ふざけるのも大概にしろ
翌日、十一月二十一日金曜日。
出勤するなり、植西が私のデスクへとやって来た。
「どういうつもりなのぉ!?」
何がだ? 主語を言え主語を。
「あんた、一体なんなのよぉ! わたしの邪魔をして、何がそんなに楽しいのぉ!?」
植西が、私に掴みかからんばかりの剣幕で迫ってくる。
近づくな、気持ち悪い。
「あれから猪狩くんにメールもラインも電話もしたけど、全然繋がらないじゃないのぉ! あんたが手を回したんでしょぉ!」
メールもラインも電話も通じない?
猪狩が植西と連絡先を交換していたというのは初耳だ。
しかし、好意など持っていないらしいし、おそらく教えたのは『捨てアド』というやつだろう。
ざまあみろ。
「今すぐ猪狩くんに電話して! 今日は仕事があるなんて言っていたけど、それなら明日約束を取り付けるからぁ! ほら、早く電話してわたしに繋いで!」
「植西さん、私は猪狩さんの連絡先を知りません」
「はぁ!? 嘘つくんじゃないわよぉ! 携帯貸しなさいよぉ!」
は? 何故私がお前に個人情報の塊を渡さなければならない? ふざけるのも大概にしろ。
「ふざけるのも大概にしなさいよぉ!」
植西が半狂乱になって、デスクの上の筆立てを、私に向かって投げつけた。
咄嗟に腕で顔を庇う。筆立ては軽い衝撃とともに私の腕に当たったあと、突き立っていたボールペンを床に散らしながら落ちた。
騒ぎに気付き、周りに人が集まってくる。
これ以上騒ぎが大きくなるのは、まずい。さて、どうやって植西を鎮めるか。
周りの人間が、植西を止めようとなだめる声が聞こえる。
「…………植西さん」
私は立ち上がり、周りを無視して、言った。
「この度はすみませんでした。全て、私が悪かったです」
植西や、その周りの同僚たちが、きょとんとした顔で私を見つめた。
思えば、私が自発的に謝るなどということは、会社では初めてかもしれない。私は自分に明確に非がある時や、便宜上必要な時以外、他人に謝らない。悪くもないのに謝るのは日本人の悪い癖だ。私はそんなこと、しない。
普段であれば。
「植西さん、申し訳ありませんでした。是非、私に償いをさせてください」
「……償い?」
「ええ、本当にすみませんでした」
私は、植西へ頭を下げた。
植西は私の謝罪で少し落ち着いた様で「……まあ、いいわ、多目に見てあげる」と、上から言った。
周りは、騒ぎが収まったのを見て、「なんだよかった」と言いながら、自分のデスクへと戻っていった。
植西は、取り巻きに囲まれて「大丈夫でした?」などと場違いに心配されている。
見かねた部長の「始業の時間だぞ」という控えめな注意で、植西と取り巻きたちはようやくデスクへと帰っていった。
そして、私は部長の注意を無視し、デスクに戻った植西へ、そっと小声で言った。
「植西さん、昼、二人きりで、お話できませんか?」
◆◆◆
「で、呼び出して何の用なのよぉ」
昼休憩、私と植西は、仕事を早めに切り上げて、会議室にいた。広い室内には私たち以外の人間はおらず、廊下で聞き耳を立てていても聞こえない程度の声量で会話していた。
「植西さんに、償いがしたいんです」
私は言う。
「その『償い』って一体なんなのよぉ? 土下座でもするのぉ?」
「いいえ」
私は、本当に私たち以外にはこの会話が聞こえていないことを念入りにチェックして、植西へ言う。
「昨日はあんなことを言ってすみませんでした。もし、植西さんさえよければ、今日、猪狩さんのことを呼び出してみようと思うんです」
植西が目を開く。
「でも、あんた、さっき知らないって……」
「心当たりが、あるんです」
「心当たり……?」
「ええ」
私は、先程思いついた『償い』について、植西へ説明する。
「猪狩さんが、今日仕事なので会えない、と言っていたのはご存知でしょう。でも、その仕事だって、夜通しで朝5時まで働く、なんていうものではないと思うんです。今日は確か、植西さんたちは女子会の予定でしたよね? なので、女子会が終わったあとなら、猪狩さんも丁度仕事を終えている頃なんじゃないかと思うんです」
