第4話 ターフでの検証

十月に差し掛かり、朝晩のそよ風も肌寒く感じられる様に成って来た。各地で紅葉が見頃とのニュースが飛び交い、日光のいろは坂辺りでも見頃だと言う。


其の週の日曜日、銀次と鈴江はそんな秋風が感じられる東京競馬場に向かう為、東京電鉄の競馬場行きの電車に揺られて居た。日曜日という事もあって、電車の中は同じ目的の人達で溢れて居る。大半は片手にスポーツ新聞やら競馬専門誌やらを持参していて、朝から血眼になって文字面を見入っている。


「競馬場行きの電車なんて、初めて乗ったわ」

「どの位振りだろうか。競馬はからっきしで、三、四年前に止めたんだ。しかし何 時来ても混んでるな」

「そうね、同じ目的ですもの。でも、初めてお馬さんが走るところを観れると思う とワクワクするわ」

「そうだろうね。競馬場に行かないと実際の馬を観れないもんな。しかしいつも思うけど、TVを観てると観客席に物凄く沢山の人が居るが、何時馬券を買ってるのか疑問だ」

「もう購入済みなんでしょ。移動出来ないじゃない」

「そんなんで当たるかねぇ」

「半分、当たらなくても良い位なんじゃないかしら」

「まあ、そうだね。ところで『国王賞』は予想して来た?」

「私はキングダムグルーヴ一本ですわ。でも、実際馬を見てみないと

 分からないわ」

「俺の場合、パドックを見てもさっぱりで良く分らん。

 レース前に見てみるか?」

「そうね、見たいわ」

「先ずは手始めで少数頭のレースでもやってみるか」

「そうね、そうしょうかしら」

「最初だから、複勝から買ってみよう」

「何、複勝って?」

「複勝ってのは、3着までに来そうな馬を予想するんだ」

「ふーん、其れは当たるんじゃない?」

「まあ、大抵ね。だけど頭数が多かったり少数頭でも人気の無い馬が来ると結構な 配当になる事も有る」

「へぇ。そうなんだ。他の買い方も有るんでしょう?」

「勿論。他には1着から3着を当てる3連単と言う買い方も有る」

「最初だから複勝にしてみようかしら」

「そうだね。その方がオススメだね」


そうこうしている内に、電車は終点の東京競馬場に到着した。扉が開くと同時に、堰を切った様に欲塗れの人々が我先にと競馬場の入門口に猛ダッシュで駆け寄る。

「すごい勢いね、皆様」

「早く行ったって当たるもんじゃなし」

「そうなんですか?」

「そりゃそうだよ。走るの馬だから」

「それもそうね」

鈴江は口元に手を添えながら、くすりと笑う。

人混みに押し出され、競馬場の入り口まで辿り着いた二人は、100円の入場料を支払う。

「うわー、初競馬場!結構広いのね」

鈴江のテンションは急激に上がり、乙女に戻った?かの様にはしゃいでいる。

「相変わらず欲張りな人間どもがいっぺぇいるねぇ。まぁ、うちらも其の類だが」

「私は当たっても外れてもどっちでもいいの。お馬さんが走っているところが観た いだけだから」

「そういう人が当たったりするんだよね。不思議と」

「そうなの?当たったら美味しいものでも食べましょうよ」

「いいねぇ、多分競馬場のファストフード位だろうけど」

「いいじゃないの、それでも。目的は馬券的中じゃ無いんでしょ?」

「まあね。其れはそうと、折角競馬場に来たんだから、堪能しようじゃないか」

 そう鈴江に言葉を投げ掛けるが、さっさと勝手に先に歩を進めて見失いそうに成った。

 「おい、ちょっと待ってよ。迷子になるだろうが」

 声を荒げて静止するが、大勢の人混みに声が掻き消される。銀二は鈴江の右肩に手を伸ばすが、他人の肩が邪魔で僅かに届かない。ぎりぎり銀二の人差し指が鈴江の右肩に触れたが鈴江は気が付かない。終に鈴を見失ってしまった。

