第17話 きよし、意図せずして女騎士をはずかしめる

 空中に飛散する砂粒が照明の光を受け、小さい一粒一粒がきらきらと輝く。


「ようやく捕まえたぜ」


 俺はニヤリと笑う。完全に体を差し込んだ。イユの両足が宙に浮く。同時に彼女の重心も空間に投げ出される。


 全身が痛え。とくにさっきの後ろ回し、あれはマジで効いた。衝撃の瞬間から起き上がるまで、一瞬だけ意識がぶっ飛んでた。

 

 だがそれもこれで終わりだ。俺の便意はすでに限界の八五%近くまで来ている。パワーもスピードも桁違いに昂ぶってきているのを感じる。イユは明らかに疲れているし、捕まえてしまえばどうにでも出来るだろう。


 ――。


 彼女が倒れゆくその刹那、俺は違和感に気がつく。流れるような金髪が逆立ち、サファイヤのような瞳の中の瞳孔が一気に開き、全身から放たれる闘気が倍増する。発せられる闘気に俺は全身を飲み込まれ、俺に関する情報の全てを読み取られているのではないか、という感覚すらする。


 彼女の開かれた瞳孔の中に見えるのは蒼色に燃え上がる決意の焔。まさに英雄の気迫、すべての悪を浄化せんとする究極の業火。


 明らかにやばい。主人公補正ってこういうことなのかよ。こいつ、あんだけ強いってのにまだ隠し玉を持ってたのかよ。焦って距離を取ろうとしたが、いつの間にか腕を掴まれている。予想外の事態に体制が崩れ、イユと一緒に俺も崩れ込む。


 彼女の小さい唇が微かに動く。


国士無双の五感センス・ドライブ限界突破3000倍


 凍りつく空気。これは詰んだか?


 その瞬間、俺の命が刈り取られ……、


 ……なかった?


「?????」


 ゆっくりと俺と彼女は倒れ込んでいく。イユは羞恥と絶望の同居した複雑な表情で口をあわあわさせている。白い肌を桜色に染めて明らかに困惑している……のか? 何が起こった? 


 混乱の渦の中に突然放り込まれ、完全に思考停止する。その間も俺らの身体は重力に従って落下している。固まった意識の中で、どすんという衝撃を体全体に受ける。


 視界が一瞬だけ真っ暗になる。俺の唇に、しっとりと潤った柔らかい感触。ふわふわで温かくて、どことなく柑橘系の味がする。鼻腔をくすぐるのは桃のような甘い匂い。一度嗅いたら何度でも嗅いていたくなるような芳醇な香り。


 俺の身体の下にあるのは、何か固い鎧だろうか。角ばっているせいか、肩とか胸の辺りがぶつかって少し痛い。


 俺はゆっくりと両のまぶたを開く。闇の中から光の世界に現れたのは、どこまでも透き通ったイユの青い瞳。瞳の中の炎は消え失せ、むしろ下瞼の縁は、涙?だろうか潤いのようなもので満たされている。


 そこで俺は自分の唇が、彼女の唇と完全に重なっていることに初めて気がついた。


 楽しんでいる余裕なんてなくて、急いで柔らかい感触から自分を引き剥がす。俺は彼女を組み敷くような体勢をして、彼女の顔を見下ろす。彼女は今にも泣き出しそうな顔で、桜色どころか耳まで真っ赤にしてぷるぷると震えている。


 凛々しく整った顔、長いまつ毛、宝石みたいな瞳、柔らかく芳醇な唇、きめ細やかな白い肌、りんごみたいに染め上がった頬、流れるような金髪、成人女性と少女の中間とも言える不安定さ。


 心臓の鼓動が跳ね上がる。ああ、なんて可愛いんだ、という場違いすぎる感想を心のなかで漏らしてしまう。


「やめてっ! そんな風に思わないでッ!」


 俺の心の中の声に呼応するかのように、イユは悲痛の叫び声をあげる。だが、その表情はどこか恍惚とした感情が混ざっているように思えて、矛盾しているといった印象が拭えない。