「……それで?」
植西が続きを促す。
「それで、ですね。私が『心当たり』を辿って、女子会終わりの植西さんのところに、猪狩さんを連れて来たいと思うんです。女子会が終わるのは、たしか毎回十一時頃ですよね?」
女子会が毎回金曜、終業後から十一時頃までというのは、一度参加していたため知っていることだった。参加した――というより、『無理矢理参加させられた』のであるが。
あれは本当に鬱陶しかった。植西が私に絡んでくるのは、その時の女子会での私の態度が、植西の気分を損ねたからかもしれない。迷惑なことだ。
「その頃に、猪狩さんを連れて、植西さんの家の近くで待っています」
植西の住所は、社交辞令として年賀状を強要されているので、既に知っている。それに、今日のため下見も万全である。
「女子会のあととなると、もう夜も遅いので、少し話をすれば終電はなくなってしまうかもしれませんね。私は、猪狩さんと植西さんを引き合わせたら、すぐにタクシーで帰ります」
「……それが、あんたの『償い』ってこと?」
私は頷く。
「今日、女子会が終わるまでに、必ず猪狩さんを捕まえます。それまで、時間をください。もし、猪狩さんを連れてこられなかったその時は……」
「その時は?」
「……土下座をして、今までの非礼を、あなたに詫びます」
「…………いいわ、そうしましょぉ」
植西は、満足げに微笑んだ。
交渉は成立だ。
「それから、植西さん。このことは他言無用でお願いします」
「あら、どうしてぇ?」
「私という仲介人無しで猪狩さんと結ばれたように振舞っていたほうが、周りの人間は『やはり一月より植西さんのほうが魅力的だったのだ』と思うでしょう。それに……次回の女子会で突然猪狩さんを連れて来て『彼氏です』と紹介したほうが、絶対に『ウケ』がいいですよ」
「そうね……そういうことにしておきましょぉ」
植西がニヤニヤと笑いながら同意する。
口の軽そうな植西ではあるが、数日くらいなら、黙っていてくれるだろう。植西としても、まだ落としていない男の自慢話などできないはずだ。
そして、数日黙っていてさえくれれば、それで、十分だ。
「殺人犯も捕まったことだし、安心してパーっと飲めるわぁ」
まあ、その捕まった殺人犯とは模倣犯なわけだが。まだ報道されていないので、植西は知らないのだろう。
「なんかねぇ、ここ最近危なっかしいから、『女子会をやめたほうがいいんじゃないか?』なんて意見もあったのよぉ。でも、女子会をやめるなんて、ストレスの発散ができないわよねぇ? 殺人犯なんてそうそう会うわけないのにねぇ?」
植西にとって、殺人犯のニュースは、現実感のないテレビの中の話程度なのだろう。頭がゆるすぎて、正常な危険察知ができないらしい。
都合がいい。
「それじゃ、女子会が終わったらメールでも送るわねぇ」
「メールですか? 何十分でも待っていますから、空メールで十分ですよ。植西さんのお手を煩わせるのも悪いですから」
「なぁに? 心得てるじゃないのぉ」
植西は、意外さ半分、優越感半分といった表情だ。
「それじゃぁ、一月さん、約束よぉ? 出来なかったら、そうねぇ……会社のみんなの前で、土下座してねぇ?」
くすくすと植西が笑い、会議室から出ようとする。
私は、くれぐれも他言しないよう念を押して、植西を見送った。
……さて、それではいつもの定食屋で昼食を済ませなければ。時間は有限だ。植西などに構っている時間は、本来、無駄なのだ。遅れを取り戻さなくてはならない。
私は会議室から、そのまま外へ出た。鞄とコートはあらかじめデスクから持ってきていた。定食屋へ向け歩き出す。
今のやり取り。猪狩へ連絡する心当たりがある、という部分。
あれは、嘘だ。
◆◆◆
午後九時過ぎ。私は帰宅すると、レトルト食品で簡単に夕食を済ませた。
それから、クリーニングから返ってきていたロングコートといつもの服をハンガーにかけて、髪の毛やほこりがついていないことを入念にチェックした。