 「参ったな」

 銀二は立ち止まり他人の通行の邪魔に成って居た。通行人が怪訝そうに銀二を冷ややかな視線で串刺す。暫し茫然として居る。

 「おい、邪魔だよ!」

 スポーツ新聞片手のハンチング帽を被った初老人が、ぐしゃぐしゃな顔をしながら銀二に罵声を挙げる。

 「す、すみません」

 銀二は平謝りをすると、

 「こっちは生活掛かってんだよ!」

 初老人は捨て台詞を吐き捨てる。

 こんな場面を鈴江が見たら競馬と言うものに幻滅するだろうなぁと、ふとそんな考えが脳裏を過ぎる。

 「そんな事より捜さねえとな」

 銀二は気を取り直して人波に流されながら歩を進める。

 ―まずが、鈴江はこの競馬場の構造を知らない。人並みに流されて此のまま進んで行くとパドックが有る。取り敢えず行ってみるか―

 と自答して真っ直ぐ歩を進めた。だが当然の事ながら、パドックも何処も彼処も人で一杯だ。其処に鈴江の姿は無い。

 ―はて、鈴江は何色の洋服だったろう―

 と思案してみる。

 思い出せない。

 ―印象に無いという事は、派手な色では無い事は確かだ。となると、服の色で追ってもしょうがない。比較的人も少ないから電話してみるか―

 徐に携帯を取り出し、鈴江に掛けてみた。

 「090のXXXX・・・と」

 電話を耳に当てる。

 「お客様のお掛けになった電話番号は現在電波の届かない・・・」

 「ちっ」

 自然に舌打ちが出た。だが、銀二の想定内では有った。

 ―ふーむ、逸れたことは気付く筈だが何処で気付くか。此処で一旦息を就く筈だ。多分俺を捜して此処から何処かに向かうだろう。鈴江は左利きで無いみたいだから、人は割と右に行く傾向が高い。だとしたら此処から右に行くと1階の馬券購入機がある―

 其の推測に基づいて人を掻き分け右に歩を進めると、投票券売機の並ぶエリアに辿り着いた。何処も彼処も欲塗れの人間が目に付く。

 辺りを見渡してみる。其れっぽい女の姿は無い。鈴江は女性にしては背が高いから居ればすぐ目に付くはずだ。

 

「第一レース締め切り3分前です」

機械的なアナウンスが場内に響き渡る。わしゃわしゃと各券売機に長蛇の列が

出来る。

「競馬場に来て居るのに、此のアナウンスが耳障りに感じられるとは皮肉だな」

ぼそりと愚痴が零れた。


「プルルルル・・・」

馬券購入締め切りのブザーが鳴った。銀二は、第一レースの放送ビジョンを其れと無く見上げた。短時間だが倍疲れた様に感じられた。

「各馬、ゲートイン。スタートしました。先ずはスムーズなスタート。

先頭は10番、ミッキーマウスマーチ。後続は・・・」

 放送ビジョンの実況がやけに大きく聞こえる。流石に皆固唾を飲んで見入っている所為か、銀二は徐々に苛ついて来た。

 第一レースは芝1800mの新馬戦。15頭立てだ。新馬戦は競争実績が無いので、中々の難題だ。

レースはゴール前直線に差し掛かった。

「現在、先頭は10番緑の帽子、ミッキーマウスマーチが持ったまま。鞍上は白戸。後続は大きく引き離され一団です」

「こりゃ、決まりだな」

ぼそっと口に出た。

其の通りに第一レースの一着は10番で決着した。

その時、

「キャー」

甲高い女の歓喜の叫びが場内をざわつかせた。鈴江の声だ。

銀二は慌てて其の声の挙がった方向へ人混みを掻き分ける。やっぱりそうだ。


「何やってんだよ、随分探したぜ」

息を上げて鈴江に言葉をぶつける。

「見て見て、ナンパして来たお爺様の言う通りに馬券を買ったら

 当たっちゃった!」

「おいおい、そう言う問題じゃねぇだろ!心配して損したぜ」

両膝に両手を当てて、息が上がって居る。其の傍らには、先程人込みで「生活が懸かっている」と罵声を浴びせた初老人が居るでは無いか!

