幕間に飲むコーヒーはブラックで

 私の名前は御巫みかなぎかがみ。天使だ。

 この事務所では、亡くなった人の魂を現世から回収し、天国や地獄へ導くという業務を行っている。

 所長の名は猪狩いかり黒衣こくい。この、死神と閻魔の役割を兼ねた上司、その補佐が私の仕事だ。

 『天使』や『死神』『閻魔』というのは役割の俗称である。

 実際には、羽を生やしているわけでも、全知全能なわけでもない。ただ『そう表現するのが一番近しくわかりやすいから』という理由で、私たちはそう自称する。

 それ故に、本来では西洋由来の『天使』が東洋固有の『閻魔』の補佐を務めることもある。

 要は、わかりやすく説明できればそれでよいのだ。

 私たちの見た目は、ほとんど、地上の人間と変わりない。だからこそ、猪狩が調査に行っても、私が聞き込みを行っても、特に違和感なく地上に溶け込むことが可能である。

 しかし、それでも、私たちが『人間』にとって特別な存在であることには変わりない。

 現在は仕事の合間のちょっとした休憩時間である。先程、本日二人目の死者を送り届けたところだった。

「……猪狩さん」

 私は、上司――猪狩へ言葉をかける。

 肩ほどの長さの黒髪に、黒い瞳。セーターにジーパンという、普段着にしか見えない――ラフすぎるのでもう少し改めて欲しい――服装。頭の上には黄色い工事用のヘルメットを被っている。

 このラフな服装とヘルメットが、いつも『裁判』するときの格好だ。何度注意しても改めてもらえない。

「なんだい?」

 猪狩は、私が淹れたコーヒーを飲みながら応えた。

「いくつか、質問しても?」

「どうぞ」

 許可をもらったので、私は、先程の裁判において疑問に思ったことを聞いてみる。

「結局、連続殺人事件自体は、どうなるんでしょう? 先程の方が――真犯人が死んでしまって、事件は続かないのでしょうけれど、警察は『彼女が犯人だった』という真実に辿りつくでしょうか?」

「さあ……。その辺は現世の警察官によるんじゃないの? 彼女も証拠を処分してから死んでるし」

「そうですね……」

 『神』だからと、全てがわかるわけではない。

「それに、もし警察が彼女を犯人だと特定しても、もう死んでるんだから、どっちみち『被疑者死亡』で『解決』でしょ」

 猪狩が、コーヒーを飲む。

「俺たちにはもう、できることはないよ」

「………………」

 『解決』という言葉を使った割りに、猪狩の表情は、晴れ晴れとしたものでは決してなかった。

 そう、私たちにできることはない。私たちは私たちに与えられた『特別な役割』を果たすだけだ。被害者を悼むのも、加害者を憎むのも、現世の人間がすることである。

 ……しかし、こういうやるせない事件を直視したあと、私は、どうしても無力感に苛まれる。

 猪狩の言う通り、私たちにできることは、一つもないのだ。

 咳払いで仕切り直して、次の質問へ。

「では、次ですが……。どうして彼女は、最後の犯行の前日、あんなに猪狩さんに積極的だったのでしょう? これまでは、猪狩さんのこと邪険にしていましたよね?」

「そうだね……。たぶん、模倣犯に襲われた時の、俺の去り際の一言が気になっていたんだろう」

 去り際の一言、とは、たぶん『彼は模倣犯だよ』という言葉だろう。

「もし、あの模倣犯が『真犯人だ』と断定されると、彼女にとって不都合なんだ。まだ本命を殺していないのに『犯人』が捕まってしまうんだからね。『犯人』が捕まったあとの犯行は、『先日捕まったのは模倣犯だ』とわざわざ教えるようなものだ。だからその場合、彼女は軌道修正を強いられることになる」

「そうですね」

「しかし、捕まった『犯人』が『模倣犯』だと、警察が既に気付いていたら?」

 警察が『捕まえた男は模倣犯だ』と正しく認識していれば、当然、捜査は終わらず、『真犯人』を捕まえようと動くだろう。

「報道は抑えられていたようだが、警察も馬鹿じゃない。捜査は終わらず継続されていただろう。その場合、彼女からしてみれば、捜査は継続しているのだから模倣犯ごときが捕まっても状況が変わらないんだ。だから、犯行を重ねても何も問題がない」

