているようなものではないか。

 後悔など、しない。していない。死んでもするものか。実際、死んでもしていない。植西は死ぬべくして死んだのだし、私が殺した無関係なそこらへんにいた人間二人も、そういう運命だったのだから仕方がない。殺したことにも、死んだことにも、後悔など一片もない。あるはずがない。

 猪狩は、それをわかって言っている。

 私が後悔などしないことを知っているからこそ――私に永遠を繰り返せと、言っているのだ。

 それが、私への、罰。

 後悔するまで、過去を渡る。何度も何度も、延々と、永遠を。

 なんて――気の遠くなる。

「さあ、判決は以上だ。御巫ちゃん、あとはよろしく」

 猪狩は、くるりと私に背を向けた。もう話すことなどないのだろう。

「では、こちらへどうぞ」

 御巫が私を、部屋の最奥、赤い扉の前へ案内した。

「この先が地獄です。扉を開けて、中に入っていただくだけで結構です。以後、罰を受ける以外の行動はできません。私たちが接触することもないでしょう」

「わかりました」

 私は扉に手をかけた。

 扉を開け、一歩を踏み出せば、私には罰が下る。後悔を強制し強要し強調する罰。罪悪感のない子どもに無理矢理反省文を書かせるような行為。永遠に近い時間、繰り返し殺し殺される。それが私への罰だというのなら、いいだろう、受け入れよう。どうせ私には後悔などない。後悔のない人生を繰り返すだけ、何をそんなに恐れることがある?

 しかし――これから繰り返す人生には、実りがなく、味気がなく、意味がない。

 意味がない。

 私が植西を殺そうと、その他二人のどうでもいいような人間たちを殺そうと、結局、何の意味もない。すぐに私は死ぬのだ。意味がない。

 そしてこの扉をくぐれば、私は、その意味のない行為を繰り返すことになる――。

 ふと気付くと、猪狩がこちらを向いていた。

 なんだ? 扉の前から動かない私を嘲っているのか? あれだけ大口を叩いておきながら、怖気づいているかのように足を止めたままの私を、蔑んでいるのか?

 猪狩を睨み返す。猪狩は何も言わない。反応しない。

 ただ、静かな黒い目で、私を見つめる。

 猪狩の口が、動く。声には出さなかったが、その意味は読み取れた。

 ――今までお疲れ様。

「…………………………」

 私は猪狩に何も言わず、扉を開けて足を踏み出した。

 労いの言葉が欲しかったわけではない。同情の言葉が欲しかったわけではない。憐憫の言葉が欲しかったわけではない。励ましの言葉が欲しかったわけではない。

 猪狩の言葉を無視して、振り切るように、私はその場から立ち去った。

 あたりが黒い霧に包まれ始める。徐々に、意識が朧げになっていく。

 扉をくぐる前の、猪狩の目を思い出す。

 静かで、調和のとれた、優しい、黒い瞳。

 素直に、綺麗だと思った。

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