第607話遣唐使の母が子に贈った歌
天平五年癸酉、遣唐使の船の難波を発ちて海に入りし時に、親母の子に贈りし歌一首
短歌を并せたり
※天平五年:733年。
秋萩を 妻どふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ
鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば
竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ
我が思ふ我子 ま幸くありこそ
(巻9-1790)
※竹玉を:竹の輪切りに似た小円筒の形をした官玉。
※斎瓮:斎いのために使う。お神酒を盛る大型の土器壺。家の中の地面を掘り、据えた。
※木綿取り垂でて:木綿は、現代の御幣のようなもの。楮の繊維を細かく裂きこしらえた純白の祭具。器物に取り付けて垂らした。
反歌
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群
(巻9-1791)
秋萩を、自分の妻と見て、妻問いをする鹿は、子を一匹しか持たないと言われておりますが、その鹿と同じで、私のただ一人だけの子は、遥かな旅に出立することになりました。
残された私は、竹にいっぱい玉を通して垂らし、斎瓮には木綿を垂らし、お祈りをいたします。
「どうか我が子が無事でありますように」と。
この旅人が仮寝をする野に、霜が降りるような寒い夜には、天を翔ける鶴の群れにお願いします。
「どうか、我が愛しい子供を、その羽で暖かく包んであげて欲しい」と。
難破を含め、当時の遣唐使は、まさに命がけ。
母親としては、一人息子が遣唐使に選ばれるのは、本当に名誉であるけれど、二度と帰って来ない、顔を見ることが出来ないという、強い不安を持つ。
そのため、家の中で神に祈るけれど、それだけではまだ不安。
天を翔ける鶴に、寒い夜には、我が子を包んで温めて欲しいと願う。
何とも切実で、1300年後の日本に生きる我々の心も、揺さぶられる名歌と思う。
尚、この天平五年の遣唐使は、天平七年三月十日に帰朝した。
史書には、全員が無事に帰朝したとの記事はない。
子と母親の再会は、無事果たされただろうか。
しかし、あまり悲劇的なことは、考えたくない。
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