「じゃあ……捕まったのが『模倣犯』だと警察が認識していれば、彼女は犯行を続ける……。逆に『模倣犯』が『真犯人』だと断定されれば、別の方法を考える必要がある……。一体どちらなのかという情報を猪狩さんから引き出して、本命の犯行の是非を判断していた、ということですか?」

「たぶんね」

 私は言う。

「じゃあ……もし猪狩さんが『捕まったのは模倣犯だと警察は判断する』と伝えなければ、最後の事件は起こらなかったのでは……?」

「どうかな……。どちらにしろ『捕まったのは模倣犯でした』と報道されるのは時間の問題だったと思うよ。警察が『模倣犯情報』を抑えていたのは真犯人を油断させる狙いがあったんだろうけど、今回の場合は完全に裏目だったし……。けれど、遺体の相違点――あの首の火傷のことだ――の情報は絶対に隠し通しただろうね。犯人かそうでないかを分ける重要な情報――『秘密の暴露』ってやつだ」

 俺は推理のために普通に『暴露』しちゃったけど、と猪狩。

 補足しておくと、猪狩が遺体の状況を詳しく知っているのは、彼が被害者たちを『仕事の対象』としていたからだ。猪狩が彼女に言った『独自の情報網』とは『死神及び閻魔業務』のことである。

 ただし、猪狩が既に言った通り、使い勝手はあまりよろしくない。『仕事』で知った情報については守秘義務が課せられ、その情報を元に動くことは通常禁止されている。

 今回のような『調査』は、あくまで『仕事の一部』であり『例外』なのだ。

 次の質問へと移行する。

「……それから、これは、今更考えても仕方のないことなのですが……」

 私は、少し迷ったが、それを訊いてみた。

「彼女が模倣犯に襲われた時、どうして助けたんですか? あの時、もし猪狩さんが彼女を助けなければ、同僚の女性が被害に遭うことはなかったのでは……?」

「………………」

 猪狩は椅子にもたれて、ぼうっと宙を見つめる。

「あの時は、考える余裕がなかった。目の前で誰かが殺されそうになるのを、黙って見過ごせるとでも思うか? ……『死神』してるときでもないのに」

「………………」

「と、いう感情論は置いておく」

 猪狩は視線を私に固定させた。

「では、もしあの時に彼女が死んでいた場合について考えよう。あの場で彼女が死ねば連続殺人事件自体は終了する。……だが、あの場で彼女が殺されるということは、模倣犯があの場で捕まらず、犯行を重ねるということだ。模倣犯の犯行はかなりお粗末だったから、そのうち捕まっていただろう。……果たして、模倣犯は捕まるまでに何人を殺傷していたのかな?」

「じゃあ……どちらにせよ、被害者が出ていた、ということですか?」

「そうだ。彼女を助ければ同僚の女性が死ぬ。彼女を助けなければ今度は模倣犯が無関係な誰かを殺す。どちらにしろ変わらないよ」

 それに、と猪狩は付け加える。

「俺が彼女に接触しなければ、そもそも彼女は模倣犯には襲われない」

「……と、いうと?」

「『彼女を家まで送る』という行為さえなければ、彼女はあの道を通らないんだ」

「え? 家までの道なんですから、必ず通るはずでは……?」

「通らないんだな、これが」

 猪狩が苦笑を漏らす。

「彼女、家から反対の方向に歩いて、適当なマンションが自分の家だと、俺に偽って教えていたんだ」

「え……?」

「俺に家の場所を知られたくなかったんだろう。だから、もし俺がいなければ、彼女はあの道を通らず、真っ直ぐ家に帰っていたはずなんだよ」

 私は疑問を挟む。

「彼女の偽証がわかっていたのなら、何故指摘しなかったんですか? もし猪狩さんが『そっちはあなたの家の方向ではないはずだ』と指摘していれば……」

「そんなことしたら、俺があらかじめ彼女のことをリサーチ済みだってバレちゃうじゃん。それに」

 猪狩は言う。

「それに、俺の目的は『彼女を無事に家まで送り届けること』ではなく、『帰り道に彼女と話をすること』だったんだ。家の方向が反対だろうが、話さえできるならそれでよかった。……その考えが、仇となったわけだ」

