本当は良いエビなんて存在しない

ナカタサキ

本当は良いエビなんて存在しない

 インディーズバンドにはまっているなんてサブカルクソ女って陰口叩かれそうだからみんなには言わないけれど。

 いつも演技をしている。みんなそうしている、私だけじゃない。SNSにいる違う名前の私が嘘偽りのない私だと言える。だから学校では音楽はあまり聴いてないキャラクターを演じている。

 これは私なりの予防線いわば防衛線なのだ。柔く繊細な自分自身を守る為の砦なのだ。

 例えば、本当の私を知らない友達が不意に私の好きなものを否定することが起きたとする。その時に私は演技を続けていられるだろうか。もし同じグループのユミが、私の好きなバンドの悪口を言っていたとしよう。例えばの話だけど想像はしたくない。

 きっと私は話を合わせて「こういうのってサブカルクソ女とかメンヘラが好きそうだよね~」って言いながらも、心の中では泣きながら怒って後悔するのだ。ユミにバンドを知られてしまったこと、大好きなものを一瞬でも否定したこと、自分自身を卑下してしまったことを。

 私のマイナス思考は加速するのに、現実は一定の時を流れていく。当たり前なのにそれがひどく冷たいものに感じてしまうのは私がまだ幼いからなのだろうか。精神が成長すれば時間の流れには慣れていき、何事もなかったかのように当たり前の毎日が送れるようになるのだろうか。


 お昼休みにいつもの四人グループでお弁当を食べていたら、ユミがおずおずとウォークマンを取り出した。

「ねえ、最近インディーズなんだけど『LADYBLUE』っていうバンドにはまってて、もしよかったら今度誰かライブに付き合ってほしくて……」

 いつも素直なユミが羨ましい。私もこんな風に素直に話せれば、面倒なキャラクターを演じなくて済むのに。

 私と言えば大好きで歌詞も全部覚えてしまったLADYBLUEをユミも好きだったらしい。ユミのいくライブは私も行く予定だったもので、ここで私も行くって言えば良いのかもしれないが演じていたキャラクターのせいで言い出せないでいた。

「なにそれ! 面白そう~! あ、でも来週はバイトだ……」

「あ~来週の水曜日か~、約束あるんだよね」

「もしかして彼氏?」

「そんなとこ。若葉は空いてないの?」

「う~ん、部活がある~……美月は?」

「……まだわかんない」

 私は分からないと答えた。あずさも牧野も若葉も来られないらしい。むしろその箱でやるライブ行くつもりだったよなんて言えなかった。面倒な性格が邪魔をする。なぜ生きにくい選択ばかりしてしまうのだろう。

「あ、そうなの! じゃ美月もし空いてたら付き合ってよ~! 絶対気に入ると思うよ!」

「うん、わかった」

 調子の良いことばかり言うがユミに、私は調子の良い返事をした。ユミは無理強いはしないタイプだ。ただ一枚余ったチケットをネットで誰かに売って私はユミと行けばいい。それをすれば丸く収まることが分かってホッとした。これから帰ったら予定を確認したふりをして、ツイッターを呟いて……

 ひどく面倒で周りくどいことをしているが、私の生き方だから仕方がない。


『エビ、異常発生』

 朝になんとなく見ていたニュースで流れてきた。異常気象の影響で潮の流れに何かがあったのか、どこかの国のエビ養殖場から逃げ出したのか分からないと専門家は神妙な顔で話していた。

「わ! 美月ちゃん、エビ拾ったら食べ放題かもね」

 のんきなお母さんは今日も元気だ。

「密漁は犯罪だよ」

「ばれないわよ、こんなに沢山流れているのだもの」

「えー、でもなんか怖くない? 病気になるかも」

「あ~そうかもね~でも地元の人たちや猫は食べてたりするんじゃない?」

 お母さんは適当なことを言う。もしもどこかの国の工場排水で汚染されているエビだったら公害になりかねない。何となく胡散臭いから私は食べたいとは思わなかったが、ニュースの画面いっぱいに埋まるエビの映像は圧巻だった。