「ああ、だめぇ……お願いだから。見ないでぇ。かわいいとか、どきどきとか、しないでぇ」


 彼女は自分の胸を抑え、はぁはぁと呼吸を荒立てる。正直意味不明だ。だが、そんなこと言われても可愛いものは可愛いし、そんな顔されたらますます興奮しちゃう、それが漢というもの。まぁ、今はうんこも我慢してるから、これだけに集中するのは難しいけどね。


「あああっ、それもダメぇ!」


 お腹を抑えて必死に何かを堪えているようにも見える。何か生まれるのか? いやこんな清純そうな子に、そんな不埒なこと、断じてあってはならない。この作品は未成年でもおっけーなのだから。


「もう我慢できないよぉ。 あぁぁ、だめ。お願い、お願いだから見ないでぇぇ!」


 見るなと言われたら見たくなるのが男の性。興奮しちゃう。これはしょうがない。よね?


「だめ! ああ、気持ちい……けど! お願い、こんなところで。見ないでええええ!」


 心からの嘆願だということは俺にも分かる。声と表情がどう考えても本気だ。


「あああ、もうだめっ!」


 その瞬間“みちみちみちっ”という不可思議な音がして、もわーんと何か不吉な香りが辺りに広がる。それと同時にイユの股のあたりに黄金色の水たまりが広がっていく。

 

 俺はそれを避けるように立ち上がり、冷静に確認する。

  

 うん。これは、うんちのにおい。そして中原だいちに広がる黄河たいがはまさにおしっこだ。


 イユは、耐えきれなくなったかのように嗚咽を漏らし始める。


「ああああああああああっ。うえええええええん。私もうお嫁に行けないよぉぉぉぉ」


 無敗の女騎士、イユ・キッセンブルグ・スヴァイリエン・ギルフォードの悲痛の泣き声は、静まり返ったスタジアムに悲しく?響いた。


      ◇


「イユ、YOUの敗因は能力に頼りすぎたこと。そしてあまりにも王道だったということ」


 石造りの席に腰掛けたルアーナは長い髪を優雅に手櫛ですく。


「なああああああああにが起こったんだァ! 御手洗選手、イユ選手への最初のクリーンヒットはまさかの濃厚キッスだったぁぁぁぁ?」


 イユの泣き声を掻き消すように実況が絶叫する。


「しかも、キッスの威力は強烈ッ! イユ選手、失禁! そして戦意喪失ッ! 座り込んで涙を流したまま立ち上がることが出来ませんッ!」


 いかにも見た目がスケベそうな観客は、「うおおおおおおおおおおおお!」と大いに盛り上がり、真面目な戦いを期待してた客はブーイングしたり、ケチャップをぶち撒けてキレてたりする。