仕事用のものより大きな鞄に、必要な荷物を詰めていく。
植西から飲み会が終わったことを示す空メールが届くと、私はいつもの服装に着替えて、コートを羽織って、鞄を手に、夜の街へと溶け込んだ。
◆◆◆
植西の家の近くに来た。駅から植西のマンションへの道、そこから少し入った人気のない暗い路地で、私は植西を待っていた。
流石に十一月中旬となれば、寒さが身に染みる。外気が刺すように痛い。
私は唯一の防寒具であるコートに身を包み、自動販売機で買った温かい缶コーヒーで暖を取っていた。一応手袋もしているのだが、ポリエチレン製の薄い使い捨ての物なので、防寒具にはカウントしない。マフラー? 邪魔になるのでいらない。
今の私は、必要最低限の物しか持っていない。早く植西が来ることが望まれる。
と、通りの向こうから、足音が近付いてきた。
私は慎重に、手鏡で、駅方面を見た。
そこには植西が映っていた。
植西は、普段より赤い顔をして、ふらりふらりと機嫌よさそうに歩いていた。これから猪狩と会うことを期待しているのだろう。
おめでたいものだ。
胸に手を置いて鼓動を確認する。まったく乱れていない。頭は冷静で、視界はクリアだ。こんなことごとき、私の心を乱れさせるような物ではないということだ。前回、前々回もそうだった。
私は鞄の中身を取り出し右手に持って、着ていたコートを脱ぎ、右手の上に被せた。
植西が私のいる路地へ近付くと、私は、植西の前へ飛び出した。
「植西さん!」
「えっ!? ひ、一月さん? どうして、そんな格好で――」
植西が、私を見て驚き、固まっている。
私が着用しているのは、右手に被せるコート以外は、セパレートタイプのシンプルな白い水着一着だけだった。一見すると、下着姿のように見える。夏でも海でもないこんな寒い冬の夜に、水着姿の同僚が道から出てくれば、それは、驚くだろう。
「助けてください!」
私は、植西に考える余地を与えず、言った。
「助けてください! 猪狩が――」
震える手で――怖くはないが、寒さで震えていた――路地の奥を指さした。もちろん、猪狩などいない。
「え? 猪狩くん、が、?」
植西が、混乱した様子で、路地の奥を覗き込もうとする。
その隙に、私は右手のコートを落とし、持っていた道具――スタンガンを植西の首へ押し付け、スイッチを入れた。
「――――――ッ!」
植西が、声にならない絶叫を上げて、倒れた。ショックで体が痙攣し、白目を剥いて泡を噴いている。
いつもの反応に、私は冷静に対処する。
植西を引きずって、路地へと連れ込む。そして、コートと鞄を少し高い場所――エアコンのダクトへ置き、持ってきていた大きなビニール袋で保護した。スタンガンを鞄へしまい、次に包丁を取り出す。それから、汚れた手袋を入れるための袋と、汚れを拭うためのハンドタオルも、忘れず横に置く。
植西がまだ動ける状態ではないことを確認して、植西の胸の中央に、包丁を突き立てた。
「ぐが、あっ」
植西の体が、一際大きく跳ねた。ごぼりと音を立てて口から血液が溢れ出す。
私は包丁を、両手を使ってなんとかひねり、抜いた。穴から噴水のように血液が飛び散り、私の顔と体にかかった。
血液がかかる感覚は不快だが、我慢できない程ではない。汚れたり濡れたりしてもいいように水着を着ているのだから、このくらいは許容範囲だ。
足元に血液が広がり、靴を濡らす。靴も、水洗いできるよう素足の上に合成樹脂製の軽いサンダルだ。問題ない。
念には念を入れて、植西の首、頚動脈に向けて、もう一度包丁を振り落ろした。ごりっ、と筋に当たる感触がして、植西の首から血液が流れ出す。先程より量が少なく、鼓動に合わせて出血量が上下する様子もなかったので、もう大丈夫だろう。
私は、ふう、と一息ついて、包丁の血を払った。
目の前には、胸を突き刺され首を切り裂かれ、白目を剥いて口から血泡を吹き出す、植西の死体が転がっていた。
……ああ、そうだ、重要なことを忘れていた。これがなくてはいけない。
植西の見開いたまま動かない目、そこに指を突き入れて、眼球を抉り取った。