 学校に着いたらいつものようにみんな集まって話している。

「おはよ~」

 私が声をかければみんなの挨拶を返してくれる。この安心感が学校生活を営むのにとても大事だってことをよく知っている。だからこの関係を守るのは必然と言える。

「あ、美月! 昨日言ってたこと大丈夫だった」

「なんのこと?」

「LADYBLUEのライブのこと! 部活の子も好きだったからその子と一緒に行くことにしたから~」

「あ、そうなんだ。おっけ、大丈夫~」

 一瞬、頭を強く打ち付けられたかのような感覚がしたが、私はいつもみたいに受け答えを出来ていただろうか。

 私の手に入れたチケットはもう他の人に渡ることが決まっていた。先にユミに言わなかった私が悪いが、ユミと行く気でいたから本当はすごく悲しかった。そもそも素直でない私が悪いのだ。ユミを恨むことはできない。でもLADYBLUEは大阪を拠点に活動しているバンドだ。東京には滅多に来ないからこのライブは絶対に行きたかった。チケットが当たった時は嬉しさのあまり部屋の中で歌いながら踊ったくらいだったのに、自己嫌悪で気持ち悪くなる。

「……美月、顔色悪いけど大丈夫?」

 何も話さない私を心配したのか、若葉がしゃがんでこちらを見上げていた。若葉のおかげでみんなが私に気付いてくれた。

「大丈夫? 保健室行く?」

「あ~、何か朝ごはんに変なの食べちゃったのかなあ。ちょっと気持ち悪いから保健室行こうかな……」

「私も一緒に行くよ」

 若葉が言ってくれたけど、私は頑張って笑ってみた。

「大丈夫、そろそろ授業始まるし。先生にだけ伝えて欲しい! ごめんね、よろしく」

「おっけ、任せろ~お大事ね」

 みんなに見送られ私は教室を出た。グループの子意外のクラスメイトも声をかけてくれた。

 帰るの? ううん、帰らないよ。ちょっと体調悪いから保健室行くの。そっか、お大事にね。

 みんな優しい。だからユミも悪くないし私が悪いのに、何でこんなに気持ちが悪いのだろう。

 平穏な日々を守ったから悪くない結果なのに、心が晴れない。

 鞄を持って保健室へ行ったが先生は不在だった。職員室まで呼びに行くのが面倒だなあ~帰りたいなあ~なんて考えていたら、今朝ニュースでみた異常発生したエビを思い出した。

 エビ……見に行こうかな。なんとなく行き先を決めた私は回れ右をして昇降口へ向かう。

 体調悪いから早退でいいや。なんか全てが面倒な気分。

 LADYBLUEのサビを唇だけで口ずさみながら私は誰もいない廊下を歩く。静寂が心地よい。音が鳴っていないのに、頭の中はメロディーで溢れている。静寂と頭の中のメロディーの狭間で、どうして私は弱いのだろうと考えていたら泣きそうになった。


 通勤ラッシュが過ぎた頃の電車はとても穏やかだった。下り方面は更に人が少なくて座ることが出来た。制服を着ているから悪目立ちするかと思いきや、誰も気にも留めない。それが少し寂しくもあり嬉しくもあった。今の私は透明なのかもしれない、なんてSF(少し、不思議)なことを考えていた。

 このまま電車で一時間くらい揺られていたら海に着くのだが、暇だった。みんなと食べようと思っていたお菓子を、人目を気にしながらこっそり食べた。ジャガリコは自分が思っていたより大きな音がしてしまい慌てたが、やっぱり誰も私を見ていない。

 何だか透明人間にでもなった気分。イヤホンをつけて音楽をかけると、学校の静寂も一緒に連れてきたように思えた。

 知らない路線に乗り換えて知らない駅に初めて降りた感想は「なんだ、こんなものか」という呆気ないものだった。学校をサボるなんて大冒険の幕開けのような気がするのに、案外どうってことのない日常の延長だったことを初めて知った。ただ潮風の匂いがしてこの匂いだけが非日常の匂いがした。大冒険だけが全てではないはず。

 私はツイッターの音楽アカウントに『海にきた!小冒険はじめます』と、入力して駅から見える海の写真と共に更新した。リアルのアカウントでは書けないこと。学校を早退していなくてもこんなことを書けない。友達の更新を見て友達と遊んだ時にだけ更新するアカウントだ。アカウントを分ける意味なんてないと思う人もいるけれど、演技派の私には必要なのだ。

 ――たまに面倒に思う時もあるけれど。


 海岸前には何組かのマスコミがいて、私はカメラに映らないように海岸の奥へ行く。駅前のコンビニで買ったお茶とお菓子が入った袋がカサカサ鳴るが、潮風の音にかき消されていく。

 それにしても近くで見た異常発生したエビは壮観だった。灰色で透明なエビは日差しを反射している。異様な光景なのにいつもより海が輝いて見えるが、岩にこびりついた乾いたエビの死骸に目がとまると気持ちが悪くなる。生きていると綺麗なのに死んでいると気持ちが悪い。美味しい、エビ。この海岸にいるエビではなくスーパーマーケットで並んでいるエビが食べたい。