「おい、さっきの爺さんじゃねえか!生活掛かってんじゃねえのかよ」

「そりゃそうじゃよ。其の前に女性にパワーを貰わんとな。かっかっかっ」

そう言って其の場から人混みの中へ消えて行った。二人はきょとんと

顔を見合わせた。

「それで何を買った?馬券を見せて見ろ」

「さっきのお爺様の言う通りにマークしたんだけど」

馬券を見ると、『単勝10番ミッキーマウスマーチ』と成っている。金額の『0』を数えてみる。いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、はぁ?百万?

銀二は目を疑った。

「お前、馬鹿か?何で競馬知りもしないのにそんな高額を掛けるんだよ!当たったから良いものの、外れたらパァだろうが」

「だって、さっきのお爺様が『金額は自分で決めな』って言うんですもの。適当にマークして機械に入れたら、横の窓から職員のおばちゃんが顔を出して、

『これでいいですか』って聞いたから、『いいです』って答えたらこんな感じに成ってしまったの」

「成ってしまったの、じゃねえだろ!本当に」

「折角当たったのに」

鈴はしょぼくれている。

「結果オーライだから、良しとするか」

「そうよ、結果オーライよ」

「あははは」

二人は見合って、大声で笑った。その単勝馬券は七番人気で7・3倍が付いた。

 

 合流した二人は、鈴江の希望も有って競馬場を散策する事にした。パドックと馬券場は逸れた時に寄ったので省いた。

 「まだ来たばかりだけど、何かおなか空かない?さっきの事件でパワーを消費し たからかしら。競馬場のファストフード食べてみたいわね」

 「褒められたものじゃないけど、時間が有るから行ってみようか」

 「やった!店の女の子から競馬場の話をちらっと聞いたのよ。普段は中々来れな いでしょ、此処。だから『今度競馬場行くんだ』って話したら、『おでん』食べ た方がいいって勧められたの。そんなに美味しいの?」

 「俺も久々に来たから分かんないけど、おでん、まだ有るのかなぁ。あんまり知 られてないから、めっちゃ染みてるけどね」

 ニヤニヤして銀二は答える。

 「そう、中々期待出来そうね。流石にオヤジフード満載の香りがして来たわ」

 「確か『吉田や』の牛丼もある筈だけどなぁ」

 「え、チェーン店の?凄いわね」

 「大概の物は有るよ。軽食が多いけどね。馬券が当たると、ご褒美で買っている 人も結構居る」

 「へえー。面白いわね。益々やる気が出て来たわ」

 「いやいや、今日の目的はメインレースがどうなるかだから、そんなに気張って 貰ってもこっちが困るよ」

 「折角来たんだから、楽しんだ者勝ちでしょ?勿体無いわ」

 「君は良いけど、俺は懐が寒いから、そんなにベット出来ないよ」

 「あら、そう?私だけ楽しむのも良くないわ。だったらこうしましょうよ」

 「どうするんだ?」

 「毎レース買うのもどうかと思うし、当たらない気がするから、3・6・9レー スを予想して、当たったら何かオヤジフードを買ったげる。その代わりアドバイ スお願いね」

 「まあいいけど。どうかなぁ」

 話している内に『おでん』売り場に到着した。良い匂いが辺りに充満している。

 『おでん』売り場と言っても、出店の一隅に有るだけで、メイン商品では無く寧ろサブメニュー的な扱いで有った。様々なネタが溜り醤油の出汁の中でぐつぐつと煮込まれて居る。

