繊細を置いてくる
高校生の頃、髪がジリジリしている(キューティクルが剥がれてケラチンが抜けた状態)のが気に食わなくて片っ端から抜いた結果、頭頂部の薄毛に悩まされる大人になりました。
繊細、お前だめだな。
あの頃は私も人並みかそれ以上に繊細で、ていうか、創作活動する人間なんて8割繊細ヤクザの魂を持ってるんじゃないですかね(暴論)って生活してました。
なんで繊細を置いてきたかと言えば、ひとえに今のダンナちこと付き合い始めたからで、こいつといる限り繊細なままでは私ばかりが疲弊する、と気づいたからに他なりません。つまり、それまでお付き合いした男性はそれなりに繊細でも付き合えたか、繊細を捨てなければ駄目だと気づけなかったかのどちらかでした。
以後、傷付かないように頑丈に生きることを心掛けたところ、それが習い性になり、立派に
思えばやさしさも遠くへ置いてきた。いまや小説の中のキャラクターがなんとか持ちこたえているだけだ。私自身は(自身のを含め)メンタルの弱さに我慢ができない。想像もするし共感もないわけではないのだが(繰り返すが私自身はネガティブ寄りでメンタル弱い)、40年生きてきて、自分が『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』派だとは思わなかったよ。私自身に害がないのならせめて野に放してやれよ……と宥める日々だ。なぜた。
やさしさってなんだろうなと途方に暮れる。
やさしさももう小説の中にしかない。ひゅー。
諦念、私の好きな言葉です。
これは手放す言葉ではなく、自分を守る、認める、かさ上げしない言葉です。
自分を多く見積もらない、というのは、メンタルの若い人にはオススメしません。挑戦は強く、勝てなくても糧になる。自分の可能性を否定する必要も卑下する必要も自分相手ならぜんぜん必要でないのです。がんばれー。
諦念は卑下ではありません。ガツガツがんばる力を失ったからといって悲観する必要などサラサラなくて、自分の器がわかったなら、器を丁寧に磨いてゆっくり満たして空にしてまた満たせばいいんだと思うことです。
なにしろ創作物の中では諦めず繊細なまま強くなるこどもたちが書けるのです。彼らは自分じゃない。理想の自分でもない。違う生き物をいくらでも書けるなら、自分が大したことなくても別にいいじゃんと、思ってしまうあたり自分に対する期待がまあ低いわけですが別にいいじゃん。
しかし気遣いはなんとか手元に置いておきたい。
これもすぐ投げ出しそうになるんだよなあ……自分を諦めるのはいいけど、友達を諦めるのは悪い癖というかやりたくないからやらないでいたいのだ……「悪い癖」で済ます言葉じゃないもんね、これ。
やさしく、思いやりのあるひとに憧れる。
ただ、憧れても成れないものには成れないので、やさしくて思いやりのある人が哀しい思いをしないように立ち回らねば、くらいがちょうどいいかなと己に言い聞かすのです。
それすら難しいくらい自分本位なんであれですけど。
まあ、あれだ。
人生乱暴に生きてきても(丁寧な暮らしが出来なくても)、自己愛が強くて自己評価が高い(冷静に考えるとなんで自己評価高いのか疑問なんだけど、そこをそっとしておけるので評価が高い)と、ネガティブでもそれなりに生き続けられるという話ですね。(まとまらず終わる)
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