「なるほど……」

 では、猪狩は自分の失態の始末をつけただけ、ということか。むしろ、模倣犯を捕まえただけ有益な行動だったかもしれない。

 もし被害を最小限にしたければ、模倣犯が彼女を殺したのを見届けたあと、模倣犯を捕まえればいい。模倣犯は捕まり、真犯人の死亡により事件は広がることなく終焉を迎える。理想的だ。

 だが、そのためには、目の前で女性が殺されるのをむざむざ見過ごす必要がある。

 ――考える余裕がなかった。

 ――目の前で誰かが殺されそうになるのを、黙って見逃せるとでも思うか?

 この言葉こそ、猪狩の回答なのだろう。

「最後の質問です」

 私は、一番聞きたかった質問を口にする。


「……何故、彼女に今回の罰を?」


 意外な質問だったようで、猪狩は少し目を見開いた。

「おや、君は納得していないのかい? それなら、俺に意見してくれてもよかったけど」

「意見だなんてそんな……! 罰の決定権は猪狩さんにあります。私はそれに従うだけです。でも……」

 私は言い淀む。

 猪狩は、もたれていた椅子から体を起こした。そして、私に優しく微笑みかける。

「相談もなく、勝手に罰を決めてしまいすまなかった。今からでよければ、君の意見を聞かせて欲しい」

「………………」

 私は言葉を選びながら、慎重に尋ねる。

「最後の言葉……猪狩さんが彼女にかけた最後の言葉、あれは、どういう意味ですか?」

 猪狩から彼女への最後の言葉――

 ――結局、運命を変えることはできない。無力だね?

 あの言葉は――

「あの言葉は、彼女に向けてではなく、猪狩さん自身へ向けての言葉ではありませんか?」

 猪狩は目を細めて、静かな声で言う。

「どうしてそう思ったのかな?」

「彼女の魂を回収する時、猪狩さん、言ってましたよね」

 この事務所では、亡くなった人の魂を現世から回収し、天国や地獄へ導くという業務を行っている。

 魂を回収する死神業務。執行する猪狩のそばで、その補佐をするのが、私の仕事。

 あの時、死にゆく彼女の傍らで、猪狩はたしかに言ったのだ。

 ――俺は、無力だな。結局、運命を変えることなんて、できなかった。

 ――ごめんね。

 猪狩は、罪を犯し、そのまま死んでしまう彼女を止めることができなかった。

 『罰』として、報いとして、そのまま悲しい運命を繰り返す彼女を、救えなかった。

「あー……聞こえてたのか。雨も降っていたし、どうせ聞こえていないと思っていた」

 猪狩は、誤魔化すようにあははと笑った。そして言う。

「……俺はね。ずっと考えていたんだ。彼女にとって一番つらい罰はなんだろう? って。拷問事典を読み漁ったり、過去の魔女裁判の資料を読んだり、楽しい時間を過ごしたよ」

「最後の一言は余計です」

「なにせ、『目を抉る』なんてことをする猟奇殺人犯だからね。センセーショナルで非人道的な罰が必要だと思っていた」

 けれど……と、猪狩は目を半分伏せた。

「実際に彼女と出会って、話をしてみて、そんな罰では駄目なんじゃないかと思うようになってきた。そんな罰は相応しくない。いや……そんな罰は、彼女にとって意味がないのでは、と」

「意味が、ない」

「想像できなかったんだ。酷い苦痛を味わって、心から泣き叫んで許しを乞う彼女が。想像できない。痛みに声を上げることはあるだろう。地に伏し動けないこともあるだろう。でも、そんな状況でも、彼女はまったく堪えていないんだ。血を流す自らの体を、死んだように動かない目で、ただ迷惑そうに、不愉快そうに見下ろしているだけ。彼女にとって、後悔のない彼女にとって、それらは『罰』ではなく、ただの『理不尽なだけの暴力』なんだ。それでは彼女に『罰』を与えることにはならない。彼女が、それらを『罰』と認識しない限り」