 「美味そうね」

 「へい、いらっしゃい、お嬢様。何にしましょう」

 注文が頭に浮かんでいない内に、店の大将が鈴に話しかける。

 「お勧めは何?」

 大将に問い掛けると、

 「そうだなぁ、何でも美味しいけど、大根だけは駄目だよ」

 「何で?美味しいじゃない。そんなんだったらネタにしなければ

 良いんじゃないの?」

 「いや、何故かって言うとね、お嬢さん。

『大根役者』って言葉があんだろ?」

 「ええ」

 「何で『大根』かって知ってるかい?」

 「いいえ、知らないわ。大根と何の関係が有るのよ」

 『大根役者』ってそもそも、売れそうもない役者の事を指すだろ?『大根』って いうのは腐りにくいんだよ。つまり《食べても当たらない》って意味」

 「そうか、成る程ね!それでかぁ。大将すごーい!」

 「若い嬢ちゃんに褒められるとは、生きてて良かったよ。此の話は受け売りだけ どね」

 「でも、その事知ってて何でネタにしてるのよ?」

 「知らないで買って行く客を見て楽しんでるのさ」

 「悪趣味ね」

 あはははっと笑い声が響く。銀二は得も言えぬ苦笑いをして居た。

 

 おでんを堪能した後、

 「今度は何処に行くの?」

 「競馬場に来たんだから、馬が走ってる所を見ないと」

 「そうよ。前振りが長いと思ってたのよ」

 「だよな、道草し過ぎたな」

 少し笑いながら、銀二と鈴江は本馬場に歩を進める。

 暫くすると、混み合っているホーストラックに出た。丁度第二レースがスタートした所だった。

 「凄いわね。広ーい」

 鈴江は人を掻き分け、コースの方にどんどん進んで行く。

 「おい、また逸れるだろ!」

 聞こえて居ないのか、鈴江はどんどん前進してコースの『かぶりつき』に向かって歩いて居る。

 「おい、待て、此のじゃじゃ馬め」

 強引に鈴江の右腕を掴んで引っ張った。

 「いたっ」

 「そんなに前に行ったからって、人の頭しか見えんぞ」

 流石の銀二も声を荒げて鈴江を諭す。

 「ごめんなさい、つい嬉しくなって」

 「まぁ分からんでも無いが、もう逸れるのは御免だぜ」

 「わかりました」

 しょげながら鈴江は銀二にちょんと頭を垂れた。

 暫くすると、第二レースのスタートを告げるファンファーレが辺りに響き渡る。

 二人はトラックの少し奥に陣取った。人混みが少々気になるものの、トラックまではかなりの近さだ。

「次のレースね。目の前をお馬さんが走るのね。初体験だわ」

鈴は興奮して、息を荒げながら銀二に確認を取る。

 「丁度ゴール前付近だから、かなりの臨場感だぞ。直線の叩き合いは見ものだ」

何度も足を運んだとは言え、久し振りの生のレース観戦に、銀二もつられて少し興奮気味に答える。


 第二レースの新馬戦。距離は千六百メートル。

 「お馬さんは、どっちから走って来るんだろ?こっちかな?」

 と、鈴江は首を右に振った。

 「いやいや、逆だし」

 銀二は少し吹き出しそうに成った。他の競馬場は右回りが多い中、東京競馬場は左廻りに設計されている。実際、左廻りは東京と新潟、中京競馬場のみである。そんな事は鈴江は知る由も無い。