手袋越しとはいえ、あまりいい気分のすることではない。気持ち悪い。
眼球と包丁をひとまず置いて、汚れた手袋を外し、ハンドタオルで腕を拭いた。それから、綺麗になった手で、鞄からバスタオルを取り出し、全身の血を拭う。水着に付着した血液は完全には落ちないが、あとで洗うから別に構わない。
手袋とタオル類をビニール袋に入れて、口を縛った。あとで破棄する必要がある。
鞄から水入りのペットボトルを取り出し、サンダルの血を洗い流す。
そしてやっと、鞄から新しいタオルを取り出し、包丁を包んだ。
さて……と、私は抉り取った眼球を見た。正直、手に余る。いつものようにビニール袋に入れて、石で潰したあと、川にでも捨ててしまおう。
髪に血液が付着しているといけないので、持ってきていた帽子を被る。幸い、私は髪を一つに纏めているので、帽子ですっぽりと隠すことができる。
最後にコートを羽織り、血生臭さを消臭スプレーで消せば、元通りだ。
誰も、私が植西を殺したことになど、気付かない。気付かせない。
もうここに用はないので、早々に立ち去ることにする。誰かの声やパトカーのサイレンが聞こえないということは、今回もきっと、目撃者はいないのだろう。ならば早く立ち去るのが吉というものだ。もし、目撃者がいれば、今の私に言い逃れをすることは難しい。
今からでも、急げば終電に間に合うだろう。
コートを翻し、立ち去る。寒いので足早に駅へと歩いた。死体になど興味はないので、後ろを振り返ることは一度もなかった。
◆◆◆
無事電車に間に合い、家へと帰ってきた私は、すぐさまシャワーを浴びた。
一度拭き取ったとはいえ、やはり、気持ち悪い。何が楽しくて他人の血液を浴びるなどということをしなければならないのか。
まあ、いい。それも今日で終わりだ。
シャワーを終えると、私は部屋着に着替えて、犯行の証拠を処分することにした。
洗濯し、乾燥させたタオルと水着を、ハサミでバラバラに切断する。袋に詰めて、それを適当な公園のゴミ箱へ捨てた。犯行のため何度か使用したコートも、あとで捨てておかなければならない。
抉り取った眼球は、河原にて、袋に入れたまま石で潰した。袋の中にそのまま石を入れ、川に捨てる。恐らく浮かび上がってこないだろうし、浮かび上がってきたとして、一体誰が『それ』を『眼球』だと認識できるだろう?
ついでに、塩水で入念に洗った包丁も、石とともに袋に入れ川に捨てた。指紋が残らないよう気をつけたつもりだが……警察がどこまで有能なのか、詳しい知識は私にはない。まあ、塩の影響で錆びていてくれると助かる。
出かけたついでに、コンビニに寄って明日の朝食を調達することにする。
コンビニまでの暗い道のりを、一人、歩いていく。
吐き出す息は白い。しかし、コート以外にもマフラーや手袋、ブーツなどを着用しているので、先程の寒さよりはいくらかマシだった。
植西を殺しても、達成感や爽快感は、なかった。かといって罪悪感や後悔があるのかと言えば、そうではない。私はただ、道を塞ぎ邪魔をする障害物を取り除いたに過ぎない。道に転がる石を蹴り飛ばしただけで、達成感を感じたり、罪悪感を抱いたりすることはあるか? ない。
コンビニに到着し、サンドイッチを購入する。私の挙動は普段通りで、誰も、同僚を殺したあとだとは思わないだろう。
コンビニを出て、家まで歩き始める。手に提げるコンビニ袋には、サンドイッチが入っている。袋を持っていると、つい、血塗れのタオルやら眼球やらが入っていたことを思い出してしまう。
気持ち悪い。
こんなことさっさと忘れて、日常へ戻る必要がある。
そういえば、植西が死んだ今、取り巻きたちはどうするのだろうか? 想像すると少し愉快だった。出勤し、誰からともなく集まり、いい人だったのに、なんて悲劇なの、などと涙を流すのだ。いい人? 悲劇? 的外れにも程がある。それとも、表では涙を流しながら、裏では『植西はヒステリックで厄介な女だった』と愚痴を零し笑い話にするのだろうか?