 半端な苦痛では駄目だと直感したのだろう。

 そこで、肉体的な苦痛ではなく、精神的な苦痛を与える方向にシフトした。

 過去を繰り返す罰で、彼女に罪を認識させる。彼女の心が折れるまで。後悔の念を抱くまで。

「彼女はきっと後悔せず、殺して殺して殺したあと死ぬんだ。無残に、無様に、あの雨の中で。何度も何度も繰り返す。数え切れない回数を、何度も何度も。どう進んでも、詰んでいる」

「……彼女に罰を与えたことを、後悔していますか?」

「いや、していない。俺は俺の仕事をしただけだし、彼女は彼女の行動の責任を果たすだけ。悪因悪果、自業自得、天網恢々疎にして漏らさず! これぞ正しい結末だ」

「じゃあ……」

 後悔していないのなら、何故、あの時、謝罪を?

「……後悔はしていない。ただ……」

 猪狩は遠くを見るように、視線を投げる。

「彼女に言ったんだ。『運命を変える努力がしたい』『こんな筋書き間違っている』――大口を叩いてしまった。一体何を言っているんだろうね、俺は。……彼女の運命を固定するのは、俺なのにね」

 猪狩は一瞬、自嘲じみた笑みを浮かべた。

 そしてすぐ、それを隠すようにいつもの笑顔を繕う。

「だから、さ。大口叩いた割りに俺がラスボスでした! っていうネタバラシへの謝罪だよ。もしくは、仕事を忘れて感情的になってしまったことへの謝罪、かな? いやあ、この仕事は守秘義務多くて大変だなあ」

 へらへらと笑いながら、コーヒーに口をつける猪狩。

 私もコーヒーを口に含む。いつもと変わらない苦さを感じた。

 私はふと、思ったことを呟いた。

「……けれど、過去を繰り返し経験すると言っても、彼女が過去とまったく同じ行動をするとは限らないのではないでしょうか? もしかしたら、違う人間を殺したり、違う道を通って帰宅したりするかもしれませんよね?」

 猪狩が言う。

「クローンの双子の赤ちゃんをテーマにした思考実験、知ってる?」

「いえ、知りません」

 コーヒーを飲みながら、猪狩は解説を始める。

「タイトルの通り、クローン技術を使って産まれた双子の赤ちゃんが登場する。この双子の赤ちゃんたちを、まったく同じ環境の部屋に入れて、まったく同じ刺激を与えたとする。すると、どうなると思う?」

「……クローンということは、赤ちゃんたちは『まったく同じ個体』と考えていいんですよね? さらに、環境も刺激も『まったく同じ』……」

「赤ちゃんたちは、脳の物質構造がまったく同じ。だから、もし、『脳』が『ただ電気信号に従って動くだけの機械』であれば、赤ちゃんたちは寸分違わずまったく同じ行動をするはずだ」

「そうですね」

「では逆に、同じ脳であるはずなのに、違う行動をしたら? そうなると、二人の赤ちゃんたちには『ただ電気信号に従って動くだけの機械』である『脳』以外に、行動を決定する外部装置――『意志』や『ココロ』がある、と証明される。『クローンの双子の赤ちゃん』は、『脳』の機能や『ココロ』などについての思考実験の一つだ」

 なるほど。『ココロ』の有無について考えさせられる議題だ。

「それで、結果はどちらなんですか?」

「実験結果かい? それはね――」

 猪狩は、にやりと笑った。

「人間は、完全に同じ環境を作り出すことができない。だから実験できない。よって確かめる術はない」

「………………」

 私の非難の眼差しを受け、猪狩は愉快そうに笑った。

「ひゃはははは! 俺が考えたわけじゃないんだから、俺を責めるのは筋違いだよ?」

「わかっています。しかし、とんでもない結果ですね」

「とんでもなくないよ。わからないことは『わからない』というのが正しい答えなんだ。勝手にわかった気になっているよりマシさ」

 さて、と。猪狩は話題を元に戻す。

「この『クローンの双子の赤ちゃん』だが、さっきの彼女の罰に状況が似ているとは思わないか?」

「というと?」

「赤ちゃんは『クローン』を使って『A』と『B』という二つの個体を比較している。『A』と『B』は、人間の頭の物質構造から環境から刺激から全て同じだ。……今回の彼女の、一番最初の体験――オリジナルが『A』で、死後受ける罰の内容が『B』……と考えるとわかりやすいかな?」

