雨が降った話

 暗い夜の中に雨を受けながら走っていた。

 珍しく、私は一人ではなかった。仲間がいた。顔も思い出せないが、たしかに仲間だと信じている人たちがいた。そんな人たちと私は何かから逃げてきて、コンビニエンスストアのような場所に駆け込んできたところだった。びしょびしょに濡れてしまっている身体がなぜか気にならず、店内に入ってただ息を荒げた。

 何から逃げてきたのだろう。いや分かっている、分かっているのだ。化け物だ。人ではない、私たちとは違う種族の、敵意を持った何かだ。これまでの記憶を辿っても思い浮かぶのは雨夜のシーンばかりで、その姿をしっかりと捉えたようなものは一つもない。仲間と戦っていた。でも勝てなくて逃げてきたのだ。敗走だった。出来損ないの銃火器で必死に立ち向かっていた。それだけだった。


「****!」


人である誰かの、となれば私の仲間のうちの一人が叫んだ。誰かの名前を呼んだようだった。うるさい雨音のせいでほとんど聞き取れなかったが、私の名前ではないことは薄らと分かった。その声は店の前あたり、つまりは外からのもので、少しばかり遠い場所に向けて絶叫しているように思えた。悲痛な響きを孕んでいた声が気になって、私は自動ドアに向かった。土砂降りの雨が降る外には恐ろしい化け物たちがいるというのに。こんな場所での叫びなど、嬉しいものであるはずがないのに。

 ガラス張りの自動ドアはレジの横にあった。もう一つ、私が数秒前にいたショーケースの後ろにもあったような気がする。いざとなったらそちらから出て逃げなければ、と頭の片隅で考えながら、私はセンサーでひとりでに開いたドアから覗く景色を眺めた。


「おい!駄目だって!」


先ほどの叫びと同じ声音だった。今度は私に向けて言っている。はっきりと聞き取れたそれは同年代の男の……やはり仲間の声だった。

 警告されている。そんなこと誰に言われなくても分かったが、外に足を踏み出すでも店内に戻るでもなく立ち尽くしてしまった私は、前のスロープから足元に何かが滑り落ちてくるのを凝視した。

 服。女物の上下一式の服だ。それに纏わりつくように流れている大量の液体。暗くても分かった、血液だった。化け物ではなく、人間のものだと直感的に確信した。それから、切り離された腕と足らしきもの。胴体と首から上は見当たらなかったし、四肢も四本揃っているか怪しい。これらの持ち主が死んでいるということしか、洞察力の無い一般人には分からないだろう。事実私もそれしか分からないはずだった。

 しかし。なぜか気付いてしまった、まるで天啓に導かれたように気付くことが出来てしまった。このばらばらになった肢体と血液は私のよく知る者の付属品である。仲間の一人として覚えていたのではなかったが、私の記憶の中には彼女の笑顔がありありと思い浮かぶ。

 同い年の女性である****だった。

 顔は無い。私服だって初めて見た。だが確信があった。****、私が片思いを続けてきた相手だ。


「なにしてんだ、戻れ!」


また反響する叫び声。私は動かなかった。

 思い人の死がショックだった訳ではない。私は何も感じていなかった。大好きだった彼女が死んだ。見るも無残な死にざまで。そんな姿になってもわざわざ私の足元まで来てくれた。もし仮に彼女の残留思念があったとしたら、それは何より幸せなことじゃないか。否、無かったとしても良い。どうだっていい。私には、彼女が死んだことが分かったのだ。

 本来流すべきであろう涙は一滴も出てこなかった。今思い出せば彼の声は泣き濡れたものだった気がする。けれど私は無表情のままで、彼女が確かに生きて存在していたことの証拠である血や服の繊維一本にいたるまでを、これでもかと言うほど目に焼き付けていた。

 仲間の声が遠ざかっていくような心地もしたのだが、動こうとはしなかった。死体とも言えない有り様の、人だったものに異常なまでの執着を覚えていて、化け物が近付いてきているのが分かってもどうでもよかった。


「やめろ!!」


 あまりに惨い彼の断末魔と雨音が、私の聞く音声の最後になった。唐突に凄まじい力で跳ね飛ばされたような感覚に襲われて、自分の身体が宙に浮かんだのが分かった。視界がぐにゃりと歪む。雨が止んだ、と思った。音が消えたから。


 意識はそこで途切れて、また復活した。私ははじめて朝と、夢からの目覚めを知ったような気がした。

 今日彼女を絶対に見ることになる。顔がついているといいな、と思いながら、着慣れた服に袖を通した。

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夢話 インスタント @instnt_2

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