第608話柿本人麻呂 紀州国にして作りし歌四首

もみじ葉の 過ぎにし児らと 携はり 遊びし磯を 見れば悲しも

                        (巻9-1796)

塩気立つ 荒磯にはあれど 行く水の 過ぎにし妹が 形見とそ来し

                        (巻9-1797)

古に 妹と我が見し ぬばたまの 黒牛潟を 見ればさぶしも

                        (巻9-1798)

※黒牛潟:和歌山県海南市の黒牛湾。

玉津島 磯の浦廻の 砂にも にほひて行かな 妹が触れけむ

                        (巻9-1799)

※玉津島:和歌山市和歌浦の玉津島神社付近。当時は海中の島。


もみじ葉が散るかのように、この世を去った彼女と手を取り合って遊んだこの磯を見ると、実に悲しい限りです。


潮の香ばかりが立つ、岩だらけの磯ではありますが、流れ行く水のようにこの世を去った彼女の形見の地として、ここに来たのです。


遠い過去にはなりますが、彼女と私が一緒に見た黒牛潟を、今は一人で見るだけ、それが実に寂しいのです、


この玉津島の磯辺の浦の白砂を、しっかりと服につけて行きたいのです。

もしかして、彼女がこの白砂に触れたかと思うので。


特に最後の歌、彼女が触れたかもしれない砂まで、形見として身につけて行きたいと詠む。

そんなことは無意味だ、と一笑する人もいるかもしれない。

しかし、心の底から好きな彼女であって、二度と逢えないなら、思い出が残るどんなものでも形見にしたい、そして思い続けたい、実に苦しいけれど、これこそが本物の恋ではないだろうか。

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