まあ、どうでもいい。これを期に私に関わるようなことをしなければ、好きにしろ。
猪狩ももう私の前には現れないだろうし、一気に静かになった。
いいことだ。
このまま静かな日常が続くなら、それで、満足しよう。
と、
角を曲がろうとしたところで、強いライトが視界を眩ませる。
その直後、甲高い機械音と強い衝撃に襲われ、無理矢理地面へと叩きつけられた。
「お、オイ! ヤベーぞ!」
数人の若者の声が、片耳から聞こえてきた。おかしい、右から音が聞こえない。
首も、横を向いたまま動かない。動かせない。
どころか、手足すら動かない。なんだ、何が起こった?
若者たちはしばらく騒いでいたが、そのうち声は聞こえなくなり、車のエンジン音が遠くへ走り去っていった。
ようやく、状況を把握する。どうやら私は、先程の若者たちの車に轢き逃げされたようだ。
じわり、と体から血が滲んでいるのを感じる。怪我をしてしまったらしい。体を動かせないのは、たぶん、どこかしら骨を損傷しているからだ。
それにしても、救急車も呼ばず逃げ出すとは、困ったものだ。もちろん、何もせず逃げるからこそ『轢き逃げ』なのだが。
どうやら目撃者はいないようで、若者たちが去ったあと、誰かが私に声をかけるようなこともなく、どころか、そもそも人が通る気配すらなかった。
スタンガンによる絶叫に誰も気付かないのだから、車のブレーキ音と衝突音ごときでは、それは、誰も来ないだろう。
ぽつり、と、水滴が私の頬に落ちる。
ああ、雨が降ってきた。
冬の冷たい雨が優しく降り注ぎ、私の体温と体力を削ぎ落としていく。
雨に降られてしまっては、車の痕跡が洗い流され、犯人を捕まえることが難しくなる。私は一体誰に治療費を請求すればいいのだろう。
いや、それとも、治療費なんていらないのかもしれない。
深夜で、雨が降っていて、道は暗く、人通りはない。もしかしたらこのまま朝を迎えるかもしれないし、
その頃になれば、私は死んでいることだろう。
死んでいるのだから、治療費など、意味を成さない。
ああ、寒い。血液を失い、雨で濡れた体は、水着にコート一枚の時より冷たくなっていた。
出血していて、体温は下がる一方で、体は動かない。
きっと私はこのまま、朝まで誰にも発見されず、一人寂しく死ぬのだろう。
…………………………。
そうか。私は、死ぬのか。
雨の落ちる音だけが響く静かな夜道。ここで、私は死ぬ。
死ぬついでに、これまでの人生を振り返ることとしよう。いわゆる走馬灯である。この機会に、そんなテンプレートに収まるのも、悪くない。
私は今まで、ずっと、孤独だった。
家族とは距離を置き、友人を作らず、恋人には興味すらなかった。
私は孤独を望み、そしてその通りの人生を送ってきた。
きっかけは特にない。物心ついたときから、私は、周囲が煩わしくて仕方がなかった。
煩わしくて、うるさくて、騒がしくて、邪魔だった。
両親はそんな私をどう扱うべきか困っていたようだったが、そんなことは私には関係ない。
他人との接触は最小限、他人からの干渉も回避して、他人を無視して黙殺して、私は一人で生きてきた。
一人で静かに過ごせるなら、それで、満足だった。
今、私は、自分が望んだ通り、一人きりだ。
孤独に生きて孤独に死ぬ。なんて私らしい人生なのだろう。なんて、素晴らしく、静かな最期。
ただ、骨が軋むような寒さだけが、不愉快だった。
――ぱしゃり、と、誰かが水溜りを踏む音がした。
近くに人が来たのだろうか? その人物を見つけようと、私は閉じていた目を開いた。
目が、黒い人影を捉える。
人影は、慌てるでもなく、救急車を呼ぶでもなく、ただじっと私を見下ろしている。
早く救急車を呼べよ、と思わないでもないが、きっと無駄だ。もう体の感覚がない。今更救急車を呼んだところで、私は助からないだろう。
ゆっくりと、視界が黒く滲んでいく。もう長くはもたないのだとわかった。
視界が闇に落ちる寸前、人影が呟く。
――俺は、無力だな。結局、運命を変えることなんて、できなかった。
――ごめんね。
もう視界には何も映らない。
ただ、片耳から聞こえる雨音がノイズのように、私へ静寂をもたらしていた。
ずっと望んでいた静寂の中、私はそっと、眠るように意識を手放した。
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