 そうか。今回の罰は、オリジナル『A』と死後の罰『B』で、記憶操作により彼女の脳の物質構造がまったく同じ、時間を遡っただけだから環境もまったく同じ、過去の繰り返しだから刺激もまったく同じなのだ。

 クローンの代わりに、記憶のない時間遡行によって、『A』と『B』というまったく同じ状況を作り出している。

「それじゃあ――彼女は『クローンの双子の赤ちゃん』の思考実験を実体験する、ということですか?」

「そうなるね」

 思わず、私は慌てて席を立った。

「け、結果はどうなるんですか!? 彼女がまったく同じ行動をするかもしれないし、まったく違う行動をするかもしれないってことじゃないですか! 罰として成立するかどうか怪しいですよ! 今からでも変更したほうが――」

「御巫ちゃん」

 猪狩は慌てた様子もなく、呑気にコーヒーカップを傾けている。

「いいんだ」

「『いい』……って……?」

「同じ行動をすれば罰として成立するし、違う行動をするなら、それはそれでいいんだ」

「ど……どうして……?」

「俺はね、御巫ちゃん。彼女にはもっと違う人生が待っていてもいいと思うんだ」

「違う……人生……?」

 どうやら、猪狩には何か考えがあるらしい。

「ループする過去は、彼女が入社してから死ぬまでの間なんだ。なら、もし彼女があの雨の日に死ぬことがなかったら? いや、もっと言えば、そもそも『殺人』なんて犯さなかったら、どうなる?」

「……どうなるんですか?」

「どうなるかはわからない。ただ、殺人なんてせず、仕事をしながら、結婚して、子どもを育てて、静かに穏やかに天寿を全うする人生があるかもしれない。天寿を全うしたあと、自分の『罪』を思い出して、家族との日々を思い出して、やっと『後悔』を覚える。……そんな最期が、あるかもしれない」

 事故で死ぬ最期ではなく、家族に囲まれて迎える静かな最期――。

「これは、罰であると同時に、俺から彼女への最後のチャンスなんだ。猟奇殺人犯としてではなく、普通のどこにでもいる平凡な人間としての人生を迎えられる、最期のチャンス」

 猪狩は、彼女のそんな穏やかな最期を望んでいるのかもしれない。

 運命は変わらないと嘆きながら、自分は無力だと呪いながら、最後の希望を託して、彼女に過去を繰り返す罰を与えた。

 彼女は、どう応えるだろうか。

「……まあ、そもそも彼女はそんなくだらない人生は価値ナシと認定していそうだから、望み薄だけどね!」

 猪狩はコーヒーを勢いよく煽り、立ち上がった。

「さあ! 休憩終わり! 次の仕事行ってみよう!」

「わかりました」

 私もコーヒーを飲み干して、カップを給湯室へ持っていく。

 給湯室へ入る直前、私は足を止めた。

「猪狩さん」

「ん?」

 私は、猪狩へ言った。

「猪狩さんは無力ではありません。猪狩さんは、運命を変える努力をしっかりとしています。結果、何も変わらなかったとしても、それでも、言い訳を重ねて努力を怠るようなことはしなかった」

「………………」

「猪狩さんは十分頑張っています。私が保証しますよ」

 しばらく、猪狩は黙って私を見ていたが、不意に宣言した。

「……ここで、番号札零零二番ちゃんのモノマネします」

「は?」

「結果は駄目だったけれど努力したから美談へ格上げ。その姿勢こそ、弱者の、敗者の、負け犬の『それ』です」

「………………」

「似てた?」

 私は猪狩を睨む。

「猪狩さん、本当に『いい性格』してますよね」

「ひゃははは!」

 猪狩は、いつものように笑った。

「よく言われる」

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