第1120話由縁ある雑歌(10)
古歌に曰はく
橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放髪は 髪上げつらむか
(巻16-3822)
※橘寺:奈良県明日香村に現存。聖徳太子誕生の地とされる。現在は天台宗。
二面石など、飛鳥時代の遺跡も残る。
天台宗ではあるけれど、寺の中に、弘法大師、法然、親鸞、日蓮に関わるものも現存。これも、日本で仏教拡大に尽力した聖徳太子の威徳を慕ってのことか。
※童女放髪:成人前の少女のお下げ髪。
右の歌は、椎野連長年、脈みて曰はく
「それ、寺家の屋は、俗人の寝る処にあらず。また、若冠の女をいひて、放髪卯といふ。しからばすなはち、腰句、すでに放髪卯と云へれば、尾句、重ねて著冠の辞を云ふべからじか」といふ。
※椎野連長年(しひのむらじながとし):天智天皇の治世の頃に渡来した四比(しひ)忠勇の子孫。医者とも言われている。「脈みて」とあるのは「医者」を意識した表現かもしれない。
※若冠の女:成人。
※放髪卯:成人したての女性を意味する表現。
決めて云はく
橘の 照れる長屋に 我が率寝し 童女放髪は 髪上げつらむか
(巻16-3823)
古くから伝わる歌
かつて橘寺の長屋に私が連れて来て、添い寝した童女髪の娘は、(今となっては)髪
をあげたのだろうか(誰かの妻になってしまったのだろうか)
右の歌は、椎野連長年(しひのむらじながとし)という人の解釈によると、
そもそも、寺という場所は、俗人が眠る場所ではない。また、成人したての女性を、放髪卯(うないはなり)と言う。それを考慮すれば、四句目に、「放髪卯」としてあるのだから、重ねて成人したことを示す言葉を言う必要がない」
とのことである。
それから考え、正しいと定めてこう詠い改めた。
橘の実が、輝く長屋に、私が連れて来て寝た幼女は、今ごろはもう童女髪に髪上げしたのかもしれない。
椎野連長年(しひのむらじながとし)としては、僧侶が「幼女を寺の長屋に引きずり込んで添い寝した」は認められなかった。
だかた橘の「てらのながや」を「てれるながや」に、変えてしまったというのである。
今となっては、確かめようが無いから判断もできないが、そもそもとして橘寺のような由緒正しいお寺で、幼女に「恥ずかしいことをする僧侶」が出てくるのだろうか。
それを考えると、無理に変える必要もないと思う。
尚、橘寺に立つ石碑は、
橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放髪は 髪上げつらむか
である。
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