 潮風に紛れて何かが燃えている臭いがした。誰かがいるのかな。臭いの元へ近づいていくと、スーツ姿の男性がエビを焼いているのが見えた。

 もしかして、あのエビを食べているの? 周りを見渡すがその男性以外に人は見当たらない。男性はエビを選別しているようだった。拾ってはじっとみて、放りなげる。ほとんどを放り投げているがたまに、ビニール袋へ入れている。これを繰り返していた。そしてある程度エビが溜まったら七輪にエビを並べて焼いていた。そうして並べ終わったらまたエビを拾う。不思議な光景だった。

「あの、何をしているんですか?」

 私は冒険心で心が躍っているせいか、不用心にもその男性に話しかけていた。

「エビを選んでいます」

 男性は私の方を見向きもすることもなく、淡々と答えた。

「どうしてそんなことをしているんですか?」

 そもそも平日の昼間にスーツで海辺にいるシチュエーションに違和感があるのだ。この男は何者だろう。冒険心に踊らされているせいで普段は踏み込まないであろう領域まで来ているのがわかった。男性は私の方を見ると素っ気なく答えた。

「仕事です」

「何のお仕事ですか?」

「……貴方には関係のないことです。そもそも貴方は学生でしょう。どうして平日のこの時間にこんな場所に来ているんですか」

 男性はどこにでもいそうな普通の顔をしていた。どこかですれ違っても印象に残らないだろう。年は二十代前半くらいに見えた。

「あなたには関係のないことです」

 私も男性の真似をして同じように答えた。私が今こんな大胆に行動できるのは、異常発生したエビに引っ張られて私にとって異常なことが出来るようになっているからだろうか。今の私は何故か何でも出来ると思っていた。

「……貴方、もしかしてこのエビを食べましたか?」

 男性は訝しげにこちらを見る。私は首を振った。

「いいえ、こんな怪しいエビは食べたくありません」

「……正直ものですね」

 私が素直に答えすぎてしまい、焼いたエビを食べていた男性を不快な気持ちにさせてしまったかもしれない。いつもなら誰かを不快な思いをさせてしまうと落ち込んでしまうのだが、今は何も思わなかった。

「……僕は良いエビと悪いエビを選別しています。良いエビは身体に良いご利益があるので焼いて食べています。ただ悪いエビは毒なので食べてはいけないのです」

「はあ」

 突然語り出した男性に驚き、私は間の抜けた声がでた。

「良いエビを食べれば気分が良くなり身体の不調も治ります。人間関係の悩みも解消されます。あなたもおひとついかがですか」

「……結構です」

 なんだか気分が冷めた。今さら海面を漂うエビの生臭さや目の前の男の気持ち悪さを理解した。やはり冒険なんてないのだ。

 それから私は足早に帰った。男に追いかけられたりしないか怖かったが、追いかけてはこなかった。ただ表情のない顔で私を見ていた。

 イヤホンを耳にさしてLADYBLUEを聴いて心を落ち着かせようとするが、なかなか落ち着かない。腕に鳥肌がたっていた。何かの宗教団体の信者だったのだろうか、それとも貧乏で食べものが買えないのだろうか。考えても分からない。

 誰かに話したいが、誰に話そうかどのアカウントで呟こうか考えたが決まらなかった。素性を知らないフォロワーに話すには意味不明過ぎるし、親や友達には学校をサボって海に行ったなんて言えない。けれどどこか不気味で誰かに話したい、今すぐここから離れたい私は足早に駅まで行った。さっきまでいたマスコミも帰っていたらしく、誰ともすれ違うこともなく駅についてしまった。

 ICカードをかざし改札へ入ろうとするが残金が足りなくて改札が開かない。もたもたしていると、あの男が背後にいるんじゃないかと怖くなる。

 こんな怖い思いをするのも自業自得だ。ライブも行けないのも自業自得。誰にも話せない秘密が出来てしまった。

 千円だけチャージして、改札を抜け電車に乗る頃には少し落ち着いてきた。電車の窓から見える海に大量発生しているエビが見える。

 何故か誰もいない車両。上りなのに人がいないなんて。

 私はこれを悪夢だと思いたくて、瞼を閉じた。

 神さま、明日から美月は素直に生きます。好きなものは好きっていって、みんなと共有して自分も周りも楽しく過ごせるように工夫していきたいです。

 だからどうか、エビの異常発生が悪い夢でありますように、私は海辺に行かなかったことにしてください。どうかお願いします。

 

 LADYBLUEが徐々に私を日常へ連れ戻してくれるが、あの男の無表情が、瞼の奥に焼き付いたように消えてくれない。


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