第1176話三香の原の新都を誉めし歌

三香の原の新都を誉めし歌一首 短歌を併せたり


山背の 久邇の都は 春されば 花咲ををり

秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の

上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮き橋渡し

あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに

                 (巻17-3907)

盾並めて 泉の川の 水脈絶えず 仕へまつらむ 大宮ところ

                    (巻17-3908)

右は、天平13年2月に、右馬頭境部宿禰老麻呂の作りしものなり。


※盾並めて:「泉の川」にかかる枕詞。盾を並べて射るの意味から、「泉」の「イ」に掛けたと言われる。


山背の、久邇の都は、春になれば美しい花が咲き誇り、秋になれば美しい黄葉が照り映えます。新都の帯とする泉の川の、上の瀬には打橋を渡し、下の淀んだ瀬には浮橋を渡し、いつまでも通い続けたいと願います。万代までも。


泉の川の流れが絶えることがないように、いつまでも、この大宮所には、お仕えをしたいと願っております。


三香の原の新都(久邇京)は、京都府相楽郡加茂町を中心とする地域。

天平12年(740)8月の藤原広嗣が大宰府で起こした乱に動揺した聖武天皇は、平城京を逃げ棄てて彷徨、12月15日、山背の久邇を新都とした。

しかし、新都造営は、天平15年12月末に停止、翌16年2月に難波に遷都する運びになった。


長短歌は、天平13年2月に、軍人の右馬頭境部宿禰老麻呂が詠んでいる。

歌としても、平凡な歌である。

名立たる文人(歌詠み)は、まだ平城京に残っていたらしい。

結果論ではあるけれど、聖武天皇の臆病さが原因の迷走、無駄な遷都の繰り返しが、こんな歌を残すことになった。



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