 「だって、知らないんですもの。仕方無いじゃない」

 ふくれっ面をして居る鈴江を銀二は少し愛おしく見つめて居る。

 「ま、無理も無いか。ごめん、ごめん」

 と、顔の前に右手を縦にして銀二は平謝りする。

 第二レースがスタートした。場内に実況がこだまする。

 「きゃ、スタートしたわよ」

 鈴江は無意識に銀二の袖を掴んで、少しジャンプした。

 「おい、袖っ!」

 と言っても、鈴江には聞こえ無い様で、ずっと袖を掴んで踵を浮かせている。

 「まったく」

 ぼやいても鈴江の耳には入らない。

 そうこうしている内に、若駒十六頭が直線一気にゴール盤目掛けて駆けて来る。

 「きゃぁ、がんばれー」

 ―何だか小学校の徒競走にありがちな掛け声だな―

と内心思いながら、銀二は強がって一歩引いた目線でレースと彼女を見守る。

 鈴江は最後には、「きゃぁ」を連呼して居る。

 肝心のレースはゴール前の叩き合いの好勝負になり、三頭の鼻差争いに成った。

 鈴江の応援?が一頻り終了すると、

 「ねぇ、応援したけど、白と緑とピンクの帽子のお馬さんが一緒にゴールしたみ たいでどれが一番か分からないわ」

 「そうだな。こりゃ、写真判定だな」

 「なに、しゃしんはんていって?記念撮影でもするの?」

 「あはは、そうじゃ無いよ」

 「じゃあ何よ」

 両頬を膨らませて銀二に詰め寄る。

 「まぁ怒りなさんな。写真判定ってのは、馬がゴール盤を通過する時に写真を  撮って着順を決定する事だよ」

 「お馬さんは猛スピードだよ。そんな写真撮れるの?」

 「スローモーションが撮れる此のご時世ならば可能です」

 「何か鼻に付く言い方ね。馬鹿にしてるでしょ?」

流し目で銀二に詰め寄る。

 「(馬)の字が使われてるだけにね」

 「嫌味な人ね。当たってもお金分けてあげないから」

 「いいですよ。私は自分で予想しますからご心配なく」

 「ああ、そうですか。そうさせて貰うからね」

 と、鈴江は徐にポケットから馬券を取り出した。

 「い、いつの間に」

 「さっきのおお爺様に言われて買って置いたのよ」

 「な、なにぃ?」

 目の前に差し出された馬券には

 「2、9、16、複勝各一万円」

 と馬券に刷られて居る。

 「ふーん、それは良かったですね。って、おい、三頭とも当たってるじゃねぇ  か!」

 「へへーん」

 と、敢えて鼻の下を人差し指を横になぞっている。

 「然しすげーな。あの爺さん、何者なんだろう?」

 「私も良く分からないわ。でも良いじゃない、結果オーライよ」

 「そうだな」

何だか良い様に?丸め込まれた感が否めないが、鈴江の言う通り結果オーライにして置く事にした。

大画面のビジョンにはゴール前の馬の写真が映し出されて居る。

「此れが判定の写真ね。こうやって着順を決めるんだ」

画面をしげしげ見ている鈴江だが、複勝の3頭が全て的中している為、あまり意味を成していない。

配当は2番250円、9番160円、16番200円がつき、31000円の増額に成った。


「うーむ、今のところ、君が的中して居るのは、あの謎の爺さんのお陰だな。此れからが本番だ」

「そうね。でも、実際ここに来たのは私の予見能力が有るかと言う事だったわね。実際どうやって確認するの?」

「先ず君は、今日のメインレースの『国王賞』で『キングダムグルーヴ』が何着に成るかを予想して貰う。此の馬は現在7番人気で枠順は青の4枠に成っている。『何着になるか』が重要で、一着で無くても構わないと言う事なんだが」