 どう考えてもイユのファンっぽい男に至っては、「あああああああああああああッ!」っと発狂し地面に激しく頭を打ち付けている。


「御手洗選手、隠していた能力はこのキッスだったのかぁぁ! 恐るべし鬼畜ゴミ階級冒険者、御手洗清ッ! レミラスさんはどうお考えですか?」


「彼は見た目に似合わず、魅了(チャーム)系の能力を行使した可能性がありマス。一時的とはいえ、イユ選手は完全に“雌の顔”になっていましたからネ」


「レミラスさん。解説で雌の顔とかは無しでお願いします。真面目にお願いします」


「真面目なんですけどネ。スミマセン」


 闘技場の大地に座り込むイユは、漏れ出る嗚咽を抑えられず溢れる涙でぽろぽろと地面を濡らす。清は困惑した表情で、彼女を見下ろす。なんとも奇妙な構図であった。


 心配した彼女の仲間が、清を睨みつけながら彼女の元へと駆け寄る。彼らはいろいろと声をかけるが、彼女は力なく首を振るだけで立ち上がることは出来なかった。


 仲間の一人が審判の元へと駆け寄る。そして審判が頷くと、カンカンカーーン、二回目のゴングが会場に響き渡った。


「ななな、ななんと! イユ選手の戦意喪失によりビッグ・シティ守衛団第四部隊、降参ぎぶあっぷですッ!」


「この戦いッ! 勝者はぁぁぁぁ、イユ選手との一騎打ちを制した? 御手洗選手擁するぅぅぅぅぅ、ンンンンンンンンアナルパンダぶりぶりーずぅうッ!」


「「「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」」


 満場一致のブーイング大合唱。飛び交う酒瓶、発狂するファン、子供の目を覆うお母さん。これは清もだいぶ有名になるわね、ルアーナはそう考えた。


「な、なんでキスの一つで、あのイユ嬢が負けるなんて」


 隣りに座っている平凡そうな男が驚きをそのまま口にする。


 ルアーナは心の中で答える。この戦いの中で起こったことは完全に理解しているの者は多くないだろう。なぜイユがキスの一つで失禁、そして脱糞までしてしまったのか。その本質は彼女の能力にある。

 

 国士無双の五感センス・ドライブ。彼女の中の正義と優しさを顕現したこの能力は、簡単に言えば読心術である。全身の感覚を極限まで高め、相手のありとあらゆる感覚情報を共感する。戦闘中であれば、次の一手、攻防の中での企み、相手の心理状態、すべてが丸裸になる。


 しかし、この能力は一見最強に見えるが万能ではない。国士無双の五感センス・ドライブの本質は共感。弱き者をいたわり、その苦しみや悲しみに共感するイユの正義、そして優しさを起源とする能力だ。


 だからイユは普段の戦闘でこの能力を使うことはない。なぜなら共感することで受ける影響が、必ずしも良いものとは限らないからだ。例えば、相手が臆病者で戦う気力すら失っていれば、イユもそれを共感してしまう。程度にもよるが、戦意を失ってしまうこともある。


 では、どういった時に、国士無双の五感センス・ドライブが真価を発揮するのか。それはとりわけ圧倒的強者との戦闘時である。強者の心理は、確実に、確固たる自信、技術、誇り、勇気といった戦闘に優利になるような要素で構成されている。イユの国士無双の五感センス・ドライブは、そうした心理的な優位すら共感し、自分の力に変えてしまう。まさに正道でありながら下剋上、形勢逆転の能力である。


 つまり、イユが心の奥底で清を強者であると誤認定したところ、そこで勝負はすでに決していたのだ。


 清に虚を突かれ、優秀な戦士であ・・・・・・・ると信頼した・・・・・・がゆえに国士無双の五感センス・ドライブを発動してしまった彼女。その刹那、清に共感した彼女の中で弾けた感覚は一つだろう。



 圧倒的便意ッ! 


 常人には到底耐えきれない破壊的な便意であるッ!



 清の肛門は【第六肛位継承之脚絆(シックスアヌスパッド)】による過酷な訓練で、短期間に常人の数十倍にも鍛え上げられている。また、自我を失うレベルまで便を耐えた経験から、精神面でも便意に対する異常とも言える抵抗性を獲得している。


 つまり、彼は常人では即脱糞するほどの便意を無意識に抑制しつつ、戦闘していたのである。


 そして、イユはその破壊的な便意を戦闘中、しかも何の前触れもなしに共感してしまったのだ。彼女は生粋の処女おとめ、真面目さと清廉さが取り柄の騎士、当然肛門のトレーニングなどしているはずもない。

 

 それに加えて、起こった悲劇が偶然の口づけである。卑しい清の性的な興奮までも、イユは共感してしまう。生娘には刺激的すぎる唇の感覚、そしてこみ上げる性的な高揚感、と同時に襲い来る圧倒的便意。


 それでも、ここは観衆の目前である。彼女の残された理性は、これらの感覚を必死に抑え込むが、それも最終的には虚しく決壊する。


 彼女は騎士の身でありながら、羞恥と失意の中で絶頂、脱糞、失禁してしまったのだった。

 

「まっ、相手が悪かったわね。一度知った蜜の味、おかしくならないといいけれど」


 ルアーナは席から立ち上がる。これで本戦の出場は確実だ。さっきは辛く当たったけど、今回は労ってあげないとね、そんなことを考えながら仲間たちの待つ控室に向かった。

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