夢話

インスタント

少女を眺める話

 目を開けたら、ぼくの前に少女がいた。艶やかな髪を一つ結びにした、顔だちの整った少女だった。暗い色のセーラー服を着ていたから、女子高生なんだろうと思った。

 彼女は仰向けに寝っころがっていて、足を縛られていた。大きな瞳が非難めいた色を含んでこっちを見ていたから、ああ、ぼくがやったのか、となんとなく理解した。しかしここまでの記憶が一切無いので、ぼくが過去にこの少女を誘拐して、何ならそれ以上の酷いことをして今この光景に至っているのだとしても、ぼくは彼女にどう謝ったらいいのかすらも知ることができない。

 彼女は身動きが取れないようだった。既述したように足はなにかで縛られているし、なにより両腕がなかったから。一部が欠けているというよりは、肩から先が無いように見えた。ただ出血は見られない。だからぼくは分からなかった。

 ぼくが両腕を切ってしまったのか、それとも彼女の個性なのか。

 眼前に転がる人間を見て様々なことを逡巡しながら、ぼくは無意識に少女の髪を梳いていた。前髪を整えるように、優しく、緩慢な動きで。すると、彼女は怯えたように顔を歪ませた。それでもなおその顔は美麗なままだった。いっそ、おそらくは恐怖にひきつっているのであろうその表情が、彼女の魅力を引き立たせているようにも見えた。

 それから、ぼくはまた無意識に呟いた。語彙の無い、稚拙な五文字。


「可愛いね」


 自分の喉から発せられた言葉だったが、まるで零れ落ちたかのように呟いたその短絡的な文章が、やけにぼくの胸の中ではまるものがあった。すとんと、用意されていた居場所に落ちるような感覚だった。自分の言葉に納得した、というと、少し奇怪な表現になってしまうが……。

 可憐、美しい、綺麗、愛らしい、……どれも彼女に対して向ける言葉としては何かが足りず、もしくは何かが余計であるように感じられた。あくまで学の足りないぼくの感性に基づいた話なので、ビジュアルデザインだったりアヴァンギャルドだったり、その他芸術に精通した人ならきっと多種多様な言い方が出来るのだと思う。

 しかしこの娘は残念ながら、その方面に関してズブの素人であるぼくに攫われてしまって、こうして鑑賞物と成り果てているのだ。

 こんなに秀でた容姿の女性だ、平穏で温かい日常を送っていたらきっとすぐに素敵な人と結婚して幸せな家庭が築けていただろうに、可哀想に。

 他人事のように思いながら、ぼくは何度も拙い文章を口にした。まるでそれ以外の言葉を知らないかのようだった。ただ自分の中では何の違和感もなく、ぼくが彼女に与えられる唯一の救いがこの幼稚な愛撫の台詞であると信じて疑わなかった。


「可愛いね、可愛い。可愛い。……」


 ぼくが何度も何度も言う度に、彼女は怯えと困惑の感情を露わにした。そこには徐々に、怪奇に向けられるような、興味が入り混じった複雑な色が映されていた。これ以上の実害を与えようとしないことに困惑したのか、同じ言葉を反芻することに奇妙さを感じているのか、はたまたぼくには見えないぼくの表情があまりに気持ち悪いのか。


「……ゆるして……」


 少女が話した。虫の羽音のような小さい声だった。ぼくは彼女の声を初めて聴いた気がして、少し驚いた。想像よりずっと凛としていて、透き通った声だった。たしかに音声のボリュームとしては本当に小さく、ぼくと彼女以外誰もいないほぼ無音の空間だからこそ耳に届いたといっても過言ではないほどにか細かった。されどその語気にはどこか強かな雰囲気があり、ぼくに対する怨みも怒りも垣間見えた。

 意外だった。

 仮にぼくが彼女の両腕を失わせた張本人だったとして、そんなことをした相手に反抗の色を見せるのは自殺行為のようだと思っていたから。

 もし相手が白痴の狂人で、まともな感性を持ち合わせていなくて、有無すら怪しいその僅かな反骨心に逆上し、せっかく縛られるに留まっている両足をも奪われてしまったらどうするのだろう。いよいよ彼女が生きて帰れる確率はゼロに近くなってしまう。医療用の麻酔なんてぼくの手元にはない。もしかしたら痛みで意識を失って、出欠多量が原因でショック死してしまうかもしれない。

 ぼくの視界には鉈がある。鉈というべきか、のこぎりというべきか、刃物に詳しくないから分からない。だがそれが鋭い切れ味を持つ製品なのだろうということは漠然と理解していた。一滴の血液、ちりもほこりも見当たらない、照明に照らされて輝く凶器が手の届く位置にあった。


「やめて、ゆるして……」


 直接触れてはいないものの、ぼくの目が鉈に止まったことに少女は恐れを強くしたようだった。先ほどよりも高く掠れて、涙を孕んだ声だった。もう抵抗の様子はほとんど消え失せていて、一瞬前まで細められていた瞳が今度は少し見開かれていた。その瞳孔の色があまりに綺麗で輝いていたから、思わず見惚れてしまった。彼女の顔が近い。それによって興奮することはなかったが、自分はきっと気持ちの悪い人間なのだろうなと思っていた。

 自分の生い立ちすら覚えていないぼくが、名前も知らない少女にここまで淫しているのは、一種の珍妙な趣向のドラマのようだった。世俗的な形容になってしまうが、インターネットで一部の人にひっそり公開されている、安っぽいアダルトビデオのようだ、と。……実際、語れるほど見たことはない。


「……可愛いよ」


 しかし彼女の姿態を見ることができているのはぼくだけだ。世間に知られたら侮蔑の雨を受ける行動だろうけれど、ぼくにとってはいっそ怖いほどに有意義な時間だった。いずれは覚めることを自覚できないほどには。



 腕の無い少女との夢は唐突に終わった。

 視界に靄がかかり、音が遠くなったと思ったら、周囲が暗転したのだ。ブラックアウトというものを経験するのは初めてだった。

 ああ、このあと目覚めるのだろうな、と考えながら、今から思い出してみれば少女は作り物のようだったと思った。絵画のような、彫刻のような、学術的価値を感ぜられるものといえば違うのだけれど、どこか浮世離れした、ドールのような雰囲気を持ち合わせていた。造形の整い過ぎたつくりは不気味である。両腕を持っていなかったことを思い出して、ヴィーナスを連想した。

 もう二度と会えない女性に、恋慕に似た思いをはせる。

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