「うーん、今日は何となく来ない様な気がするのよね」

「何で?根拠でもあるのか?」

「元々詳しくないから、良く判らないないけど。女の勘ってところかしら」

「その方が好都合だ。色々情報があると検証に成ら無いからね。じゃあ着順は?」

「3着かなぁ。結構競り合う様な気がするわ」

「ふむ。分った」

顎を摩りながら、銀二は頷く。

「折角、競馬場に来ているんだから、色々教えてくれない?」

「あ、ああ。其れは構わないが。うーん、未だ第三レースだから、どうしたものだろうか」

年季の入った腕時計に目を遣ると、短針は「10」と「11」の間を指して居た。

「あ、良い事思い着いたわ。さっきのお爺様を捜しましょうよ」

「はぁ?何言ってんだよ。こんだけの人混みでどうやって捜すんだよ」

「其れこそ勘よ。今回の目的と少しは絡んでると思わない?」

「そりゃそうだけど、無理だと思うけどなぁ」

「時間潰しには良いじゃない。3、6、9レースを予想する予定だったけど、此の方が良いんじゃない?だって、競馬は何時でも出来るもの」

 「まぁそうだが」

 「取り敢えず行動しましょう」

 鈴江は銀二の右腕を引っ張り、人混みを掻き分けて、先程の自動券売機の方に掛けて行く。


 「何かを探す時って、必死に探す程見つからないわよね」

 「そうだな」

 「貴方は一応探偵さんなんでしょ?そういう時はどうしてるの?」

 鈴江は行きしなの売店で買ったコーラをちゅうちゅうしながら銀二に尋ねる。

 「そうだな、先ず手掛かりが無いと始まらないな。基本は『5W1H』だな」

 「何それ。何かの呪文?」

 「知らんのか?学校で習ったろ?」

 「いいえ、そんな言葉知らないわ」

 「現代の義務教育、恐るべし」

 顔を下に背けてぼそっと呟く銀二。

 「何か言いました?」

 「い、いや。独り言」

 確実に動揺する銀二。

 「先ず、『What―何が』『When―何時』

『Where―何処で』『Why―何故』『Who―誰が』『How―どうする』という事を、徐々に明らかにして行く。其れをジグソーパズルのピースをはめ込むように解き明かして行く、と言う感じかな?」

 「今、『いい事言ったな』って思ったでしょ」

 「まあな」

 少し間をおいて二人の笑い声が券売所に響き渡る。


 「あのお爺様、どの辺に居そうかしら」

 「見当も付かん。そういう時は動かない方が得策だがね」

 「でも、じっとしてるのは何だか落ち着かないわ」

 「探偵という仕事は、待つ事も多いぜ」

 「そうなの?探偵さんのイメージは駈けずり回って居る様な感じだけど」

 「それは、テレビとかのイメージだろ?そりゃ或る程度情報を得るためには色々 廻るがそれ以降は待つ事が多いぜ」

 「其んなもんかなぁ」

 「実際、地味な仕事だ」

 「ふーん、其れであのお爺様を見つけるヒントは有るの?」

 「今のところは何も無い」

 「えー、でも何か有るでしょ?」

 「先ずが競馬場に来る事自体、大まかに言うと馬券を買う、又は俺たちみたいに 馬が走るのを見に来るという2つの目的が考えられる」

 「うんうん」

 「君に当たりそうな予想を教える事自体、競馬にかなり詳しいという

 推測が立つよね」

 「うんうん」

 「だってそうだろ?わざわざ競馬場に来て他人に当たりそうな予想を教えに来る だけなんて考えられん」

 「そうね」

 「馬券を購入するのは間違いないが、それを追うのは無駄だ」

 「何でよ?」

 「だって、全レースを同じ券売機で買う事は有るだろうが、此の人混みで探すの は徒労に近い」

 「うん、其れはそうね」

 「ずーっと競馬場に居続ける保証は無いがほぼそうだろう。此の前提で必ず行く 所が有る」

 「何処なの?」

 「人間、生きてりゃ『トイレに行く』又は『腹が減る』だろ?」

 「あ、そうか!流石ね」

 「トイレは各所に有るから、スマートでは無い。とすると、フードコートで待つ と言う案が賢明だろう」

 「ほぉー。成る程ね」

 「で、何処の店で待つかと言う事になるけど、君は何処だと思う?此れは君の勘 に頼るしか無い」

 「さっきのおでん屋さんね!其処しか行ってないし。あれこれ推測しても分から ないもの」

 「そうだな、そうしよう」

 二人は早速、先程立ち寄ったおでん屋に向かって「ターゲット」を待つ事に

した。

 おでん屋に到着した二人だが、目の前に驚きの文字が目に飛び込んで来た。

 

「只今、準備中」

 

 はぁ、さっきまで開いてたじゃねぇか、何でだ?

 此の時ばかりは二人の思惑が一致した。

 「どういう事かしらね?さっきまでやってたのに」

 「うーむ、さっぱり分からん」

 「でも、準備中なら其の内開店するわよ」

 「其れはそうだが、不思議だな」

 「トイレでも行ってるんじゃない?暫く待ちましょうよ」

 「そうだな」

 おでん屋が再開するのを待ってみた。


 第三レースの投票締め切りのブザーがフロアに響き渡る。すると、おでん屋の側を先程の爺さんが通って行ったではないか!

 「おい、あの爺さんが通ったぜ」

 「本当?見てなかったわ。追い掛けましょう!」

 「でも、直ぐに見失った」

 「えー、そんな」

 「まぁ、あの爺さんも此のフロアに居るってことは分かったな」

 「そうね、其れだけでも収穫ね」

 と話して居ると、おでん屋のシャッターがガラガラと開き始めた。

 「お、何だ、再開か?」

 シャッターの音に驚いた二人は、びくっと反応して見つめ合った。

 「あれ、おでん屋のおじさん、例のお爺様と同じところに大きな黒子が有るわ」

 「何処に?」

 「首筋よ」

 「そうなのか?」

 「ええ、最初にあのお爺様に会った時、首筋の向かって右に大きな黒子が

 有ったもの」

 「確かに、おでん屋のおやじにも有るな」

 「でしょ、だからあのお爺様とおでん屋のおじさんは同一人物じゃない?」

 「マジか!確かめてみよう」

 シャッターを上げているおでん屋のおやじに話し掛ける。

 「すみません」

 銀二の声は小さい。

 「へい、いらっしゃい」

 店主には先程の爺さんの雰囲気は感じられない。

 「不躾で申し訳ないが、さっきは何故『準備中』だったんだい?」

 「いや、野暮用で。すみませんね」

 「ああ、其れは良いんだが、何時もそうなのか?」

 「まあそうですね」

 「そうかい。何しに行くんだい?」

 「いやぁ、だから野暮用ですよ。用を足したりいろいろと・・・」

 「いろいろって何よ?あんた、此の女性に第一レースの買い目を教えただろ」

 銀二が鈴江の方に視線をやると、おでん屋のおやじははっとして目を見張った。見事鈴江の読みは的中した。たまたまとは言え、結果を出した。

 「どうも、お爺様。お陰様で的中しましたわ」

 「ばれちまいましたか。其の通り。私は此の女性に買い目を教えました。こんな 別嬪さんは滅多にお会い出来ませんからね。ついつい・・・」

 「あんた、暇を見つけては着替えて馬券買ってるんだな。そりゃ、ずーっと此の 辺に居れば情報も勝手に入るだろうよ。まぁ、悪くはねえが、如何なもんかね」

 「本当はいけないんでしょうが・・・」

 「私たちは貴方を責める積もりは無いわ。只、私の勘、つまり貴方が此処に来る と言う予想が当たるかどうか試したの。御免なさいね」

 鈴江は、おでん屋のおやじの手を取り、謝罪した。

 「で、その後どうでしたか?」

 「第二レースも的中よ」

 「其れは良かった。教え甲斐も有ったってもんです。其れに免じて

 お許し下さい」

 「此方こそ有難う御座いました。お陰で懐が温かく成りましたわ」

 一礼して二人はおでん屋のおやじに別れを告げた。


 「私の勘、当たったわね」

 銀二と鈴江は喫煙所で煙草を吹かしながらおでん屋のおやじの件について

話し出した。

「そうだな、一応。推測が少し入ったから参考程度だな」

「うん、まぁそうかな」

「本題はこれからだぜ」

 レースは何時の間にか淡々と進み、第九レースまで進んで居た。

「おい、時間は有るがそろそろだぜ。結構進みが早いからな。『国王賞』の予想は「キングダムグルーヴ」3着で良いな」

「良いわ」

「じゃぁ、少し早いがメインレースを買うとしよう。俺も言った手前馬券を買うよ。なけ無しの一万円複勝だ」

 マークシートに『7番複勝、一万円』を書き込んだ。

 「私は勝ち分を含めて全部賭けるわ」

 銀二のマークに習い、買い目をシートに書き込んだ。

 二人は券売機にシートを読み込ませ、掛け金を投入した。数秒で馬券が

出て来た。

 「買ったわね」

 「そうだな、後はお前さんの勘がどう転ぶかだな」

 流石にメインレースが近い事も有り、コース近くの場所は、人でごった返している。二人は券売機上部のモニターで観戦する事にした。

時間はあっという間に過ぎ、第十レースが終了して居た。

「あと何分くらい?」

「もう直ぐだね。2,30分後だ」

「何か複雑な気持ちだわ。本当は1着になって欲しいけど」

「まぁ、そうさな。折角期待して来たんだから。でも、本筋は勘が当たるかという事だから仕方ない」

 こくりと鈴江が頷く。


 いよいよ『国王賞』のスタートとなった。16頭立ての重賞レース。一番人気は実績のある「2番ニシサングレー」で、単勝オッズは1.7倍。「7番キングダムグルーヴ」は先程の7番人気から少し買われたのか、5番人気の単勝オッズ9.2倍に成っていた。

「いよいよね。複雑だわ」

「俺もなけ無しで買ったから期待せざるを得ん」

発走を告げるファンファーレが辺りに鳴り響くと、各馬輪乗りから偶数番の馬からゲートへと誘導されて行く。各馬スムーズなゲートイン。数秒後、ゲートが開く。

スタート直後、キングダムグルーヴは出遅れた。

「キャッ」

鈴江が両目を覆う。しかし、然程の出遅れでは無い。鞍上の内山が折り合いを付けようと手綱を少し引いた。第一コーナー辺りで人馬落ち着いた。

先頭集団は、先行を得意とするニシサングレーが一番手。二番手は3番人気15番のムラノチョウロウ。先頭集団は4・5頭で形成され、第二コーナーに差し掛かる。キングダムグルーヴは、出遅れの影響で、中団よりやや後方の位置取り。しかしそう悪くはない。

 第三コーナー手前から、キングダムグルーヴはスルスルと各馬を躱す。先頭とは約10馬身程の距離。他の馬も先頭に追い付くべく、ペースを上げて行く。大欅の陰で一度馬群が視界から消えると、七、八頭の団子状態に成った。キングダムグルーヴはムラノソンチョウから少し下げた後方に位置取る。最後の直線での追い込みに賭ける様だ。

各馬直線の叩き合い。先頭はニシサングレーがリードを保ち持ったまま。其の後に伏兵9番チェリーダンシャクが飛び出した。其の少し後方のムラノソンチョウも食い下がる。

残り200m。キングダムグルーヴが開いた内ラチから猛然と追い込む。4番手まで追い上げた。

「いけー!」

思わず銀二は叫んだ。鈴江は両手で目を隠したままだ。

残り100m。ジョッキーは猛然と鞭を振るう。ニシサングレー先頭。

少し抜け出た。

二着以降は混戦。チェリーダンシャク、ムラノソンチョウ、僅差でキングダムグルーヴが続く。

ゴール前、ニシサングレーがゴールラインを1番で通過。2・3・4着が、殆ど差が無くゴール盤を駆け抜けた。一見着順が分からない。

「写真判定だな」

「えっ」

覆っていた両手をさっと放して銀二を見遣る。

「どうなったの」

「2着以下が混戦で、写真判定に成りそうだ。3頭団子でゴールだからな」

「その中にキングダムグルーヴは入っているの?」

「ああ。でも結果が出てみないと分からないな」


「お知らせ致します。東京十一レースは写真判定を行っております。勝ち馬投票券はお捨てにならず暫くお待ち下さい」

 とフロアにアナウンスが流れた。

 「どうなるかしらね」

 「うーむ、全く分からん。もう少し待たないと」


 数分後、電光掲示板に上から2、15、7が点滅し、『確』の文字が点灯した。

 「きゃー、やったわ!」

 「やったな」

二人は手を取って数回ジャンプしている。

「これで実証されたな」

「そうね。出遅れたお陰も有るのかしら。あれが無ければ一等賞だったわね」

「結果は3着なんだから、結果オーライだよ」

「どっちでもいいわ」

フロアに大きな笑い声が響いた。

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